その日からディリータは常にラムザと共に行動した。
幸いティータはラムザを気に入ったようで、やっぱり女の子同士は仲良くなるのが早いのだな、と手を繋ぐ二人を見ながらディリータは思った。もちろん二人は転ぶ時も一緒だった。
初日以降、ラムザは常に転んでいる訳ではないことをディリータは知った。体調によるのか、転ぶ日とそうでない日があった。ティータと手を繋ぐようになってからは、ラムザなりにしっかり歩こう、と気を遣っているようだったが、駄目な時にはラムザは徹底的に足をもつれさせた。ティータは我慢強くなり、謝るラムザを逆に励ますようになった。彼女にとってはむしろ良き試練だったのだろうが、このままではラムザの鼻が潰れてしまうと心配したディリータは、そういう日にはラムザの空いている手を握り、兄妹でラムザを挟んで歩いた。
ラムザは大人しい子供だった。ディリータは町で沢山の子供と転げまわって遊んでいたから、虫捕りやかくれんぼの代わりに床に寝そべって絵本を読み、ぼうっと空想に浸っているラムザの姿にはむしろ感心した。こんな風に遊ぶなら、これだけ綺麗でもおかしくないだろうとラムザを眺め、ティータと共に絵本を覗き込んで少しずつ字を覚えた。
しかし、そんな感想はひと時のものだった。ラムザの、意外な程大胆な部分はすぐに明らかになった。
日差しが完全に夏のものに変わり、何日か寝苦しい夜が続いたある日、外に出ようとラムザはディリータを誘った。ラムザは乳母のハンナを深く慕っており、彼女を煩わせないようにいつも気を配っているようだった。そのハンナに屋敷の外で遊んではいけないと言い聞かされているにも関わらず、ラムザは屋敷を抜け出す事を提案したのだった。
ディリータはもちろん止めた。が、薄暗い廊下や閉塞した部屋での遊びに飽きていたこともあって、結局二人はこっそり部屋を抜け出した。ティータはハンナに甘え、その膝の上で眠っていたから置いてきた。
ディリータが、大人になるまで出られないに違いない、と信じたこの「城」には、以外なほど抜け道が沢山あった。ラムザはこれまで色々な場所を探検したらしい。
屋敷の裏手、今は使われていない倉庫の後ろの壁が崩れていて、大人が屈んで通れる程度の穴が空いていた。それがラムザの一番の大発見だったらしく、彼はそこから外に出られるのだと、自慢そうに言った。その穴は、屋敷をぐるりと巡っている堀の下を通っているから濡れずに外に出られるのだ。大昔に作ってそのまま忘れられている抜け穴のようなものだろう、出口は石像で塞がれている。中からならば、彼ら子供の力でも簡単に像を横滑りさせて開けることができた。完全に閉まらないように像と穴の隙間に石や枝を差し込んでから、ラムザは言った。
「これでいいよ。ついてきて」
普段のどこか不安げな素振りは消え、光の下のラムザは全速で走り出した。こけるどころかあまりにすばしこいので、ディリータは彼を見失うのではないかと焦ったが、角や茂みの手前で必ずラムザはディリータを待っているのだった。
「ここ」
相変わらず囁くようにしてラムザは言った。広い草原を横切り、炭焼き小屋を越えた先の林の中に、小さな泉があった。山裾に位置するその泉では細い滝が涼しい音を立てていた。林の木々は夏の光にきらきらと葉を輝かせ、泉の水はラムザの瞳のように澄んでいた。
「よくくるの? きれいだね」
「ときどきね、ないしょにしてね」
二人はしばらく水を触ったり、靴を脱いで足を浸けたりしていた。泉の端は浅いが、中央は随分と深そうな色をしている。ディリータはラムザが無茶をしないように見張っているつもりだったが、黄色いカエルが一匹、足元に泳ぎ寄ってきたので気をとられてしまった。追いかけて足を掴み、ラムザに見せようと腕を上げると、ラムザは服をすっかり脱いで泉の中央に向かって泳ぎ出そうとしていた。
「あぶないよ! もどってきてよ!」
カエルを放り投げて呼ぶと、ラムザは泳ぎながら振り返ってディリータを見た。そして小さなお尻が水面に突き出たと思ったらすっかり水に潜ってしまった。
「ラムザ! ダメだって! ラムザったら!」
ディリータは急いで自分の服も脱ぎ散らかして泉に入った。正直言って泳ぎにはあまり自信がなかった。でもやらない訳にはいかない。覚悟を決めて潜ろうと息を吸い込んだ途端、目の前にラムザが飛び出てきた。
「わっ、ラムザ!」
ディリータはとにかくもラムザの腕を掴んで引き上げようとした。
「だいじょうぶ、およぐのじょうずだから」
「でもダメ、あぶないことをしちゃだめだよ!」
細い腕を掴んで岸に上げる。日は随分傾き、空気の熱さは緩んできている。
「もうすぐゆうがたになるよ、かぜひいちゃうからからだをふかなきゃ」
自分のシャツでラムザを拭いてやり、そしてやっと気が付いた。ラムザは男の子だった。びっくりしてラムザの顔と小さなシンボルをぼんやり見比べていると、ラムザも自分のシャツを取ってディリータを拭き始めた。
「ラムザのシャツがぬれちゃうよ」
「いっしょだね」
ラムザはにこにこして濡れたシャツに袖を通すとのボタンを留めた。ディリータも服を着て靴を履きながらラムザをちらちらと盗み見た。その白い肌や囁き声、そして綺麗な顔からはどうしても男の子を想像出来なかったが、足の間に見たものは間違いなく自分と同じ作りだった。ディリータは心のどこかで残念さを味わいながら、それでも男の子と遊べることが嬉しいと思った。今はラムザは小さいけれど、きっとすぐに大きくなる。今でも走ったり泳いだりと動く事が好きなのだから、大きくなればもっと面白い遊びを見つけるようになるだろう。ディリータには女の子のお相手よりも、男の子の子分になる方が楽しい仕事のように思えた。一緒にいて判ったことだが、ラムザが自分と同い年であったこともまた、ディリータは嬉しく思っていた。
シャツと髪を乾かしながらゆっくり歩いて屋敷に戻った。倉庫の裏から敷地に入ると、乳母のハンナが二人を呼ぶ声が聞こえた。もう夕食の時間なのだ。
「ハンナ!」
ラムザが嬉しそうな顔をして大きい声を出した。そんな声は出せないのだ、と信じていたディリータはびっくりしてラムザの顔を覗き込み、またラムザも自分でも驚いたのか、両手で口を押さえた。そして人差し指を唇にあて、
「しー、静かにね」
と呟いてから、ハンナに向かって駆けて行った。
暑い日が続いたので二人は何度も泉に通った。何かに感づいているティータは時折拗ねた様子を見せたが、二人の「兄」は屋敷の中では彼女をとても大切にしたので特に不満を持っているようではなく、泉の秘密は守られた。
しかし、いざ水辺に立つとディリータはいつも気をもんだ。ラムザはあまりに無防備で興奮し、そしてはしこかったからである。自分の泳ぎが不安で、万が一の時にラムザを守ってやれるのかどうかに恐れを抱いていたからかもしれない。ラムザと並んで泳ぐ内に上手に潜ることも覚えると、少しだけ彼の不安は減った。
ラムザは、泉の真中に沈んでいる大きな石が好きで、それを見るために潜る。その石は水の中で磨耗した、まろみのある女性の像だった。どうしてここに沈んでいるかなど二人には分からなかったが、澄んだ水の中でかすかに唇に笑みを浮かべてまどろむその女性は、二人ともに母親を思い出させた。
ある時、いつもの場所から泉に走り寄ろうとしたディリータは、初めて来た時に見たカエルを見掛けた。彼の村には滅多にいないが、この泉周辺にはほどほどの数がいて、時折そのカエル達の歌が聴ける。独特の黄色の体に足先だけが黒く、靴下を履いたような姿は愛嬌があった。また、手足を伸ばすと彼の顔程もある大きなカエルだったので、少年なら誰でも掴んでみたがる生き物だろう。今度こそラムザに見せて驚かせようとしたディリータは、迷わずそのカエルを追った。ラムザはさっさと泉に向かって立ち、服を脱いでいる。
カエルは鈍重に跳ね、丁度着地地点にある小さなくぼみに頭から落ちた。足を突き出してもがく姿には少々同情したくなるような雰囲気がある。ディリータは笑ってカエルの足を掴んで持ち上げた。ずっしりと満足のゆく重さにまた笑う。ラムザに向かって踵を返そうとして、ディリータはおかしなことに気が付いた。カエルの落ちた穴は幾つも並んだ同じような穴の一つだった。等間隔で開けられた穴はそれ程古くはなく、雨で崩れた様子も無く留まっている。元は丸い杭が打ってあったように見えた。
その時はあまり気に止めなかった。ラムザが泳いで行ってしまうことが心配だった。カエルをぶら下げて追いつき、存外に嬉しそうな顔するラムザにそれをプレゼントした。ディリータも嬉しかった。
しばらくしてまた、ディリータはそのカエルを捕まえた。今度は彼に追われたからではなく、ただ偶然穴に落ちて足をばたつかせる姿を見掛けたからだ。よっぽど間抜けなカエルなのだとディリータはやはり笑った。その穴もまた、等間隔に並んだ穴の一つだった。不思議に思ったディリータは、カエルを掴んだまま泉の周りを歩いてみた。穴は、泉を一周していた。
柵が立ててあったんだ。
ディリータはそう思った。彼の住んでいた村ならきっとそういう措置をするだろとは、前から思っていた。子供なりに、こんな場所で遊ぶのは危険だと分かっていたし、何よりも、この泉はベオルブ家の領地内の、自分達のような小さな子が大した時間も掛けずに走って来られる距離にある。ラムザは大切な子供なのだから、万一のことを考えて潜り込めないように柵を作っておくはずなのに、とディリータはずっと思っていた。もちろんそれは子供達にとってはいささかつまらない措置ではあるが。
柵が取り払われた理由をディリータは考えた。しかし彼にはどんな理由も思い浮かばなかった。だからラムザの呼ぶ声を聞くと、すぐにディリータは忘れることにして振り向いた。そして走りながらラムザの頭目掛けてカエルを放り投げた。盛大にカエルと衝突しながらラムザは楽しそうに笑い、逃げるカエルを追って泳ぎ始めた。
夏の終わりが近づく頃には、ディリータは生まれてからずっとこの屋敷に住んでいたかのような気分になっていた。「仕事」は拍子抜けするほど簡単で順調だったし、ティータは相変わらず激しい人見知りが抜けないが徐々に笑顔が増えた。乳母のハンナの優しさもあって落ち着き始め、一層ラムザと仲良くなった。二人は大人しい遊びを何かの秘密のように、くすくすと笑いあって共有した。不思議とそれはディリータには妬ましくなかった。ラムザにははっきりと「静と動」の境があって自然にそれを使い分けており、動の部分はディリータのものだったからだ。
雨が降り続く午後、ラムザは屋敷の中を探検しようと言い出した。冒険は、ディリータの部屋の前から始めることになった。
部屋の前の長い廊下の中央には、白の大理石の隙間に緑の石がはめ込まれ、ドラゴンのような生き物に見える文様が描かれている。床に座って触るとかすかにその継ぎ目が指先に触った。床に寝そべって文様を辿り、それがさも重大なことであるかのようにひそひそと話し合っている子供達を、通り過ぎる使用人達は笑って眺めた。
床はディリータ達の住む建屋からラムザの住む建屋に移る地点で色を変えた。ドラゴンは白、地色となる大理石は黒だった。そこからは廊下といえども装飾がかなり異なっている。細かい彫刻と色石やクリスタルがふんだんに使われた柱や、つやつやと黒光りする扉は重厚な雰囲気を醸し、ディリータは気後れした。
「ラムザはここにすんでるんだよね?」
「ぼくはあっち」
ラムザは西の方角を示した。そちらの床はまた色が変わっている。
「まっすぐいったらだめなんだよ」
少し悲しそうにラムザは言った。
「”くろのゆか“のおくのほうには、あんまりいかないんだ」
ラムザは言った。ディリータにつられるのか、少しずつ男の子らしい言葉遣いになっているようだった。それまでは乳母のハンナがたった一人の話し相手だったのだから、ラムザがどこか女の子のような物言いをするのは仕方ないとディリータは思っている。相変わらず声は小さいが、石に囲まれた廊下でははっきりと聞き取れた。
「ぼくのへやにいかないとね」
「それじゃあ、たんけんにならないよ」
「うーん・・・じゃあ、ちょっとだけ。ディリータといっしょならだいじょうぶだよね」
「だいじょうぶだよ!」
ディリータは張り切ってラムザの手を握った。やっと「仕事」らしくなってきた。
「こっちにはとうさまと、にいさまたちのおへやがあるよ」
「おおきなへやかな?」
「きっとすごくおおきくて、つよいぶきがたくさんおいてあるよ!」
ラムザには年の離れた兄弟がいる。次兄のザルバックは学生で、アカデミーの寄宿舎に住んでいた。週末に一度帰って来た時、庭でかくれんぼをしていたディリータはザルバックと会った。彼は同じ金の髪をしていたが、ラムザとはあまり似ていなかった。まだ少年の匂いの残るザルバックは大らかな性格で、ディリータを捕まえると肩車をしてラムザを探させた。ラムザもまた、彼によくなついているようだった。
長兄のダイスダーグには、まだ会っていない。彼は既に北天騎士団の副団長職にあり、家に居着くことはないと聞いた。ラムザもほとんど顔を見たことが無いようだ。バルバネスも初日以来屋敷の中で見かけることはなく、イグーロス城に詰めている、という話だった。ラムザは強く大きな二人の兄と父とを尊敬し、とても愛しているようで、3人の話になると自慢そうに鼻を膨らませるのだった。
「あとね、おくさまのおへやもあるの・・・」
いきなり声がすごく小さくなった。ディリータは、え、と言って聞き返した。
「おくさま? だれ?」
「おくさまは、おくさまだよ」
「わかんないよ。おまえのおかあさん?」
「うんとね、かあさんにはときどきあいにいくの。とうさまといくの。あ! でもないしょだよ、だれにもいっちゃだめだよ!」
ディリータにはよく分からなかった。バルバネスは「だんなさま」とは呼ばせてくれないが、この家の主なのだから旦那様に違いない。ラムザは旦那様の子供なのだから、奥様はラムザの「かあさん」のはずだ。しかしラムザの口ぶりからすると、「おくさま」と「かあさん」は別の人のように聞こえる。バルバネス同様、この家にはとても偉い女の人が別にいるのかもしれない。お金持ちなのだから、色々な人が色々な「仕事」をしているのだ。そうディリータは納得することにした。
二人の6つ先の扉が光って見え、ディリータは近づいた。ラムザはするり、と手を離して壁際に立ったが、ディリータは一人でその扉に近づいた。向かいの壁に開いた高い位置の窓から差し込んだ、雨の合間の光が薄く当たって扉を輝かせている。その扉は他の扉と違い、チョコボの目のような薄青い大理石が美しい模様を描いてはめ込まれていた。それが珍しかった。近づくと、その扉はほんの少しだけ開いていた。
覗くなど、お行儀が悪いことだ。扉の文様をよく見て、それで先に進むことにした。ラムザを呼ぼうと振り返ると、彼はぴたり、と壁と一体化してディリータにぶんぶんと首を横に振った。唇に人差し指を当てて、静かにしろ、と言っているようだ。仕方なく先の探検は諦め、ディリータが戻ろうとした時、中から声が聞こえた。それでディリータは留まった。「ラムザ」、と聞こえたからだ。
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