敗者の休日 1

「おはよう」

 重い荷物を背負ったような緩慢な動きでラムザがドアを開けた。五日ぶりにベッドから起き出した彼に、皆の顔が一斉に向く。
「なんだよ、随分と遅かったじゃねえか」
 ひらひらと手を振るラッドに同じように手を上げ、ラムザはゆっくりと床に座った。
「大丈夫?」
 いつになく優しい声でジャッキーが呟き、アグネスは無言でスープをすくっている。
「あんまり、だね。どこが悪いのか分からないんだけど」
「だろうな。腹は殴られるは肩斬られるはなんか聖剣喰らうは、挙句にバケモンに放り投げられたって?」
 ひでー髪、と言いながら引っ張るそれは、不揃いに耳の上まで切り込んである。ウィーグラフに使ったファイラで焼けてしまったからだ。
「いいんだよ、こんなのどうでも」
 ラッドの手を払ってラムザはぶるぶると頭を振る。
「火傷は無いんだね?」
 ことり、と皿が置かれる。今度はアグネスに襟元を引っ張られて中を覗かれ、ラムザは顔を天井に向けて溜息を吐いた。
「無いよ、炎避けの鎧だったから」
「あんたも多少は頭を使えるようになったって事ね」
「いつまでも無闇に突っ込んだりしない」
「どうだか」
 機嫌良さげに笑うアグネスに肩を上げ、ラムザは円座になった仲間達の顔を見回した。
「ムスタディオは?」
 最後の皿にスープを注ぎ、それを片手にドアに向かいながらアグネスが振り返った。
「起きると痛がるから寝かせてる。皮の胴衣だったからね、肋骨をやられたのさ」
 食べさせてくるよ、と彼女が消え、入れ違いにアグリアスが入って来た。



 彼らが集まっているのは廃屋の小さな居間だった。と言っても屋根が落ちてしまっているので部屋ですらなく、床石の上で焚いた火を囲んでの食事だ。そこらに咲いた小さな花が、どこにでも春は来るのだと告げながら揺れている。
 身動きが取れないムスタディオを筆頭に、一行の戦力は最低まで落ちていた。雑談に今後の予定を混ぜる事もはばかられるようで、ラムザは黙ってスープを啜った。
「きれーな顔して馬鹿力だったな、あの兄ちゃんは」
「ラムザといい勝負だわ」
 ジャッキーの微笑むような声に、アグリアスも目元を緩ませている。
「それにしても隊長さんよ」
 ラッドがスプーンを振り回す。
「俺ら、しばらく休み、でいいのか?」
 ラムザは目を閉じて笑った。
「聞きにくい事を聞いてくれてありがとう」
「どーいたしまして」
「あ、あの、あたしね、」
 ごめんなさいアルマを、と小さな声でジャッキーが言い出すのをラムザは目で止める。
「いいんだ。僕がやるべき事をやってくれようとしたジャッキーには感謝してる。皆、力の限りやったんだ」
 俯くジャッキーの肩をそっとアグリアスが触る。
「休もう。僕らが今出来る事はそれだけだ」
「私は、」
 駄目だ、とアグリアスの言葉を遮ってラムザは皿を床に降ろした。
「休んで。あなただけじゃなく皆、しばらくアルマを忘れていい。後悔は僕の仕事だから」
 ぱちぱちと火がはぜる音だけが屋根の無い広間に流れた。
「それに」
 ばりっとパンを千切り、それを見つめながらラムザは言った。
「シモン先生から預かったあの本を読んでみたいんだ。それには少し時間がかかる」
「そうだろうな」
 呟くアグリアスにラムザは首を傾げる。
「見たの?」
「おまえの血を拭き取った時に開いてしまったんだ」
 肩を竦めるアグリアスに、いいんだと頷いてラムザはもう一度皆の顔を見回した。
「いずれ全員に内容を話すつもりだから、興味があるならいつでも読んで。僕は昨日読み始めた。古代神聖語に畏国語で注釈が入れてあるから読めそうだけど、断片的だからどこまで読み取れるかは分からないな」
「危ない本じゃねえだろうな」
 ウィーグラフに斬られた脇腹を庇い、斜めに体を崩したラッドが上目遣いにラムザを見上げる。こういう顔をする時、ラッドはやけにガフガリオンに似るなとラムザは心中で笑った。
「危ないよ、この上なく」
「ったく、おまえはそういうモンを引き寄せ過ぎるぜ」
「性分なんだ」
 笑い交わしてから、ラムザは気軽な調子で言った。
「あれは『ゲルモニーク聖典』だ」
 ぴくり、とアグリアスが反応し、しかしジャッキーとラッドはパンを口に入れただけだった。
「とにかく、この本に書かれている事は、僕らが知っている聖アジョラではなく、ゲルモニークが見た『もう一人のアジョラ』についてだ。それも、野心家で革命を先導しようとした男の活動記録、といったところだろう」
「ふうん、変わった小説ね」
「面白そうなのかどうかも分からねえよ、俺には」
 笑ってラッドが言い、ジャッキーは話半分にスープを片付けている。
「もう少し読み進めたら話すよ」
「直に読んでみたい」
 身を乗り出してアグリアスが言い、ラムザは小刻みに頷いた。



「怖いな」
 静かにページを繰っていたアグリアスがぽつりと零し、ラムザはうっそりとそちらに目を向けた。僅かな時間床に座っていただけで疲労を感じる体が疎ましい。当分ベッドの住人に成らざるを得ないのだろう。
「どの辺りまで読んだの」
「聖アジョラが草だったというくだりまで」
「何それ」
 読むの早いね、とラムザが身を起こすと本が膝に乗る。
「ここだ」
 身を屈めるアグリアスの髪が、一房垂れてラムザの頬を滑った。窓からの陽光が彼女の髪を通して古いページに微かな影を作る。ちらちらと揺れる影の合間を縫うようにして文字を追えば、確かにそのような記述があるようだ。シモンの書き付けた注釈の文字は、興奮を示して鋭く尖っている。
「うーん……僕はそれほど信仰が強くないけど、だからと言ってゲルモニークを信用する理由もないんだ」
 ラムザが目を上げると、真っ直ぐに彼を見下ろす緑の視線とぶつかった。
「それは私も思う。シモン殿はどう思われていたのだろうか」
「最期の力で僕にこれを託したんだ。想像はつく」
「……そうだな」
 しばらく二人でページを繰り、古く掠れた注釈の解読なども試みた。が、ふっとラムザが溜息を吐いたところで本は閉じられた。あれ、とラムザが顔を上げるとアグリアスは聖典を椅子の上に置き、水筒を差し出した。
「休んだ方がいい」
「まだいいよ」
「少し体温が上がっているようだ」
 触れ合っている肩が揺れ、紙に包まれた粉が突き出された。
「薬、嫌い」
「飲みなさい」
 きっぱりと言われてしぶしぶ紙包みを開く。じっと見つめられ、やれやれと粉を含んで水で飲み下すと、急にアグリアスが噴出すように笑いながらベッドに腰を降ろした。
「薬が嫌いなのか」
「子供の頃から嫌いなんだよ」
 ぷい、と顔を背ける。
「残念だが、ご褒美の飴は持っていない」
「いらないよ」
 ぼそっとベッドに倒れ込むと、涼やかな笑い声と共に髪に指が差し込まれた。
「触らないで」
 言葉の勢いとは反対に、ラムザの指が素早くアグリアスの手首を掴む。斜めになったアグリアスは、じろりと睨み上げられて目を開いて固まった。
「ラムザ、」 
「こんな状態で無防備に触られると、出来もしない事をしたくなる」
 ぱっと手首を解放するとラムザは背を向け身を丸める。一呼吸、考えてからアグリアスはもう一度不揃いの金髪を梳いた。
「やめてよ、僕は若いんだ……」
 掠れた声にそっと微笑みアグリアスは明るい窓を見上げた。



 その時だった。

 ずん、と大きな振動がベッドを浮かせた。同時にぎゃーと悲鳴が聞こえ、慌てて立ち上がったアグリアスが剣を取ろうと伸ばした手が空振りする。飛び起きたラムザも再度の振動に倒れ込み、互いの手を引っ張りながら二人はもつれて顔から床にのめった。
「な、何が、」
 必死に剣を手繰り寄せるアグリアスの横で、ラムザも転がった椅子の下から聖典を引きずり出して胸に抱く。
「分からない! とにかく表に出よう!」
 振動は二回で収まったようだ。二人は目に付いた荷物を拾って部屋を飛び出した。
「あっ、二人とも無事ね!」
 ジャッキーが青い顔で板の破れた廊下を走って行く。その背に声をかけるが返事は無い。
「おまえら表に出ろ!」
 やはり駆け抜けるラッドが顔を歪めて怒鳴った。
「どうしたんだ!」
「いいからラムザは表に出てろ!」
「分かった、すぐ戻る!」
 アグリアスの方が早く決断を下した。彼女はぐいっとラムザの手を引くと遠慮なく走り出した。
「いたた、待って、皆の安全を確かめ、」
「私がする、おまえは外へ!」
 廃屋は小さい。台所を抜けるともう表、アグリアスはラムザを草の中に放り込むと剣を抜いて駆け戻って行く。仰ぎ見る廃屋からは薄い噴煙が立ち昇っている。
「アグリアスさん!」
「来るな、隊長なら来るな!」
 厳しい制止にラムザの足が止まる。と、噴煙の中から人影が現れた。
「大丈夫だよ、アグリアス!」
 高くアグネスの声が聞こえた。彼女はジャッキーと二人で何かを肩に担いでいる。
「ムスタディオ!?」
 ぐったりと二人にもたれかかり、歩いているというよりは引きずられている姿にラムザは立ち上がった。
「何があった!?」
 駆け寄るアグリアスがジャッキーと入れ代わる。アルマを攫ったウィーグラフを追い、チョコボから落とされた彼女は半身を酷く打撲しており、ああ痛かったと腰を擦った。彼らの後ろからはラッドが武具や防具を山盛り担ぎ、がちゃがちゃと鳴らしながら付いて来ていた。
「敵襲なのか!」
 未だ剣を片手に下げるアグリアスが勢い込んで問い、アグネスはゆっくり首を横に振った。

「屋根が落ちた。それだけ」







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