1 

眠る人 1

「昨夜もジェクトは朝帰りのようなものでした」
  そう言って、同室だったアーロンは溜息を吐いた。
  キーリカの森はうっそうと茂る木々の合間からいつ魔物が飛び出るか分からない危険な場所だが、件の男は湖に飛び込んだきり小一時間上がってこない。水中で戦っているのかもしれん、とアーロンは湖を覗き込むが、さざなみすら立たない鏡のような水面に、両腕をきつく組みふんばって立っている自分の姿が見えるばかりである。ブラスカは側に寝ころび、苦笑しながらアーロンを見上げていた。
「ブラスカ様、奴が夜な夜な街で女漁りをしていると思うと俺、締め殺したくなるんです」
 軽蔑した目を湖面に向けて、アーロンはいらいらと言った。
「そう怒るんじゃないよ。彼も寂しいんだろう、会いたい人に会えなくて」
「それは同情しますが……ブラスカ様まで悪い評判を受けるような気がしてなりません」
「私はそんな有名人じゃないよ」
 手を伸ばし、アーロンの脛を笑って叩く。
「君は若いからね……潔癖を求めることは悪くはないが、人生はそんなに単純じゃない。それを知る良い機会かもしれないよ」
「年齢じゃありません、俺には理解できない! そんなに大切な家族がいるのに、帰りを待っているだろうに、どうして他の女と遊べるんですか!?」
  憤慨しているアーロンの眉間の皺はいつもより深い。やれやれ、とブラスカはアーロンに手招きする。
「座りなさい、座りなさい、ここ、はい、ここ」
 隣を示してはたはたと手を振ると、アーロンはかっかしながらも素直に腰を降ろす。
「覚えているだろう、出発の直前に家に来たジェクトの事。本当にユウナを可愛がってくれたよね。それとこれは一緒の事だと私は思うんだ」
「どこがどう一緒なんですか!」
 アーロンは「ザナルカンドから来た男」をガードにしたい、というブラスカの意見に非常な難色を示して口もきかないという有様だったが、ユウナと遊ぶジェクトを見て態度を軟化させた。少なくとも子供を芯から可愛がる男であるということで、ぎりぎりの妥協をしたのである。後に彼が、自分の息子に注ぐべき愛情を素直に注げなかったと嘆くのを聞き、ユウナに見せた笑顔は本当は息子に見せたかったものなのだなと、感慨に耽ったこともあった。
「確かにジェクトは悪い人間じゃない、と俺は思います。肝心なところで心の表現に不器用だって事も、他人ごとじゃない感じがして嫌いじゃない。でも、それと節操がないこととは問題が別です!」
「君は好きでない人と寝たことがないんだねえ」
 ブラスカが感心したような声を出し、アーロンは一瞬で顔を真っ赤にした。
「あたりまえでしょう!? それがエボンの教えなんですから!」
「物事には建前ってものがあるんだよねえ」
「ブラスカ様がそんなことおっしゃってはいけません!」
「なんでー?」
「僧官でしょう!?」
「元、ね」
「元でもなんでも、ブラスカ様はきちんとなさった方です! どうしてアレを許すんですかっ!?」
「あははは、叱られちゃったよ」
 服をはたきながらブラスカは涼しく笑って立ち上がった。
「その調子で風紀を取り締まっておくれ。私は不良僧官なんだから」
「ブラスカ様!」
 元、ね、と付け足しながらブラスカは池の縁まで歩いて行った。



 不良というのは嘘ではない。ブラスカにはアーロンに聞かせれば火を吹いて怒りそうな思い出話が幾らでもある。婚前交渉はいけない、と教えられればなぜいけないのか実地で確かめ、別にいけなくないと結論した。同性とのセックスの実態に興味を持って、男性の上僧からの誘いも受けてみた。また、なぜ自分が男に誘われるのか知りたいと思い、逆に街で少年を誘ってみたこともある。元々好奇心旺盛で、疑問を抱けば自身で確かめずにはいられない性格だ。その疑問が性的であるかどうかはブラスカにとっては瑣末な問題だったので、自然経験は増えた。
 その延長上に妻との結婚があった。アルベドは神に見放されている、と言って誰も布教に行かなかったから行ってみた。機械は神の怒りを呼ぶ、と言われているから教えてもらって使ってみた。アルベド人は不謹慎だ、と評判だから色々な人と話し、酒を飲み、族長の娘と知り合った。彼女の髪があまりに綺麗だから触ると笑ってキスをされた。すると強烈に彼女と寝てみたくなった。べベルの女は商売女でなければ決して自分からそういうことはしない。だから、積極的な女と寝てみたかったのだ。ブラスカは、女の内情をてっとりばやく理解するには寝ることが最適だと思っている。大なり小なり、女は生殖に命を掛ける。人は命を掛ける場においてその本性が明らかになるものだから、その基盤にあるセックスは女の内情に触れるために著しい効果を持つ行為だと結論している。だから寝た。そして寝物語も交えて話せば話すだけ彼女から離れられなくなったから結婚してベベルに連れてきたのだ。
「全く、とんでもない僧官だったものだな」
 一人の部屋で呟いて笑う。キーリカの森を抜け、ビサイド村にての宿泊。明日早々にも寺院で召喚獣を賜ろうと話してから、ガード達と別れて部屋に入った。この村での試練が旅の折り返し地点、一段落ついた、という感慨が昔話を思い出させるのだろうか。
「本当に素行が悪いのは私だなあ」
 召喚獣を賜り、シンと戦うことにも他人に言えない理由があった。
 千年でたった三回しか倒せない、そんなシンと戦い、究極召喚獣を使いたい。
もちろん、最高の女が遺した最高の娘に最高のプレゼントであるナギ節を贈りたかった、という気持ちは本当だ。しかし、だからといって幼い娘を置いて還らぬ旅に出る必然はない。側で守り通すことで、ユウナのためだけの小さなナギ節を与えてやることが出来たはずだ。また本来召喚士とは、必ずしも召喚の旅に出るものではない。一つか二つの召喚獣を持ち、生まれ育った地を守り、癒されない魂を異界に送りながら一生を終える、それもまた極当たり前の召喚士の姿だ。その平和な日常を捨て、愛娘を孤児にしてさえこの旅に執着する理由、それはあらがえない自己の好奇心。
 その自家中毒的な旅に二人の者を命がけで参加させている。しかも内一人はこのスピラと何の関係もない者だ。笑うしかないわがままな自分、ブラスカにはジェクトが何をしても、アーロンが今日でお暇を、と言おうとも、何の文句もないのだ。
「せめて元僧官として、二人の無事を祈りましょうか」
 笑いながらブラスカは両手を組んだ。



 一方ガード達の部屋では、今夜も表に出ようとするジェクトと扉の間でアーロンが気炎を上げていた。
「だからおめぇには関係ないっつの。どけって」
「俺に無くてもブラスカ様にはあるだろう! ならば俺は口を出すことに躊躇はしない!」
「ブラスカにも無いっつの。うっせえって」
「あんたの素行の悪さが噂になったらどうする! 寺院の反感を買えばブラスカ様が苦労なさることは目に見えているんだ!」
「あー、アレだろ、落ちこぼれの召喚士だからなあ」
 にやり、と笑うジェクトは顎を上げ、一層見下ろすようにアーロンを見た。その挑発に気持ちが良いほど乗って、アーロンは頬に血を上らせた。
「言葉を慎め! ガードがブラスカ様を愚弄するなどあってはならない事だ!」
「愚弄って大げさな、あいつが自分で言っただろーが」
「ともかくもう色町に行くことは俺が許さん! 行きたければ俺を倒してから行け!」
「ああそうかよ。じゃあ」
 瞬間、アーロンは大きな音を立てて床に崩れた。綺麗に足払いが決まった。
「おうおうどうしたよ、口ばっかだねえ、おまえさんは。がっちがちに凝り固まってっからこういうのに反応できねーんだよ」
「……貴様!」
 羞恥と激怒に吼え、ジェクトの足に食らいつこうとするがひょい、と避けられてまた床に胸が当たる。勢い込んで起き上がろうとすればいつ移動したのか背中を踏み締められた。そのまま屈み込んで力を篭められ、両手を拘束された。怒りを通り越してぎょっとしながらアーロンは戦闘中のジェクトを想起する。敵を倒すのはまだまだアーロンに頼らざるを得ないが、アーロンの手が塞がっている間はブラスカを保護しながら攻撃を完璧に忌避することで充分に役立っている。間違いなくこの速さと柔軟性が、ジェクトの武器だ。僧官として長く務めた誇りが焦りを生んだ。
「離せ!」
「おめぇを倒したぜ? 行っていいんだろーなあ」
「勝手にしろ! いざとなったらあんたを放り出せばいいだけだ!」
「はー、好きに言ってくれるもんだねえ、こっちの都合も考えろっての」
「何が都合だ! あんたはいつだって自分勝手にするだろうが!」
「うっせえな、おめぇはよ」
 低く唸るように言ってジェクトは暴れるアーロンを軽い動作で仰向けにした。反動や惰性を利用する動きはジェクトが最も得意とする分野、成す術もなくアーロンはただ歯を食い縛って屈辱に耐える。
「離せ!」
「ほー。なるほどねえ」
「何だ!?」
「いーや、今夜は止めとこうかね」
「どこへでも行けばいい! 離せと言っているのが聞こえないのか!」
「なんだったら、おめぇで済ませてやってもいいぜ?」
「……なんだと?」
 部屋の中に急に奇妙な静けさが生まれた。ジェクトの手が移動する。片手で両手首を捕まえ、空いた手で顎を固定する。
「ふーん。バケモンと戦ってる時には気付かなかったけどよ、汗かいてこんなほっぺた染めちゃって。おめぇ、コーフンすると色っぽいじゃねーか」
「……何を言っている?」
 ぞっとしてアーロンは顔を振った。離れない手に力を入れながらジェクトは至近距離まで顔を近づけた。反らせられないくらいまで視線が縮まる。
「おめぇたあ、経験値ってもんが違うんだ、上手いことやってやるから大人しくしてんだぜ?」
「ばっ、馬鹿が! おいっ、止めろ!」
 上着をはだけられ、帷子を押し上げられる。必死で足を振り上げようとするが、どっかり腿の上に座られて身動きが取れない。
「ふーん、肌キレイだな、おい」
「止めろ! 俺は、」
「女も知らねぇってか?」
「煩いっ! 離せっ! あんたなんかとすることなど何もない!」
「なんか、ときたか。ま、いーや。イカせてやっから覚悟しろ」
「嫌だ!」
 髪の先までちりちりと嫌悪感が昇り、アーロンは顔色を失って抵抗し始めた。しかし、その気になれば押し退けられると踏んだ、身長の割りには軽い体は存外にずっしりと圧し掛かり、拘束された両手のせいで思うように身に力が入らない。ジェクトの手はゆるゆると下に降りてスパッツを脱がせようと紐に掛かっている。焦れば焦るほどジェクトの薄笑いが癇に障り、アーロンは完全に恐慌状態に陥った。
「嫌だ、嫌だ! 頼む、頼むから止めてくれ!」
「おめぇに頼まれるなんざ、珍しいなあ、おい」
「ジェクト! 嫌だ、あっ!」
 首筋に生暖かい舌が這った。途端にアーロンは後先考えずに頭を上げた。

どご。

「っっってーーー!」
 二人共が頭を抱えた。思い切り頭突きが決まって互いに床に転がり、ひとしきりうめいてから顔を上げる。自然、睨み合い。
「てんめぇ、マジむかつくぜ!」
 怒鳴って動いたのはジェクトが先、もちろんアーロンもじっとしてはいない。がむしゃらに突き出した足が腹に入り、ジェクトが転がる。まだふらふらするが、この好機を逃すかと、立ち上がって扉に向かう。
「待ちやがれ、この馬鹿がっ」
 足首を掴まれ、どう、と倒れ、しかし、這いずるように被さってくるジェクトの頬に肘当てをくれてやる。
「ちくしょ、馬鹿ヤロー! ぜってえヤってやる!」
 唇の端から血を垂らして恐ろしげな顔のジェクト、咄嗟にアーロンは両手で首を締めた。それが敗因だった。
「へへ、締めてろよ」
 掠れた声でジェクトは手早くアーロンの腰紐を解く。呼吸を止めることなどブリッツ選手には何の造作もないことをアーロンが思い出した頃には、下着もブーツも脱がされていた。
「気持ち良くしてやろーと思ったけどよ、やめだ。いっしょー、忘れられねぇ強姦にしてやるぜ!」
 下半身だけ脱がされた情けない格好にアーロンは戦慄し、ジェクトの猛った性器が剥き出しになって一瞬気を失いそうになる。
「嫌だ!」
「そういうのを馬鹿の一つ覚えってんだ!」
 留まる気はまるでない。ジェクトは足を肩に担ぎ上げて腰を持って膝立ちになり、アーロンの肩と腕だけが床に付いた。この体勢で有効に抵抗するなど不可能だった。
「嫌だ……! ジェクト、嫌だ!」
「へっ。このままぶち込んでやる!」
 その前に、と萎えてむしろ縮こまっているアーロンの性器を握る。その腕をアーロンが無茶苦茶に引っ掻くが、擦り上げる動きが止まる気配はない。
「おら、勃ててみろって」
「女相手でもないのに誰が!」
「へー、ほー、言うねえ、どこまで続くか楽しみだあな」
「俺は決めた相手としか、うっ、」
 強く握られ、アーロンは声を上げて引っ掻くのを止めた。両腕で顔を覆って震えている姿に笑い、ジェクトは腰を降ろす。擦りあげる動作を再開して後口に性器を当てた。からかうように突付いてみる。
「どうした、ん? 大人しくするってんなら優しくしてやるぜ?」
 しかし一向に猛る気配はない。ふつー、こんだけやったらちっとは反応するだろー、とジェクトはアーロンの顔を覗き込んだ。
「……おい、アーロン?」
「……背き、自らを葬る事を許し給え、身を汚濁から守らんとする、是が全なり」
 いきなり舌が突き出て歯を噛み締めた。唖然とするがジェクトは咄嗟に指をねじ込んだ。爪の先が歯に掛かり、それも噛み千切ろうと激しく顎が締まる。ジェクトは真剣に焦り始めた。
「っ、馬鹿が!」
 耳を引っ張り、頬を張ろうと思って止める。ヘタな刺激では却って噛み落とす。髪を引いて喉を上げさせ、少し緩んだところにぐいぐい指を突っ込んでいく。歯の間で擦られ、皮膚がむけて血が溢れる。ほとんど手の平全部を押し込む頃、アーロンはジェクトの血にむせて咳き込んだ。それを合図に引き抜かれた手は頬を思い切り打った。
「死ぬ奴がいるか! こんくらいで何だよ、おめぇはよ!」
 アーロンは何も言わずに殴られたままの姿勢で横臥し、切れた唇から血と嗚咽を漏らした。
「んな、嫌かよ」
「……嫌だ」
「ち」
 ジェクトは荒々しく立ち上がると皮がめくれた手をぶんぶん振る。
「くっそ、むかつくぜ!」
 蹴るようにドアが開き、叩きつけるように閉められ、部屋にはアーロンの溜息が響いた。



 ――なんだろう。
 突然目が覚めた。しかし、完全には覚めない。しっかり眠って回復しようとスリプルをかけてみたのがいけなかったのか。
 ――扉が開いた……?
 何者かが近づいてくる。床がかすかに軋む音を立てている。
 ――鍵を閉め忘れたんだ。
 目が開かない。妙に意識ははっきりしているのにまぶた一つ動かない。物盗りだろうか。ベッド脇に召喚士の杖を置いておいたから命までは取られないだろうと思う。召喚士はナギ節を生む者だから、どんな悪党でも殺しはしない。この世の中でナギ節だけは、全ての者に降り注ぐ恵みだから。
 床が鳴る。近づいて来る。名を呼ばれた気がした。
 ――誰だ……?
 こんな場所で自分の名を呼びそうな者はニ人しか心辺りが無い。どちらの声にも似ていない気がする。妙に気弱でか細い声。
 ぎし、とベッドが揺れ、すぐ側に腰掛けた。息遣いが分かる。なんだか哀しそうだ。
 体が重くなった。いや、「誰か」が被さっている。また呼ばれる。濁っていてよく聞き取れないけれど、呼ばれていることだけは分かる。声が近くなる。助けを求めているような響き。
 かすかに腕が動くことに気が付き、害意がないのかあるのかさえ分からない相手を抱いた。それに気付いたのか、「彼」はしっかりとブラスカの背を抱き、額を首筋に擦り付けた。
 ――かわいそうに。
 そんなことを考える。唇らしい湿ったものが喉に当たり、胸がはだけられる。不思議と嫌な感じはしなかった。そもそも不良、人に言えない経験が増えるくらいで減るものは無い。縋りつく泣きそうな「彼」を引き剥がす方がよっぽど罪深いと思う。
 頭の重みが離れ、吐息に続いて唇がブラスカの少し開いた唇に触れた。キスができる程度には優しい気持ちなのだな、と安心する。その唇はどういう訳か腫れている感触で、かすかに触れた後、唇を軽く舐めて離れた。それと同時にそっと指が体に入ってきた。
 性急なのに静か。ゆっくりと戸惑うような動作でまだ充分でない場所に猛りが押し当てられた。反射的に痛い、と思うが実際は全身から力が抜けているから思いのほかすべらかに侵入してきた。
 熱い塊がなつかしい感覚を蘇らせる。妻以前のことだから、もう十年も前だろうか。喪失感と秘め事の興奮。痛みを忘れてブラスカの息が上がる。相変わらず力が入らないから揺らされるばかりで、それがもどかしいようで同時に食われる感覚が生々しい。ぬるぬると滑る猛りは甘く快感を呼んでブラスカは精一杯「彼」を抱きしめたが、指が汗で剥がれてシーツに落ちた。目覚めた時よりも脱力が激しくなっている。ただ横たわり「彼」の思うままにされている、その事実は自虐的な想像のようでブラスカを煽り、煽られても何もかも封じられている体は内に熱が篭って性感が研ぎ澄まされる。絶叫してもいいくらいなのに声すらかすかにしか漏れない不自由さ、沸騰する快感に溺れてブラスカは失神した。



「おい。ブラスカはどうしたよ」
「……」
「無視すんな! ガキか、てめぇは」
 いつまでたっても起きてこないブラスカを、ガード達は二人して彼の部屋の前で待っている。
「見てこいよ、おめぇがさ」
「……お疲れなんだろう」
「じゃー、このまま待ってんのかよ、おめぇと睨み合ってさ」
 あの大騒ぎの後、ほとぼりが冷めるのを待ってジェクトは部屋に戻った。しかし扉にはしっかりと鍵がかかっていて開けることはできず、止む無く部屋の前で眠った。そして蹴飛ばされて起きれば、ジェクトを盛大に睨み下ろすアーロンが全身に緊張をみなぎらせて立っていたのだった。睨み合いはそれ以降、途切れることなく続いている。
「ともかく起こせっての」
「滅多にないことだ。お待ちしよう」
「ったくよ、おめぇはブラスカには甘ぇよな!」
「当たり前だろう! ガードが心を砕かずして誰が召喚士を気遣うんだ! どんなに丁寧にされても感謝されても所詮、通りすがりの者には召喚士の心情など理解できない、俺にだって本当のところは分からないんだ、でも見てきた分だけは気遣って差し上げることはできる! 甘くて何が悪い!」
 ジェクトは頭を掻いた。ちょっと言い返せねえな、と黙る。アーロンは肩で息をしながら背を向けた。
 そのまま黙って待つこと半時、かちゃり、と軽い音で扉が開いた。
「あ、待ってた?」
「ブラスカ様……」
 アーロンが即座に反応してブラスカの顔を覗き込んだ。ブラスカはやや青ざめた印象だったが具合が悪そうではない。きちんと出立の用意が出来ている。
「なんだ、寝坊かあ? めずらしーこともあるもんだな」
「ごめん……スリプルかけて寝たから寝起きが悪くってね」
「スリプル?」
 アーロンとジェクトが同時に復唱した。
「それは……よく一人で起きられましたね」
「いや、レベルを下げて持続時間を調節したんだけど、夜中に変に目が覚めてね。それで起床時間がズレたみたいだ」
 本当は、目覚めると随分出血していて痛みが酷く、起き上がるまでに時間が掛かった。それを洗い、体内で固まった「彼」の名残を掻き出して傷の手当てをしていたからこの時間になったのだ。
「悪かったね。さあ、出発しよう」
 二人の顔をそれぞれ見て、ブラスカは言った。二人とも困ったような落ち着かないような表情をしているからどちらだったのかさっぱり分からない。おまけに喧嘩でもしたのか、仲良く唇を切って額にこぶを作っている。なんにせよ、今ここで本当の理由を言っても詮無い事なので、ブラスカは苦笑して先頭に立って宿を出た。

 小さな村の一番奥に、ちんまりと佇む寺院を目指す。村人は皆ブラスカに会釈し、笑顔を向ける。それにやはり会釈を返しながら、のどかで良い村だとブラスカは心を温める。ベベルの、どこか冷たく事務的な社会基盤はしばしばブラスカに溜息を吐かせた。この村ならユウナものびのびと育つだろう、と思う。
「ブラスカ様」
 隣に追いついてアーロンが囁く。
「大丈夫、ですか?」
 召喚士の杖を持とうと手を出してくる。平気だよ、と肩を叩くとびくっと身を引いた。いつも姿勢の良いアーロンが背を丸めて小さくなっている様子をブラスカは注意深く観察する。
「大丈夫だよ」
「でも、顔色があまり……」
「平気だってば」
 笑って目を合わせるとアーロンもかろうじて笑う。眉間の皺が深い。
 ああ、そうか。
 少しいじめてやろうと口を開いた時、激しい悲鳴が幾つも重なって聞こえた。

「おい! 前!」
 ジェクトに襟を思い切り引かれてたたらを踏み、びし、と体の真ん中に鋭く痛みが走ってブラスカは膝を付いた。上げた顔の前、寺院に至る道幅いっぱいに巨大な植物が蠢き進んできていた。
 側の幾つかの家屋が潰され、倒れている村人が見える。突然の魔物の襲来に老人はへたりこんで両手を合わせて震えるばかり、かなきり声で子供の名を呼ぶ母親達が泣きながら走っている。
「オチュー!?」
 アーロンは速やかに剣を抜く。
「どうしてここまで! キーリカの森から迷い出たか!」
「っつったく仕方ねえな! 我慢しろよ!」
 ジェクトの強い手がブラスカの両脇に入り、立たせると同時に、がば、と抱き上げた。激痛が走ってぎゅっと目を閉じながらも、ブラスカはジェクトの髪を引っ張った。
「降ろして下さい、ジェクト! あれは」
 ブラスカをお姫様だっこして後衛に下がりながら、ジェクトはうるさそうに首を振った。
「いーからおめぇはすっこんでろ!」
「刃物じゃダメージは小さい! 降ろしなさい!」
「うっせ、てめ……」
 耳を掴んで怒鳴るブラスカの声にくらくらし、ジェクトは止む無く従った。ブラスカは即座に杖を掲げる。オチューは触手の数本を千切られているだけ、却って激怒して向かって来ている。アーロンは果敢に斬りかかっているが、きりが無い、とブラスカを振り返った。頷くブラスカの詠唱が響き、さっとアーロンが後退した。
「ファイガ!」
「ブ、ブラスカ様!?」
「馬鹿! こんな村の真ん中で何やってんだよ!」
 大いに慌ててガード達は前衛に飛び出すが、炎に包まれながら闇雲に突進してくるオチューはより一層の危険物になってしまった。斬りにくくなった巨大な火の塊に、それでもまずアーロンが、続いてジェクトが剣を振り上げ、蠢く触手が付近の民家に触れて火が燃え移る瞬間、
「どきなさい、二人とも!」
 ブリザガ三連発。
 うわわわ、と叫びながらガード達は散り、霧のような氷の道が一直線に二人の間に走った。オチューのみならず民家の一部も凍結させて辺りは突然静まった。
「ブラスカよぉ……」
 呆れてジェクトが振り返る。アーロンもふう、と息を吐いた。
「炎で弱らせないと他の攻撃が効きにくいんだよ。まあ、なんとかなったじゃないか」
 ブラスカののんきな声に、側に座り込んでいた老人が、ああ、ありがたやと手を合わせ、村人達の安堵の歓声が響いた。
「おめぇ、危ねえ奴だよな……」
「ブラスカ様、もう少し状況を考えて、」
「終り良ければ全てよし、って知らないの?」
 がっくりと肩を落とすガードの後方からやっとのことでビサイド寺院の僧兵が駆けつけて来た。中の一人がブラスカの前に進み出、丁寧な礼を取る。
「お助け頂きありがとうございます!」
「いえいえ、道行ですから。それより怪我人は?」
「命に別状は無いようですがすぐに寺院に運びます」
 何人かの僧官が凍ったオチューを砕いている。砕く先から幻光虫が舞い上がり、程なくオチューの体は全て蒸発していった。

 ブラスカは祈り子との対面は諦め、まず村人の介護に当たった。アーロンとジェクトもブラスカの指示通りに手当てや壊れた家屋を撤去する作業を手伝いと、日が暮れるまで忙しく働いた。結局村にもう一泊することになったが、村の感謝の意、ということで朝出た宿の一番良い部屋を無料で提供され、食事も格段に良くなった。ゲンキンだっつーの、と言いながら一番食べたジェクトを笑い、三人は宛がわれたそれぞれの個室に向かった。





 湯を使って一息つき、髪を拭きながらベッドに腰掛けているとノックが聞こえた。
「どうぞ」
 一拍、二拍。間を置いて扉が開いた。顔を見ておや、と思う。予想が外れた。
「どうしました?」
 ふうん、と心で呟いてブラスカはタオルをサイドテーブルに置く。
「……大丈夫か?」
「何が?」
「いや、なんだ、そりゃ具合に決まってるだろーが」
 首をこきこきやりながら、ジェクトは側の椅子を引き摺ってきて目の前に座った。
「大丈夫ですよ」
 顔を近づけて視線を合わせる。ジェクトは居心地悪そうに、そか、とだけ答えた。
「ご心配ありがとう。大丈夫だから、あなたももう休みなさい」
 ベッドに足を上げ、掛け布に潜り込む。ジェクトは頭を掻いている。
 しばらくそのまま見ているようだった。ブラスカは構わず目を閉じてしまう。立ち上がる気配、そして、屈みこむ気配。
「ブラスカ」
 手の平が頬に触れた。片足がベッドに上がる。
「悪りぃ。痛かったろ?」
「いいえ? スリプルでぼうっとしてましたから」
「そーだったな」
「ええ」
 少し体をずらして場所を開けてやると、俊敏な猫科の動作でジェクトは掛け布に潜り込んできた。黙って見つめ合う。探る視線と吐息、唇がかすかに触れる。
「してぇ、つったら怒るか?」
 返答を待たずに塞がれる唇。目を開けたまま、ブラスカは唇を緩めて舌を受け入れた。それが返事。絡めながら次第に熱くなる呼吸、ブラスカはジェクトの背を強く抱いた。言葉は無く、ジェクトもブラスカの肩をはだけて湿った背中に手の平を当てる。昨夜出来なかった分だけ思う存分ジェクトの舌を吸い、ブラスカは硬い髪を掴んで掻き抱いた。
「……意外」
「なんだい?」
「いや、なんだ、上手ぇじゃねーかよ」
「お褒めに預かり光栄」
 片眉を上げるジェクトにそれ以上言わせず、ブラスカは再び唇を合わせた。自ら腕を抜いて肌を曝し、刺青のある胸に指を這わせる。首を吸われれば耳を舐め、乳首を吸われれば足を開いて喉を上げる。何の迷いも無く絡んでくる体にジェクトはにやり、と笑い、昨夜よりもずっと丁寧に愛撫に熱をこめる。腰紐を外しすっかり夜着を脱がせると、完全に勃起している性器に指を絡めて先端に舌を這わせた。
「ん……っ、ジェクトの、も、舐めてあげるよ……体、こっち、来て」
「いきなりソレかよ。いいからさせろって」
 すっかり飲み込みきつく吸う。昨夜とはうって変わって素直に声を上げているブラスカを満足げに見上げ、唾液を絡めた指を渡りを滑らして後口にぴったり当てる。治療したらしく傷はもう無いが、昼間の様子では内部は万全ではないだろうと、少し躊躇してから指先でくすぐる。すると緩んで受け入れようとする体。
「ほー、へー、すげーな」
「ふふ……何感心してるんだい」
「ショーカンシ様が淫乱たぁ、知んなかったからよ」
「カマトトぶってても面白くないからねえ」
 仕方ねーな、おめぇはよ、とジェクトは腰を上げる。少し潜りこんでいる指に唾液を塗って更に奥に押し込んだ。指の角度はまめに変わる。楽にしようとしているのが分かってブラスカは嬉しくなった。
「まだしばらくかかんな……痛くねー?」
 伸び上がってきたジェクトは指を蠢かせながらブラスカの顎の先にキスをした。純粋にセックスを楽しんでいる艶のある薄青の目が、欲情に細められたジェクトの赤い目と絡む。
「平気。それより触って欲しいんだけど」
 ジェクトの空いた手を高ぶりに持って行こうとする。笑ってそれに抵抗するジェクトに拗ねたようにブラスカは腰を揺らめかした。
「自分でやってみろって。やらしーカッコでさ」
「ん? こう?」
 ジェクトのものをきゅっと掴んできた。おいおい、と抗議するが、両手で大事そうに包んですりあげる様子に笑う。ジェクトも再び手の中にブラスカを握り込んだ。



 ぼんやり天井を見上げる。ジェクトが同じ部屋にいないのは珍しいなと思う。もちろん、しょっちゅう外出するから夜は概ね一人だが、始めから一人部屋、というのは滅多にないことだ。整えられた部屋は落ち着かず、ジェクトの脱ぎ散らかした装備やブーツが散らばっていない部屋は必要以上に閑散としている気がする。
 静かな部屋、寝台の上で荒いジェクトの呼吸を思い出すと様々な感情が湧く。昨夜の出来事を忘れたいのに、ジェクトの舌が首に這った感触が取れない。ぞっとしたけれど同時に何か得体の知れない期待感があった、それに思い至って身を縮める。もしあの時頭突きなどが決まらず、そのぞっとする感触が別の何かに変わったとしたら。
 寝返りを打って打ち消す。そんなはずはない、そんなはずは。
 でも、もし、最初にキスをされていたなら。抱き締められて、欲しい、と言われたなら、いや、せめて女の代わりなどと言われなければ。
 せめて?
 馬鹿馬鹿しい、馬鹿馬鹿しい!
 アーロンは無理やり目を閉じた。かすかに体が反応しそうになっている事を必死で否定しながら目を閉じた。



「い、った、」
「おい、」
「大丈夫、すぐ慣れるから……」
 ぎゅっと目を閉じているが体は柔らかく力が抜けている。ブラスカの耳を噛みながらジェクトはそろそろと奥を目指す。
「あ、そこ、止まって」
「ん?」
「当たってる……気持ちいいからちょっと待って……」
 苦笑し、じっと腰を捕まえて待つ。より力が抜けて締め付けが緩まる。それでも充分に狭い内部は熱く艶めいている。
「あ、あ、」
 少し動くと確かに喘ぐ。ぐっと腰に爪が立つから最奥まで突き入れた。背中に這い上がる手に促されて胸を合わせ、肩に顔を埋める。ブラスカの薄茶の髪が、細く長くジェクトに絡んだ。
「奥、へーきか?」
「ん……」
「痛くねぇ?」
「うん……」
「ちょっと待つか」
 頬や鼻やこめかみにジェクトの唇が触れる。わき腹や背を撫でる手は休み無く慰め続け、繋がった部分が熱く脈打っている。
 優しい。
 目を開けてみれば、ジェクトはそれを待っていた。に、と笑って舌を突き出す。答えて絡ませれば深く口内に侵入し、両手がブラスカの髪を撫でた。ブラスカも髪に指を差し入れ、ゆったりと愛撫する。
「おめぇ、小せえな、肩」
 唾液を舐め取って顔を上げ、今度は肩を吸われる。
「普通だって……極、平均」
「小せえよ。なんだよ、これ」
 幾つも肩の上に赤い点が散り、思わず微笑んでブラスカはごしごしとジェクトの頭を撫でた。
 武勇伝を幾らも聞いた。きっとそれは本当のことだろう。遊んだ割にはスキャンダルを巻き散らかされなかった、ラッキーだ、とジェクトは言ったが、それは、こんな風に可愛らしく抱かれた思い出を、他人に売りたがる女はいない、ということだ。
 背を反らせるくらいにきつく腕が締まった。抱き返し、更に足を広げ膝を曲げて従順にジェクトを讃える。
「動くぜ。痛かったら言えよ」
「紳士だね……」
「おうよ、思い知ったか」
 腿の裏を掴まれて、びりびりと快感が走る。全身が性器になってしまったみたいに感じている。ブラスカは軽く痙攣しながら大きく足を開き、さっきジェクトが望んだように自分の性器に指を触れた。
「ヤラシーな、おめぇ」
 満足げなジェクトに笑い、ブラスカは欲に潤んだ視線を送る。楽しんでいる姿と気楽なセックスを強調するために、あえて淫らになってみる。軽く揺らし回すように突いてくる、じれったい優しさに喘ぐ。
「もっと突いてよ……」
「いーか? マジ、平気か?」
「マジマジ、早くっ……!」
 ジェクトの腕に力がこもって腰を強く掴む。数回振り回すように荒々しく突き、ブラスカがはっきりと嬌声を上げることを確認してから両足を肩に掛けた。堪んねえな、と漏らして本格的に打ちつけ、汗に塗れた肌がぶつかり合う音と結合部の湿った卑猥な音が、ベッドの軋みと混ざりながら部屋に響いた。
「すっげー、イイ。そんなに締めるとすぐイクぜ!」
「ヤダ……! あっ、すごい、ジェクト!」
「カーワイーな、おめぇ」
 本当に?
 心の中で呟く。私だって君とおんなじ、三十五のおっさんなんだけど。ブリッツ選手に比べれば確かに華奢かもしれないけど、子持ちのやもめなんだよ? そんな男の尻に突っ込んで、カワイイなんて言ってていいの? 表に出てオンナノコと遊んだらいいのに。ああ、この村じゃあ、無理かな……
「気持ちいい……! ジェクト、ジェクト!」
「あー、イーな、もーちっとイクなよ?」
 昨夜の感覚は確かにジェクト。こんなにいいセックスを男としたことなんてない。ブリッツ選手ってすごいんだ……筋肉の動く感じも硬い髪も長い手足もセクシーだ。毎晩でもアヤマチを犯してしまいたい。
「触んな、イっちまう」
 両手を取り上げられ、頭の上に固定される。中で行けよ、とジェクトは笑う。
「あ、あ、あ、強く……っ、ジェクト、あは、いいよ!」
「はは、ブラスカ、すげーイイ!」

 なんでそんなに優しく笑うんだい? いつもいつもそうやって笑って私を見るよね。酷い旅に連れ出したのに、もうそろそろ帰る方法なんて無い、って分かっているんだろうに、どうしてそんな風に笑うんだ? 野生の獣みたいな目で檻の中から射抜かれてからずっと、ずっと、不思議に思っていたんだ。完璧な君が、どうして私に付いてくるのかって、こんないびつな私に、利用している私に、どうしてそんなに優しく笑うのかって。

 精一杯淫らに。
 足を首に絡めて腰を波打たせ、締められるだけ締め付けて快感を声で表現する。悪戯をする目つきで眺め、煽っては煽られてそれを楽しんでこれきりでも大丈夫だと。
 今夜は楽しいね、気持ちいいね。
 それだけ。
 涙がにじみそうな目を髪に隠して嬌声と笑い声を上げて、食いついて離れない体をもっと絡めて擦り合う気楽なセックスを全身であげる。君の好きな簡単な関係を幾らでもあげるよ。
 そういうのも、愛、だといいね。






その他 TOP