「おい、アグネス」
「なにさ」
「おかしくねーか、姐さん」
「そうだねえ・・・」
「あの骨折、まだ具合悪いんじゃねえの」
「それは大丈夫だって言ってたわ。ちらっと聞いてみたけど」
「なんだ、ジャッキーも思ってたのか?」
「貧血かしら・・・ふらつくのよねー」
「アグリアスはなんでも我慢しちまうからねえ」
それぞれが小さなカップを手に、ラッド、ジャッキーそしてアグネスは額を付き合わせていた。早めの昼食であるスープはほとんど空になっているが、明らかに暇そうな店主は彼らを追い出す素振りも見せず、別のテーブルで欠伸をしている。
店の表では、アグリアスが大木の枝を忙しなく行き交う小鳥を眺めている。ムスタディオがアグリアスに声を掛け、彼女はそちらに体を向けようとして一瞬躊躇った。それが、傭兵三人組の目を惹くのである。最初の一歩、という場面でアグリアスはどこかを庇うような動きを見せる。それは、昨夜の夕食の時から始まっていた。
「ラムザだね! 間違いなく」
「おいおい待てよ、ラムザが何かやったって言うのかよ」
「でも昨日、ラムザを追い掛けてって、帰って来たらアグリアスはあんなだったじゃないの。何かあったんだと思うわよ? ねえ、アグネス」
「そうさ、あいつは前科が多すぎるんだよ」
「身も蓋もねえな、おまえら」
彼らはルザリア城の裏門近くの店にいた。
ラムザは早朝に宿を発った。北天騎士団陣営まで送るつもりで用意を終えていたアグネス達だったが、案内の男が同行を拒否した。更には随分とラムザを急かせたので、彼らには充分な別れの言葉も無かった。もちろん後をジャッキーが付けて行ったので、その「陣営」がルザリア城そのものであり、ラムザが裏門から入った事が確認出来ている。
ラムザが城に入って半日が過ぎ、出て来るなら頃合だった。門を見張っているムスタディオは落ち着きなく辺りを見回し、アグリアスがそれをなだめてやっているようだった。ラムザが「去って」しまったのかと複雑な汗を背中に沸かせている3人は、どこか無邪気なその様子に息継ぎにも似た思いを持った。そしてムスタディオは、実に自然な様子で大きな声を出した。
「ア、グ、グレイスさん、足、痛いのか?」
ぎくり、と3人はアグリアスの顔を見つめた。一応、アグリアスは偽名を使っている。それをムスタディオが間違うのは毎度の事、続く台詞に大いに焦った。
「昨日、ラムザと帰って来てから変だよな、ケンカでもした?」
いやー、それで挫いたんなら派手なケンカだよなー、と笑う。
「真っ正面だわ、ムスタディオー!」
ジャッキーが頭を抱え、アグネスはもう知らないとばかりにそっぽを向く。
「天然だからな、あいつは・・・」
ラッドも視線を二人から逸らす。
「・・・なんでもないんだ」
アグリアスが苦笑で答え、3人はそろそろとそちらを窺った。
「大丈夫ならいいんだけど、大怪我が治ったばっかりだからさ」
にこにこと笑っているムスタディオにアグリアスも本物の微笑になった。
「心配を掛けてすまない。確かにまだ足が本調子じゃないのかもしれない」
「うん、ちょっとでも休ませると足の筋肉は痩せちまうよなあ。だるいんなら、店で座ってなよ」
「いや、取り戻す事が先決だ。動いた方がいいだろう」
ふー、と店の中で3つ、溜息が落ちる。
「まあ、姐さんがああ言ってるんなら心配はねえだろ」
「何言ってるのよ、はぐらかしただけじゃないの」
「ち、とっ捕まえて吐かせるにもラムザ本人がいないから仕方ないね!」
「容赦もねえな・・・おまえら」
「それにしても、遅いね」
空の中央に位置した太陽は天頂から僅かに傾き、薄い雲が霞みをかけていた。城門が開く気配は無い。
「正門から出たのかも」
首を傾げるジャッキーを見てアグネスが腰を上げる。
「城を一周してみようか」
入って行ったのが裏門からだったため、同じ場所から出るものと判断したが、正門からの可能性もあるにはある。もちろん、「出てくる」のなら例え行き違っても構わないのだ。彼らは動く事で落ち着かない心地を押さえつけようとしているだけだった。
長居を詫びようと店主を見ると、口を開けていねむりをしている。前金故に何の警戒もない様子に笑いながら3人は店を出て、アグリアス達に合流した。
「どうする」
アグリアスは裏門を見つめながら言った。王都で最も広く長い大通りが城をぐるりと囲んでいるため、店から門までは走って行けば息がきれる程度の距離がある。
「正門も見てみようかと話してたんだよ」
隣に並んでアグネスは大きく伸びをした。
「出てくるならばラムザは勘当されたまま、という事だろう。無位の者なら裏門からの退出が妥当だとは思うが・・・」
「決裂したら捕まるんじゃないのか?」
誰もが言葉にしなかった懸念をあっさり質問したムスタディオに、全員の視線が集まった。わたわたと手を振りながら何かを言いかけるムスタディオを遮り、アグリアスが低く言った。
「・・・それが、ラムザの言った『制裁』だ。ベオルブに戻れても戻れなくとも、それが与えられる可能性が高い」
「それ、昨日も聞いたけど・・・でも、相手は肉親なんだろ?」
顔をゆがめるムスタディオの肩に手を置いてアグネスが首を振る。
「ラムザの場合、家族に逆らったというよりも、貴族を束ねるベオルブ家に対して反逆したっていう側面が強いんだ。放蕩息子が実家に戻る、っていうレベルじゃないのさ」
俯くムスタディオを見つめてアグリアスは呟く。
「当主が体面と道義の範疇を定め、背いた者には罰則を科す。その型にはまらずに貴族として生きていくことは出来ない・・・」
「昨日の雰囲気、そういう事だったのか・・・ 正直、俺、まだよく分からないんだけど、家に帰るなら、ラムザは家のために何かを償わないといけないってことなんだな・・・」
アグリアスはゆっくりと頷いた。
「ラムザがこちらに戻るならば今日中だと思う。2日間待つ、というのは気休めのようなものだ。日暮れまで二手に分かれて正門と裏門を監視する、という事でどうだろう」
「ああ、それでいいね!」
アグネスが勢いよく言い、ムスタディオを引っ張った。
「あたしらは正門、残りは裏門でいい?」
「ああ、」
言いかけたラッドがふっと言葉を止めた。
彼の視線を全員が追う。裏門が、僅かに開いたのだ。門の隙間から除くローブの色に誰もが見覚えがあった。
「あれ、あれ、あれ・・・」
ジャッキーが声を震わせた。
「・・・・・」
アグネスは無言でそちらを睨み、あー、とラッドが間抜けな声を出した。
しかし、そのローブは風に揺れながら挟まったように門の隙間から動かない。どうやらラムザはそこに立ち止まっているらしかった。
「・・・他にも誰かいるわ」
ジャッキーがすっと前に出る。目をすがめ、あら、と急に緊張感の無い声を出した。
「女の子だわ。あらまあ・・・」
「なんだなんだ、教えろよ!」
「ラムザ、女の子に抱きつかれてるわよー。誰かしら、あ、すっごい抱き合っちゃってる!」
「なんだそりゃ、聞き捨てならねえ!」
安堵も手伝ってか怒り出したラッドをまあまあと宥め、ジャッキーが観察を続ける。門の隙間で二人は体を離すと静かに手を取り合い、何事かを話しているようだった。彼らからはラムザの体は左半分だけ見えていたが、相手の少女は、赤いドレスの裾とラムザの手を握る白い指がちらちらと覗くだけだ。そして、その細い指に腕が引かれ、ラムザは再び姿を消した。しかし門戸は開いており、引き返したという訳ではないらしい。
「・・・無事なようだな」
「何、むっとしてるのさ、アグリアス」
「私はなにも・・・」
にやにやとアグネスに眺められ、アグリアスが門から背を向ける。
「俺は行く! 何としても顔を拝まなきゃ気が済まねえよ!」
興奮して走り出したラッドの後を気軽な調子でムスタディオが追い、ジャッキーが、ほらほら、とアグリアスの手を引っ張る。と、アグネスに背中を押されて一歩を踏み出したアグリアスは顔をしかめた。
「あーらら、そんなにお相手を見るのが嫌?」
「いや・・・歩き始めが少し痛んで、」
と、アグリアスは素直に言って口を押さえた。
「やっぱりねえ。白状しな、どこを怪我したのさ」
「いや、怪我というか、」
いつになくおろおろとアグリアスは口ごもり、してやったりとアグネスが笑みを作る。
「・・・そうだな、これは二人に聞くのが良いとは思っていたんだが言い出しにくくて」
何、と二人がアグリアスを見た時、鋭くラッドが叫んだ。
「来い!」
緊迫した声にばっと3人が門を見ると、ラッドが素早く手話を結んだ。敵、6人、僧侶、と読める。
「僧侶!? なんなのさ!」
「ちょっと、大丈夫なの、アグリアス」
「心配無用だ!」
3人の目の前、門の周りに茂っている木立の間でムスタディオが慌しく魔術師のローブを引っ張り出し、ラッドがのめるように門に入りながら剣を突き出すのが見えた。
「どうした!?」
駆け寄ったアグリアスを振り返って両手を上げながら、ムスタディオはまずプロテスを門の内部に唱えた。覚えたようで、メモは見ていない。
「ええと、異端審問とか、じいさんが言ってた!」
「なんだって!?」
アグネスが仰天して叫んだ。僧侶、とラッドが寄越した手話の意味をおぼろげに理解する。
「まさか、そんな・・・」
「前を見て、アグネス! 私、突っ込むから援護してよ!」
「引き受けた!」
アグリアスがぴったりとジャッキーの後ろを守って門をくぐる。ムスタディオのプロテスが内部で効果を当てたらしく、ありがと、とジャッキーが叫んだ。
「ちくしょう、そこまで・・・ッ!?」
「何、アグネス?」
「『制裁』かもしれない!」
「え、」
「いいからムスタディオも中に入って、あ!」
中から、赤いドレスの少女が転がり出てアグネスにぶつかった。押し出したらしいアグリアスは、ちらと振り返ると身を翻して左に下がって消えた。
「あ、あんた・・・!?」
少女ともつれた体を起し、アグネスは口を開けて相手を見つめた。
「ごめんなさい、ぶつかっちゃって・・・」
痛そうに膝をさすって立ち上がり、少女はアグネスの手を引っ張って起こす。
「そんな事はいいんだよ、あんた、ラムザの妹の、」
「アルマです、初めまして。お会いしたことあった?」
「そんな事はいいんだって! なんでこんなことに、」
「私、足手まといなので出てきたのよ!」
「ちがーう!!!」
もういい、とアグネスはアルマの手を離して中に飛び込む。荷物から突き出ていた魔術師の杖を取って覆っていた布を振り払うとすぐに手を上げ、彼女らしい不機嫌な文言が聞こえた。ムスタディオも追おうと踏み出すと、文言に続いてアグネスが怒鳴った。
「あんたはその辺りでその子を守ってな! 入らなくていい!」
「え、でも、それじゃ」
首だけを門の中に入れるが、ひや、と慌てて引っ込める。
「乱暴だな、もう」
「どうしたの?」
「杖で殴られそうになった、て、あんた誰?」
ムスタディオは目の下にちんまりと立っているアルマを感心して見つめた。誰、と聞いたものの、答えなど無くても良い。透ける金髪を背中に垂らして綺麗に結わえ、青い目でムスタディオを見上げる少女は、目鼻立ちがあまりにもラムザに似ていた。
「アルマです、初めまして。あなたは?」
「俺はムスタディオ、って違う、ラムザの妹、だよな?」
「はい、いつも兄さんがお世話になってます!」
「いやいや、こちらこそ、って、危ない!」
ムスタディオが奪うようにアルマの手を引いた途端に地割れが足元に走った。
「今の何なの・・・」
青ざめて抱きついてくるアルマを慌てて引き剥がしながら、ムスタディオは目を細めて門の内部を確認する。
「モンクがいる・・・素手で地面を割る連中だよ、ちょっと厄介だ」
やっぱり俺も、とムスタディオが中に入ろうとすると、真剣な顔付きのアルマが後に続く。
「だめだって、アルマは外で待ってないと」
「大丈夫、少しじっとしててね!」
言うと、アルマはすっきりと両手を上げた。
「大いなる時と光の恵み、駆け抜ける生命と共にあれ、マバリア!」
彼女の文言はその魔法と同じように日の光に透ける様な欠片を散らしてムスタディオと彼女自身に降り注いだ。
「うわ・・・なんだ、すごいな、これ!」
「私だって役に立てるのよ、行きましょ!」
「行きましょって、やや、俺が困るって、」
「なぜ僕が『異端者』なんだ! 僕は何もしていない!」
ラムザの悲痛な声が響いた。息が荒い。戦いは激しいようだった。ムスタディオは背筋を伸ばし、意志をこめてアルマを片手で制した。飛び込まんばかりだったアルマは、急にしおれてムスタディオの後ろに素直に隠れる。
「シラを切るつもりか・・・聖石を邪神に捧げるためにドラクロワ枢機卿を殺害し、聖石を奪ったのはおまえであろう!」
侮蔑を滲ます老爺の声にアグネスが高い声で罵声を被せるのが聞こえた。
「何を言ってるんだ・・・」
敬虔なグレバドス教の信者であるムスタディオは鳥肌を立てた。イヴァリースでは、異端者、と呼ばれた瞬間に生きる場所を無くす、と言っていい。
「逆らえば、ここで処刑をするって言ってたわ・・・」
「しょ、処刑!?」
アルマが苦しそうにムスタディオを見上げた。空と同じ色の目が、きらり、と光る。
「ラムザ兄さん、何をしちゃったの・・・?」
「ラムザは何も悪くない! 俺を助けなきゃこんな事にはならなかったんだ!」
強く拳を握ってムスタディオは前に踏み出した。ラムザは高位の者だと一目で分かる長いローブを纏った僧侶と向き合い、激しく言い争っている。二人の側でラッドとアグリアスが背を合わせて互いに剣士と向き合い、モンクの姿をした女が二人、地に倒れていた。ムスタディオの目の前を矢が幾筋も横切り、すぐ脇で剣を振り上げた男がばたり、と倒れる。
「ああ・・・」
背中にぴったり張り付いたアルマの呟きに、ムスタディオは前進をためらった。
「大丈夫か?」
「・・・こんなところに兄さんはいたのね」
彼女の震えた声の意味はムスタディオにはよく分かった。初めて人の命を奪った時に彼自身が感じた事だからだ。そうせずには生きられない、そういう世界があるのだと。
「・・・怖かったら、俺の後ろに隠れてな」
ムスタディオのローブを握るアルマは強張りながら頷いた。戦闘中、アグネスがよく苦笑していた自分の顔を、ムスタディオはそこに見つけた。
今、自分がラムザにしてやれる事をするために、ムスタディオは踏み出した足を戻し、アルマごと背後に下がって門を出た。
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