流れ石の街 1

「出ましたよ!」
 宿の部屋に男が一人飛び込んで来た。
「出たか!」
「はい、石炭とダイヤ、それぞれ太い鉱脈です!」
 ふう、と椅子に沈み込む上官に歩み寄り、男は笑った。
「心配なさっていたんですねえ、オーラン様」 
「当たり前だろう、予定より10日も遅れたんだ!」
 大きな声はしかし、安堵で浮き立っている。
「俺達は疑っちゃいませんでしたよ。あなたの星見は必ず当たる」
「必ずってのは言いすぎだ。9割だな、今のところ」
 一瞬苦笑の表情になったが、オーランは満面の笑みに戻って椅子を立った。
「さあ、俺も現場を見るとするか! 行こう、ハザン」

 ゴルランドの最も大きな採掘場から半時間ほど歩いた場所に発見された鉱脈は、オーランが星の巡りから導き出したものだった。盛りを過ぎたゴルランドの堀場を久々に沸かせる報を聞きつけた多くの採掘人が、薄く積った雪を踏みながら現場の見物に訪れていた。
「賑わってるな! フィリポ!」 
 その人波をかき分けてオーランは現場の親方の隣に並んだ。
「よお、ディライの旦那!」
 満足げに腕組みをしているフィリポが歯を見せる。
「今夜からまた雪だとよ! ケツ叩いて堀場口に屋根を作らせてるところさ。ぎりぎり間に合ったってとこさな!」
 ありがとよ! とオーランの肩に気軽に腕を回す。その腕に自分の腕を掛け、オーランも口を開けて笑った。
「ひやひやしたよ! 全く」
 彼の読みでは倍ほども浅い地層に鉱脈の筋が露出しているはずだった。こういう読み誤りはままあることだが、今回は自信があっただけにオーランはこの10日、焦りと共に密かに落ち込んでいたところだった。こうして無事な採掘の開始を目の当たりにし、オーランの肩の力が抜けていく。
「屋根が出来たら祝杯をあげよう、俺のおごりだ!」
 気前良いオーランの言葉に、作業中の男達が一斉に手を止めて歓声をあげた。
「ということだ、おめえら、とっとと仕上げちまえよ!」
 おう、とフィリポに答える声に手を振り、オーランは現場を後にした。

「ハザン」
 指招きで腹心の部下を呼んでオーランは耳打ちする。
「この後、二人分の背丈を掘ったら西から水が出る。ゴーグの除水機は着いたか?」
「昨晩届いてますよ。ははあ、確かに西は地盤が緩いと現場が懸念してましたねえ」
「ま、それほど酷くはないさ。小さな地下水の溜まりだから、1日もあれば出切ってしまうだろうよ」
「それも星読みですよね? 俺には全然分からなかったですよ」
 ハザンはイヴァリースでは珍しい、農耕を専門に学ぶアカデミー出身だ。元々武人の貴族の出だが、幼い頃に没落した家名は消えたも同然だった。領地を持てないハザンは、生きていくためのよすがを求めてオーランの元で占星術を学びだし、およそ5年が経っていた。
「水は東の一定範囲の星を読んで、それを図に起こしてから位置を導くんだがな、一番大事なのは現場の地の気だ。おまえは勘が良いからその内分かるようになるさ」
「勘、みたいな生ぬるいもんじゃないような気がしますけどねえ」
「要は、鍛えればいいんだ!」
「あなたほど努力家じゃないもんで」
 笑いながら人ごみを抜ける。
「明日は吹雪で仕事にならんだろう。今夜は飲み明かして潰れるか!」
「あなたが飲みたいだけでしょう、全く酒好きなんだから」
「おまえも負けてなかったと思うがな?」
「はは、分かりましたよ、祝宴の準備は任せて下さい」

 街に戻るハザンを見送ると、オーランは小高い丘を目指した。付近の視察をするため、街の外観を目で確かめるつもりだった。最近は夜盗が増えてこの辺りも物騒になっている。オーランは義父シドルファス・オルランドゥ伯から、鉱脈の面倒に加えて治安の確認も頼まれていた。
 彼は星だけではなく、土地や人の生活を目で見て回ることで異変を読み取る力も身に付けていた。よって、地図や口の端だけでは満足しない。殊に、この場所がいかがわしい、と言う密告は信用しないことにしていた。いかがわしい、という言葉や感覚には、単なる差別も含まれるからだ。正しい歓楽街には手を入れない、それがオーランの主義だ。この2週間余り、自分で遊んでみて主要な歓楽街には何の問題も無いことが分かっている。

「うん、あの子は良かったね、やっぱり南の気質が好きなんだな、俺は。うん」
 趣味と実益を兼ねたオーランの遊び癖は、当然義父に渋い顔を作らせた。再三の苦言をのらりくらりとかわす息子に困り果てたシドルファスは、とうとう、女でも男でも構わないから、せめてどちらかに決めろと言い出した。あの固い義父をしてこんな言葉を言わせたとあっては、親不幸にも程がある。と、さすがのオーランも慌て、これは参謀としての人間操作の訓練だなんだと、延々と可笑しな演説を続けた結果、義父から苦笑を引き出した。そんな風に、結局のところ寛容を示しがちな義父を不意に思い出し、はは、と笑う。
「結局あの人は息子に甘いんだよ、俺なら許さんぞ」
 勝手な事を言いながら、きつくなった傾斜にオーランは歩を緩める。日没までは随分あるからゆっくり行こうと歩幅も狭めた。
「良い義父上に巡り会えて俺は幸せだ、全く」
 その義父は今、ベスラ要塞で巨頭会議に出席しているはずだ。
「義父上も南気質が好きだよな、北は辛かろうなあ」
 出発を目前にし、ゴルターナ公を止めると息巻く義父の、言葉とは裏腹の厳しかった横顔が浮かぶ。
「不器用な人だからなあ。苛められてなきゃいいがなあ」
 一人ごちてもオーランの声は大きい。雪混じりの草を踏んで登りながら、自分の独り言に笑う。冬枯れの草はブーツの下で雪を噛んでぎゅうぎゅうと鳴り、生草よりも踵を浮かせる。死んだ草はどうしてこうも、と思ったところでオーランは足を滑らせた。悲鳴を上げるのもみっともないので黙って滑り、苦し紛れに足を踏ん張ったところに段差、成す術もなく背丈分ほど下方に滑落して派手に粉雪を舞い上がらせた。
「・・・痛いな!」
 雪の下は厚い枯葉の層だったので怪我は無さそうだ。
「相変わらずどん臭いぞ、俺は」
 起き上がって服から雪と枯葉を払い、少しだけ周りを伺って誰にも見咎められなかったと確認する。
「足は無事だ、よし」
 こういった事に慣れているオーランは機嫌よく歩き出す。丘の下に道があったとは気が付かなかった。どこかからまた上に登れるだろうから、それまで散策を楽しむことにした。

「春は遠いな」
 手の形をした葉をほんの少し枝に残す木々が寒々しく並んでいる。この葉はきっと今夜の雪で全て落ちることだろう。
「春は遠い、な」
 オーランは冬は嫌いだった。寒くて手足が冷えるからだ。
「早く春が来ればいいのになあ」
 初陣で逝った弟の遺髪、肉片になって帰って来た実の父の軽い棺桶、難産で死んだ妻の血まみれの足、生まれて3日で動かなくなった小さな忘れ形見、そういったものを見た時に、オーランの手足はいつも凍えて冷たくなった。二度と温まらないかと思った、その記憶が冬を厭わせる。
「痛ぇ・・・」
 凍える手を脇に挟んでオーランは歩いた。さくさくと、軽い音で雪と枯葉が鳴る。
「うん?」
 古びた建物が右手にあった。木々の間に隠れるように佇む打ち捨てられた教会のように見えるが、屋根には紋章も何もない。その代わり、二階の窓に小さいが、妙に色鮮やかな青い布が挟みこんであった。警告が静かに胸の内に灯る。
「こりゃ、見物しない訳にはいかんなぁ」
 大きな独り言と共にオーランはそちらに体を向けた。





「あ、雪崩」
 どどう、と低く唸る山に沈鬱な思考を中断し、ラムザが呟いた。アグリアスも背後を振り返る。裾野の森は黒々とした枯れ木が並び、それを駆け上った頂付近が白い噴煙を上げていた。
「春も近いな」
「まだまだだよ」
 北に向かう彼らは春から遠ざかる方向に歩いていた。行きは、秋を引き伸ばす方向だったことを思いながら、アグリアスは小さく頷く。
「・・・確かに王都の花は遅かった」
 アグリアスは呟いてまたラムザの真後ろについた。
 ラヴィアンとアリシアが足跡も残さない速さで去り、状況としては元に戻ったはずの隊だったが、その数は少ない、と彼らに思わせていた。アグリアスは山から視線を外してアリシアがいるだろうランベリーの方向を眺めた。その彼らの頭上には、土に汚れた綿のような厚ぼったい雲が掛かろうとしている。
「雪になるな」

 ライオネルを出て1月、傷ついた体を癒しながら彼らは北に、王都ルザリアに向かっていた。
 オヴェリアを追う。
 それが彼らの結論だった。混乱の最中にあるルザリアはむしろ彼らには都合が良かった。女王となったオヴェリアを取り戻す事は不可能であるとしても、闘いを止め、オヴェリアの安寧を取り戻す手立ては彼女の周りにあるだろう、それが、彼らが縋る最後のものだった。
「はあー。寒いよ・・・」
 ラムザのやる気の無さそうな声に唇だけで笑い、アグリアスはローブを纏い直す。
 彼らは今、全員が傭兵の典型的な装いになっている。簡単に言えば、胡散臭い格好だ。アグリアスの官服や近衛の紋章が入った鞘やブーツ、ムスタディオの作業服などはラムザに没収され、ジャッキーとラッドが彼らを念入りに傭兵に仕立て上げた。
「でもねえ、人の目を誤魔化すっていうなら、アグリアスはいっそ町娘にでも化けたらいいんじゃないの?」
 後ろ向きに歩きながら、面白そうにジャッキーが言う。
「町娘、ねえ」
 アグネスが肩を上げる。
「アグリアスみたいにちょろちょろ凄みを垂れ流してる町娘なんて、いるわけ無いよ」
「それもそうねー」
 けらけらと笑うジャッキーは本当は調子が悪い。常に常用している月のものを止める薬は彼女の体質に合わず、時に苛立たせ混乱させるのだが、殊にライオネルでのような無理の後ではヒステリーを起こし続けていても不思議はなかった。しかし、隊がうつろに沈んだ様子は、上手くジャッキーを正気に戻している。酒の席で周りに先に潰れられてしまうと、酔いが醒めて面倒を見てしまう、そんなものだとジャッキーは思っている。
「まだアグリアスさんは傭兵らしいけどさー」
 小さな声でムスタディオはよれたズボンの裾を上げた。
「俺、こんなカッコじゃ却って可笑しいような気がする・・・」
 ムスタディオが着ている上着は皮で出来た比翼で中途半端に裾が長く、ズボンは固い生地の黒、裾を挟みこむ渋い色のブーツには小刀が差し込まれ、太いベルトにも幾つもの小型の武器が装着されている。上着の上から更にムスタディオの銃やら弾やらがじゃらじゃらと腰に纏いつき、アイテム類を納める鞄が腿あたりにぶら下がっていた。
「なに言ってんだ、正統かつ完璧な傭兵の姿だぜ!」
 無駄、と言っていいほどに明るさを取り戻したラッドが威勢良く言う。先だってアグリアスが決断したラヴィアンの捜索打ち切りへの恨み言は、彼の口から一切出ない。
「なんか、いきがってる不良みたいだろ、これじゃ!」
 意外と軽い、機能的といえないこともないベルトをいじりながらムスタディオは口を尖らせたが、
「それが傭兵だ!」
とラッドは自信満々に告げた。ええー、と助けを求めるべく顔を向けたジャッキーにも、
「髪もほどいてばらんばらんにしておく方がもっと「らしい」と思うわよ?」
と助言されて、ムスタディオは諦めて苦笑した。
 アグリアスも似たような格好だが、身軽さを重要視する女性の傭兵らしく、小道具は少ない代わりに軽い魔道士のローブを纏っていた。本来は、急な襲撃に備え、かつ女性としての体の線を隠して要らぬ災厄を防ぐためのローブだが、アグリアスにとっては顔を隠す意味合いが大きい。きつく結わえた髪をぴっちりとローブに埋め、常に目元には影が落ちている。
 アグリアスがライオネルで謀反の疑いを掛けられたという報は、速やかに王とその側近にまで伝わっていた。その結果、彼女の父親であるオークス卿は自らの意思で近衛騎士団長を辞した。そして、志願して下層の軍隊に部隊長として付いた後は、「一味とともに領主を惨殺して逃亡した」嫌疑を掛けられたアグリアスに追手を差し向けたのだ。自身の手で娘の不始末を片付けようと動く父から逃れるため、アグリアスは細心の注意を払って素性を隠していた。彼女の思いはただ一つ、父に娘を殺させる訳にはいかない、それだけだった。
 
「ああ、降ってきたな・・・」
 はらはらと粉雪が目の前を横切り、アグリアスは空を見上げた。厚い雲は急に速度を落とし、彼らに同行するように前方に広がり始めている。
「積もりそうだねえ、ああ寒い」
 痛むだろうね、ボコに乗るかい、とアグネスはアグリアスを見上げ、脇を歩くボコも一声鳴いた。アグリアスの骨折はボコのケアル漬けが効いたのか、通常よりもずっと早い快癒を見せた。途中で見せた医者によると、骨は上手く付いているという。しかしまだ、固いブーツの内外にきつく布を巻いて固定しており、時折痛むようだった。
「動かなければ、それだけ筋力が落ちてしまう。それに古い傷も同じだから」
 笑いながら言うアグリアスを見つめ、
「そろそろ食事にしようか」
とラムザが立ち止まった。
「このまま進んでも炭鉱場の外れには飯屋なんてないし、降り込められる前に今夜の宿を探した方が良さそうだ」
「うん、俺、飯を食わせる宿を探してくるよ!」
 言うが早いかムスタディオは駆けて行った。腹の虫や寒さに責任をなすり付けた休憩が増えている。
「気を遣わせてすまないな・・・」
 ふっとアグリアスが漏らし、ラムザは聞こえないふりをした。
「炭鉱都市なんだから石炭は使い放題よね! 宿はあったかいわよ、きっと」
 軽く飛び上がってムスタディオを探しながらジャッキーが笑いかけ、アグリアスも薄く微笑んだ。
 和やかに夕餉の献立を話し合う彼らを横目に、ラムザは思案の続きに戻った。隊の解散と各人の処遇、それが今のラムザの頭を締める最重要事項だった。





「探せ、地図を取り返すんだ!」
 数人の男がドアを蹴り開けて飛び出し、怒号を上げながら古い教会の周りを走り回る。
「どこだ!」
「外には出てねえようだな、足跡は来た時のものが一つだ!」
「上か、分散して追え!」
 既に何人かが上に向かっている荒々しい足音が響く。
「どこだ! どこへ逃げやがった!?」
 2階の窓が開き、大声が答える。
「上だ! 屋上だ!」
 叫んだ男はすぐに引っ込み、上に向かったようだった。一斉に男達が教会の周りを囲み、じりじりと高みに登る。

「参ったな・・・」
 オーランは屋根をぐらぐらと移動しながら溜息を吐いていた。粉雪が降り始め、足場はあまりにも悪かった。
 ちょっとした確認のつもりで入ったここは、盗賊の根城だった。屋根裏部屋に逃げ込んが当然追手が諦めてくれる気配はなく、窓を蹴破って屋根の上に飛び出たところだ。
「小物の集まりだが・・・数がなあ」
 あー、戦いたくない、などと、ぶつぶつ言いながらオーランは手に持った地図に目を落とす。幾つかの部屋を覗いて見つけた、作戦会議室らしい部屋に広げてあった地図だ。これまで襲われた屋敷と、これから襲う場所、そして彼らの別部隊の拠点がそこに書き込まれている。
「これは見逃せない」
 ああ、嫌だ、とオーランは屋根の上で溜息を吐く。夜盗どもの怒声は雪に吸われて遠くまでは響かない。援護は求められないだろう。
「あーあー囲まれたか!」
 声はひそめる必要はない。2人ほどの気配が自分の極近くに寄りつつあった。
「頼むぜ、ここで滑って落ちたらまずいんだからな!」
 自分の足を叱咤してオーランはローブの中に地図を納め、代わりに分厚い星座運行簿を取り出した。長年の彼の親友である。手製の皮表紙には「怪物辞典」と書いてあるが、これは、星座の物語は怪物の物語だと信じていた妻が生前、親友に贈ってくれたお出かけ用の衣装だ。
「よし、行くぞ!」
 腕に抱えた「怪物辞典」に声を掛け、オーランは一歩踏み出してよろめいた。これは、彼の失策ではない。眼下に新たな「ごろつき」どもが見えたからだった。
「最悪だ! 最悪、すごいぞ、これは最悪だ!」





「また何を考えてるのさ」
 アグネスに鋭く指摘されてラムザはぶるぶると頭を振った。返答、というよりは雪を払うためだ。遠くからムスタディオが手を振りながら戻って来る。宿が取れた、というような事を、覚えたての下手な手話で伝えている。
「冬は嫌いなんだ。早く春にならないかなって思ってた」
「嘘ばっかりだね、あんたは。またベオルブの事でもやたらと考えているんでしょうが」
「お好きに想像しなよ」
 舌打ちし、ラムザはアグネスが唇の端を曲げる様子を睨んだ。
 図星だった。その結果、達した結論が隊の解散だった。

終に始まった両大公の闘いの報は、新年を迎えるとより生々しく伝わるようになった。
 また、戦争か。それも内紛。
 50年戦争は長く苦しい戦いではあったが、それでも国境を争うことが主体の限定された地域での戦いだった。しかし内紛ともなれば市井に直接被害が降りかかる。ようやくの終戦の報に吐いた息は、そのまま新たな闘いへの溜息となった。
 その膿むような不穏な日々の中、人々は救世主を求め始めた。50年戦争時代にも度々見られた現象で、神に縋ることに飽きた庶民の癖だった。あの方こそ、と囁かれる名前は地域や情勢に応じていかようにも変化し、無責任にそして無邪気に、力ない者達の囁きは流れるのだ。
 それらの名前は宿に立ち寄る一行の耳にも当然入った。ライオネル領主の不審な死を嘆く声は、進む毎に雷神シドの名に変わり、そして更に。
 天騎士ダイスダーグと聖騎士ザルバック。
 彼らの領地であるイグーロスから遥かに離れたゴルランドにまで伝わる名声に、ラムザは背筋を凍らせた。ある意味、ラムザの中には若干の侮りがあったのだ。貴族の棟梁と言われてはいても所詮は50年戦争時に父の活躍で成り上がった家名、西では有効でも南では軽いものだと、そうラムザは思っていた節があった。しかし民の語る天騎士バルバネスは慈悲深い軍神であり、ラムザの2人の兄は軍神の遺した神の子達であった。それ程までに民は絶望し、平和に飢えているのだと、アグリアスは慰めるともなくラムザに言ったが、背の氷は溶けない。北に向かう手足は冷たくなるばかりで、いっそ雪に降り込められてしまえばよいと毎日のようにラムザは雪雲を探した。

 それでも足は、ルザリアに向う。
 ――民の求める救いはベオルブの望みではない――
 その、事実がラムザの中に、責任という石をすえた。それを知っているのは自分だけ、そして戦火を煽るベオルブの当主を止める事が出来る者がいるとすれば、それもまた自分だけなのだ。
 青い、甘い、と軽やかに笑った人が、そのままで行けと、兄を正ならざるとするのならば自らの手でそれを証明してみろと、胸の中から凍った背中を押す。
 ベオルブに戻って内部から戦いを止める。
 それが最も有効で自分に出来る最良の手段だと気付くまでに時間は掛からなかった。そして即ちそれは、この隊の解散を意味した。

 解散ともなれば、隊長として各員を処遇せねばならない。ジャッキーやラッドは傭兵として誰かに雇わせれば済むが、残る3人が問題だった。
 ムスタディオはオヴェリアへの肩入れ具合が深刻だ。ルザリアで気の済むような何かを与えてやって、大人しくゴーグに帰らせるように仕向けなければならない。
 アグネスは、例え蹴飛ばしても自分に付いて来るだろうから、ベオルブに引き取るしかないだろう。ザルバックならばアグネスを下手には扱わないし、彼女はもはや昔の深窓の令嬢ではない。ザルバックを通してダイスダーグを止める、というラムザの計画を手伝ってもくれるだろう。
 アグリアスは、アグリアスは・・・。
 どうにもならないのはアグリアスだった。この先彼女は追われる者として生きていく。もちろん、ラムザと出会っていなくとも、彼女の運命は現状とさほど変わらなかった。ライオネルで死んだか、生きて追われるか。彼女の人生がどうなろうとも、ラムザには本来責任も関わりも無い。しかし。
 本当に、妻として強引にベオルブに入れてしまおうか。
 つい先日の事、ラムザは冗談半分、といった風情でアグリアスに言った。オークス卿を諦めさせるため、ベオルブの庇護を受けて自分と結婚する気があるかと。その時彼女は一言、低く答えただけだった。
「それでは何も解決しない」

 ラムザはちら、とアグリアスを見た。
 寄越した視線にアグリアスは鋭く睨み返した。申し出にアグリアスは真剣に怒ってしまい、未だ許してくれない。個人的な視線にはこうして鋭く非難を込める。
 だめか、だめだろうな・・・
 アグネスならどのような演技でもこなしてベオルブの中枢に食い入る事が出来るだろうが、この人はだめだ。決して自分の心を裏切る言葉は吐かない。一時の方便はいくらでも使う機転の利く人は、だからこそ自分の人生に頑固だ。決して曲がらないものがあるからこそ、少し傾いで見せることも出来る。そんな人だ。 
 
「はー。寒いなー」
 ラムザは無理やり視線を外して雲を見上げ、そして目を眇めた。
「なんだろう、あれ」
 ジャッキーに声を掛ける。掛けるまでもなく、目の良い彼女はラムザと同じように古びた建物の屋根を凝視し、
「誰かが襲われてるみたい・・・貴族風、かな、そんな人が屋根にいて、本を持ってるわ。結構沢山のヤツラが狙ってる!」
と言って、たたっと走り出した。入れ違いに帰って来たムスタディオが彼女を目で見送り、続いて屋根を見上げた。
「丸腰じゃあねえ、助けるよね、ラムザ」
 アグネスの言葉にラムザは両手を広げる。
「どっちが悪いヤツかが分かってからね」
「多勢に無勢、決まってるでしょ。こんなこと前にもあったねえ」
 にやにやと笑ってアグネスが言い、照れて頷きながらムスタディオは張り切って腰の銃を手に取った。






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