出立の際、ムスタディオは随分と気をもんでいた。キラの姿が見送りの集団の中に見えなかったからだ。駆け足で通り過ぎるムスタディオにすっかり怒ってしまった赤毛の少女は、ものすごい勢いで採掘をしているということだった。顔を見に行ったムスタディオはガラクタを山ほど投げつけられ、額にこぶをこさえて戻って来た。
「いいよ、もう行こう」
ムスタディオは寂しげに笑ってラムザに言った。肩を竦めながら
「おまえが気にしてたって伝えておくからさ」
とエリスバードが励ました。ムスタディオが頷くとそれを合図に一行は荷物を背負った。
「よろしくな。こいつ、どうにも間の悪い奴だから」
「知ってるよ。ちゃんと面倒みるから心配しないで」
「犬か猫みたいに言うなよ・・・」
拗ねるムスタディオににこやかに首を傾げてみせるとラムザは見送りの一段に手を上げた。村人も、気を付けておいき、と手を振る。昨夜は見なかった壮年以上の大人の姿が目立ち、逆に子供達はいなかった。前日の騒ぎで皆疲れ果てて眠っているという。
「無事を祈ってるよ。早く戻っておいで」
「ベスロディオを頼むよ」
「隊長さんの言うことをよく聞くんだよ」
「怪我をしたらちゃんと洗いなさいよ」
未だムスタディオは「村の子供」なのだな、とラムザは微笑む。恥ずかしげに目を瞬きながらムスタディオはありがとう、すぐ戻るよと大きな声を出した。何度振り返っても人々が解散する気配は無く、道を曲がって見えなくなるまで彼らは手を振っていた。
「いい村だったねえ」
アグネスがぽんぽんとムスタディオの肩を叩いて言う。
「ほんと。勧誘もされたことだし、いずれあそこに住もうかしら」
明るく言うジャッキーにムスタディオもほのかに笑う。
「ウチはよそ者、っていう概念が希薄なんだ。いい奴で腕っ節が良けりゃ大歓迎さ」
「あーでも、あんなに子供を産むのは不可能よッ! それが問題ね!」
「・・・・厳しいなあ。3人産んで一人前、っていつもおばちゃん達言ってるもんなあ。平均5人は子供を持つよ」
ひいい、とジャッキーが身を捩ったところで軽い足音が聞こえた。振り返った一行に弾丸のように飛び込んで来る影があった。
「ばかばかばかばかっ!」
キラだった。出迎えの時と同様に飛びつき、今度は支えきれずにひっくり返ったムスタディオの上で少しの間泣いていた。ムスタディオを含めて誰も言葉が出ない中、彼女はぐいっと涙を袖で拭うと立ち上がった。そして、一行の顔を見渡し、僅かに逡巡した後にアグネスの前につかつかと歩み寄った。怯むアグネスを睨むように凝視しながら、キラは力一杯その両手を掴んだ。
「ムスタディオをよろしくね! 馬鹿だけど、頭は悪くないの。でもだいぶ、馬鹿だから心配なの! よろしくね、お願いね」
「ああ、うん、分かったわよ。でも隊長はあっちだよ」
両手を握られているので顎でラムザを示す。キラは今度は本当に睨む目でラムザを見た。
「あの人はだめなの!」
ずっと睨んでいる。ラムザは頭を掻いて、ムスタディオを見下ろした。砂を払いながら立ち上がり、ラムザを拝むようにしてムスタディオは小さな声で、すまん、と言う。
「なんで駄目なのさ」
「どうしても! なんか、ざわざわするからっ!」
うーん、やっぱり恋する女は鋭いわねとジャッキーがラッドにひそひそ言い、頷くラッドは満面の笑みだ。
「・・・分かった、あたしがちゃんと引き受けたから」
「ありがと」
キラは真剣な顔でアグネスに頷き、ようやく手を離した。そしてムスタディオの前に立った。よれ曲がっている襟を直してやる。
「靴紐をしっかり結ぶのよ。それに、ヘンなもの食べたり、触ったりしないの! 分かった?」
ぶっ、と傭兵達は吹き出して笑う。
「あー、いや、その・・・分かった。気を付ける・・・から・・・」
「じゃあね!」
ムスタディオの頬に唇を押し付けると、キラは身を翻した。ほとんど必死、と言っていい速度で駆けてあっという間に角を曲がって行った。きっと新たな涙を堪えていたのだろう。
残されたムスタディオは押し付けられた唇の感触を確かめるようにしばらく頬に手の平を押し当て、キラの消えた角をじっと見つめていた。
ゴーグにも秋の気配が忍んで来ていた。スラムの路地には埃やゴミが絡まった固まりが軽い音を立てて流れている。
スラムの入り際、彼らはぐるりと辺りを見回して溜息を付いた。そこは狭い路地が入り組み、細い家屋や店が軒を連ね、中空に張られた紐にはずらりと洗濯物が干されていた。時折、子供達がボールや犬を追って歓声を上げて通り過ぎ、少なくない通行人が彼らを振り返った。
「散らばって探った方がいいね」
ラムザが思案の末に言った。ムスタディオも首を傾げる。
「そうだな。いつもならその辺りをバート商会の奴らが視察しているはずだけど姿が見えないし。かと言って、ライオネル騎士団と争った跡もないな・・・」
不自然でない喧騒と傭兵達を見る住人の不審そうな目は、ごく当たり前の下町の姿だった。
「何か様子が変だ・・・いや、普通なんだけど、それがなあ」
「確かにね。普通過ぎる。騎士が一箇団も着いていれば町はもっと緊張するはずだ」
「聞き込みでもするか。俺は一人で大丈夫だから、ラムザはムスタディオと行けよ」
「あたしらは子供を当たるよ。こういう場所では大人より情報を持ってるからね」
アグネスとジャッキー、ラッドは思う方向に散った。残ったラムザが腰に手を当ててムスタディオを見る。
「さあて。バート商会の店でも偵察してみようか」
「ああ、それなら表通りに一軒、スラムの中程に一軒ある。緑の金槌が目印だから、すぐに分かるよ」
「って、一緒に行くんだろ?」
「いや、俺は別に考えがある。ちょっと探りを入れてくるから後で落ち会おう」
「ちょっと。それなら僕も一緒に行く。一人にはしない」
「大丈夫。ここは俺の縄張りみたいなもんだから。・・・悪いけど、あんたと一緒じゃ却って動きが取りにくいんだ」
ラムザはムスタディオを見つめた。自分達が知らない間にバートと連絡をつけたのだろうか。一人で来いと脅されたのか。いいだろう、跡をつければいい。
「・・・分かった。落ち会うってどこで?」
「スラム街のあっち側、茶色い建物が見えるだろう。あの前でどうだ。昼と夕暮れとその間に鐘が鳴る。間の鐘の頃に待ってるよ」
「いいよ。でも本当に気を付けてよ。ただでさえ信用されてないのにここで別れたことで君に何かあったら、僕、あの子に殺されるよ」
「任せておけって。でもあいつ、なんであんたが駄目なんだろな」
笑ってムスタディオは手を振った。女の勘ってやつだよ、と胸の中で呟き、ラムザも手を上げた。
ラムザは路地に入るフリをして反対側からムスタディオを追った。ムスタディオは始めのんきに歩いていたが、一軒の店を見つけてそこに入った。5分待って出て来なかったのでラムザは表から店を窺った。硝子貼りの扉を覗くと、狭い店の中にはムスタディオの姿は無かった。慌てて店に入ると、奥に座っていた親父がむっつりと椅子から立ち上がって近づいてくる。
「さっき、若い機工士が入ったよね?」
「知らん」
「入ったよ! 裏から出たのか?」
「扉はそれだけだ」
親父はラムザが入って来たドアを指差した。
「買うのかい? それとも売るのかい?」
山積みの古着を指差し、親父はあくびをした。ラムザは首を振った。
「・・・邪魔したね」
ムスタディオに巻かれた事に大いに落胆しながらラムザは店を後にした。裏に回ってみても、確かに出入り口などない。わずかな家屋の隙間も無かった。
「まいったな・・・」
途方に暮れるラムザはしばらく店の前で腕組みし、通り過ぎる馬車や子供を眺めた。
「扉は一つだが、暖炉の上には煙突があるものさ」
店の親父は昼寝を再開するべく暖炉の前の椅子に戻りながら、ラムザの後姿に呟いた。
既に半日が経過した。約束の刻限は過ぎ、影が長くなる。一行はじりじりと、ムスタディオが待ち合せに指定した家屋の周りを巡り、通りや路地を見やった。
「遅い、遅すぎるね・・・」
「そうね。これはマズイかも」
ジャッキーはラムザに頷くと側の物置のような小さな家屋に飛び乗り、屋根伝いに手近な建物の屋根に上った。傭兵達は解散後それぞれがバートの動向を探ったが、出てくるのは「逆らえない恐ろしい奴等」という風評だけ、証拠も痕跡も見つけられなかった。彼らが得たものは、その徹底したやり口から頭目とされるルードヴィッヒは相当切れる、手加減のない奴だ、という見解だけだった。
雨降りそうだな、といってラッドが天を仰いだ。
「あのさあ、はっきり言っていいか?」
頭をばりばり掻いて言う。ラッドが言いたいことを察してラムザはうんざりとそっぽを向いた。
「絶対、捕まったぜ、ムスタディオは。間違いないぜ、あいつは絶対、こういう事を外さない」
分かってんだろ、と顎をしゃくるラッドの脛をラムザは無表情に、しかし思い切り蹴飛ばした。
「い、ってえなあ、おい!」
「だからどうしようかって考えてるんだって」
「その無表情が怖いんだよ、おまえは」
「置いて行こうって言ったのになあ」
「連れて行くって決めたのもおまえだぜ」
「そうだけどねえ」
気のない返事をしながら、しかしラムザは最高潮にいらついていた。
ムスタディオは明らかに戦闘の素人だ。銃は誰よりも上手く扱うが、それを殺しに使ってきた訳ではない。バート商会という狡猾な獣の集団に罠でも仕掛けられたのならば、たった一人で太刀打ちできるとはとても思えなかった。彼の真摯な思いに負けて連れてきてしまったことを今、ラムザは本当に後悔していた。
あんな村で育ってきたムスタディオがラムザには羨ましかった。母親を知らずに育ったことは気の毒だと思うが、寂しさを感じる暇もなく、騒がしい気の良い連中に囲まれていたムスタディオが羨ましかった。今まで殺伐とした世界を知らずに生きてこれたのだから、これからも知らずに生きていくのがいい。感傷に過ぎないとはラムザも自覚していたが、ムスタディオをこんな騒動に巻き込んだバート商会も聖石さえもが許せなかった。自分が心底欲しいと思い、決して得られないものを持っているムスタディオを守り、あの少女に返してやりたかった。
「ラムザ・・・」
アグネスが感情を押し殺した声を出した。人の気配とともに瞬時に走る緊張、振り向くと既にジャッキーは弓を番えて何者かを狙っている。
「おまえら、ムスタディオの仲間か!?」
ムスタディオが待ち合わせに指定した建物の中二階の扉が開いて男が立っていた。バルコニーのような造りになっていて、自分達の立っている地面からは直接そこには行けないようだ、とラムザは舌打ちし、怒鳴った。
「誰だ!?」
「おっと、アブねえもんは引いてもらわねえとな。おい、連れて来い!」
首謀者と思われる男が手をやると、別の男が血だらけのムスタディオを引きずり出した。両腕を縄で括られて床に投げ出されたムスタディオは、ひとしきりうめいてから唇の端から血を垂らし、男が彼の背中に足を置いて見せつけるように踏みつける。
「ムスタディオに何すんのさ!」
激しくアグネスが呼ぶ。
「すまない・・・ラムザ・・・」
弱々しくムスタディオが呟くのがかろうじて聞こえる。
「大丈夫なのか、ムスタディオ!」
思い切り路地を蹴って民家の屋根にみしり、と飛び乗り、ラムザは叫んだ。
「おっと、そこまでだ、坊や。それ以上動くんじゃねえぜ」
「おまえがルードヴィッヒか? ムスタディオを放せ!」
「大人しく聖石を渡せば、な。」
「カッコ悪いね。ムスタディオから聞き出せなかったんだ」
「うるせえ!」
ルードヴィッヒはムスタディオに近寄り、顔をブーツで踏み締めた。ごりごりと石の床に擦り付けられながら、妙にのんきに、いてて、とムスタディオは声を出す。それが却って皆を沸騰させる。
「さあ言え! どこに隠したか、白状するんだ!」
「僕ら、知らないよ。ムスタディオは秘密主義なんだ」
ラムザの言葉ににやっ笑ってムスタディオはルードヴィッヒを上目に見上げている。
「ふん、だんまりか。だが、これを見てもそう黙っていられるか? おい!」
いやらしい目配せで再び扉が開いた。壮年の男が縄をかけられ、やはり傷めつけられた姿で放り出された。途端にムスタディオがルードヴィッヒの足の下で激しく暴れた。
「親父ッ!」
生きていた・・・! ラムザは一つ、肩の重荷が降りた気がする。事態は最悪ではあるが、運はそんなに悪いものではないらしい。
「親父! 大丈夫か!」
這って進もうとするムスタディオの顔面に蹴りが一つ入る。それでも必死で父親に視線を向ける。ベスロディオはその姿を眉を寄せて見つめて言った。
「馬鹿者! 自分の心配をせんか! リリアス似の顔にそんな怪我こさえやがって、許さんぞ、わしは!」
「オヤジぃ・・・」
ムスタディオはへらへら笑っている。少し泣いているようだった。
「てめえら、舐めやがって・・・」
ルードヴィッヒがベスロディオに足を向けようとする。がば、と背筋で伸び上がり、ムスタディオがその歩行を止めた。そしてあろうことか、脛に噛み付いた。
「いてーっ! なんだこいつは! 止めろ、貴様、殺すぞ!」
「うううう」
唸ってムスタディオは噛み付き続けている。結局、部下の男がムスタディオを引き剥がして散々に蹴っとばした。ほぼ同時にベスロディオもルードヴィッヒに鞘付きの剣で打ち据えられた。
「親父! 親父!!!」
「だからてめえの心配をしろ、と言っているだろうが! それ以上傷を増やしたら折檻だ!」
「無駄口を叩く暇などない! 聖石の在処を言えッ」
ルードヴィッヒがもう一度剣を振り上げる。
「止めろおっ!」
必死の声に何かを感じたのか、その剣は途中で止まった。
「言うか? 小僧」
「・・・ああ」
ムスタディオは悔しそうに横倒しの姿勢になった。胸が激しく上下し、苦痛を訴えている。
「馬鹿野郎! この上まだ親不孝かッ!」
「貴様は黙ってろ!」
「わしは大丈夫だ! 聖石を渡してはなら、」
「親父!」
剣が振り下ろされた。額辺りから血を流し、半ば意識を失いながらベスロディオは再び扉の中に引きずり込まれ、姿を消した。
「どうだ」
じり、とムスタディオに向き直ってルードヴィッヒは笑う。
「大人しく、白状する気になったか?」
ムスタディオは無言で頷く。そして、なす術も無く成り行きを見守っていたラムザに視線を向けた。
「ラムザ、足元の煙突を見てくれ。違う、そっちじゃなくて赤い方」
「坊主、ちゃんと拾ってこいよ。こいつの命を助けたければな」
言われなくても、と呟きながらラムザは屋根の上を少し跳び、ムスタディオの示す煙突に近寄った。覗き込むと、煙突掃除人が使う、金属の取っ手を並べたような足場の一つに小さな袋がぶら下がっている。
「これか・・・?」
違和感が襲った。こんな場所に隠すべきものなのだろうか。それも、都合よくこの場所に?
「何している! あるのか、無いのか!?」
怒声に顔を上げる。ムスタディオは小さく頷く。ラムザも頷き返してその袋に手を伸ばした。口をすぼめてある紐と金具がきつく結び止めてあるのでダガーを腰から抜いて袋を取り外した。袋を逆さにすると、光る玉石が転がり出た。
「それだ! こちらに投げろ!」
興奮した様子でルードヴィッヒは身を乗り出す。
「二人の解放が先だ! そうしたら渡す!」
「先に聖石だ!」
「二人が先だって!」
「そいつを投げろ! ならば解放しよう!」
間違いなく嘘だ。ラムザはムスタディオと玉石を見比べ、結局特に迷うこともないと判断して腕を上げた。きらきらと夕日を反射しながら、聖石はラムザの手から男の手に渡った。すると驚いたことに、ルードヴィッヒはムスタディオを突き飛ばした。ムスタディオは盛大によろよろしながら、ラムザの側に駆け寄る。
「へー。結構まっとうな悪党なんだね」
「ラムザ・・・すまん、親父を助けたい!」
「当然でしょ」
懐からダガーを出し、ムスタディオを拘束してる縄を一気に切ると、悦に入っているルードヴィッヒの声が響いた。
「これぞまさしくゾディアック・ストーン! ようやく手に入れた! 枢機卿猊下もお喜びになるだろう!」
「なんだって・・・?」
泣きそうな顔のムスタディオを引っ張って立たせながら、そういうことか、とラムザは呟いた。
「ご苦労だった! おまえ達はこれで用済みだ!」
顎をしゃくってルードヴィッヒは満面の笑み、ばらばらと数人の者が周りに飛び出してきた。
「後は任せる。片付けろ、生かして帰すな!」
そのまま背を向けると建物の裏に消えた。
「ほら、呆けてないで。隠れてよ」
「どうなってんだ、ラムザ・・・」
「枢機卿もグルだったてことさ」
ムスタディオはやはりよく解っていないようだった。
ラムザがムスタディオを家屋の影に押し込めると真っ先にラッドが戦闘態勢に入った。相手方に召喚士らしい者を2人認めて舌打ちする。
「まず、あいつらを片付けるぜ!」
荷物から魔法のリングと魔術師のローブを引っ張り出しながら、弓を担ぐラムザを振り返った。ジャッキーの弓は既にしっかりと召喚士の一人を狙っている。元々黒魔道士の装備を準備していたアグネスはどういう訳か騎士剣を抜いて駆け出そうとしている。
「アグネス、アグネスったら! 待てってば!」
裏から上がる、と彼女は手話で答えた。すっかり怒っていて「早口」だった。直接攻撃をしなくては気が済まなくなったらしい。彼女が上り着くまでに「飛び道具」を減らさねばと、慌ててラッドが気を集め始める。ラムザとジャッキーが続けざまに弓を放って3件先の屋根を駆けるシーフを退かせ、側の召喚士の足が屋根の上で滑った。ぐっと踏ん張った召喚士は目を見開いて何者かにロッドを掲げた。アグネスが踊り出てきたのだ。
ぎょっとしたラムザが退け、と叫ぶ中、アグネスは召喚士のロッドを手首ごと斬り落とすと一気にその襟首を引き寄せながら長剣を胸に埋め、慌てて跳んできたシーフに向けて剣を引き抜きざまに死体を蹴っ飛ばした。反射的に避けようとしたシーフに猛然と突っ込むと死体ごと刺し貫き、まだ痙攣している体から再び足を使って剣を抜いた。
一瞬の殺戮だった。アグネスはそれでも溜飲が下らないのか、折り重なった二人の女を地面に蹴り落とした。
「・・・おっそろしい女・・・」手を広げて気を溜めながら、ラッドはにやにや笑う。
「全くよう、ぼくちゃん一人に皆熱くなりやがって!」
「そうなんだ、気になって仕方ないんだよ。デカイばかりでちっとも可愛げがないラッドには飽きちゃってね」
「俺ったら、捨てられるのねー!」
「馬鹿! 集中してよ! こっちに当てたら承知しないんだから!」
ジャッキーは飛ぶように屋根伝いに回り込んで行く。大きな看板の裏で止まり、残る召喚士を攻撃範囲に捕らえて背中の矢に手を伸ばした。
「惜しいな! 可愛いねえちゃんじゃねえか!」
射した影にはっと顔を上げるジャッキーの頭上にナイフを振りかざしたシーフが飛び降りてきた。切っ先の光がジャッキーの頬を照らす。防御が間に合わない。一瞬の選択、ジャッキーは頭を守って丸めた背を向けた。
「・・・緑舐める赤き舌となれ、ファイラ!」
確かにジャッキーの背に切っ先が触れたその瞬間、シーフは真紅の光に大きく弾かれた。炎に包まれた男は民家の屋根を転がり、絶叫しながら地面に落ちて行く。長い悲鳴が下から響き、そして止まった。
「髪が焦げたわよ! 馬鹿!」
「贅沢言うな! 背中に穴が空くよりマシだろが!」
すっかり居所を知られているので開き直ったのか、ラッドとジャッキーは怒鳴り合っていたが、ラムザが突き飛ばすようにラッドを煙突の後ろに連れ込んだ。空気が冷たい。
「・・・シヴァが来る。散って!」
女の高い笑い声がかすかに降ってきた。氷の霧が夕日を反射して奇妙な明るさを灯し、冷気の女王が降臨しようとしていた。振り返ると召喚士は弓なりに背を反らし、文言を唱え始めている。
「間に合え・・・!」
ラムザは煙突の上に飛び乗ると、矢を引っ掴んで限界まで引き絞った。その矢が召喚士の首を貫いた瞬間、反対側からもう一つの矢が首を捕らえた。放った主は焦げた髪先を気にしながら屋根から路地に飛び降りるところだ。最後の一言の代わりに血泡を吐きながら召喚士は崩れ落ちた。途端に空は元の夕闇に戻る。
「アブねえ、アブねえよ! どれもこれもぎりぎりじゃねえか!」
「無駄口叩く前に文言を唱えろって!」
「やってるって! でもこのままじゃ気力が続かねえ!」
「普段さぼってるからこういう時に、」
「おわっ!」
敵方の弓がラッドとラムザの間に突き刺さった。ばっと散るも、ラッド目掛けて次々と射掛けが始まった。必死でかわすが、とうとう一本が腿を貫く。一言も無く、ラッドは屋根から地面に転落した。
「ラッド!」
人一人分の高さだったのが幸いした。
「平気だ! ジャッキーの後ろに付くから、おまえは反対から行け!」
路地から走り出たジャッキーが、ラッドの髪を握り締めて民家の影に引きずっている。仕返しかよ! と痛がるラッドは本当に無事のようだ。
「分かった!」
矢かわしの護符を持っている分、ラムザは掠る程度の傷で済んでいた。
「あと二人・・・!」
残った弓使いを狙うが相手も護符を持っているらしく掠りもしない。甚だ自信は無かったが、覚えたばかりの魔法を使うしかなさそうだ。念のために選んで着ている大地の衣が、理論通りに役立つだろうか。
ラムザは弓を背に戻すと民家の間の細い路地に滑り込んだ。気を体内に溜め、背骨を軸にして喉まで上げる。ぞっと肌が泡立つ。
召喚魔法は嫌いだ。神経や魂といった奥深いところの何かがびりびりと震えている。気を集め、ただその形を炎や氷として敵に当てる黒魔法は得意だが、召喚獣を呼ぶ声を出すことはとても嫌いだ。自分まで咆哮を上げる獣になった気がする。
「ラムザ!」
路地前方からムスタディオが顔を出した。ぼろぼろだが、ちゃんと左手に銃を握っている。どうやら参戦したいらしい。
「魔法だな、援護するよ。当て易い所に出るか?」
「本気? よろよろしてるけど」
「親父の命が掛かってる。やるさ」
「じゃあよろしく。護符はあるけど詠唱中はなんでだか効きにくいからね」
ラムザは小さな噴水のある広場に走り出た。はっと気付いた二人の弓使いが矢を数本口に咥えながら退き、姿を消した。ラムザはその場で詠唱を始める。
「大地を統べる無限の躍動」
声は普段のものとは違い、低く同時に高く、空気を切り裂いて遠吠えのように耳を刺す。ムスタディオはその詠唱を目掛けて降って来る矢を撃ち落とす、という離れ業を難なくこなし始めた。
「是を以って圧殺せん」
地鳴りが響き、矢がぱたり、と止んだ。空の色が夕日とは違う赤に染まる。雲は固まりかけた血の色だ。ムスタディオはラムザの喉から詠唱が形を持って吹き上がるのを見た。それが何かは良く分からなかったが、それは空気に広がると一つの名前の音になった。
−タイタン!−
ラムザの声に呼応して、大地から湧き上がるような咆哮が上がる。どす黒い煙幕と共に赤い竜巻が大地を割り、瓦礫や土埃を巻き取って巨大な生き物の形となった。剣を不揃いに並べたような歯の間から盛大によだれを垂らした赤い巨人だ。
「・・・すげえもん、飼ってるな・・・」
「あれとバハムートだけだよ。使い勝手が良さそうで。属性がね、」
「そういうこと分かんねえ・・・」
口を開けてムスタディオはその巨大なものを見上げた。
「成功したな・・・」
ラムザはほっとした顔で巨人を見上げ、弓使いが潜む方向を指差した。ラムザ達からは見えなかったが、逃げる足を踏み出した弓使い達はゆっくりと頭をもたげたその巨人に一瞥されただけで足を大地に縫いとめられ、身動きが出来なくなっている。
どおん。
地響きを立てて一歩踏み出した巨人を、彼らもまた、口を開けて見上げるばかりだ。
「果たす・・・」
そのようなことを巨人は言った。言ったように思ってムスタディオは耳を澄ましたが、もう何も聞こえなかった。その代わりに巨人が腕を一振りするのが見えた。赤い腕が視界一杯に横切り、同時に弓使いが二人共浮き上がるのが見えた。
その体は紙の人形が風にはためくように宙に浮き、ぱらぱらと血を降らせながらぱたりとラムザの近くに落ちてきた。正に圧殺。
ムスタディオは辛うじて原型を留めているその死体を見て銃を取り落としそうになり、上空を覆う赤い物体を戦慄して見上げた。ラムザは血糊を避けることすらせず、じっと巨人の動向を見つめている。その尋常でないものの暴走を懸念しているのかもしれない。静かに地面を指し示し、そこに還れ、と促している。
うっそりと顔を俯けた巨人は、しかし突然じろり、とムスタディオに目玉を向けた。ムスタディオは全身に鳥肌を立てた。
やられる・・・!? 黒魔法と同じで敵味方の区別がないのか・・・!?
巨人の肩が動く様を認めてムスタディオはとうとう銃を落とした。
途端、巨人の唇が片端上がった。上下からまぶたが上がって目が細くなり、ふっと逸らす。完全にこと切れた獲物を眺めラムザを眺めして、次の瞬間巨人は再び竜巻となって大地に身を沈めた。ひとしきり震えてから静まった地面は何も無かったように亀裂一本残らなかった。
「た、助かった・・・もうだめだと、」
腰を抜かして路上にしゃがみこんだムスタディオを、ラムザが不思議そうに見下ろした。
「何言ってるんだい?」
「だ、だって、なんか俺、襲われるかと・・・」
「召喚獣は味方は絶対襲わないよ」
「へ?」
「そういう風に契約するんだから」
後はお父さんを助けるだけだけだね、と呟き、ラムザは再び弓を持った。
「僕が先に出る。もう敵はいないと思うけど、援護していてよ」
「からかいやがった・。・・あいつ・・・」
「何?」
「何でもない・・・分かったよ。親父、早く助けてやんなきゃな!」
「うん、行こう」
ムスタディオも銃を拾い立ち上がった。
FFT TOP・・・2へ