疲労困憊の体を引きずり、一行は地図に無い山間の道を歩いていた。追手を懸念し、何度となく道を変え、分散しては集まり、と無駄に動かざるを得ない中、実際に歩いていたのはアグネスとジャッキー、そしてラッドだった。見張り場から落ちた3人の内、幸いにもジャッキーとラッドは草むらだったためにほとんど無傷だったが、固い土の上でしたたかに頭を打ったアグリアスは、額の傷を広げて酷い耳鳴りに悩まされていた。傷だけは乾き塞がったものの、彼女はチョコボの上で目を閉じ、羽毛に体を預けている。
ラムザは意識を取り戻さない。未だ闘っているつもりなのか抱きかかえた剣を離そうとせず、急ごしらえの担架に乗せられジャッキーとアグネスに運ばれていた。 そしてラッドの背中にムスタディオが揺られている。
「ここら辺にするか。無理するとろくな事はねえし」
小さな泉のほとり、ラッドは首をめぐらせて言った。頷く顔を確認すると、ムスタディオを草の上に降ろし、泉に行くと顔を突っ込むようにして水を飲んだ。彼の横には、アグリアスを乗せたのチョコボが追いつき、やはり頭を濡らしている。
「重かったよ!」
正直に叫んでアグネスは担架を降ろす。ジャッキーはその場に倒れ、もうだめ、とブーツを脱いで放り投げた。草の上で自分の足の傷を検分し、うんざりした顔をしたムスタディオは体を震わせながら担架に這った。足に矢尻が残っていて腫れた傷が元で発熱しているのだ。
「気がつかないな、ラムザ・・・」
「そいつはいいから、足を見せな」
髪を濡らして戻ってきたラッドは、有無を言わさずムスタディオの腿辺りの服を裂き、懐から短剣を出すと予告なく腫れた傷に突き立てた。ぎゃー、とムスタディオが叫び、やれやれ、と寄ってきたアグネスが足を押さえジャッキーが腕を拘束する。しばしの苦悶の声の後、
「取れたぜ」
とラッドは矢尻を指に挟んで顔を上げた。開いた傷に強い酒を振りかけ、半泣きのスタディオの頭をぽんぽん叩くと、ラッドは再び泉に向かった。
「あーもう、参ったぜ!」
がばがばと鎧を外し、シャツとスパッツになると泉に飛び込む。
「・・・参った、な」
呟き、頭を振る。ムスタディオの傷を簡単に縫って包帯を巻き、ラッドの脇で手を洗った女達が薪を集めに行くと、水辺を離れないボコに頼っていたアグリアスがゆっくりとラッドに向き直った。
「大丈夫か」
はは、とラッドは力なく笑った。
「姐さんほどじゃねえが平気だな」
「それはなにより」
彼女が手を離すとチョコボが振り返りひっそりと鳴く。弱っているアグリアスに、自分を掴んでおけ、と言っているのだろう。ラッドは水から上がると手を伸ばしてボコの嘴を撫でた。側でうつらうつらしていた雛がラッドを見上げ、驚いたように羽ばたきながらアグリアスに体を寄せた。
「すまない。私は二人がライオネルにいるだろうと予想していた」
アグリアスはジェリアを受け止めながら呟く。
「だろうな、俺もそう思ってたぜ」
「そうか」
「ああ」
ボコに拒否されて噛まれた手をぶらぶら振りながら、ラッドは草の上に倒れこんだ。濡れたシャツがびしゃり、と音を立て、ラッドは腕を枕にして天を仰いだ。
「オヤジがあんたを気に入ってる訳がよく分かるよ」
眠そうに、辛そうに眉を寄せる。
「私には分からないな」
アグリアスも大儀そうに身を伸べ、ジェリアが首の横で丸くなった。
「正しいんだよ、あんたも二人も姫さんのための兵隊なんだからよ。守るものがあれば捨てるものもあるんだ」
「・・・」
「辛くなかったなんて思わねえ。バリアスの谷でのあんたのあの姿を見たらそんな事思えねえ。だからいいんだ。姫さん助けたら二人も助かる。そうしようぜ」
処刑場でガフガリオンは、顛末、と言った。それは何かが終わった事を意味する言葉だとラッドもアグリアスも知っていた。しかしアグリアスは答える。
「そうだな。間もなくだ」
「そうさ!」
後でラヴィアンをくどいても見ないフリをしてくれよ、とラッドは笑って目を閉じた。アグリアスも重い瞼を下ろし、黄色い毛玉のぬくもりに顔を埋めた。
危惧した追手は現れなかった。
兵士は皆ライオネル城に集結し、オヴェリア奪還に備えているのだろうとアグリアスは言った。
熱が下がらないムスタディオはジャッキーの隣で寝袋にくるまり、ラッドは夜警に出ている。アグネスは暖めたスープを混ぜながら空いた手でラムザを突っついた。広げた布の上でラムザは何度か寝返り、そしてようやく目を覚ました。
既に夜半過ぎ、ラムザは疲れきった顔で空の暗さを見上げ、まだ自分が剣を抱いている事に少し驚いたように苦笑した。それを脇に押しやり、アグネスが突き出すスープを手に取る。少し飲んだ後、遠くを見つめた。
「気分はどう?」
アグネスは尻を払いながら立ち上がる。
「最悪だよ」
「じゃあいつも通りってことだね」
戻ってきたラッドと入れ替わってアグネスは夜警に向かい、ラッドはラムザの肩を軽く叩いてから寝袋に潜った。
「もう少し食べた方がいい」
パンを示してアグリアスは言ったが、ラムザは首を横に振り、やはり遠くを見ている。
しん、と静まった森の外れは、風すらも木々を鳴らさない。全ての存在が、慰めるべき者を労わって撫でるだけで通り過ぎて行くようだと、アグリアスは思った。
「虫、かな」
ちらちらと小さい光が瞬きながら下草の間を漂っている。
「魔物ではなさそうだ」
気持ちの何かが抜けてしまったかのように、覇気も意地も悲しみも無いラムザの顔をアグリアスはしばらく見つめた。彼は前を向いたまま、しかし視線に答えるように手元に置いていたアグリアスの剣を滑らせた。無言でそれを鞘に収めながら、アグリアスもラムザと共にはかない青白い光を追う。漂う光はしばらくの間何かを探すように辺りを彷徨っていたが、不意に遠くなって完全に視界から消えた。行方を探るようにラムザは少し首を傾け、
「ベオルブの事、黙っていてごめん」
ぽつり、と言った。
「構わない」
風に紛らせるようにアグリアスもそっと答えた。
野営明けの早暁、パンと干し肉のスープで簡単な朝食を済ませる。
通常、ゴルゴラルダ周辺からライオネル城下に入るためには、山を迂回してバリアスの谷を通過する。しかし時間の無い彼らは、岩山の裾を突っ切る道を選んでいた。道程は短くとも険しい道のりに全員が疲労を訴えがちになり、何度となく休息を挟んでいた。今も、岩間に腰を下ろし体を投げて、それぞれが切れた息を整えているところだ。
ムスタディオは熱は下がったものの長時間の行軍は難しい状態で、アグリアスに代わってボコの背中に乗っている。ボコは嫌がりはしないが釈然としないようで、歩きながらも何度も振り返ってはムスタディオの服を引っ張った。一行の中で一番元気なジェリアも、ボコの周りを走り回っては不審そうにムスタディオを見上げていた。
「嫌われてるなあ」
苦笑しながらボコに背中をもたせかけてムスタディオは心底残念そうに言った。こうして休んでいる間も、ボコはムスタディオをとても気にしている。
「嫌ってはいないと思うわよ?」
また嘴を開こうとするボコを諌めながら、ジャッキーは笑う。
「何かが気になっているのよ。そうじゃなきゃ、アグリアスを乗せたいんだわ」
頭痛が残っている事を伏せている歩くアグリアスの脇の下に、ジェリアが擦り寄って頭を入れた。
「ほら、アグリアスが好きだって」
ね、と微笑んでジャッキーはジェリアの頭を撫でた。クー、と小さく鳴いて、ジェリアはアグリアスの小手を噛む。
「まだ具合悪いんでしょ、アグリアスさん」
ボコの尻尾を見ていたラムザが言い、アグリアスは気まずそうに首を横に振った。
「誤魔化してもだめだよ、チョコボは病人に優しいんだから」
ほんと? とアグネスがアグリアスの首筋に手を当てる。
「ホントだ、熱いよ。薬を調合しないと」
「いや、心配は無用だ」
くすぐったそうにアグネスの手から逃れてアグリアスは笑って見せるが、そういう事言ってると、肝心な時にぶっ倒れるからね!と腰に手を当ててアグネスが言い、
「ごめんな、アグリアスさん。代わりたいんだけど・・・」
続く申し訳無さそうなムスタディオの言葉を、手を振ってアグリアスは止めた。
「騎士を名乗っていてこの程度の負傷で歩けないとなれば、今すぐ引退せねばならない。もう少し働いていたいから、歩かせて欲しい」
アグリアスは本気で言っているらしく、周りで飛び交う忍び笑いに怪訝な顔を向けるのだった。
何度目かの休息地は、やっと草がちらほらと見える台地に入ってすぐの、倒木の周りだった。
「おーい、生きてるかー?」
おどけるように言うラッドはしかし、砂に塗れることも構わずに、乾いた地面に手足を広げて寝転んでいる。
生きてるよ!と、疲労に対して怒っているアグネスが答える。ラムザはムスタディオに水を飲ませ、額に手を当てて首を振った。
「駄目だね、可哀相だけど・・・」
え、とムスタディオは顔を上げた。
「俺、置いていかれるのか!?」
「もっと酷い事をするんだよ」
にやり、と笑ってラムザが手を広げた。誰も止めないのでムスタディオは一人慌てるが、ラムザは拳を作るとそれをムスタディオの顔すれすれまで突き出し、気合を入れながら開いて額に当てた。途端に強烈な白い光に包まれ、声も上げずにムスタディオは固まった。
「良くなったんじゃないの? こら、ぼんやりしてないで確かめてみな」
アグネスに背中を突付かれて、あれ、とムスタディオは目を開いて立ち上がった。足の腫れはひき、熱もすっかり冷めている。
「チャクラだよ。疲れてるっていうのに歩きながら随分練習したんだから、我慢してよね」
「我慢ってなんだよ、すごいな! ケアルよりずっと効くじゃないか、ありがとうラムザ!」
「礼は言わない方がいいぜ」
ラッドが気の毒そうに言う。彼は自分で自分にケアルをかけて、一息ついているところだ。
「そいつはな、後で“返り”があるんだよ。体の治癒力を無理に上げるから、2、3日後に反動がくる。俺がオヤジにかけてもらった時は、2日後に死ぬかと思うくらいに熱が出たなあ」
「そういうこと」
澄ましているラムザをムスタディオはおろおろと見た。
「ええと、あの、」
「見える? ライオネル城はもう目の前なの」
ジャッキーが前方を指差した。町並みの端が、台地の地平から覗き、奥まった場所に確かに尖塔が見えた。行きがけに見た、ライオネルの無骨な鐘突き堂だろう。ムスタディオの下で杖を選んでいるアグネスが軽い口調で言った。
「あんたがボコの上で眠ってる間にここまで来たんだよ。今から突入するんだ」
「今から!?」
驚いてムスタディオは町を眺めた。太陽は数時間で沈むだろう。急げばそれまでに城に入れるだろうが。
「突入するのか・・・」
「すまない、ムスタディオ。時間が無いんだ。これ以上伸ばしても、場所を変えて延々と戦うことになるだけだ。今日、決着を着けたい」
アグリアスが真摯にムスタディオに頭を下げ、彼はぶんぶんと首を振った。
「いいよいいよ、そんな! 行こう、俺もオヴェリア様に早く会いたいし!」
ムスタディオは腰の銃を取った。見れば、皆何かしらの装備を準備し始めているからだ。アグリアスも、さんごの剣を日に透かす様にして、曇りが無いことを確かめる。
「でもアグリアスさん、押し入ったらその場でオヴェリア様が処刑されるかもって、心配してたと思うけど」
遠慮がちの言葉にアグリアスはムスタディオを見て苦笑する。
「ゴルゴラルダでのガフガリオンの言葉からは、どうやらドラクロワ卿はオヴェリア様を切り札として手元に置くつもりのようだ。早々に処刑するという事はないと思う」
「賭けの要素はあるけど、城に入らないことには何も出来ないよ」
ラムザははっきりと告げた。強く頷き、ムスタディオは荷物から弾を出す。自分の限界量である、100発の弾を腰に装着した。
「訓練を積んだ兵士を山程用意してなきゃいいけど」
不安げに弓の張りを確かめ、矢を負うジャッキーがラムザを見る。
「それは無い。ガフガリオンに指揮を取らせているくらいだ、いかに彼が戦闘に長けているとはいえ、手勢があれば子飼いの部下を持ってくるとは思わないか? あくまでも、ドラクロワ卿は慈悲深い領主という立場を崩したくはないだろう、真相を知る口は少ないに越した事はない」
代わりに答えるアグリアスはほぼ完全に装備を終えていた。
「じゃあ、ライオネル軍、とまで呼ばれる兵士達はどこに行ったの?」
「ガフガリオンとダイスダーグ殿が通じているのは明白だ。ドラクロワ卿はラーグ公に付くのだろう。そちらに出兵している可能性が高いな」
アグリアスは額の傷を触りながら言った。乾いた傷はポーションの効果もあってほとんど良いようだ。しかし、ここしばらくの間まとまった休息もなく戦い続けているアグリアスの顔色からは、誰が見ても疲労を読み取れた。アグリアスだけではなく、彼ら全てが不調をケアルでしのぎ、ポーションで血止めと気付けをして、ぎりぎりの体力で戦う。
「ラーグ公とゴルターナ公とがとうとう戦うのか・・・」
ムスタディオは衝撃を隠せずに言った。ラムザと共に行動するようになってその流れを薄々には感じていたが、現実になると聞かされれば戦争の恐怖が過ぎる。ゴーグは50年戦争時にも比較的穏やかな場所ではあったが、村を出た仲間が何人も死んだ。
「敵さんが少ないに越したことは無いけどさ、戦争はもうたくさんだよ・・・」
アグネスが肩を落として呟く。ああ、あたしも頭痛がしてきたわ、とジャッキーが額を抑え、ラッドも溜息を落とした。
「オヴェリア様、辛いだろうなあ。一番戦いが嫌いな人が戦争の道具にされて祀り上げられるなんて。酷いよ・・・」
アグリアスはゆっくりとムスタディオを振り返った。強く、頷く。
「そうならないように全力を尽す。・・・もしも途中で私が命を落とした時には、構わずに進んでくれるとありがたいのだが」
「止めて」
アグネスがぴしり、と言った。
「生き残ってこその勝利だよ。あんたが居なくてオヴェリア様が喜ぶとでも思ってるのかい?」
「・・・楽観は出来ない」
「心配しなくても、アグリアスさんが死ぬ頃には僕らは全滅してる。行けるところまで行こう。もちろん、オヴェリア様を助けるところ、っていうのが最低条件だ」
立ち上がったラムザは決意を顕にして厳しく唇を結んだ。大ぶりの剣を腰にずしりと吊るし、少し傾いた姿で全員に背を向ける。
「定法には構っていられないよ。ばらばらに城に向かう」
ラムザは前を見つめたまま言う。
「城下を素早く通り抜けながら、必ず無事に城まで辿り付いて。全員が揃ったら僕が最初に門番に発見されるから、皆は一呼吸空けて集まること。相手の出方をよく見てよ」
言い終わると一度、振り返った。頷く顔に微かに笑い、ラムザは踵を返して駆けて行った。
「それじゃ、城でな!」
剣を帯びたラッドはラムザとは反対方向に消える。
「高いところで待ってるわ!」
ジャッキーが飛ぶように行き、言葉無いアグネスは白いローブを纏って海側へと走っていく。
「無事で」
「アグリアスさんもな!」
最後にボコの手綱を外し、好きなところに行け、と尻を叩いてから、アグリアスとムスタディオも乾いた台地を蹴った。
日に霞みが見え始めた。ラムザは城門前の民家の影に潜んでいる。前方の倉庫の上、煙突に隠れたジャッキーが息を殺し、アグリアスとアグネスがその下で待っている。ラムザからは見えなかったが、ムスタディオとラッドも付近にいると、ジャッキーは手話で伝えてきていた。
正面から切り込むならばあがいても無駄だ、とはラムザは思わない。見張り場をうろつく番兵の様子、城から微かに伝わるざわめき、住民の動揺、そういったものから得られる情報を総計して今は待っている。
城門前に着いた時から番兵はたったの一人、若干の油断と疲れを見せて、何度か城を振り返っていた。交替の時間が近いのだ。番兵が最も緊張し、そして同時に油断をする時間。ラムザはジャッキーを凝視している。何度か風向きが変わり、とうとうジャッキーが片手を小さく振った。交替要員が来たらしい。
静かな号令と硬い踵の音が響き、点呼と申し合わせが簡単に行われる。昼間は何も無かったらしく、あっさりと人員が入れ替わった。
間もなく。
ラムザはジャッキーに伝える。ジャッキは右手をそっと伸ばして人差し指を曲げた。その方向にラッドがいるのだ。
また何度か風向きが変わり、ラムザは立ち上がった。決断をする、というよりは勘が知らせた、という方が正しい。今が一番「マシ」なのだ。放たれた弾丸のように一瞬の緩みもなく駆け出した。そして気付いた。
あれは?
おそらく雑役の者や兵士用の通用門だろう、金属の小門が城の側面に開いている。文字通りに扉が開け放たれているのだ。もちろん側に兵士が一人立っているが、直に誰かが通るのだろう、開けたままの門が風にゆれて軋む音を立てた。
どうする!?
一瞬の選択、ラムザは進路を変えた。中から門を開ける、と手話を結んだが、背後のジャッキーに見えたかどうか。ラムザは剣を抜くと小門に突進し、飛び込みながら側の兵士を斬った。声も無くその場に倒れた兵士に反撃を許さず、喉を裂くと頭上の番兵を確認する。まだ気付かれていない。門扉の左に開錠装置が見え、ラムザはそれに走った。
ぎしり。
大きな音が背後で聞こえた。
「そうはいかンぞ」
あと数歩、しかし尋常でない殺気に爪先に力を入れて立ち止まり、ラムザは激しく振り返った。視線の先に、酷く悠長な動きで小門にかんぬきを降ろすガフガリオンがいた。
「正門を開けさせはしない。俺を倒すまではな」
頭上の番兵も音に驚いて見下ろした。しかしラムザが手に握った血塗れた剣が見えない位置らしく、新参者を見るようなうろんな目付きを投げてきた。
「何をしている。敵襲だ、さっさと手勢を呼べ!」
低くガフガリオンが番兵に言い、腰の剣を引き抜く。抜いた途端に詠唱が矢のようにラムザの耳を掠め、避けて退ったはずの場所に闇の稲妻が落ちた。早々と土に塗れて転がるラムザの耳に番兵の慌てた声と、かすかなアグネスの叫びが聞こえる。ガフガリオンが鋭く口笛を吹くと、ラッドが驚いたような声を上げるのが聞こえた。外に伏兵がいたらしい。
「忍び込んだつもりだろうが、伏兵に気付かなかったか。こういう美味しそうなものに食いつくと早死にするって事にもいい加減に気付け!」
ラムザは跳ね起き、素早くケアルを唱えた。猛進するガフガリオンに肌を粟立てながら見張り場に駆ける。天然の崖を利用したらしい足場を跳ねるとガフガリオンの剣が蹴った爪先を掠め、小さな熱を感じた。
早い! 処刑場よりも、早い!
「俺が開けておいてやったンだよ!」
「罠は機会でもあるってのがあなたの論理だったよね!」
尋常な早さではなかった。詠唱そのものが短いばかりではなく、ガフガリオンの体力が何倍にも上がっているように感じる。自分が弱っているからではない。ガフガリオンに何かが起こっている、ラムザは直感した。
「本当に魂を売ったのか!?」
「いつの話だ! そんなこたあ忘れたさ!」
「違う! あなたは人間の域を越えようとしている、そうなんだろう!?」
ラムザはきわどく避けた闇の剣を横目に睨み見張り場に飛び乗ると、のろのろと構えた番兵の剣を弾き飛ばした。ひい、と悲鳴を上げる彼を突き飛ばし蹴り出して、登ってくるガフガリオンの上に落とせば、彼は何の躊躇もなく番兵を斬り避けた。その僅かな間にラムザはポーションを浴びる。血止めの傷薬でもある呪力を溶かした液体は、健康な皮膚から染み込めば速やかに体力を恵む。突入前に既に2つを使った。短期に浴び過ぎれば精神を参らせると聞いているが構ってはいられない。後でどうなろうとも、今ガフガリオンに負ける訳にはいかないのだ。ラムザは両手で剣を握り直し、跳び上がるガフガリオンに向き直った。
「さあ来い、おまえの相手は俺だ。もうどこにも行きはしない、最期まで戦おうぜ!」
ガフガリオンの握る刃は先だっての赤いものではなく、黒い霧をぼんやりと纏った銀色の剣だった。
「おまえ達のために用意した剣だ、こいつにたっぷりと血をくれよ」
ガフガリオンの周囲にも黒い霧が漂っていた。闇の稲妻そのものが、ガフガリオンの気配となっている。ラムザは嫌悪と恐怖に歯を食い縛った。
「その剣に何を憑けている?」
ラムザは低く言った。
「知らなくて良い事もあるさ」
ガフガリオンはじり、と爪先をよじる。
「来ないのなら、こっちから行くぜ?」
門上には明るい夕日が光を投げかけ、ガフガリオンの下には黒々と大きな影が染み付いている。
どうして、こんなことに。
ラムザは恐怖に冷たい汗を垂らし、膨張と収縮を繰り返す黒い影を見つめた。アグリアスを弾き飛ばしたあの爆発する狂気、それは生きた影だったのだと知った瞬間だった。
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