赤の思い出 3

「忌々しいこと。あれがそれほどに泳げるなんて。せっかく柵を退けたというのに、楽しませているだけということ?」
「母親同様、田舎の村の子供です。犬の子のように泳げても不思議はありませぬ」
「それもそうね・・・。次の手は考えてあって?」
「しばらくは様子を見るのが肝要かと。夏の終りには、心の臓が止まるほどに水温が下がることもありましょう」
「そんな事があるものですか」
「さあ、どうでございましょうか。変わった魔物が水浴びでもすれば、それくらいの事が起こり得るやもしれませぬ」
「・・・氷の塊を吐く魔物があの山に居ると聞いたことがあるわ」
「ラムザ様が好んで潜られる泉の中央は深くなっております。相当の大きさの氷柱が幾つも沈むでしょう」
「心の臓が止まるほど水温が下がるものかしら。それに、そんな大騒ぎをして氷の柱を運ぶなんて危険よ」
「それでは、泉の水にちょっとした毒が含まれていたらどうでしょう。わずかの間、意識を失うような、或いは体の自由が利かなくなるような」
「医師が暴いてしまうわ」
「例えば、”夢の花“などが、岸辺に群生していれば?」
「・・・・・」
「根から、眠りを誘う物質が泉の水に混入致します。大人ならなんということはなくとも、幼い子供ならどうなることやら。どれほど泳ぎが上手くとも、眠ってしまえば何の役にも立ちませぬ」
「・・・・・確かに泉の周りに生えているのね?」
「はい、間もなく蕾をつける頃かと。花が咲けば、その根から眠り薬が溢れ出ます」
「抜かりはないわね?」
「道々種を零して参りましたから、そこら中に生えておりますよ。不自然に見えることはありますまい」
「そう・・・楽しみね。綺麗な花が咲くでしょうね」
 二人の女性は低く押し殺しながらも、笑った。

 内容はよく分からなかった。しかし、最後に忍ぶように笑った声に、ディリータは肌を泡立たせた。とても、とても良くないものを聞いてしまったに違いない。
 中から人が出てくる気配がした。大慌てでディリータはラムザの元に戻ろうとする。良くない人が来る、早く逃げなくちゃ。
 ディリータの必死の形相にラムザは緊張して駆け出そうとした。しかし、出来なかった。ラムザの足はまろび、つんのめって、こんな時に限って使い物にならなくなっている。
「はやく、はやく、むこうにいこう!」
 ディリータが追いつき、もがく小さい体を抱え上げようとした。
「あ」
 ラムザが声を上げた。体が緊張し、強張っている。扉の中からは、深い赤薔薇色のドレスを纏った女性がするり、と抜け出るように出て来た。
 彼女は子供達が絡まっている方向に進んできた。ディリータは精一杯ラムザを引きずったために、廊下の中央に踊り出る形となってしまった。薔薇のドレスの女性は全く歩みを緩めず、真っ直ぐに彼らに向かって来た。踵の高い靴が石の床を鳴らして近づき、あとほんの一歩で踏みつけられる、というところで、その靴音は止まった。
 ディリータは唖然とその靴の持ち主を見上げた。美しいドレスを纏った女性はディリータの母よりは年上で口元に僅かに皺が刻まれていたが、乳母のハンナよりはずっと若く見えた。長く、濃い色の金髪を高く結い上げて髪飾りを付け、耳や首回りにも宝石が光っている。全て目の深い碧に併せてあり華美ではなく品があった。派手になりがちな薔薇色すらも彼女を彩る小道具に過ぎず、全てを制してその人は凄まじいほどに美しかった。
「ごめんなさい、すぐにどきます」
 ディリータは必死で謝った。きっととても偉い人なのだ。ラムザでさえ震えているのだから。
「ほら、ラムザ」
 立たせようとして顔を上げさせるとラムザは蒼白になっている。いつもはほんのりと紅色を差している頬までが褪せて、白を通り越して青いほどだった。

「おどき。下賎の子」

 女性は言った。ディリータは、それが自分への言葉かと思って怯えたが、彼女の目はラムザを見ていた。ほとんど正面を向いている顔の目だけが、ぎらぎらと光ってラムザを睨み降ろしている。
「ごめんなさい、おくさま」
 ラムザは震える声で囁いた。雨の音も止まった廊下にはその声がかすかに響いた。
「おだまり!」
 ぴしり、と冷たい声が空気を切り裂く。
「卑しい音を聞かせるでない」
 ラムザはぶるぶると震えながら、這うようにして壁際に移動を始め、ディリータも全力でそれを手伝った。壁に体を押し付けている子供達の脇を、あくまでも廊下の中央を、彼女はするすると衣擦れの音をさせ、高く靴音を響かせて、通り過ぎた。ラムザはその音が聞こえている間中、ディリータの腕の中で震え続けた。
 ディリータは抱え込んだラムザに謝り続けた。自分が余計なことをしなければ、こんな事にはならなかったのだ。あの人がとても怒ってもしもラムザを追い出したらどうしよう。
「ディリータはわるくないの」
 ラムザは震えを止められないまま言った。
「ごめん、ラムザ、ごめんね」
「だいじょうぶ、ぼくのへやにいこう?」
 子供達は互いに支え合い、来た道を引き返してラムザが示す通りに角を曲がった。
 ラムザの部屋がある建屋は最近建て増しされたような新しい雰囲気があった。床は、地となる部分は薄赤の大理石、中央には黒い枠のような文様と、それまで辿ってきた床と同じドラゴンが黒の石で描かれていた。
 二人は穏やかな茶色の光沢を放つドアに辿り付いた。一度ラムザを床に座らせ、ディリータは背伸びをしてドアを開ける。開いた隙間からラムザは這って中に入った。ディリータも後に続き、ぴったりとドアを閉めた。
「ラムザ、ラムザ」
 汗びっしょりになっているラムザを抱え、部屋の中央の長椅子に引っ張って行き、座らせる。自分のシャツを捲り上げて、額の雫を拭ってやった。
「だいじょうぶ。ちょっとだけ、ちょっとだけ・・・」
 ラムザはそれ以上は言葉にせず、目を閉じた。ディリータにもたれかかる頭は軽い。ラムザはほんの少しだけ動かずにいたが、おろおろするディリータのために目を開いた。そして笑った。
「ぼくがわるいんだよ。ぼく、いらない子なの」
 衝撃を受けてディリータは言葉を失った。
「おくさまはおこっているの。いらない子なのにここにすんでいるから」
「どうして・・・? バルバネスさまのこどもなのに」
「かあさんがげせんだからぼくもげせんなの。だからいらないの・・・・よくわからないけど」
 悲しい顔でラムザは言った。ディリータにも分からなかった。「げせんのこ」、と奥様は確かに言った。
「ねえ、ぼくのへやにくるの、はじめてだったよね」
「う、うん。」
「ここをたんけんしようよ。ね。」
「うん」
 しかし、二人はずっと手を握り合って長椅子の上にいた。ハンナが呼びに来るまでそうしていた。ラムザは安心して眠り、その彼の呼吸を数えている間にディリータもまた眠ってしまったからだった。


 あの雨の午後を経験してしばらくすると、ディリータの耳は、どんなにかすかでも、普段履かない靴で歩いてたとしても、必ず人の足音を聞き分けるようになった。ラムザの足を凍らせ、声の存在すら許さないあの美しい人に会わないように、自然に身に付いたものだった。そんなディリータが常にラムザと行動することで、いつしかラムザの鼻頭からは、かさぶたが消えた。何年もかかったが、大きな声も戻ってきた。
 次第にディリータはラムザの複雑な生まれについても理解した。あの雨の午後に聞いた話の内容も、年を重ねる毎にいっそ鮮明にその意味を知った。そして知るほどに、ラムザを見下ろしてぎらついたあの瞳は憎しみと哀しみの光をたたえてディリータの心に焼き付いて消えなくなった。誰にも言うことはなかったが、ディリータは「おくさま」は可哀想な人だと思っていた。だからこそ、ラムザが決して逆らえないのだと。だからこそ、二人を会わせてはならないのだと、彼はそれを自分の一番大切な「仕事」に決めたのだ。

 10歳になる頃、バルバネスの妻である「おくさま」は病で死んだ。二人の子を産んだ後に病みついて遠い田舎の村で静養していた妾、即ちラムザの母親の死の半年程後の事だった。彼女は最後まで館に君臨し、正妻の座を守り通したのだ。
 死の間際、「おくさま」は一つの遺言を残した。それは、事情を知らない者にはいかにも奇妙な遺言だった。
「床の張替えをしないこと」
 それだけだった。それを聞き知ったディリータは、なにげなくラムザにそれを言ってみた。ラムザは少し悲しそうに見えたが、そうなんだ、と言うばかりだった。

 思春期を迎え、付近の少年達とも親しく付き合うようになったディリータは、誘われるままに一度だけ娼館に行った。ラムザには言わなかった。なんとなく気が咎めたからで、深い意味は無い。安い女なら買えるだけの銀貨を握り締め、胸の高鳴りを抱えて仲間らと裏道へと足を踏み入れたのだった。
 それなりの時間が過ぎ、少年達はそれぞれに首尾を語りながら店の外に出た。その時、ディリータは心臓が止まるほどの衝撃を受けた。行きには緊張のためか、まだ表が明るかったためか、気がつかなかったものがそこに明々と灯っていた。
 黒い木枠に薄赤の硝子をはめ込んだ娼館の印。裏道にならんだいかがわしい店の多くに、その印が灯っている。
 その色合いと形にディリータははっきりと心あたりがあった。ラムザと二人、幼い頃に綺麗だと指で触ったラムザの部屋の前の床の模様そのものだった。屋敷の内部では、ラムザの部屋とその妹のアルマのものとされる部屋の前だけに薄赤の大理石が敷かれていた。そこには、他の床と同じようにドラゴンの文様が描かれていたが、丁度それぞれの部屋の前にだけは、四角い枠のように黒の石が張られていた。それは、この娼館の印を模したものだったのだ。
 下賎の子。
 バルバネスの妻の声がディリ-タの脳裏に蘇った。ラムザの母は娼婦ではなかった。素朴な村娘で、少しばかり裕福な商家の末っ子だった。しかし、妻にとってはそれは娼婦以外の何者でもなかったのだろう。だから、そのような者の子として、ラムザとアルマの住処にその証を刻んだのだ。

 その後ディリータは、二度と娼館には行かなかった。ラムザには床の意味は教えなかった。しかし二人共、その床を視界に入れないようにしている事に、お互いに気がついていた。何を言っても仕方が無いのがよく分かっているから話題にはしない。この床は決して張り替えられることはないのだから。大人の使用人ならばおそらく誰もがその意味を知るだろうこの床は、絨毯で隠されることもない。館の管理はダイスダーグに一任され、髪も目も思いも母親のものを引き継いだ彼は、永遠に母親を愛し続けていくのだから。





「もうすぐアカデミーだね。僕、ちゃんとやっていけるか心配だよ」
「平気さ。おまえは勉強も良くできるし」
「でもさ・・・剣も弓もちっとも上手じゃない。チョコボに乗るのだって、ディリータの方がずっと上手くやるじゃない」
「父さんがチョコボ飼いだったから慣れてるだけだよ。第一おまえ、まだチョコボが怖いんだろ」
「・・・・怖くなんてないよ」
「心配するなよ。僕が教えるから。その代わりラムザは勉強を教えろよ」
「ディリータに教えることなんて何にもないよ・・・」
「またそうやって拗ねる・・・」
 ディリータは泉に足を浸けて苦笑した。脇の茂みから黄色いカエルが跳ねてきて、身投げするように、ぼちゃん、と不恰好に水に飛び込んで夏の光を跳ね散らかす。このカエルはずっとこの泉の住人だ。
 あの後も、二人は特に変わりなく泉に通い続けた。数日すると、泉の周りに群生していた三角形の葉の間に、真っ赤な花の蕾が見え隠れするようになった。ラムザは花に興味を示して覗き込んですぐに、だめだよ! と言って黄色いものを掴んだ。例のカエルだった。彼らは熱心に、蕾や葉を貪っていた。三角形の葉の間に蠢く黄色い生き物を見つける度、ラムザもディリータも無邪気に、花を食べるな、と説教をして回ったものだ。
「あいつらに感謝しないとな・・・」
「何?」
「いや。なんでも」
 あの花も、葉も、根っこすらも、カエル達があっという間に全て食べ尽してしまった。好物の「夢の花」が植えられていたから、あのカエル達は泉の周りに居着いていたのだ。おかげでラムザやディリータが、泉の水の中で眠ることは一度も無かった。何年も経って、あの葉が一枚も見当たらなくなっても、あの黒い靴下を履いた黄色い跳ねる生き物は番兵のように泉の周りで繁殖を続けた。ディリータは、そういったことをラムザには告げなかった。どうしても、言えなかった。

「僕、泳ぐよ。ディリータは?」
「ここで見てる」
「最近泳がないよね」
「おまえを見張ってないとな」
「いつまでも僕のことを子供扱いするんだから」
 ラムザはぱっぱと服を脱いで泉に入る。未だに中央に沈んでいるあの像を愛していて、時折「会いに」行かないと気が済まないらしい。
「ディリータも入りなよ。暑いでしょ、そんな日の当たるところじゃ」
「足を浸けてりゃ涼しいよ」
「ふふん。恥ずかしいんだ」
「・・・なんだって?」
「そうでしょ、裸を見られるのが恥ずかしいんだ。大人になるって不便だよね。僕はまだ子供で良かったよ」
 ディリータは、ぐっと堪えてラムザを無視した。彼の幼馴染はからからと笑って泉に入っていく。その後姿をじっと眺めている自分に気付き、ディリータはぶるぶる頭を振って視線を外した。うなじから続く、白い背中や尻の綺麗なラインが残像となって目に残った。
 うかつに服など脱げやしない。女を知って以降、自分のもやもやした気持ちがラムザに向けられる時がある事を、ディリータは気付いてしまった。最近修道院から戻って来たアルマに対しても同じだ。彼女の細い首筋や、活発に動く時に見える兄と同じような白い足などに、どうしても反応してしまうのだ。
 早く女を作って何とかしなければ、と思うのだが、普段の生活では屋敷の内部で選ぶしかなく、そんな年頃の者はラムザとアルマ、そして妹のティータだけである。アカデミーに入って勉強が忙しくなれば一層、寝る相手を見つける暇など無いだろう。
 他の貴族の子弟が嫌がる、という理由で、ディリータはラムザとの二人部屋を宛がわれることになっている。ラムザは無邪気に喜んでいるが、これは困ったことだ、とディリータは頭を抱えた。教会の教えでは男同士で寝ることはそれ程厳しく禁じられていない。娼婦と寝る方が罪だとされるくらいだ。その辺りをラムザにも早く自覚してもらって、自分の前で無防備に全裸になるなど止めてもらいたい。

 それにもう一つ、服など脱げない訳がある。普段はイグーロス城に詰めているベオルブの新しい当主が、つい一昨日まで屋敷に滞在していたからだ。
 二月前に亡くなったバルバネスの跡を継いだダイスダーグは、年頃になったティータを可愛がるようになっていた。ディリータはそれに気付いていたが、ティータにとっては良いことだと思った。始めの内は真剣にそう思っていた。どこか頼りないものの、気立ての飛び切り良い、世界一可愛らしい自慢の妹がこの二人といない英雄の妻になる。それは兄として望むべくもない素晴らしいことに思えた。ある夜に、泣きながらティータが自分の部屋に駆け込み、今すぐ屋敷を逃げ出したいと訴えるまでは。
「この家にいたければ、大人しく私に飼われるのが最善だ」
 ダイスダーグはそう言って、自室に向かってティータの手を引っぱったらしい。運良く通りかかったハンナが、怯えて言葉も出ないティータの様子に気付き、上手く言い逃れて連れ戻ってくれ、事なきを得たという。
 ディリータはそれを聞いて自分の耳を疑った。まさか、あの人がそんなことを言うとは思えなかった。しかし、ティータの怯えようは尋常ではなかった。両親が死んで後のティータは人見知りを長く続けたが、その性癖は彼女の人を見抜く力を磨く事になった。嫌な感じがする、と妹が指し示す者は、どんなに好人物と思われても必ず後にボロを出した。ディリータはその妹の勘と、彼女が語る言葉を嘘だとは言い切れなかった。
 ティータをなんとかなだめてその夜は自分と一緒に寝かせ、ディリータは翌日にダイスダーグを訪ねた。真偽は本人に聞くのが一番だと、純真な彼は思った。

 しばらく後、ディリータは真昼の光の中、人目を避けて泉に向かっていた。屋敷の何処にもいられなかった。幼い頃に使ったあの抜け穴を通って泉に着くと、服を脱いで水に浸かった。体中が痛かった。頭が朦朧として、何がどうなっているのかよく分からなかった。
 体を冷やすと少しだけ痛みが引いたので、水から上がって服を着ようと手に取った。下着もスパッツも全て血に塗れていた。びっくりしてそれを水に漬けて洗った。洗っても汚れは大して落ちはしなかった。困ったディリータは、泉の側でぼんやりと日が暮れるのを待った。待っている間に自分の体のどこから出血があるのか、それがどうして起こったのか、出血だけでなく嫌らしい体液までが零れているのはどうしてなのか、そういった事を考え、ダイスダーグがした事を思い出した。

 ティータが駄目だと言うなら、兄のおまえが代わりに従え、とダイスダーグは言い、ディリータは素直に頷いた。すると、四つ這いにされ、下着を下ろされ、うろたえる暇も何の慣らしも無く、いきなり性器を突き立てられた。あらかじめ口に布を詰め込まれていたから、大声を上げることも出来なかった。全身から脂汗を流し、繋がっている部分の痛みに時折気を失いながらディリータは犯された。1度射精したダイスダーグは、出血と体液で滑りが良くなったと言って、続けてもう一度犯した。終わるとすぐに立ち去るように要求してきたので、ディリータは茫然としたままダイスダーグの自室を後にした。そして泉に来た。
 辺りが暗くなってからディリータはこっそりと屋敷に戻った。その晩はティータも落ち着いており、具合が悪そうな兄を心配する余裕があった。それだけでディリータは満足した。
 翌日の夕食の後、廊下でダイスダーグとすれ違った。ディリータはまだ事態を把握しきれていなかった。腕を掴んで部屋に来るように言うダイスダーグに、ディリータはまた素直に従った。そして、夜半過ぎまで犯され続けた。ダイスダーグはディリータを穴と呼び、その行為を排泄と言った。だからその時も、その後も、一切の慣らしも煽りもなく、ただ突き立てて自分の快楽のために擦り上げる、それがダイスダーグの「作法」だった。出血は回を重ねる毎に減ったが、いつもディリータは苦痛に気を失い、苦しみの余りに弱々しく抵抗した。ダイスダーグは、そんな反射的な抵抗すら許さなかった。服に隠れる場所に手酷い痣を付けてディリータに思い知らせた。それを楽しんでいるようですらあった。だからダイスダーグが去ってすぐの今、ディリータはラムザに体を見せられない。ラムザだけでなく、誰にだって見せられないのだ。

「ディリータ?」
 ラムザが水から上がってディリータの隣に座った。無防備に全裸のままだ。
「服、着ろよ」
「今着たら濡れるもん。乾いてから着ればいいんだ」
 それでは自分が良くないんだ、とディリータは胸の中でぶつぶつ言った。
「・・・元気ないね? どこか痛いの?」
「いや、別に」
 じっと見つめてくるラムザは綺麗だ。幼い頃からずっと、ラムザはとても綺麗だった。子供の頃は、それをディリータが言うとラムザは照れて喜んだ。でもいつの間にか拗ねて怒るようになっていた。自分が今、ラムザの裸の背中や尻を思い出して勃起しそうになっている、などと言えば、どれくらい怒るだろうか。痛みに対抗するために時々自分で指を入れて慣らしているから、そこをどんな風に扱えばいいのかを知っているのだ、と言ったなら、どんな顔をするだろうか。あんなに辛い事だと知っているのに、それをラムザにしてみたい、と思っていると言えば、この綺麗な顔は歪んで軽蔑を顕にするだろうか。
「帰ろうか。アルマとティータがケーキを焼くから、早く帰れって言ってたし」
 服に腕を通しながらラムザは言った。溜息を付きながら、ディリータは立ち上がる。
「そうだな、お茶の時間には丁度いいな・・・」
「ディリータ」
 ラムザはにっこり笑ってすぐ隣に立ち、ディリータの指先に彼の指が絡んできた。
「手を繋いで行こうよ。ちょっとの間」
「・・・おまえは幾つなんだ、言ってみろ」
「もうすぐ15だよ。だから?」
 これは二人の暗黙の儀式だ。どちらかが気鬱になると、必ず手を繋いで慰め合った。ディリータにはもう照れが先行して出来ないことだが、ラムザにはあまり気にならないらしい。そしてこうして手を繋ぐと、確かに何かが安らぐのだ。
 ディリータは仕方が無い、という顔でラムザの手を握って歩き出す。そのディリータの顔に安堵が浮かぶのを見抜いてラムザもまた穏やかに笑う。二人一緒ならばなんとかなる、そう信じられる。

 夏の日差しは強かったが、体温が低いラムザは水を浴びて余計に冷たくなっていて、ディリータの左側にはひんやりとした感覚が漂っていた。
「あ、咲いてる!」
 ラムザが繋いだ手を振り回してディリータに報せた。泉から少し離れた林の中に、三角の葉の間から2つだけ赤い花が覗いていた。筒状の薄い花弁が風に揺れている。ここまで離れると、番兵達も見逃すらしい。
「持って帰って育てようか。素焼きの鉢に入れて枕元に置くとよく眠れるよ」
 ディリータはラムザの顔を見た。その綺麗な顔は悪戯っぽく笑い、でも僕、カエルの方が好きだな、と言うと、ディリータの手を離して屋敷に向かって駆けて行った。






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