赤の思い出 1

 ハイラル兄妹がベオルブ家に引き取られることが決まったのは両親の死後1月ほどが経った頃のことだった。
 手足を黒くして倒れた両親には一切の面会を許されず、死んだ、と聞かされた後は遠くから火葬の煙を見るだけの葬儀、幼い兄妹には夢の中の出来事の様だった。以来、隣のおかみさんに面倒をみてもらっていたが、その家には既に4人の子供がいてしかも亭主がハイラル兄妹の両親と同じ、黒死病で死んだばかりだった。親戚筋を頼って別の村に行くことになったおかみさんは、生まれた時から自分の子供と混ぜるようにして可愛がってきたディリータとティータとの別れが辛いと泣きながら、ベオルブの使いに二人を引き渡した。
 ディリータはその時のことをはっきりと覚えている。おかみさんは、良い家にもらわれるんだよ、ご主人様の言うことをよく聞いて真面目に働くんだよ、と言った。その時にディリータは、もう自分が子供ではいられないことを理解した。彼は5歳だった。

 ぶるぶる震えているティータの手をしっかり握り馬車に揺られた。後になって振り返れば、その当時ティータは気を病んでいたのだろう。いつも何かに怯え、落ち着き無く辺りを見回し、極端に人見知りをするようになった。両親が生きている頃は人懐こくいつも笑っていたはずだと、子供心にもディリータは妹の変化に傷ついた。そして、少しでもティータの気を紛らわそうと沢山話をした。事実ティータはディリータの声が聞こえていると安心している様子を見せた。だから、子供二人とステファンと名乗った使いの大人一人では広すぎる馬車の中、ディリータはずっとしゃべり続けた。ティータはおこりのように震えながら目の前のステファンから隠れるように兄の腕の中に頭を潜らせていた。

「さあ着いたよ、おいで」
 ステファンに手を伸べられて馬車を出ると、目の前にベオルブ邸がそびえていた。両脇を丸く刈り込んだ低木に彩られ薄碧の石を敷き並べられた小道を辿り、ティータを抱きかかえるようにしてステファンに付いていく。屋敷の周囲は堀がぐるりと囲み、中に入るためには門兵に跳ね橋を降ろしてもらわなければならないようだった。
「どうだい、立派なお屋敷だろう」
 ステファンが誇らしげに手を広げる。
「ちょっとした戦争になっても崩れたりしない。イグーロス城の次に丈夫な建物なんだ」
 口を開けて屋敷を見上げるディリータは、近づくにつれ顔が上がってひっくり返りそうになり、笑うステファンに支えられた。無骨だが静かな美しさを含包した薄藍の石垣には矢を射るためのくぼみが備えられ、あからさまに戦いを意識した造りになっている。近隣の住民がこの屋敷をベオルブ城、と呼んでいる理由が一目で分かる、そんな邸宅だった。
 跳ね橋を怖がるティータをなだめすかして歩かせ、ディリータ自身鋭い視線を向けてくる門兵にどきどきしながら屋敷の中に入る。花をつける樹を中心にして美しく整えられた前庭をたっぷり時間をかけて通り抜けると、白い石で造られた清潔で重厚な印象の建物が現れた。沢山の窓には黒い石で造られた雨避けの屋根がそれぞれ付随している。村では決して見る事の無い頑強な黒白の建物を、異国のようだとディリータは思った。ある意味そこは本当に「異国」だったのかもしれない。
「ここが、だんな様方のお住まいになる母屋だよ。後ろに繋がっている建物が見えるかい。あそこが使用人のための離れで、俺やおまえ達が住む場所だよ」
 幼い兄妹は、生まれて初めて見る美しく巨大な建物に萎縮し、抱き合うようにしている。
「大丈夫、すぐ慣れるさ。さあ、おまえ達の部屋に案内しよう」
「この子達がハイラルの兄妹か?」
 ステファンでは無い、別の声がする方向を向いた途端にディリータは誰かの足に鼻をぶつけた。鼻を押さえて見上げると、いつの間にか大きな人が立っていた。
「おお、驚かせたかな」
「これはバルバネス様、お戻りなさいませ」
 ステファンは丁寧に御辞儀をした。ティータはあっという間にディリータの後ろに隠れ、震えながらしがみついている。大きな人は髭を生やしていて固そうな衣服に身を包んでいた。飾りで止め、肩から垂らしてある布を見て、これがマント、というものなのかなとディリータは思った。こんな格好の人は今まで見たことが無かったが、とにかく偉い人に見えた。ディリータもステファンに習ってぺこりと頭を下げた。
「おまえがディリータか」
「はい」
 こっくりと頷き、ディリータはティータを前に押し出そうとした。この人がこの家で一番偉い人に違いない。ちゃんと挨拶をさせないと、気に入ってもらわないと、追い出されてしまう。しかしティータは指が白くなるほど精一杯兄の背中にしがみついて離れなかった。
「構わんよ。その子が妹のティータか。来たばかりで怖がっているのだな」
 ディリータはおずおずと頷く。バルバネスはディリータを見下ろして笑った。厳しい顔付きは、笑うと一転して随分と人好きのする表情になり、ディリータは少し安心した。
「後は私が引き受けよう。おまえは下がってよい」
 バルバネスはディリータの手を取った。一番偉い人に手を繋いでもらったりしてもいいのかな、とディリータは緊張しながらも従った。深く頭を下げるステファンに背を向けるとバルバネスは黒白の建物に歩き出す。しがみ付くティータともつれながら、ディリータは何度も胸の中で、バルバネスさま、と繰り返した。きちんと覚えておかないといけない。バルバネスさまのお役に立てるように、一生懸命働くんだ。
「ディリータ、おまえはいくつになった?」
「5つです」
「ふうん、その割に大きいな、ラムザはもっと小さいぞ。ではティータは4つか」
「はい」
 ラムザ、とバルバネスは言った。誰だろう。思いながらディリータはティータを引きずってバルバネスが開けた建物の扉をくぐった。そこは石作りの天井が高く作ってある通路のような場所だった。片側の壁が切り取られて中庭が見えており、そこから光が入っていたがどこかしら薄暗く感じさせる上に、しん、と冷えていた。二人を通してから閉まったその扉を振り返り、あの重そうな大きな扉を開けることはきっと今の自分には出来ないから、大きくなるまでずっとこの中から出られないのだろうとディリータは少し悲しく思った。
「おまえ達の部屋は向こうにある。しばらくは二人一緒が良いかと思うが構わないか?」
 ディリータは急いで頷いた。離ればなれにされればティータは夜通し泣くだろう。バルバネスはふっと笑い、手を放してディリータの頭を撫でた。ディリータがバルバネスをまぶしそうに目を細めて見上げた時、軽いものが落ちるような音がした。
 振り返ると廊下の奥で、小さな子供が転んでいた。あ、と声を出すディリータの前方で、もがもがと不器用に立ち上がる。
「ラムザ。おいで」
 呼ばれた子供はにっこり笑って駆け出そうとして、またこけた。わずかな距離だったが、ラムザはそれから2度ばかり転んだ。バルバネスは辛抱強くラムザが来るのを待っていた。ディリータは逆に助けなければいけないのじゃないかと心配したが、ラムザは鼻先と膝頭を赤くしながらもにこにこして寄って来た。最後にまた躓いたが、それはバルバネスが受け止めた。すくい上げるようにして胸に抱かれたラムザはバルバネスの首に両手を回して頬を摺り寄せた。
「とうさま」
 ほんの小さな声が降ってきた。石の廊下だから響いてやっと聞こえるような、ほとんど囁きのような声だった。
「良い子にしていたか。少しは重くなったかな」
 ラムザはよく分からない、というように首をかしげた。とても小さい子なんだ、とディリータは思った。上手く歩けないし、上手く話せない。
「ほら、この間話したことを覚えているか? この子達がおまえの遊び相手になってくれるディリータとティータだ」
 そうか、とディリータは二人を見上げた。ラムザはバルバネスの子供で、きっとこの家の大事な子供に違いない。とても小さくて一人では出来ないことが多いから自分が面倒を見るんだ。それが自分の仕事なんだ。
 バルバネスはラムザを降ろしてディリータの前に立たせた。どこか危うげな均衡で立つラムザはバルバネスの足に捉まったかと思うと、くるり、と後ろに隠れた。そして父の膝の間から、ディリータとティータをじっと見つめた。
「こらこら、ちゃんと挨拶しなさい。これからずっと一緒に暮らすのだから」
「・・・こんにちは」
 ラムザは膝の後で囁いた。ディリータも、こんにちは、と言った。ティータはラムザと同じような具合でディリータの後ろに隠れていたが、どういう訳かこの時にはちゃんと挨拶が出来た。
 バルバネスは一つ頷き、腰を折るとディリータの肩を両手で抱いた。
「おまえにラムザを頼みたいのだ。下に妹がいるのだが今はこの家にいない。私も頻繁に留守をする。だからラムザは寂しがっているんだよ。一緒に居てやってくれるか?」
「はい」
 ちゃんとお勤めします、と言いたかったが、バルバネスの顔を間近に見てディリータは照れて俯いた。髭のある人は村にはいなかった。ちょっと怖いけど触ってみたい。
 バルバネスは嬉しそうに笑ってディリータの肩をぽんぽんと叩いた。大きな手の感触に父親のことを思い出してディリータは泣きそうになった。
「それじゃあ、部屋に案内しよう。ラムザもおいで。直に昼食だ、それまで3人で部屋で遊んでいたらいい」
 バルバネスは足元からラムザを引っ張り出すと手を取って歩き出した。隣に並んだディリータは目を瞬いて涙を乾かし、ティータの手を握って付いて行く。
 ラムザはバルバネスの手にすがり、ディリータをちらりと見ては恥ずかしそうに俯き、困ったように父を見上げた。
 綺麗な子だ。
 ディリータは改めてラムザの顔を見、感心してそう思った。しょっちゅう擦りむくらしい鼻先にはかさぶたが点々と残っているが、それが少しも気にならない程整った顔をしている。肩で切り揃えてある髪は薄い色の金髪で少しだけ癖があり、目はきらきらした水色で太陽が映った湖のように光っていた。そして発光するように肌が白かった。
 人形のように綺麗な女の子だ。お金持ちの子供は皆、こんな風に可愛いのかもしれない。きっと、大事にされると可愛くなるんだ。そう、ディリータは思った。もちろんティータは世界で一番可愛い女の子だけれど、と傍らのティータを見ると、彼女は興味深そうに、ラムザの顔を凝視していた。
 ラムザは手を引かれているとはいえ、ハイラル兄妹の部屋までしっかりした足取りで歩いた。さっきまで転び続けていたのが嘘のようだった。

「さあ、ここがおまえ達の部屋だ。好きに使うといい」
 ティータは閉じ込められると思ったのか、嫌々、と首を振ってしばしドアにかじりついていたが、ラムザが頓着なく駆け込む姿につられたように後を追って行った。ディリータは一番最後に部屋に入ると口を開けて見回した。村の自分の家の、一番大きな部屋よりもずっと大きいと思った。部屋の隅に2台並んだベッドもそれぞれ大きい。一台で二人共眠れるのにもったいない。バルバネスを見上げると、どうだ、気に入ったか、と彼は聞いた。ディリータは目を見開いたまま、頷くしかなかった。
 促されるまま、荷物、というにはあまりにも小さい包みを中央の机に置く。この机は勉強をするのに役立つだろう、まずはラムザの持っている絵本を読んだらいい、とバルバネスは言った。勉強、という言葉は知っていたが、それが何を示すものかディリータはまだよく分からなかった。だからそれもきっと仕事なのだと判断し、はっきりと、はい、と返事をした。バルバネスは小さい男の子の真剣そのものの表情に苦笑して頭を手を置いた。すると子供はかすかに跳ねるようにした。まだ緊張が解けていない。これまでの受け答えからも賢い子供なのだと判ったが、やはり子供は子供だ。ベオルブ家の主人はごしごしと擦るようにしてディリータの髪を混ぜ返した。
「そんなに勢い込まなくていいんだよ。ゆっくりこの家に慣れていけばいい。ほら、あんな風に」
 ディリータが振り返ると、妹はもじもじしながらもラムザの後についてベッドの下に潜ろうとしていた。驚いて見ていると、二人は寝台の下で何か話しをしているらしく、くすくすと笑い声まで聞こえてきた。
「ティータが先に仲良くなったみたいだな、一安心だ」
 バルバネスの言葉に、ディリータは困った顔をした。お兄ちゃんである自分がちゃんとしないといけないのに、妹の方が「仕事」が上手なので申し訳なかった。
「どうしてそんな顔をする? 一緒に潜ったらいい」
 言うとバルバネスはディリータの肩を押して寝台まで歩かせると、掛布をめくってその下に押し込んだ。どうしたものやら、と面食らうディリータの前では、腹ばいになったラムザとティータが寝台の下の埃を集めてこねていた。二人共小さなくしゃみをしては笑っている。
「あとでハンナが呼びにくるからな、ちゃんと返事をするんだぞ、ラムザ」
「はい、とうさま」
 ラムザの声があまりに小さく、聞こえたかどうか不安だったディリータは、
「はい、だんなさま」
と大きな声で答えた。ステファンが呼んでいた呼び方なら大丈夫だろうと思ったのだが、バルバネスはそんな風に呼ばないでおくれ、と笑って部屋を出て行った。
 ラムザはちょっと耳を澄ましてドアの閉まる音を聞いてから、ディリータをじっと見つめた。高さのない寝台の下でくっつき合い、鼻先が触れ合いそうな距離で見るラムザは、日の当たらないこの狭い空間でもとても綺麗だった。本当はどきどきしていたが、平気なフリでディリータは言った。
「なんてよべばいいとおもう?」
 ラムザは狭い隙間で首をかしげる。
「とうさま」
「ぼくたちのとうさんじゃないよ。ぼく、ここで、はたらくんだ」
「はたらくの? あそばないの?」
「ラムザとはあそぶよ。それがしごとなんだ」
「あそぶの? よかった」
 気に入られたらしい。ディリータはほっとして子供ながらに一つ安堵の溜息を付いた。途端に埃が舞い、3人は同時にくしゃみをして笑った。






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