ソファのある部屋

 その部屋に瑠璃色のソファがあるのを見た瞬間にブラスカの目が光ったのをアーロンは知らない。
 ジョゼ近くの宿は繁盛しており、雑魚寝部屋のベッドが一つと二人部屋が一つしか空いていなかった。そこで、ちょっと大人気ない奪い合いの末、ジェクトが大部屋に決まった。もちろんアーロンは黙って見ていただけである。食事は外でしようと一旦別れ、ぶつぶつ言いながら去っていくジェクトにアーロンは気の毒そうに目を向けた。
 足取り軽いブラスカの背中を見ながらアーロンは与えられた部屋に荷物を置いた。その部屋は二人部屋にしてはやや大きく、軽い食事に使えそうなテーブルと椅子2脚、更には扉に背を向けた瑠璃色のソファが一つ鎮座していた。ベッドは扉と反対側の奥に並んでおり、ソファの色に併せてベッドカバーと段通も瑠璃色だった。編地にはふくよかな凹凸があり、段通に裸足の脚を乗せてブラスカは気持ちいいよ、と喜んでアーロンを見た。ブラスカは既に装備を脱いで軽い服装になっている。
「なんだか贅沢ですね……テーブルをつめればジェクトも寝られますよ。ソファを使ってもいいですし」
「たまにはいいんだよ。それにジェクトはこんな綺麗めの部屋は苦手だよ、きっと」
「そうでしょうか……良い生活をしていたと聞いていますが」
「いいの! 決まったんだから!」
ブラスカは珍しく理論的ではなかった。
「は、はい」
 アーロンは慌ててブラスカに頷くと自分のすべきことに取り掛かる。こういう時には真面目に働くに限るのだ。ブラスカはそんなアーロンをにっこり笑って眺めた。彼はせっせと荷物の整理をし、ブラスカが脱ぎ散らかした召喚士の装備を片付け、といつもの通りマメだ。ブラスカはアーロンが動く姿をとても気に入っていた。鍛えた体がきびきびと動き、しかしそれは不思議と少年のように瑞々しい。この季節、まだ日に焼けきらない蜂蜜色の肌が特に美しいと思う。
 ブラスカは満足して頷く。それを不思議そうに見つめ、しかし手を休めずアーロンは立ち上がる。
「空気を入れ替えましょうか」
 彼が空けた窓から初夏にしてはひんやりした空気が部屋の中をかき混ぜてゆく。二人並んで風に吹かれる。
「ホント、君がよくしてくれるから助かるよ」
「いえ、当然のことです……」
 ブラスカは何気なく、まとめてある金髪に手をやった。そして髪留めをいじりながら待つ。
「私はジェクト以上に手がかかるだろう?」
「いいえ! ブラスカ様はあんなのとは全然違いますよ!」
 言い募るアーロンが可愛く見える。私のことが好きなんだねえ、と実に深く納得する。得々と頷いているブラスカをまた不思議そうに見つめ、アーロンは強くなってきた風に舞うやはり瑠璃色のカーテンを手早くまとめて留めつけると、零れる前髪に手をやった。
 ブラスカの待っていたものが来た。絶妙のタイミングで髪を解く。風に投げられた髪は、隣のアーロンの上げた袖口の金具に引っかかった。
「あ痛!」
「あっ、申し訳ありません!」
「痛いって、取って!」
「はいっ、あっ!」
 不必要に暴れたブラスカのせいで、髪は数本千切れて金具に残った。
「……もう。痛いじゃないか」
「もっ申し訳ありません……大事な髪が」
 明らかにアーロンの責任ではないが、習い性とはこういうものである。
「別にそんな大層なものじゃないけどね」
 計算済みの無表情でブラスカは遠くを見る。アーロンが困って見つめているのが分かってブラスカはかすかに笑う。
「ブラスカ様……」
「たいしたことじゃないよ」
「でも」
 ちら、と見てやるとアーロンはびくっと身を縮める。
「そんなに怖がらなくても」
「いえ、あの……」
「そんなに怯えられると怒らなきゃならないみたいじゃないか」
「ブラスカ様……」
 勝手に怒られ体勢を取っているアーロン。本人は至って真面目なつもりらしいが、ブラスカにはわざとにしか見えない。多分それは間違ってはいない、アーロンは叱られたいのだ。
 風が吹くままに髪を乱してブラスカは立っている。アーロンは金具に残った髪を見ている。にじるようにアーロンはブラスカに近づき、ブラスカは窓枠に腕を乗せて前を見つめたまま、たっぷり時間を取った。
「でも、まあ、そうだね」
 頃合よし、と言葉でアーロンを突付く。アーロンはそれに素直に反応して目を上げた。本人は知らない、期待をしている目。
「ガードの君が私を痛がらせちゃいけないね」
「はい……」
 ブラスカは慎重に移動する。アーロンは糸で繋がれているかのようにそっと後に従っている。
「そこに、お座り」
 ブラスカは予定通りにソファを指差した。アーロンは困った顔でそこに座り、ブラスカを見上げる。上着から抜いた腕の肌とソファの瑠璃色との対比に、やっぱりよく似合う、と満足した。腕を組む。
「ちょっと叱っておこうか」
 ゆっくり近づき触れそうなくらい顔を寄せる。アーロンは目を伏せ、その足運びをじっと見つめて俯いた。その耳元にブラスカは唇を寄せる。
「叱ってあげる」
 囁く。アーロンの肩がぴく、と震える。
「そうだね、君も痛くしてあげるよ」
「ブラスカ様……」
 震えるまつげを上げてアーロンは顎を上げる。その目は一見怯えているようだが、奥を眺めれば揺れている期待と欲情が見える。
「じっとしていなさい」
 上着に手を掛けて残った肩を抜き、唇を押し当てる。一つ、赤い痕を付けた。
「お許し下さい……」
 いつもの台詞。
「駄目だよ、許してあげない」
「お願いです……」
 その後に続くのは、止めないで、という言葉だろうがアーロンはそれを知らない。怯えている、つもりだ。ベルトを抜き、胸を押してソファに背中を押し付けるとなんの抵抗もなくぐったりと横たわった。
「泣くまで、叱ってあげるよ」
 アーロンはまだ、お許し下さいと掠れた声を出している。



 フテ寝するにも野郎ばかりの汗臭い大部屋、辟易してジェクトはブラスカの部屋に向かった。夕食の時間には多少早いが引っ張って出てやろう、あわよくば二人部屋に侵入してベッドを占領してしまえ、と意気込んで部屋のドアをがんがんノックして返事を待たずに開けた。
「おーい、腹減ったぜ!」
 目の前のソファにブラスカが横顔を見せて座っている。
「おや。ジェクト」
 のんきに言ってブラスカはジェクトを振り返った。
「へー、いい部屋じゃねーかよ」
 と、一歩中に入ろうとして、ジェクトの警報が鳴った。何かが、彼の足を留める。これ以上進むな、という声にジェクトは従った。今までこの警報が外れたことは無い。
 ぎし、とソファが軋む。ブラスカは横顔を見せたままだ。おかしな座り方。それにやけに重い音……背もたれで見えないが、誰かそこに寝ているみたいな。
 思ってやっと、低い肘掛に乗せられた頭に気付く。ブラスカの視線の先、乱れた黒髪が動き、顎が上がって顔が見えた。
「……おい、ブラスカ。それ、アーロンか?」
「ああ、もちろん」
 尋ねたのは、その顔が到底普段のカタブツとはかけ離れたものだったからだ。
 またソファがぎしり、と鳴った。
 薄手の生地の軽装を乱さず、ごく平常のブラスカが少し俯き加減になり、肩に力が入って下から掠れた声が上がった。ずる、とアーロンの頭が肘掛から滑って見えなくなり、髪だけが残って揺れている。と、ほぼ同時に反対側から足が突き出てゆっくり伸びた。曲がってソファの背から剥き出しの膝頭が現れる。ブラスカはそこにてのひらを当てた。切れぎれに聞こえる小さな声。ゆるして、下さい。
「……いや、さ、飯に行こうかって、言いにきたんだ……がよ……」
「ジェクトはすぐにお腹がすきますからねえ」
 くすくす笑うブラスカは、膝を外側に倒した。見えていた脚がひっこみ、やがて、二つの膝裏が肩の上に乗った。ブラスカが若干前傾姿勢になると悲鳴が上がった。
 艶のある、悲鳴。
 ソファが鳴る。
「う……俺、さ……一人で食ってくるわ……」
「駄目ですよ、まだギルの種類も覚えていないでしょう、ぼったくられますよ」
「いや、まー、そうなんだがよ……」
 びくん、と片足がブラスカの肩で跳ねた。ジェクトは思わず半歩下がる。ブラスカは非常に満足げな表情で、その足首を捕らえると親指の先に舌を這わせた。限界までつっぱった足指がひくひくと反応する。充分唾液を絡めてから脚を肩から外すとその爪先をジェクトに向けた。背もたれの上をふくらはぎが滑り、力無く膝で曲がる。更にブラスカが前のめりになり、掠れた悲鳴。ゆる、して、くだ、さい。
「……いや……お、俺が言うことじゃねーけどよ……」
「……なんです?」
 視線を真下に向けて微笑したままブラスカは答える。
「その、なんというか、」
 アーロンがまた悲鳴を上げた。ソファは連続的に鳴り、アーロンの掠れた喘ぎも途切れなく漏れ始めた。穏やかにブラスカの軽い癖のある金髪が揺れている。
「何かそいつ、い、嫌がってねえか……? ゆるして、とか言ってる気がすんだけど……」
「ああそれ、口癖なんですよ。ねえ、アーロン」
 ブラスカが屈みアーロンの声が止んだ。湿った音が遠慮なくジェクトの耳に入り込む。やがてブラスカが舌を出して唇を舐めながら顔を上げると、それを追うように指が伸びた。ブラスカの髪を掴み、溺れている者の正しい動作で首に絡まる。
「ね」
 アーロンの手首を片方取り、自分の喉から胸を伝わせ更に下に降ろしながら、にっこり笑ってブラスカはジェクトを見た。
 ね、と言われても。
 ジェクトはぼさっと突っ立って、最後に残っていたアーロンの髪が引っ込み、更にブラスカが屈み、背もたれに掛かっていた足が自分の意思で持ち上がってブラスカの体に絡むのを見た。
「……俺、表で待ってるわ……じゃな……」
「ええ、では後で」
 扉を開けるジェクトの背後で、アーロンがおゆるしくださいと朦朧と声を漏らし、こんなに喜んじゃお仕置きにならないね、とブラスカが笑うのが聞こえた。



「お待たせ、ジェクト」
 ブラスカは悠々と現れた。陽は沈み、夕食には丁度良い時刻になっていた。どうやらブラスカには予定通りの行動だったらしい。
「アーロンは?」
 いなくて当然、と思いながらも一応聞く。
「うん、何か買って帰ってあげようね」
 ブラスカはいつもに増してすがすがしい。答えになっていないが、もういい、とジェクトは並んで歩き始めた。そういや、三つ前の宿でも同じ会話をした記憶があるけど、それももういいや。
「何を食べますか? ジェクトは肉が苦手でしたよね」
「苦手じゃねーよ。制限してるっつーだけ」
「へえ! ブリッツのためですか? プロですねえ、そうやってイイ体にするんですねえ」
「……見るな……」
「いいじゃないですか、減るもんじゃなし」
 いや、減りそう、という言葉をなんとか飲み込む。
「アーロンにも肉を制限してみようかな。もっとイイ体になったら素敵だねえ」
 胸筋をうっとり眺めてくるブラスカから一歩離れながら、ジェクトは生まれて初めての種類の鳥肌を立てたのだった。
 もちろん、その夜のメインディッシュは「可愛いアーロンのお話し」であったことは言うまでもない。






背もたれの向こう側へGO
メインディッシュへGO
腹いっぱいどす……