オヴェリアを失ったアグリアスの悄然とした背中が修道院に消える。部下やシモンを探しに行ったようだ。無言で付いて来るラムザの頭を小突き、ガフガリオンは不機嫌に言う。
「なンだラムザ。さらって行ったガキを知ってるのかよ」
言わずもがなの問いをラムザは不機嫌に無視した。ち、と舌打ちしてガフガリオンが修道院の扉の中を覗くとアグリアスが彼らを内部から呼んだ。ガフガリオンの後に続いて入った扉の奥には夥しい血痕が飛び散っていた。
「・・・洒落にならねえな。ヘマやりやがって」
ガフガリオンの暗い声の先には一人の敵兵士が幾太刀もの傷を背に受けて絶命していた。そしてその横には喉笛を掻き斬られたガーシュインが仰向けに事切れていた。彼の左手にはオヴェリアの服の切れ端が残されていて、最後まで食い下がった彼の姿にアグリアスが膝をついて祈りを捧げている。ガフガリオンがその脇にしゃがんでため息を落とした。
「あんたみたいな別嬪に送ってもらえるなんてツイてるよ、こいつは」
アグリアスの肩を叩いて立ち上がらせる。表で血の臭いのしない空気を吸おうぜ、と促して歩き出し、
「あの坊さんはどうした」
「シモン殿か、見つからない。今部下に探させている」
アグリアスは一旦扉の手前で立ち止まった。鎮痛な面持ちをここからは見えない祈祷室に向ける。
教会の者には聖職者の斬られた死体は辛い想像なのだろうとラムザは堅いアグリアスの横顔を見つめた。放っといてやれ、と小突くガフガリオンと表に出ると先ほどまでの雨は止み、薄く灯った陽は午後の翳りを見せていた。秋の冷ややかさが急に濡れた体に堪えた。今朝の穏やかな喧騒が思い起こされ、互いに言葉は無く、互いにガーシュインの下品な笑い声をどこかに探していた。
「部下が2人殺された」
アグリアスが無表情に言いながらガフガリオンに並んだ。
「やつらはどこに行くつもりだろうな」
ガフガリオンが不器用に話を変え、ラムザも黙って二人の側にいた。問いにアグリアスは首を振る。誘拐の目的すらわからないと。
「オヴェリア様を連れているのだからな。そう遠くには行けないだろう。中々に手強い方だからな」
「ただの嬢ちゃんじゃあねぇか。だが追うつもりだろう?」
当然、とアグリアスは頷く。
このままでは王家に対して顔向けができん。なにより父上に会わす顔がない」
「ああ、オヤジさんが近衛騎士団長だったな」
意外なことを知られている、とアグリアスはガフガリオンを伺い見た。ガフガリオンは手を広げて見せ、
「そんな怖い目をすンなよ。雇い主の情報くらい集めるさ。こっちだって大勢の命背負ってンだよ、これでもな」
なるほどな、と呟いてアグリアスはかすかに笑う。どうにもやりにくい女だよなあ、と胸の内で溜息を付いてガフガリオンは本題を切り出した。
「だから今回はこれで終いだ。これ以上は手伝わンぞ。こんな危険な仕事はガーシュインがおっ死んだ今は荷が重い。第一契約外だからな」
「そうか」
アグリアスはあっさり引き下がってにっと笑ってみせる。
「正式な騎士でもない輩の手助けなど、こちらから断る」
アグリアスにも今回の被害は痛かったようだと皮肉な笑いから見て取って、いや、まあなあ、と頭をがりがりやり、ガフガリオンは少々同情し始めた。それを察してアグリアスは粛々と言う。
「自分の失敗は自分で補わねばな。それが騎士というもの、これは我々護衛隊の役目だ」
なにより私の失策だ、とアグリアスは空を仰いで目を閉じた。
「あんたは充分やったさ。それを言うなら俺が姫さんと残りゃ良かったンだ」
「・・・それほどの腕か? あの茶色い髪の兵士は」
押し黙って考え込んでいたラムザがさっとアグリアスを見た。それを横目で確認してガフガリオンは言う。
「死にたいのかもしれんな。あんたが突っ込んだ時、ヤツは王女さんもチョコボも盾にしなかったろう。勝手にチョコボが動かなかったら斬れてただろうよ。普通チョコボはああもタイミングよく動かンさ。慣れてンだよ、主人の無鉄砲さにな」
アグリアスは暫し黙考する。ガフガリオンがじっと見ているのを感じながらラムザもまた思考する。ディリータが現状の南天騎士団に属するのはある意味妥当だ。しかし、このやり口には裏を感じる。捨て駒になるのを見越したような兵士達の器量のなさ、そしてガフガリオンの言を信じるならその中でただ一人格段の力を持つディリータ。この見せ付けるような誘拐劇の目的は、単純にラーグ公に対する南天騎士団の決意を露呈することとは思いにくい。
・・・まさか、ディリータが首謀者なのか?
「アグリアス様!」
部下の声にアグリアスがはっと振り返ると扉の影から涙を浮かべたシモンが、支える者の手を離れてよろよろとアグリアスに縋りついた。
「ああ、シモン殿、ご無事で」
彼は、私のことは良いのです、と頭を振った。
「姫、姫は、姫様はどうなされた?」
丸腰の聖職者は大した危害は加えられなかったようだ。シモンは首を振るアグリアスを見て思わず膝を崩し、ガフガリオンがそれを支えた。
「オヴェリア様がどれほどお心細いか考えると・・・」
「申し訳ございませぬ」
アグリアスはぎりぎりと唇を噛んで小さく言った。湧き上がってきた猛烈な自己嫌悪と怒りを必死で自制している。彼女の目がたぎる、その瞬間のあまりの唐突さに一瞬懸案を忘れてラムザはアグリアスに見入った。それはまるで欲情のように湧き上がるものだった。
「オヴェリア様は必ず私が・・・!」
命に代えても、とアグリアスはシモンに誓いを立てた。い、いかん、とシモンは慌ててそれを制する。
「それではアグリアス殿が・・・」
「心配召されるな。騎士の名誉にかけてお助けすることを誓います・・・!」
ラムザはその言葉に我に返った。概ね怒り任せの言葉だろうが言った以上彼女はそれを貫徹するだろう、ならば必ずアグリアスはディリータを追う。ラムザは機を逃さず言葉を挟んだ。
「僕も行きます、足手まといにはなりません、手勢は一人でも多い方がいいはずだ」
突然割り込んだラムザに、ガフガリオンは呆れた声を出した。
「何言ってンだてめえ、俺たちにゃあ関係ねぇことだぞ」
「この目で確かめなきゃならないんだ!」
ラムザはガフガリオンを睨んだ。ガフガリオンは探るようにラムザを睨み返した。
「さっきの小僧か。おまえの何か知らんが、あれはおまえを殺せるぞ」
ラムザは一瞬動揺した。
「おまえには、出来ないだろうがな」
反駁はできなかった。ディリータにはそうする権利があった。ガフガリオンの意図は見えなかったが、ラムザはそれでも行く、と答えた。
「好きにすればいい」
アグリアスの低い声を振り仰ぐと、彼女は初めてまともにラムザを見つめていた。狂気さながらの怒りに飲まれながらもラムザを値踏みしている。オヴェリアを救うため、どこで駒に使えるかを。構わない、とラムザはその目を見返した。使いたいように使えばいい。こちらも所詮利用するだけだ。
ラムザは不必要に興奮している自分を自覚しながらアグリアスと睨み合った。なぜ、この女の瞳はこんなに狂っているのだろう、自分を煽るのだろう。
「仕方ねえな、どうなっても知らンぞ。まあ、どうせ失業したンだから暇潰しだ、俺も行ってやるよ」
ガフガリオンが意外なことを言い出した。袂を分かつ覚悟だっただけにラムザは拍子抜けし、またガフガリオンらしくない選択に彼を窺い見た。それを見透かしたようにガフガリオンはラムザを小突きながら、姉さんと親睦を深めようじゃねえか、マジで気に入ったぜ、とひそひそ言った。どうにも胡散臭いが、ガフガリオンの加勢があれば追跡も奪還も格段に楽になる。そう、何としてでももう一度ディリータに会わねばならない。生きている訳を聞かなくてはならない。誰でもない、自分が、生きている訳を。
「それはいいとして、ウチのねえちゃんが一人見えねえ、あんた知らないか」
ガフガリオンの言葉にラムザはやっとアグネスがいないことに気付いた。今にも出立しそうなアグリアスの袖を引き止めながら、シモンはガフガリオンを見上げた。
「赤毛の娘なら、祈祷室に・・・」
シモンの暗い声に駆け出そうとしたラムザの襟首をガフガリオンが掴んだ。
「僕が見に行くってば!」
抗議の声を無視して扉の前に放り出す。
「おまえはジャッキーをなんとかしてろ」
念のために裏道に配されたジャッキーは、負傷していたものの肩に一太刀を受けただけで一体の死体の側でじっと助けを待っていた。今は応急処置を施して兵士の死体の間に寝かせてある。
祈祷室に向かうガフガリオンの後にアグリアスも付いて行く。ラムザはいら立たしく悪態を付きながらジャッキーの側に行ったが、冷たい濡れた石に背を預ける彼女の紙のような顔色を見て、慌ててポーションを飲ませようと上体を起した。放っといてごめん、と呟くラムザにジャッキーはアグネスの無事を聞いた。分からないとしか言えないラムザにジャッキーは顔を両手で覆って、しかし泣かずに堪えようとしていた。
「ディリータが」
彼女は骸旅団を追って訪れたドーターで雇った戦士で、ディリータと共に何度も戦った。
「わかってる」
「違うの」
ジャッキーの必死な薄茶の目を見てラムザは嫌な予感を覚える。
「ディリータがあたしを斬ったの」
予想通りの言葉にどう答えていいか分からず、ラムザは黙ってジャッキーを見つめ、彼女はとうとう涙を落とした。
「動けなくなる程度に斬ったわ。そうして、あたしに留めを刺そうとした仲間を顔色一つ変えずに背中から突き殺したの。そうして行ってしまった」
ラムザの溜息にジャッキーも大きく息を吐いて同意して呟いた。
「簡単に仲間すら殺せる人間に変わってしまったのに、それでもディリータらしいと思ったわ」
「ちくしょう! ばかにしやがって!」
アグネスの大声に、泣きべそをかいていたジャッキーが飛び上がった。痛がりながらも這って建物に向かおうとするその襟首を、敵の死体を引きずって集めていたラッドが駆けて行って引き止め、ラムザに顎をしゃくった。ラムザが駆け寄るとガフガリオンの肩に担がれたアグネスがじたばたと暴れていた。顔も装備も血だらけで酷い有様だったが深手は無いようで、どうやらガーシュインの死体に激昂しているらしい。
「アグネス!」
ラムザが呼ぶと仇を見つけたように睨み付け、あんたどうなの、どうなのよ! と喚き散らした。
「どうしたんだ、無事なのか?」
ラムザが困惑して聞くと、ガフガリオンはアグネスを乱暴に落とし、どこか嬉しそうな呆れ顔で言った。
「当身くらってぶっ倒れた上に敵さんの死体が被ってたンだよ、ぴんぴんしてらあ」
ちょっとくらい斬られりゃ良かったンだ、とぶつぶつ言い、ガフガリオンはシモンと深刻に話し込むアグリアスに寄って行った。
「アグネス」
ラムザが差し出した手を払い除け、アグネスはすっくと立ち上がった。
「ディリータがいたわ」
獲物に飛び掛ろうとする猫のように顎を引いて唸るように言った。両手を挙げて降参するラムザの胸座を力任せに掴み、柱の影に引きずっていく。
「あいつはどういうつもりなの!? それより、生きてたなんて! ・・・どうして今まで!」
噛み付かんばかりの壮絶な目にラムザはただ首を横に振った。
「何があったんだ」
「あのバカ、ガーシュインが王女を抱えた敵さん追っかけて消えたら、残った仲間を斬り殺したんだよ! それであたしに当身して。気が付いたら死体の下だったよ! 畜生!」
ほとんど地団駄を踏むようにしてアグネスは吐き捨てる。
「ジャッキーも同じ様に助けたみたいだよ。ちょっと斬られているけどね」
腕を取って制するラムザを振り払い、あたしも斬れってんだ馬鹿野郎、と叫んで柱に額を付けてしばらく喘ぐ。ディリータのために取り乱すなどできないラムザの代わりに盛大に毒づいて疲れ果てたのか、ぎゅっと口を引き結んでいた。そして深くゆっくりと息を吐くと、奥に転がっているガーシュインを振り返った。
まったくもう、と呟きながら側まで歩いて行く。血まみれの死体をしばらく眺め、不意にしゃがみ込むと両手を組んでやった。ラムザが並んでしゃがむと彼女は、こんなことならいっぺんくらい、やらせてやっても良かったよねえ、と呟いた。
修道院には手勢が無く、シモンの懇願で皆で死体の処理をする羽目になった。修道院や敷地から幾つもの死体を運んで前庭に並べた。その中にはあの案内の守衛の姿もあった。シモンが敵味方無く葬送の祈祷を上げ、その後にオーボンヌに属するもの達は祈祷室に安置した。守衛を含め、皆身分のある家の出の者、遺族が遺体を引き取りに来るだろうということだった。ゴルターナの兵士はまとめて共同墓地に穴を掘って落とし込んだ。
ガーシュインは墓石を建てて手厚く葬るとシモンは申し出たが、こんな辛気臭い場所に埋められたら奴に憑き殺されるとガフガリオンは言って、海に流すことに勝手に決めた。
オヴェリア王女誘拐の顛末はアトカーシャ王家近衛騎士団に速やかに報告された。アグリアスは一刻を争う事態、として一切の責任を負う代わりに自分の一存で行動することを付け加え、返事を待たずに日が暮れる前に出立を決めた。ガフガリオン一行は部下二人を連れたアグリアスに形式上雇われるという形になり、その部下二人も女であったため隊は見かけだけは華やかになった。
しかし機嫌が良いのはガフガリオンだけで、アグリアスはむっつりと押し黙ったまま歩く。太陽が翳ると次第に薄い闇が彼らを取り巻いたが、彼女の顔は彫像のようにただ生真面目だった。
修道院とドーター市の丁度中間辺りでその日は暮れて野営となった。ラムザ達にはいつものことだが、アグリアスとその部下はラッドを手伝って不慣れな手付きでテントを張った。火を熾してその周りを囲み、簡単な食事を取りながらガフガリオンが当たり前のようにアグネスとジャッキー、ラムザをまとめて一つのテントに振り分け、続けてアグリアス達に向かっておまえらはあっちを使え、と指差したところで
「雇っているのはこちらです!」
とアグリアスの部下、ラヴィアンが反駁した。
「知ってるさ、一番広いのをやるンだからいいだろう」
「あれはこちらが持ちこんだものだわ!」
やはり部下のアリシアも腹を立てている。アグネスがふん、と笑ってジャッキーとひそひそ話し、ラムザも苦笑してやり取りを眺めていた。が、
「こんなところで矜持を張っても仕方なかろう。野営に慣れた者に従うのが得策だ」
冷静にアグリアスが嗜めて部下達は首を竦めて大人しくなった。ガフガリオンはまたもがっかりした顔になった。ずっとラムザは不思議に思っていたが、アグリアスは個人的な面目や見栄には興味がなさそうだ。間違いを認め、正しい方向を模索する姿はラムザの知る貴族の振る舞いではなかった。オークス家って名門だよねえ、とアグネスが囁き、それに頷きながら彼女も同じ事を感じているのだとラムザは思う。戦いの最中のあの豹変する姿といい、アグリアスの人物像が未だに掴めない。
「貴公には手間をかけるな。いっそこちらが雇われようか」
一瞬誰への言葉か判らず、皆がアグリアスを驚いて見た。実に不愉快そうにガフガリオンが明後日の方向を見ていて、彼への言葉と知る。
「ああ、いや、こっちこそ、あっさり姫さん捕られてすまんな」
「ひゃあ、本気?」
「どうなっちゃってるの!?」
アグネスとジャッキーがほとんど怯えて手を取り合って口々に言う。ラッドも尻をにじってガフガリオンからちょっと離れた。ガフガリオンが謝る姿はこの世で最も有り得ない光景のはずだ。
「うるせえよ! ホントのことだろうが!」
ガフガリオンはばりばりと頭を掻いて勢い良く立ち上がると、もう寝る! と言い捨ててテントに引っ込んでしまった。当のアグリアスだけが状況を分かっておらず、ラヴィアンやアリシアさえ笑い合っているのに
「悪いことを言ってしまったのか?」
と彼女らに問うている。
「あなたとあんまり気が合うから照れているんだよ」
とラムザが言って、アグネスが堪えきれずに大笑いし、ガフガリオンがテントの中からなにやら怒鳴り立てた。
アグリアスはその晩は眠らないままだった。ラムザは何をするあてもなかったが、アグネスがアグリアスから信頼を受けて彼女の部下達と分担して文書の作成などをしている様子を眺め、そうしているのも気がひけたから飲み物を運び、装備を磨き、焚き火の番をしながら側で夜を明かした。アグリアスは黙々と近衛騎士団への第二報を作成し、オヴェリアを奪還した後の保護先の確保、オーボンヌ修道院警護の敷き直し、更には死んだ護衛団員の遺族への弔文を書き、部下やアグネスを寝かした後も明け方まで一人働いた。止まれば辛くなるとばかりに動き続けることで、彼女はなんらかの慰めを得ようとしていたようだった。ラムザにも、寝ろ、と言ってきたが、考えたいことばかりで眠れない、と言うと妙に納得した顔で頷いて好きにさせてくれた。
翌日、一行はドーター市に入るなり敵襲を受けた。予測していた事態でもあり、ガフガリオンとアグリアスが昨夜の冗談さながらに完璧な連携を見せてさっさと片付けてしまった。いくつかの屍を残して残党は逃げ、一人の弓使いが昏倒していた。
「こんなところで時間を費やしている場合ではない。早くオヴェリア様をお助けせねば」
アグリアスはラッドが弓使いの女を引き摺り起すのを横目で見て手で制する。
「そんな者は要らない」
捕虜のことを言っているのだとラムザはアグリアスを窺い見た。彼女は遠くの空をじっと睨んでいた。しかしもちろんそこには誰もいないことに気が付いたように、ふと視線を落として剣にべっとりと纏わり付いている血糊に眉を寄せた。膝を付いて懐から油紙を取り出し、その血を拭きながら
「奴らが逃げ込むところは一ヶ所だけだ。難攻不落の要塞、ベスラ要塞に決まっている。大事なものは必ずそこに持ち込むだろう」
「ベスラ要塞・・・?」
アグリアスの圧倒的な強さに嫉妬すら感じて気が荒れていたラムザは、意識を辛うじて取り戻した弓使いの女をラッドから奪い取った。
「本当に? こいつに聞いてみるのが早いよ」
ガフガリオンに突きつける。昨日の傷で満足に戦えず、ラッドに守られてなんとか立っていただけのジャッキーが、ひゅっと音を立てて息を飲んだ。アグネスが慌てて駆け寄って自分の腕をラッドの腕に重ね、ジャッキーの背に当てた。ガフガリオンは少しの間ラムザをじっと見た後アグリアスに言った。
「あんたが大将だ、決めてくれ。できれば止めて欲しいンだがな」
剣を納め、部下達と装備を括り直していたアグリアスは顔を上げた。少し驚いているようだった。ラビアンやアリシアも自分たちの雇い者の顔を一つ一つゆっくり見回す。皆、もちろん知らん顔をしているが、アグネスだけは真剣な顔をアグリアスに向けて頷いた。女を羽交い絞めにしているラムザを思案顔で眺め、アグリアスはゆっくり立つと納めたはずの剣を抜いた。刀身が僅かに桃色に光る美しい剣を女の肩に置く。切っ先がやはりラムザの肩に載り、刃はむしろ、ラムザの首筋に近かった。
「おまえ達は傭兵だな? 何の紋章も付けていない」
女は顔を背けるだけだ。唾を吐くように唇を歪まして笑っている。
「雇い者だけに始末をつけさせるやり口を私は好まない」
暗にラムザに言い聞かせているようだった。ガフガリオンは止めもからかいもせずに彼女の次の動きを待っている。
「つまらぬ仕事を受けたものだな」
アグリアスは生真面目な表情で女と目を合わせた。その視線がわずかに反れてラムザと合い、女を離せ、と目で言っているのが分かったがそんな気にはならない。アグリアスはふっと眼光を和らげた。
「吐く事もなかろう。尋問などして無駄な時間を食いたくないな。死ぬか」
むしろ優しげに何気なくアグリアスは言った。そしてためらいなく滑った刃が女の首筋を掻き切った。
きょとんとした顔で自分の血を眺めながら、女が仰向けに反りかかり、ラムザはうわっと声を上げて女を放して飛び退った。鮮血を撒き散らしながら女は石の道に転がった。
「アグリアスさん、なにもこんな、」
「ア、アグリアス様!」
ラヴィアンとアリシアが慌ててアグリアスを挟んで彼女の腕を押さえた。しかし二人を突き飛ばすようにしてアグリアスは懐からフェニックスの尾を出して女を引っ叩き、続いてポーションで止血した。
あっけにとられる一行の中心に倒れた女はうつろな目を開けた。引き起こすアグリアスを訳が分からないという顔で見る。
「戦場では昏倒するくらいなら死んだ方がいいと覚えておけ」
更にポーションを女の手に持たせるとアグリアスはその背を押した。
「行け」
まだ事態を掴めてはいない様子の女は、それでもよろよろと足を駆って仲間が去った跡を追って消えた。
「怖い女だよ、あんたは」
両手を広げてガフガリオンは呆れて言った。アグリアスは苦笑を向ける。
「ああすれば大概頭が冷える」
思わずラムザはうつむいた。肯定も否定もせず、自分のものとして責任を取ろうとしたアグリアスが衝撃だった。ガフガリオン達は露骨に止めるか煽るかだったから、ラムザはどちらにせよ自分で背負うしかなかった。
「思い切りが良すぎだ、ちょっとタイミングが外れたら殺したぜ」
「父上がなさっていたのを見ていたから失敗はしない」
「潔癖な親子だな」
「例え一時しのぎの集まりでも、私の隊には拷問も強姦も許さない。それだけだ」
アグリアスは再び油紙で剣を拭って静かに言った。ラムザが寄越す視線に見返してくる。
「反論か?」
「・・・あなたに従うよ」
頷いて、アグリアスはラムザに背を向けた。荷物を拾って歩き出し、ふと立ち止まって横顔を見せる。
「本意じゃなかったんだろう、ラムザ?」
独り言のようなアグリアスの言葉には誰も答えなかった。
結局ドーターを抜けるとすぐに日は落ち、一行は街外れに宿を取った。この先は森が広がっているから今の内に体を休めておけと、もっともらしい事をラムザらに言い置いてガフガリオンとラッドは街に出て行った。ラムザも誘われはしたが、色町に行く気分ではなかった。傷だけは塞がったジャッキーが、出血が原因の発熱で世話を必要としていたこともある。
灯が落ちた食堂に、熱を冷ますための水を汲みに行くと暗いテーブルに人影が見えた。長い髪を下ろしたアグリアスが暗い中でもきちんとした風情で座っている。
「眠れないんですか」
ラムザはとりあえず丁寧に声を掛けてみた。昼間の出来事を全く気にとめていない様子のアグリアスはラムザを仰いで、ちょっと座れ、というように隣の椅子を引いた。素直にそれに従い、手桶をテーブルに置いてラムザはアグリアスと並んだ。
「君は、あの男と知り合いなのか」
君、と呼ばれるのは何年ぶりだろうと思う。アカデミーの同級生くらいしか思い浮かばなかった。
「難しい質問ですね。どう答えても気に入らないでしょう」
ラムザの言葉にアグリアスは苦笑して顔を伏せた。
「そういうことを聞きたいんじゃない。人となりを知っているか、ということだ」
「人となり、ね」
知るも何も、10年以上同じ屋敷で暮らした幼馴染だ。しかしそれを言えば事情を問われるだろうとラムザは曖昧な言葉を選んだ。自分は所詮ベオルブを捨てた者だ。知られて詮索されるのは好まない。
「一緒に戦ったこともあるし、暮らし向きも知っていました」
「傭兵仲間のようなものか」
「そういう面もあったかな・・・」
幸いにもアグリアスはそれ以上は聞いてはこなかった。ラムザは急いで言葉を継いだ。
「人となりって、どういう・・・?」
「どういう男なんだろうか。オヴェリア様を苦しませるような人間か」
「誘拐したっていうだけで充分苦しませたと思うけどな」
ラムザはアグリアスの言葉に性的な意味合いを感じたが、とりあえずかわすことにする。
「横取りの形で王女を連れ去った目的が殺傷であるはずがない。大事にしているとは言いにくいでしょうけど」
「早く、オヴェリア様をお助けしたい」
アグリアスは組んだ指に額を乗せて面伏せた。
「正直言ってもうご無事ではないかもしれないと思うといてもたってもいられない」
その言葉はやはり生命の心配をしているだけでは無さそうだった。首を傾げてラムザと視線を併せる。あくまでも真剣で、仕方なく、ラムザも真剣に答えることにした。あまり気は進まないが。
「彼はすっかり変わったと思う。最後の言葉を覚えていますか、恨むなら自分か神様を恨めって」
「・・・ああ、そんなことを言っていたな」
「僕が知る彼はああいう言葉を最も嫌っていたと思う。彼は自分が犠牲になることを厭わなかったから。ああなってしまった原因はわかっているけど、どこまで変わったのか想像もつかない」
「原因、があるのか」
「言えない。言ってもあなたには理解できないと思う。貴族には分からないことがある」
「そうやって貴族を隔絶するのか。良い趣味だな」
皮肉に笑ってアグリアスはラムザを見た。怒ってはいなかった。こういう事を言われ慣れているのかもしれなかった。
「・・・そういうつもりじゃないよ」
ラムザは嘘をついている気分になった。傭兵になってからは、これほど親密に貴族階級と話をすることなどそうはなかったから、言えないことが多すぎる自分の出自が忌々しい。
「彼の変わりようが酷いから、僕の想像をあんまり信じてもらっても困るってことだよ」
「少なくともあの男が貴族ではない、ということだな。更には貴族に恨みを抱いてさえいるのだろう。ならば貴族の最高峰に位置するオヴェリア様をどれほど辱めるか、確かに私には理解できない」
アグリアスははっきりと懸念を口にしてラムザから顔を背けた。その表情は苦痛に歪んでいたが奇妙に美しく、心を動かされたラムザは黙って考えてみることにした。実際ディリータはどうするだろうかと。彼の目的はわからないとしても。答えは簡単だった。
「僕は彼の妹を知ってる。オヴェリア様は同じくらいの年齢だと思う。僕にも同じくらいの妹がいてね。そういう面から考えるなら」
期待する風情でアグリアスはさっとラムザを見た。
「僕が彼の立場なら、きっとオヴェリア様を犯り殺す」
仰天してアグリアスが椅子を鳴らした。ラムザは平然と席を立って手桶を持った。
「でも彼ならばオヴェリア様に手も触れないだろうね。彼が変わった原因を考えればなおのことだ。もし救出してオヴェリア様がどうにかされてしまったと分かったら、僕を殺していいよ」
ラムザは振り返ってアグリアスを見た。彼女は言葉を無くしてラムザを見ていた。ラムザはにっこりと笑いかけて言った。
「オヴェリア様を鍵の掛かる部屋で寝かせて、彼は外からドアにもたれて眠っているんじゃないかな、今頃はさ」
「・・・そうだといいが」
アグリアスは絞るように言った。まだ驚きを納められずにラムザを大きな目で見ている。
「心配は後でもできるよ。今は見つけることだけ考えたら?」
ラムザは笑みを返して背を向けた。
「何なんだ?」
アグリアスの呟きに足が止まる。
「何?」
「君は、何を背負っているんだ? ラムザ」
ラムザは振り向かなかった。アグリアスが驚いているのは自分の背後にあるものなのか、と彼女の視点の奇妙さに眉を寄せる。
「・・・教えてあげない」
誰に言っても仕方のないことだ。ディリータとアグネスに知られているだけで充分だ。
「・・・そうか」
おやすみ、と言ってアグリアスも立ち上がる気配がした。足を止めたまま、自分と反対の方向に遠ざかる堅い靴音を、手桶の水に映った自分の顔を眺めながらラムザは聞いていた。
「おかしな人だね、アグリアスさん」
口に出してみて本当にそうだと実感する。ガフガリオンが負ける訳だ、と精々苦笑で誤魔化して食堂を出た。暗い廊下で窓が鳴る音に外を仰ぐと雨が降り出していた。窓を叩く雨音の中に、まだ彼女の靴音が残っている気がした。
それは、彼女の存在が自分の中に入ってくる音のような気がした。
FFT TOP・・・2へ