廃屋の前に張った二つのテントの間に火を焚き、六人はてんでに溜息を吐いた。
「仕方ないね、腐ってたんだ」
両手を広げてアグネスが沈黙を破った。
「どうするよ、テントじゃちょっとなあ」
炙ったパンに移った炎を叩きながらラッドが消沈した声を出す。
「ムスタディオが問題ね……」
落ちた屋根はムスタディオが伏せっていた部屋のものだった。彼は直撃こそは免れたが、崩れた木片の隙間から引っ張り出されたために傷口が開いてしまい、今は高熱を出しながらテントの中で唸っている。ムスタディオだけでなく怪我があった者は皆、なんらかの揺り戻しで具合を悪くしてしまっていた。
「この辺りに宿があったはずなの。傭兵が利用しやすいような……」
顎に手を置いてジャッキーが考える。朝と同じスープを黙々と口に運んでいたアグリアスが遠くを見るようにして呟いた。
「以前も案内してもらったな。故郷はウォージリスらしいが」
「実家を出た後、ドーターの斡旋所にいたの。だから皆よりも少しは慣れてるわね」
努めて明るく言うとジャッキーは皆を見回した。
「ここからドータに着くまでの、丁度半分くらいの所だったと思うわ。森の側って事くらいで、正確な場所は覚えていないけど」
「なんとかなるよ、最悪ドーターのスラムがある。何にせよ一度体勢を立て直す為に街で買い物をする必要があるからね、方向は間違ってない」
いたずらに皿の中のスープをかき回すだけのラムザが頷く。
「問題はどこまで歩けるかって事か」
言いながらアグネスがムスタディオのテントをぴらりと捲る。と、彼は重そうな瞼を開けてこちらを見ていた。今にも、ごめん、と言い出しそうな様子に彼女は慌てて布を下げ、あんた痛いって言いなよ、とラムザを小突いた。
「あー痛いベッドで眠りたいなーとにかく宿を見つけようこれは隊長命令だよ」
棒読みに全員が苦笑する。
「ムスタディオには辛いだろうけど」
テントを振り返るように首を回してラムザは両手を体の後ろに突いた。
「明日、移動しよう。ボコに乗せたらケアルをかけてくれるだろうから」
「せいぜい頑張るか」
足を投げ出して子供のように座っているラムザの横で、ラッドがごろりと転がる。
「夜警はキツイぜ、俺も。落っこちない屋根の下で寝たいもんだ」
全く、と全員が二人を習って夜空を見上げた。妙に澄んだその空には、冬の名残のように瞬く星が撒き散らされていた。
翌日は快晴、しかし一行はいかにもよろよろと出発した。体調が万全なアグリアスとアグネスを先頭に、ボコの首にぐったりと寄りかかるムスタディオ、ようやく人程度の背丈となったジェリアに縋るラムザが続き、しんがりをジャッキーとラッドがそれぞれ腰と腹をさすりながら勤める。陽が昇りきる前に広い草原に出て足場が良くなったが、既に半数が額に汗を浮かべて足を引きずる有様で、やむなく早い昼食となった。
「良くないね」
草の上に寝かせたムスタディオを見舞ったアグネスが憮然と言う。ムスタディオは痛いとは決して言わないが、熱が引かず傷口の治りも遅い。休憩を告げてラムザが手を離した途端、ジェリアまでもがムスタディオの側に駆け寄って、真似事のような可愛らしいケアルを掛けたくらいだった。
「そろそろなのよ、この先の森を抜けた所に小さな滝があれば、間違いないわ」
「うん、そうだといいね。ともかくジャッキーの責任じゃないだんから楽にしててよ」
常日頃から神経質に尖りがちのジャッキーの肩を触ってラムザは苦笑する。彼女は先ほどからうろうろと木に登っては前方を眺め、川で布を濡らしてムスタディオに運びと、全く落ち着かない。
「そうね……。私まで倒れたらやりきれないものね」
疲れた笑顔でジャッキーは言い、ぺたりと草の上に座った。
「当面の問題は、前方のあの森そのものだよ。魔物がどれくらい出るかが、正直僕らの命運を決めるだろうね」
困った顔でジャッキーはラムザを見つめ、隣に腰を下ろし掛けていたアグリアスが一つ頷いた。
「アグネスとも話していた。まずは斥候を送るべきだろう」
「……行ってくれる? アグリアスさん」
「承知」
言うなり立ち上がる彼女と、その背後の太陽にラムザは目を細める。そのような人なのだ、と思いながら。
「気をつけてね」
ジャッキーがそっとアグリアスの手を触る。微笑み、すぐに戻ると短く言い残してアグリアスは真っ直ぐに森へと向かって行った。
「……ああ」
「……こりゃあまた……」
しんがりが声を詰まらせる。
「綺麗だね」
皮肉も思いつかないのか、アグネスが素直な感想を漏らした。それに笑ってラムザは小さくボコの腹を叩く。
「お疲れ様」
く、とジェリアと鳴き交し、ボコは一つ回ってケアルを降らせた。んん? とムスタディオが目を開ける。
「着いたよ。良い所だ」
意識がはっきりしないらしく、ムスタディオはまた、ん、と呟くと目を閉じた。
魔物がいない。戻ってきたアグリアスは怪訝な顔をしていた。単独では反応しない質かもしれないとアグネスと連れだって入ってもみたが、やはり魔物はちらりとも姿を見せなかったと首を傾げつつラムザに告げた。皆でしばし談義したが、何にせよ行くしかない道程、ぴったりと体を寄せ合って森に分け入った。
そこは、明るく澄みきった空気の満ちた平和な場所だった。小さなせせらぎの音が絶えず辺りに響き、魔物の代わりに小鳥が枝を渡ってゆく。それでもぴりぴりと緊張を解かない一行は、森の果てで揃って足を止めた。
滝だった。こんもりと木々に覆われた崖から落ちる、子供が手を広げた程の細い滝だが、夕闇を吸い取って淡く光る様子は、誰の目にも美しかった。この滝の水が、森のどこかを流れる川に続くのだろう。
「ああ……あれ、見て」
「灯り、だよな……」
「僕にも宿の目印が見えるよ。ありがとうジャッキー」
「神様……」
安堵の余りにその場に座り込んだジャッキーをアグネスが引き上げる。
「しっかりおしよ。後少しなんだからね」
「ええ……本当に良かった……」
涙ぐんでいる彼女を笑える者はいなかった。
よくやく到着した『落ちない屋根』の下、それから数日間は体力の回復を待つだけの日々が続いた。ジャッキーが覚えていた通りに宿のおかみは傭兵慣れしており、その手早く細やかな采配のおかげで滞在は快適なものとなった。おかみだけでなく、この小さな村落の住民は皆、傭兵を収入源として大事にする習慣があるようで、世間話から備品の調達方法までふんだんに情報を与えてくれる。先だっての森の不思議についてもすぐに事情は明らかとなった。
やはり、あの森を含んだこの地域一帯には魔物は現れないらしい。近年魔物の出現数が増加しているイヴァリースの国内とは思えぬ話だが、この村に最後に魔物が出たのは二十年近く前、事実上無害のうりぼうが数頭、通り抜けただけという事だった。
住民は『土の中に守り神が住んでいる』という言い伝えを先祖代々に受け継いでいるが、はっきりした理由は誰にも答えられなかった。安全を求めてやって来る入植者がさぞや多かろうと聞けば、作物が出来にくいという土地柄のために減りはしないが増えもしないということだった。戦い疲れた傭兵の隠れ家として機能するこぢんまりとした集落の人々はどこか世間ずれしており、それは即ち魔物の有無だけではない『安全』をラムザ達に与えてくれるという事でもある。彼らはこれまでに無い長い休息を取る事を決めた。
そんな中、それぞれの体調の回復に合わせて修練を始めた日の午後の事だった。
ゲルモニーク聖典を読みつつ議論するのがこのところの日課であり、女達が泊まっている部屋に集ったところである問題が立ち上った。
「なんでだよー! なんで俺だけが知らなかったんだッ!」
どかん、と机を叩いて吼えるラッドに、ジャッキーが面倒くさそうな視線を投げる。誰もが古く厳めしい言葉の羅列に飽き始め、雑談が始まれば当初の目的は遠くに放り投げられ拾う者はいない。
現在の議題は、『物置事件』として彼らの間で長く語られる事になる、ある出来事についてだ。それにまず気が付いたのがムスタディオだ、というところに若干の問題が生じていた。
「うるさいわよー」
「ムスタディオが気付いて俺が分からねえなんてよ! おまえなんかおまえなんか、ぼんやりぼっちゃんのくせによ!」
「ぼ、ぼんやりぼっちゃん……」
絶句するムスタディオに向かって身を乗り出し、ラッドは噛み付く勢いで唸った。
「違うのか? ああ? 違うってのかー!」
「よしなさいよー。ムスタディオの傷に響くじゃない」
眠そうに頬杖を突き、ジャッキーは、聖典をぱらぱらとめくっている。その横でムスタディオが溜息のように呟いた。
「や、傷はもう平気だけどさ……ぼんやり……てゆーか、ぼっちゃん……?」
ムスタディオは誰よりも長くベッドに貼り付けられた。ようやく起き出す許可を皆から得て一週間というところだ。まだ胸を庇う仕草はあるが、体力は順調に回復している。
「くっそう……俺はやっぱりムスタディオがさっぱり分からねえ……」
両手で髪を掻き混ぜて苦悩するラッドを笑い、アグネスが彼のカップに暖かい飲み物を注ぎ足した。
「いくら寝付きがいいからって、隣の物音にぐらい注意しなよ。傭兵失格だね」
男達の部屋の隣には小さな物置がある。その小部屋で昨晩、ラムザとアグリアスが二人きりで数時間を過ごしたという事実が、たった一人気付いていなかったラッドに知らされたところだった。
「宿だと熟睡しちまうんだよ!」
「でもラムザが戻ってないって分かってただろ、」
「そもそも!」
ムスタディオを遮ってラッドはまた机を叩いた。
「ラムザが悪い! わっけの分かんねえ態度ばっかでよ、その癖物置で逢い引きだとぉ? なんなんだあいつは! 姐さんはあんなのでいいのかよ!」
「いいんでしょ。やっと落ち着いたって感じがするし、良かったじゃないの」
聖典を脇に押しやってすっかりくつろいでいるジャッキーがにこにこして言った。
「今更だー! もっともめてりゃいいんだ、見てて面白いんだからよ!」
勝手なものねえと笑うジャッキーの隣に乱暴に座り、ラッドは腕を組む。睨みつけられ、なんで俺が、と呟きながらムスタディオがカップを持ち上げたところで、アグネスが最後の仕上げとばかりに嬉しそうに言った。
「最新の情報を教えてあげようか? 今ここに二人がいない訳」
「……物置じゃねーだろーな」
「ふふふ」
笑み含んでアグネスは期待する一同を見回し、厳かに言った。
「さっき見たんだ。手を繋いで森を散歩してた」
「……昼間っからなんつーカワイイことを」
「昼間だからじゃないの?」
「……く」
「ラッド?」
「お、俺は、俺は……」
うらやましいぞー! と断末魔を上げてラッドは机に突っ伏した。
「どうしたのさ、変な顔して」
その日の夜、宿の食堂から出て来たムスタディオを見るなり、アグネスは言った。
「いやいやいや」
「言いたくて仕方ないって顔してるよ」
「何ってほどでもないんだけどさ」
「またラムザの話?」
「付き合い始めって初々しいよなー」
したり顔で神妙に頷くムスタディオに噴出してアグネスは食堂に顔を向ける。
「面白そうじゃないの、覗いてやろうか」
「いやいやいや。二人で仲良く話しているだけなんだけどさ」
「だけど?」
「こうさ、ラムザは気取ってんだよ。で、アグリアスさんはだらけてるの」
「……それが何」
「ははははは! 本人に聞いてみなよ、お休みアグネス」
部屋に戻って行くムスタディオに首を傾げ、アグネスは食堂の扉をじっと見つめた。
「だからね、一度ゴーグにも、わっ」
「あっ! いたた……」
「……何してたの、アグネス」
「いやちょっと、ね」
中を窺って耳を付けていたために、開いた扉に打ち付けた額を押さえてアグネスはにやにやと笑った。ラムザの後ろからアグリアスが顔を覗かせる。
「アグネス?」
「なんでもないない、お休みラムザ。後でね、アグリアス」
小走りに去って行く背中を一睨みし、ラムザはアグリアスを振り返った。
「今までだって二人で話していた事なんていくらでもあるのに」
彼女は微笑みながら首を振った。
「違って見えるんだろう」
「そうかな……」
「困る?」
アグリアスは柔らかい調子で言った。一瞬言葉に詰まり、ラムザは天井を仰ぐ。
「困りは、しないかな……」
顔を戻すとアグリアスが思ったよりも近くにいた。至近距離で視線が合い、二人は同時に顔を逸らした。
「……全く、今更……」
こっちも当分は仕方ないねとラムザが呟き、アグリアスは笑いながらラムザの指を触った。
「私達には私達のやり方があっていいと思う」
握り返す間も無く指は解け、アグリアスは先に立って階段を上がって行った。
「お休みラムザ」
「お休み……」
アグリアスがするりと部屋に消え、ラムザは一人肩を竦めた。
「だから、触っちゃダメだって……」
女達の部屋から楽しげな笑い声が聞こえてくる。アグリアスが問い詰められているのだろう。ラムザは小さく息を吐いてその前を通り過ぎ、物置の前に立ち止まった。
「仕方ない。僕は若いんだ」
少し伸びて余計に不格好になった髪を掻き混ぜながら、ラムザは自分の部屋の扉を開けた。
もちろんそこには、満面に嫌な笑顔を浮かべたラッドが、腕を組んでラムザを待っているのだった。
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