Unlimited Skies 2

「うーん」
「……何か?」
「うーーん」
「……」
 腕組みをしたオーランは先ほどから唸り続けている。ラムザは、うろうろと机の後ろを行ったり来たりし始めたオーランをしばし見つめていたが、ふっと息を吐いて与えられた紙に向かった。

 ダイスダーグの依頼によってオーランがラムザの家庭教師を始めてから一ヶ月程が経った。当主ではない、という意味で暇はあるものの、それなりにオルランドゥ家の嫡子としての勤めがあるオーランの訪問は、二日に一度が限度である。ベオルブ家ほどの高位の貴族ならば、住み込みの家庭教師を雇うのが定石、オーランは自分の手が及ばない分は、課題を与えて補うことにした。
 試しに数日の不在にあたって、統治に関する分厚い本二冊とその内容を使ったレポートの作成を課してみたところ、ラムザはオーランの期待する水準を難なくクリアーしたものを作り上げた上で、同じ著者の他の文献と彼なりの理論を元に、更に高位の「論文」ともいえる書面を付けてきた。領土の統治、というありきたりな範囲に留まらず、外交を絡めて人心の誘導さえをも含む、国家レベルの治世策を散りばめたその論文を手に、オーランは現在激しく唸っているところである。

「出来ましたが」
「……そう」
 レポートの採点時間を作るために与えたものは、土地の有効利用を基にした数学理論のテストである。ちら、とラムザの手元を見ると、びっしりと神経質な文字が空白を埋めている。
「早いな……」
「そうですか?」
「休憩しててくれ」
「はい」
 溜息を吐いてオーランはレポートに目を落とす。自分が家庭教師に学んでいた頃、これぐらいを書ければお父上もご安泰ですのになあ、と髭を長く伸ばした神学者兼政治学者のシモンに示された模範解答が、今手の中にある。「論文」に至っては、実地に統治を任されるようになり、試行錯誤を繰り返した現在のオーランであるからこそ理解出来る、という水準だ。最後に付記された参考文献の内二冊は、難解過ぎて途中で投げ出した記憶があり、どうやら自分では正誤を判断出来ないだろうとオーランは結論付けた。

「ラムザ、これな、二つとも預からせてくれないか?」
「ええどうぞ。済んだものですから差し上げますよ」
「いやそれは不味い……。署名してくれ。正式なサインでね」
 数学テストを引き取り、代りに論文の表紙と末尾にサインをもらう。これをシモンに見せたいからだ。神学者を疑う訳ではないが、彼の理論とラムザの理論には類似点があるため、盗作云々などの面倒なことは避けたい。複写も取らねば、と思いつつテストを見てまた、うんざりする。オーランの予想する解法よりも上位レベルの式が並び、もちろん正しい解答が鎮座している。

「……嫌になりました?」
 オーランに署名を終えた「論文」を差し出しながらラムザが言った。顔を付き合わせるようになってから分かったが、ラムザは基本的に表情を変えない。今も彼の心情をうかがわせるものはその顔のどこにも認められなかった。
「嫌に?」
「この辺りで、大半が辞めていってしまうんです」
「ああ、君の実力がはっきり分かってくるからねえ」
 天井を仰いでオーランは答える。
「僕、よく出来るんでしょう?」
 嫌味には聞こえなかった。不思議そうな声音だ。
「出来過ぎだね。まだ十六なんだろう、信じられないよ。一般的なレベルの先生なら、辞めたくなるだろうね。君には学者が必要だ」
「でもそうしたら、僕、ベオルブ家の参謀になってしまいませんか?」
「なりたくないかい?」
「……その方が兄のために良いんでしょうけど」
 ふ、とラムザは窓に視線をやった。ベオルブ家の領地の中で、最も開けた場所がラムザの部屋の向かいに広がっている。屋敷の敷地を区切る高い壁の向こう、なだらかに続く地平は、枯れかけたヒースやヘザーが折り重なっている丘だ。前当主のバルバネスが、病みがちであった最初の妻のために、蜂を飼って蜜を集めていた場所だったらしい。その蜜は、不幸にも後妻であるラムザの母親をも慰めることになった。
「君が参謀となってダイスダーグ殿を支える、というのが、理想的なあり方だと思うよ。君にはそれが出来る」
「ええ、たぶん」
 素直に頷いてラムザは頬杖を突いた。彼の視線が窓を離れて本棚を巡り、きらきらと光る鉱石に止まるのをオーランは眺める。
「でも、そうなれば逆に、僕はやっかい者になりそうで……」
「どういうことだ?」
 ラムザは自分の爪を見る。彼のうなじは細く白く、胸が痛むような心細さだった。
「僕は、今のベオルブに足りないものは、冷静な治世計画だと思うんです。兄達はとても立派で素晴らしい統治者ですが、純粋に父を踏襲している。ベオルブ家の領土内と、イヴァリースと周辺諸国との力の拮抗の維持、それだけしか見ていない。父の代なら良くても、おそらく僕らの子の代にはそれだけでは済まなくなりますよ。あの独立したての新大陸が怖い存在となるでしょう」
「……」
「もしかすると、今がイヴァリースの最盛期かもしれない。斜陽に向かえば矜持を維持して過去に固執するだけの、古い国家になりかねないと思うんです。でも、陛下にお仕えする限り、僕が思うようには出来ないと思うし、兄達も嫌がります、きっと」
 数学の公式を羅列するように、ラムザは淡々と語った。
「……それを、ダイスダーグ殿に言ったかい?」
「まさか」
 そうだろうとも、とオーランも思う。オーランには留学経験があり、諸外国に友人が多い。イヴァリースの統治下にあったあの新大陸が独立して約五十年、イヴァリースの重鎮には未だ野蛮な国だと目されているのだ。
 しかし移住して行った者の話を伝え聞くにつけ、王制を維持するイヴァリースと比較して、あの国の統治システムは産業の発展に有利だとオーランは考えていた。ただし、それを父シドルファスに進言するどころか、他人に話すことも考えてはいない。王制の否定にも捉えられ兼ねない思想であるからだ。オーランは、ラムザの様に無邪気に語れる年齢でも立場でもなかった。
 おそらく今までの家庭教師達も、ラムザの学術的なレベルの高さに、ベオルブ家の『三男』としての限界を見つけたのだろう。思考に純粋なラムザは、この家に留めることが出来ない種類の人間だ。良くも悪くも愚直に王に仕えるべきベオルブ家の一員としてラムザを教育するなど、誰にも出来ないだろう。そして、その事実をダイスダーグに告げることも。

 ラムザは左右に首を曲げて暇そうにしている。
「……何を勉強したい?」
 言ってみれば、家庭教師としての敗北宣言である。オーランの言葉にラムザはさすがに驚き、顔を上げた。
「何を、ですか?」
「王制に疑問を持っているらしい君を、お手上げだと投げ出すのは簡単だけどね。私も新大陸には興味があるし、民主主義を一緒に勉強してみないか? きちんと知ることで、欠点も見えてくるんじゃないかと思うんだよ。正しい認識の上で利用出来れば、イヴァリースにも役立つかもしれない。模索は大事さ」
 もちろん内緒だけどね、と言いながらラムザに片目を瞑ってみせたところでオーランは固まった。
「本当に?」
 ラムザは微笑んでいた。家庭教師初日にも笑顔を見せたが、その儀礼的な綺麗な笑顔ではなく、どこか不器用そうな笑みだった。
「あ、ああ」
と答えるのが精一杯で、オーランは自分の耳の熱さを不思議に思う。
「内緒にします、他の勉強もちゃんとしますから!」
 勢いよく言って、ラムザは急に下を向いた。感情を露にしてしまって恥じているようだ。
「……私は友人に恵まれているからね、詳しい者に頼んで資料を用意してもらおう」
 言いながら、窓の外に視線を投げ、落ち着かずに再びうろうろとラムザの後ろを歩く。

 もしかすると、ラムザは自分を隠しているのではなく外に出せないだけなのかもしれない。
 
「少し早いけど、今日はこれくらいにしようか。次は明後日に来るよ。テストの結果もその時にね」
「はい」
 
 いや、出せない、のではなく、「この家の中」では隠そうと、決めているのだろうか。彼の思想と同じく、ベオルブに受け入れられない何かが、ラムザの内側に存在するのだろうか。ベオルブ家に生まれた者の勤めとして口を滑らさないよう、胡乱と言われても疎まれないように、自分を殺して生きようとしているとするならば。

「それじゃあお疲れ様」

 そうであるなら、なんと哀れなことだろう。これこそが、飼い殺しなのだ。

 オーランが何冊かの本や資料を抱えてドアに向かうと、ラムザは軽い足音を立てて追って来た。すっと前に出てドアを開けてくれる。これまでは、ぼうっとした様子で頭を下げていただけで、見送りなど無かった。
「ありがとうございました、オーランさん」
「うん、じゃあ明後日に」
 いつもは青白いラムザの頬が、仄かに赤みを帯びていた。自分はラムザに必要なものを与えることが出来るらしい。それを知ってオーランの歩幅は思わず広がる。加えて自分もそれを楽しんでいるようだと悟り、苦笑を隠してオーランは振り返った。ラムザはドアを閉めずに佇んでいて、オーランに軽く会釈をした。
「オーラン、でいいよ」
「え?」
「二人で隠しことをするならもう、友人だろう?」
 びっくりしたようにラムザは目を開いた。そして、また、不器用な笑顔を見せた。そして小さく頷くと、急いで部屋に入ってしまった。どうやら彼は、照れたらしい。



「さてと」
 早めに授業を終えたのは、ダイスダーグの意向が絡んでいる。
「いやだなあ、なんだかどっちにも誠実でないな、俺は」
 ぶつぶつと言いながら、オーランはベオルブ邸を出た。そして、ダイスダーグにもらったばかりの馬の体躯を撫でる。完全にオーランに馴染んだ訳ではないが、素直で賢い馬だ。ほとんど黒に見える濃い茶色の体躯に白い斑点が一つ、右前足にある。それで「スター」と名を付けたら、父にもダイスダーグにも、単純だと笑われた。しかも、それまで調教師が呼んでいた仮の名と同じだという。しかし、元々単純なものが好きなオーランには満足なのだ。以前の愛馬の名も、尾がとても立派でふさふさとしていたので「ブルーム(ほうき)」だった。
「おまえだって『スター』のままがいいだろう? なあ」
 ぶるる、と軽く鼻を鳴らしてスターはオーランを見下ろし瞬きした。そして急に前を向くと、かつかつとひづめを鳴らした。
「お、来たか。賢いなあ、おまえは」
 前方に小さくなっていく背が見える。ラムザだ。窓から見えた、あのヘザーの丘に向かっている。
「川を越えるんだってさ。そこまで先回りしような」
 ぽん、と首筋を叩けば、項垂れるようにしてスターは騎乗を促した。微笑み、オーランは鐙に足を乗せた。



 川までは馬ならば僅かな距離だ。橋を渡って対岸に到着し、息も上がらないスターから飛び降りると木立の中に繋ぐ。この体色なら目立たないだろう。

 ラムザの「日常的失踪」は、かなり頻繁になっていた。オーランが住み込みでないことも手伝ったのだと思われる。ダイスダーグの言によれば、追跡は、この川を渡ったところでいつも途切れるらしい。頼まれなくとも、若干の自責と大いなる興味のため、オーランはラムザの後を付けるつもりだった。明日からしばらくはダイスダーグが屋敷に詰めているため、ラムザが「失踪」するなら今日だとオーランは踏み、そして目論みは成功した。ラムザが、左から駆け上がって来る。

「うわ……」
 ラムザにも橋が見えているだろう。しかし、彼は浅瀬を選んで、じゃぶり、と川に飛び込んだ。暖かい日だとはいえ既に十二月、見ているだけで寒い光景にオーランは慌ててラムザが目指している岸の方向に移動する。
 ラムザの泳ぎはなかなか上手かった。この川は、多少増水しても川幅が広いために流れは緩やかだ。しかし凍えればどうなるか分からない。飛び込む覚悟もしていたオーランの目の前、ラムザはくしゃみをしながら川を上がった。
「そろそろ橋を渡らないとね……」
 そんな呟きが聞こえるくらいの距離だった。ラムザは震えながら木立に入り、大きな木のウロに頭を突っ込んだ。そして、一抱えほどの木箱を取り出した。手早く服を脱ぎ、木箱から取り出したタオルで体を拭いて、やはり箱に収めてあった服に着替える。濡れた衣服は手近の枝に引っ掛けた。

「何がしたいんだ?」
 思わず呟くほど、オーランの目にはそれは奇異な光景だった。ラムザが着込んだ服は、どこから見ても、立派な作業着だった。ラムザの立場を考えると、むしろ手に入れることが困難ではないかというくらい、汚れ具合も年季が入ったものだ。
「どういうことなんだ、ん?」
 ラムザはまた、駆け出す。走りながら高く澄んだ音を聞かせる。指笛だ。
「なんだ……」
 そっと後を追うオーランの前で、ラムザは両手で口元を覆うようにした。
 おおーい。
 木立を抜け、終わりかけのアザミがちらほらと咲く平原に出ると、ラムザはぐるっと体を廻しながら、おおーい、おおーい、と繰り返した。そして、何かを見つけて少し飛び跳ね、手を振った。
 気配を感じてオーランも目をすがめ、ラムザはいよいよ大きく手を振る。甲高くいななきが聞こえ、次の瞬間、一頭の馬が平原に跳ねるのが見えた。
 陽光にきらめくアーモンド色の美しい毛並み、ラムザの髪に似た金色の鬣が燃えるようになびいている。全身に力をみなぎらせ、一足毎に背中がしなり荒々しく首を振り回す若い雌馬だった。

「ここだよ、クローディア!」
 ラムザの声に向かい、馬は真っ直ぐに走ってくる。危険を感じてオーランが咄嗟の一歩を踏み出した時には、正気を失ったような勢いでラムザに突っ込んだ。
「元気そうだね!」
 オーランの冷や汗を余所に、ラムザのすぐ目の前で、ぴたり、と馬は止まっていた。下手をすると足を折るほどの急な停止を見せた馬は、首を低く差し出してラムザにどしん、とほお擦りをする。ほとんど引っくり返りそうに背を反らしてラムザはその首に力一杯に抱きついた。濡れた髪が水滴を飛ばす。
「あったかいねえ、おまえは、あっ!」
 高くいななき、馬はラムザを吊り上げるようにして首を上げ、体を廻した。
「待って、待ってったら!」
 本当に地から足が離れたラムザは手を離して飛び降り、待ちきれないように背を向ける馬に体当たりするように抱きついた。ぶる、と馬が体を一つ揺すると、ラムザは軽くその背に放り上げられる。
 
 オーランは息を止めてその光景を見た。
 そこに、「ラムザ」がいた。
 彼は喉を反らして笑っていた。鞍も手綱も無い裸馬の上、ラムザは光降るような声でひとしきり笑い、いななきがそれに答える。午後まだ高い太陽は秋の名残を残して暖かく、ラムザと馬は水滴と興奮を飛び散らせながら大きく跳ねた。後足で立ち上がった馬の首に縋り、きらめく鬣を纏ったラムザは恋人を愛するかのようだった。
 
「行こう、クローディア!」

 ラムザの声に馬は体躯を返し、来た道に頭を向けた。そして、ラムザの軽い体が降り飛ばされないのが不思議なほどの速度で、彼らはオーランの視界から消えた。






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