二人の兄 2

 隠し通路に戻り更に先に進むと、壁の仄かな灯りは途中で途絶えた。背後からの光源に頼って手探りで進み、特殊な突起物を見つけてラムザはそれに手を掛けた。
「これだな」
 地下一階の出口で、アルマは下もほぼ同じ『鍵』なのだと言っていた。若干回し方が違ったがすぐに軽い手応えがあり、壁だった場所に薄い切れ込みが生まれる。その隙間から人影が無い事を確認し、ラムザは一同を振り返った。
「ラッドは残って。僕らが全滅したらアルマとシモン先生を頼むよ」
「なんだよ、置いてけぼりかよ」
 からり、と笑ってラッドは言い、分かったよ、とラムザ達を追い出すように手を振った。
「行って来い。呼ぶなら早めに頼むぜ」
「大人しく待ってな」
 アグネスが笑い返して出口の壁を押す。重いはずのそれは音も無く開き、人一人分の隙間が生まれた。きつく髪を結ったアグネスは珍しく弓を選び、逆になじみのミスリルの弓を担いだジャッキーがその後に続いて表に出る。ラムザがするりと彼女達の背後に控えた。
 彼らは地下室の一角にいた。そこは暗く、古い本棚が連なって幾重にも影を重ねて薄闇を作っていた。独特の臭いを放っている本の連なりはずっと手前まで続き、話し声とランプの灯りがそこから漏れてくる。周囲を窺っていたジャッキーが、来い、と手で合図をし、残った者が隠し通路から姿を現す。閉められる壁の隙間からラッドがまだひらひらと手を振るのに笑ってから、ラムザは静かに周囲の音に耳を澄ました。若い声が指示を出している。それに続いて固く踵の鳴る音が聞こえた。
「下って行く……。まだ地下があるのかな」
 並んだアグリアスに顔を向けると、彼女は剣が床に触れて音を立てないように、片手で鞘を支えながらラムザを見返した。
「そうなのか、私には分からないが」
「下りる音だよ。隠し物のための部屋があるのかもね」
 囁くラムザに頷き、アグリアスは背後を眺めた。紫色のローブを纏ったムスタディオが慌てて裾を腰のベルトに挟み、アグネスとジャッキーが呆れた顔をした。
「何、変な格好して。動きにくいのかい?」
「ずるずるするからさ……」
「遠くでケアルを唱えてなさいよ、突っ込まなくていいから」
 ムスタディオの魔術は順調に上達しているが、ケアルなら五回、炎を呼べるのは二回といったところだ。特殊な呪を織り込んだローブで気力の底上げをしているが、これまで経験したことのない急激な精神の疲労にはまだ慣れないらしい。がんばるよ、ととても小さな声でムスタディオは言い、アグリアスとラムザが苦笑で迎えた。
 体を寄せ合い、前方を伺いながらアグリアスが囁く。
「あちらに降りる場所があるようだ。戦闘は避けられないな」
「神殿騎士は手強いかな」
 ラムザが言い、アグリアスは少し考えて潜めた声を落とす。
「専門家に鍛えられているという点では、ガフガリオンの元にいたおまえ達とそうは変わらないだろう。違うものは信仰心だろうな。神のために戦う、という意志は侮れないもの。彼らは窮地に強い」
「ふうん……」
「自分の中の大事なものを守るために戦う、と表現するならばおまえ達も同じかもしれないが。目安になるか分からないが、私の実力は神殿騎士団ではごく一般的な中間層だろう」
「へー、そんなものなの? あたし、あなたくらい強い人って滅多に戦ったことないわよ?」
 傭兵生活の長いジャッキーが視線を前方に固定したまま唇で笑う。
「荒ぶる傭兵に進言するのは心苦しいが、運が良かっただけだろうな」
 ふふ、とジャッキーが笑い、ラムザは面々を見回した。
「そういう事らしいから、嫌な人は逃げていいよ」
 ラムザの言葉には、ただ苦笑の空気が流れる。
「……それじゃあ、よろしく。これ以上奴らの好きにはさせない。聖石は奴らの手に渡さないよ」
「では」
 なにげなく、という風情でアグリアスがすっと前に進んだ。わざと足音を聞かせそれにラムザが続き、残る三人は反対側からばらばらと散りながら進む。一気にざわめく気配の中、ラムザとアグリアスは低い姿勢で走り出した。



 雑兵でない事は明らか、地下書庫で待ち受けていた敵はラムザ達を苦しめ、疲弊させた。
 床に倒れた敵は三人、時を止める魔術師とポーションを血溜まりにばらまいて絶命した男はどれも軽装の者ばかりだ。全身を密に鎧で包んだ戦士達を射ても、僅かな身じろぎで矢は固い鎧の表面を擦って床を滑るばかり、接近するにしても槍の長さに剣が届かない。
「頑丈過ぎるわ!」
 すれ違うジャッキーに剣技の構えに入ったアグリアスが叫ぶ。
「関節だ、関節なら弓が効く!」
「分かった!」
 貴重な古書を蹴散らしながらアグネスが本棚によじ登り、ジャッキーは素早く位置を変えながら狙いを定める。彼女達が動く前に、爆発音と共に竜騎士の一人が膝をよろめかした。ムスタディオが装備の薄い膝裏を撃ち抜いたらしい。そこにラムザが跳び込み、槍先を叩き斬って首の継ぎ目に剣を突き刺す。倒れる騎士の重みに剣を取られてラムザが被さるように膝を付いた瞬間、その頭の上を矢が飛びアグリアスの詠唱が響いた。赤い光が明滅しながら激しく散らばり、ムスタディオに槍を振り上げていた騎士が倒れる。立ち上がろうと足掻く者の首筋に、ムスタディオが僅かに目を逸らしながら銃弾を撃つ。その音を合図のように、最後の一人が本棚を蹴り倒して通路を塞ぎ階段に走った。死体の肉と鎧に噛みこまれた剣を力任せに引き抜いたラムザがそれを追い、幾つかの矢も続く。やがて奥まった場所でうめき声が短く響いた。
「ラムザ、無事か!」
 アグリアスが駆け寄ると、ラムザは大きく肩で息を吐きながら倒れ伏せた鎧を見つめていた。肩辺りに出血があったがそれほど深くはないらしく、ラムザは自分でポーションを振りかけながら前方を顔で示した。死体の後ろには真っ黒な通路の入り口が奇妙に静まり返って口を開けている。本棚が半分被さった隠し扉だった。
「一応、ね。ここから声が聞こえた。聖石を見つけたらしいよ」
 ラムザは汗の浮いた顔をアグリアスに向けた。彼女は無表情に見えたが、ほんの少しだけ唇の端を上げた。
「シモン殿のためにも取り戻さねばならないな」
「うん」
 二人は不気味な通路に目をすがめた。
「僕にもあなたの恐ろしげな技が使えればいいのに」
 ラムザは小さく笑って額の汗を拭った。それで彼の眉間にすっと血の筋が引かれ、アグリアスはその筋を見つめながら呟く。
「本気ならば」
 最初の業を覚えるまでに三年はかかるが、と言ってアグリアスは黒い入り口を慎重に覗いた。
「待ち伏せは無いようだ。すぐに下りるか?」
「みんなの意見を聞く。三年、だね? いいよ」
 先の話などただの軽口だ。しかし、二人は目を合わせて約束を固める言葉を続けようとした。
「ああ、ここから下りられるのね」
 背後からのジャッキーの声にどちらも口をつぐんで入り口に向き直った。
「何?」
「いや。みんな、すぐ行ける?」
 ぐるっと振り返ったラムザが言い、ばらばらと集まってきた者達が緊張を解きながら二人を囲んだ。
「矢は足りてるわ」
「屋内戦は面倒だよ。さっさと済ませたいね」
「倒したヤツからポーションもらってきた」
 ムスタディオが一人に一つずつに液体の入った容器を渡す。まだ彼は銃だけを使っており、疲労は軽いようだ。全員の様子を注意深く眺めて、ラムザは地下への暗闇に身を乗り出した。
「進もう」
 囁く声と共にラムザが闇に溶け、四人がそれに続いた。





「何……?」
 地下へは、ごく当たり前の階段が連なっていた。それを降りきったところで誰からともなくそんな言葉が漏れた。
「なんだ、これ」
 呆れた声はムスタディオだった。並んだジャッキーが周りを眺め回し、ラムザと目を見交わして頷くと手近の石積みに跳び乗った。
「広いわ……! なんなの、ここは!」


 その場所は、彼らの予想を越えた空間だった。小さな隠し部屋か捻じ曲がった通路を想像していた一行は、いきなりの開けた空間に絶句した。
「何が見える、ジャッキー」
「石積みが……迷路みたいに入り組んでるわ」
「迷路、か。秘宝の隠し場所には相応しいが……。地下にしては広すぎる」
 アグリアスが言い、ラムザ達は首を傾げる。
「罠が仕掛けられているかもしれない。みんな慎重に動いて」
 眉を寄せるラムザの隣りに、ジャッキーが勢い良く跳び降りてきた。
「六人いるわ。弓が二つよ」
「分かっ、」
「聖石を狙う異端者どもよ!」
 広い空間の冷たい空気を震わせ、若い声が響いた。ジャッキーとアグネスが安全な高所を探して走り、二人の後をムスタディオが低く追う。
「よくもここを嗅ぎつけたな」
 小さな橋を組み合わせたような石積みの間に、緑色の鮮やかなローブが見え隠れしている。声はそこから発せられているようだ。
「異端者ラムザ! 貴様の持っている聖石をこちらに渡してもらおうか」
 膝に力を入れて身を屈めていたラムザの目に、相手の顔がちらりと見えた。彼もまた、姿勢を低くして石積みの間からこちらを伺ったからだ。薄い灯りが黄色く照らし出すこの空間の中で、彼の髪は磨いた木の実のように光っており、ラムザと変わらないような少年に近い年頃に見えた。彼を守るように一人の屈強そうな男が背後で剣を構え、彼自身も冷たい光を放つ剣を握っていた。二人共、鎧の上にフードの付いたローブを纏っていた。
「渡さなければ?」
 ラムザは独り言のように小さく言ったが、その声は反響して届いたらしい。一瞬彼は声を途切らせて周囲を素早く見回した。そして、ふっと顔を傾けると正確にラムザの方向に視線をやった。目が合い、相手が少し驚いたように唇を開いたのがラムザから見えた。
「……戦うしかあるまい」
 違和感を感じながらラムザは相手を見つめた。彼は顔を逸らし、背後の男に小声で指示する。男は積まれた石の間を通って姿を消した。ラムザは黙って空間に満ちている音を聞いた。
 自分達の靴音と相手のそれ。矢がからり、と入れ物の中で転がる音、羽虫の鳴き声のように鎧と剣の鞘が触れる。
「ラムザ、どうした」
 アグリアスが呼吸と間違うくらいの囁きを落とす。
「いや……」
 会った事のない相手だった。しかし既視感とも意外性ともつかない何かを感じる。相手もまた、そう感じたらしいとラムザには思えた。
「ラムザ!」
 アグリアスの制止の声を聞きながらラムザは側の石積みに登った。あちらこちらから息を飲む音が漏れ、舌打ちする者が別の場所から石を伝ってラムザに向かって走ってくる。
「残念だがそうはいかないよ。もう、君達のやり方は知り過ぎてしまったからね」
 慌てて寄って来たアグネスが通路を挟んだ向かい側で矢をつがえて相手を牽制している。ラムザは剣を抜かぬまま、自分を見上げる者を見据えた。彼の灰色がかった緑の目は驚きとも苛立ちともつかない光をたたえており、先だって戦った異端審問官の視線とは何かが違った。指揮官としての周囲の把握を捨て去るほどの熱心さ、それ以上の執着がその目にあった。それに煽られるようにラムザは彼によく見えるように石積みの上を歩く。
「聖石は君達が信じているよりもずっと危険な存在だ。君達こそそれを置いていくといい。そうすれば見逃してあげるよ」
 ラムザは強く彼を見つめて言った。アグネスがまた舌打ちし、何人かが走る気配が空間に伝わっていく。見上げてくる目は僅かに細まり歪んだ。
「見逃す、か。立場をわきまえるは貴様らの方だが」
 無機質な声で彼は言い、軽く身を屈めて地を蹴った。それだけで彼は石積みの上に乗った。身軽なジャッキーでさえ全身を使って登った場所に。
「傭兵くずれが我々に勝てると思っているのか?」
 低く彼が問い、睨み合いながら二人は同時に剣を抜いた。二人共、他の敵を意識しない動きだった。
「試してごらんよ」
「いいだろう、力尽くで奪うまでだ!」
「ラムザ!?」
 アグネスが仰天した声を上げた。細い石の道をラムザは真っ直ぐに相手に向かって走って行く。相手もまた、ラムザだけを目指しているようだった。低い場所でアグリアスの押し殺した文言が響いている。ラムザは顔の横を走って前方に向かうアグネスの矢を反射的に叩き落した。
「手を出すな!」
 投げつけられる言葉に呆れるアグネスが、ばかじゃないの、と叫ぶのが聞こえる。
 隊長と呼ばれるならば、その覚悟をする必要がある。隊が全滅しても、自分だけは生き残るための努力をする必要が。敵の力を読み切るまでは必ず誰かに守らせ、それが叶わない時には一歩引く。精神的にも物理的にも広い視野を持たねばならないからだ。そうする事で、自分が生き残るだけではなく隊を守る事が可能にもなる。それをラムザはいきなり放棄した。そうしなければならない程に、相手が自分に向ける執着には意味があるように思えたのだ。

「ラムザ・ベオルブだな!?」
 眼前に迫った相手が怒鳴る。ガフガリオンも愛用していた軽さと堅牢さで有名な銀色の鎧が、乏しい灯りの中でローブを映して緑に見えた。
「そうだ、おまえ達が異端者に仕立て上げたラムザ・ベオルブだ!」
 二人は通路を挟んで視線を併せた。
「若いな。聞いてはいたが想像以上だ」
「君こそ指揮者には見えないよ」
 二人は刃物を見せ合い強い視線で互いの力を推し量りながら爪先に力を入れる。どん、と低い音で銃声が響き、気合を込める声が入り混じって流れてくる。
「なぜ我々に逆らう。そうしてベオルブを名乗りながら、ダイスダーグやザルバッグに従おうとしないのはなぜだ!」
 語気は荒いが慎重さも感じさせる声をラムザに投げつけ、彼は不愉快そうに唇を歪めた。
「だから、だよ」
 ラムザは相手の跳躍を警戒して剣を握る手に力を入れた。
「僕はベオルブの人間だ。だからこそ兄達には従えない」
 相手は眉を寄せてラムザの言葉を聞いている。
「ベオルブの名は私利私欲のために使う名ではない。父上がそうであったように、この国を民を、守り戦って死ぬための名だ。兄達のように腐敗した王家、いや、貴族を含めた特権階級の利権を守るために使って良い名ではないんだ」
「彼らをそのように思うのか」
 唸るような問いにラムザは頷いた。
「天が定めた正義、というものが、兄達にあるとは僕には思えない」
「では、おまえにあるとでも?」
 ラムザは答えなかった。それにも頷けるほどの傲慢さを持てればこれ程に苦しむ事はないのだ。
「ならば」
 彼は剣を腰の位置で構えた。
「我々と共に戦え。おまえの言葉が真実のものならば、目指すところは我らと同じはず」
 じり、と彼の爪先が動く。跳ぶ、と思った瞬間には真横にいた。
「異端者ラムザよ、よく聞くがいい」
 剣を目の高さに掲げた。彼らと同じ高さで灯されたランプの光が互いの剣に反射する。
「我々グレバドス教会が理想とする世界は身分の無い平等な世だ。聖アジョラが唱えた理想郷、すなわち『神の国』……!」
「神、か」
 既にラムザにとっては疑わしいものの名。
「民の心はもはや王家からも貴族からも離れている。それは貴様も充分承知しているだろう。今、我々が正しき道を示さねばイヴァリースは滅んでしまうのだ!」
 彼は決められた台詞を話している役者のように思われた。しかし同時に狂信的な感情がその目に宿っていた。
「ではおまえ達はなぜ戦乱を起こしたんだ! 罪無い人々を巻き込み滅びの速度を増す内乱が、神の意思だとでも言うのか!」
「犠牲は必要だ!」
 どこか、悲痛な色の声だった。ラムザは一瞬の隙を見極めて跳び退る。が、緑のフードが翻り、はっと息を飲むと背後を取られていた。振り向き様に思い切り剣を叩き込み、歯を噛み締めながら剣をすり合わせた。
「大きな変革のためにはな! この内乱によって腐りきった王家や貴族の豚どもにその罪を贖わせ延いては民を救うのだ!」
 ぎりぎりとラムザを押す相手の髪が黄色の照明に濡れたように光った。
「本気で言っているのか!」
 強い風のような押し斬りを辛うじて受け流してラムザは彼の足元に沈んだ。そして伸び上がりざまに身を翻して剣を突き出す。再び噛み合った刃から確かに火花が散った。
「こちらに来い、ラムザ!」
 同時に跳び退って剣越しに視線を合わせる。ラムザは片手で剣を持ち、空いた手で腰のポーチを探った。ポーションを取ると音だけを頼りに左に放る。頭に当たったらしく、あ痛、とジャッキーが声を上げ、ありがと、と言いながら走って行った。目の前に立ちふさがる相手はその反撃の隙を見過ごしたのか、動きは無かった。
「……こちら側に来い。我々に協力しろ、ラムザ。かつておまえの友であったディリータがそうしたようにな」
「ディリータ、ね」
 ラムザは眼に力が入るのを止められなかった。友、という発音がいやらしく耳に残る。
「よく知っているみたいだね」
「今の貴様を見て思い出したよ。大して親切でもないくせにディリータもそうやって周囲を構う。音に敏感なのはベオルブの仕込みか?」
「本人に聞けば?」
 じりじりと二人は距離を取っていく。
「どうやら僕は、ディリータとは相性が悪いみたいなんだ」
 ふん、と彼が初めて明らかに笑った。
「だから、同じ道を行く事は止めておくよ。民のため、と聞こえはいいけど、結局君らが欲しがっているのは騎士団や人さえも超えた巨大な軍事力じゃないか。支配、だよ、教会がしたいのは聖石に秘められた恐ろしい力を使った支配だ。あの忌まわしい悪魔の力による支配が王制よりもマシだなんて僕には思えない!」
「悪魔の力?」
 彼はラムザを見据えてまたも苦笑した。
「馬鹿なことを! 聖石は『神器』だ、神の奇跡によって民を導くことが悪魔の力だとはよくも言う!」
「枢機卿がルカヴィになった事を知らないとは言わせないよ。君達がそう仕向けたんだろう? あの醜悪なものが悪魔でなくてなんだと言うつもりだ!」
「ルカヴィ……?」
覇気が緩んだ瞬間にラムザは石積みを跳んで彼から離れた。
「何の事だ!」
 追いすがる声は真剣だった。
「貴様達は聖石を奪うために枢機卿を殺害したのだろう! それこそ悪魔の所業ではないか!」
「結果的にそうなっただけだ!」
 びゅ、と耳元で風が鳴ってラムザは仰け反った。こめかみから血が飛ぶのが見え、落下するようにラムザは石積みから跳び降りた。ラムザよりも早く地に降り立った緑の影が、銀の光を散り撒きながら突っ込んで来るのを両手で支えた剣で受け流す。高い音が響きラムザの腕がびりびりと痺れた。
「耳だけでなく目も使えるようだが」
 余裕のある声はもう背後にあった。
「遅い!」
 ぎいん、と脳に染み入るような金属音にラムザは視界を一瞬失い、同時に石積みの下を滑って隣りの通路に跳ばされた。重くよどむ脇腹を抱えて反射的に立ち上がる。斬れたのは僅かだが打撲としての痛みが深刻だ。脚力だけでなく全身の筋力が発達しているからこその、鎧を気にも止めない攻撃。傾くラムザの前に敵兵らしき死体が幾つか見え、ムスタディオがラムザを見つけて一歩を踏み出して来た。
「来るな!」
 ラムザの声より速く、ムスタディオが真横に吹っ飛び石に背中を打ち付けて転がる。軽装の体の下にじわじわと血が広がるのが見えた。
「ムスタディオ!」
「自分の心配をするがいい!」
前傾姿勢で剣を向ける彼が笑うように言った。
「この程度の隊で、よくも枢機卿の固い警備を越えたものだ」
「……」
「もっとも、あれは死んでくれて助かったよ。内密に聖石を集めようと勝手な真似をしてくれていたからな」
「僕らを……片付ける名目も出来た事だしね」
「その通りだ!」
 彼の姿がぶれた、と思った時には目を閉じる隙も無くラムザは血飛沫を見ながら片膝を付いた。

 肩に重く熱く噛み付いている刃は同時に冷たさを伝える。ぐっと両手を突き出して、ラムザはぼそりと言った。
「抜けない、だろう?」
「なぜ避けない……!」
 彼は、斬り捨ててゆくつもりだった足を踏み出したままの姿勢でラムザの前に固定されていた。
 ラムザの剣は鎧を噛み越し、浅くではあったが目の前の体を刺し留めていていた。ラムザの左肩に食い込んだ剣もまた、鎧に捕まえられている。
「君の、名を聞いておこう。ディリータに自慢したいから、ね……」
 荒い息でラムザは言った。
「こんな捨て身で……この先をゆけると思うのか……!」
「僕は、君も知っての通りの傭兵くずれだ……。君達のやり方とは、違う」
「愚かな……」
 がつん、と膝を付いて彼は項垂れた。
「……俺は、イズルード・ティンジェル、だ」
「覚えておくよ、イズルード」
「その必要は無い、な!」
 ラムザはびくり、と背を反らした。ラムザは剣を捩ろうとしていたが、イズルードは片手でラムザの手首を捉えて動きを止めた。そして残った片手だけとは信じられない力で鎧を裂きながら刃が肩に食い込んできた。
「ぐ……!」
 温い血が互いの手に伝う。大きく目を開いてラムザはイズルードの顔を見つめた。脇腹の痛みに唇を歪めたイズルードもまた、ラムザの顔を見つめていた。彼の視線はこんな状況にも関わらず始めに感じたような纏わり付く執着を残している。やはりどこかで会った事があるのか、そう思った刹那に、ず、とまた刃が沈んでラムザは吐き捨てるようにうめいた。
「ふん……ダイスダーグに従っていれば良かったものを」
「ぐ……っ、そ、そうしていたら……僕は、僕じゃなくなった!」
 ラムザは渾身の力で剣を回そうとし、その手首を締め付けるイズルードの手が軋む。二人は唇を噛み締め、互いを凝視した。
「ぎ……っ」
 とうとうラムザの剣が僅かに軋んでイズルードが唇を噛み切った。
「空気が入ると……痛いよね……」
「ふ……腹のこの位置じゃあ、死にたくともそうそう、死ねないな。俺がおまえの心臓まで斬り下ろす方が、速いぜ?」
「やってみないと……分からない……!」
「俺が死んだとしても代わりはいくらでもいる……。おまえ達は逃れられない……」
「それでも、行かなければならないんだ!」
「哀れだな」
 イズルードの声の調子が変わり、探るような視線がラムザの顔の上にさ迷った。
「何……」
「あいつが、哀れだ。おまえと似すぎている。羨ましい程の一途さも、飼いネコのはずが猛獣だったというところまで、な」
 あいつ、とイズルードが言った者に心辺りがあった。ネコ、ネコでも飼って苛めたらどう、最近飼い始めたんだ、意外と使い勝手が、と頭の中で声が渦巻いた。
「あの子を知っているのか……彼は、」
「聞いてどうする?」
「……そうだ、ね」
「死んだよ」
 え、とラムザは前髪の間からイズルードの目を探した。彼もまた、汗を滴らせながらラムザを暗く見た。
「ディリータとおまえが、殺したのかも、な」
 いや、俺かもしれない、そうイズルードは呟き、そしていきなり剣を離してラムザの頬を殴りつけた。それでラムザの手が離れると腹の剣を引き抜きながらばっと背後に跳んだ。イズルードがいた場所に真っ赤な光が飛び散り、ラムザの左肩から零れた剣が床に転がる。そして、ラムザの前に立ちはだかるようにするりとアグリアスが着地した。

「そうか……。あなたも」
 イズルードはアグリアスを認めて驚いた表情を見せた。
「イズルード殿、でしたね? 一度王城でお会いした。こんな形で再会するとは残念です」
「まだラムザ達と行動していたのか」
「ご覧の通り」
 二人共が少し困ったような顔を互いに向け、しかしアグリアスが先に吹っ切るように剣を持った腕をぐっと突きつけて言った。
「諦められよ、間もなくあなたの部下は全滅する」
「なんだと……!?」
 自分の血で濡れた切先を上げ、イズルードは顔を歪めた。ラムザの視界を遮ってアグリアスの茶色のマントが静かに進む。金色の髪の束が重たげに背中に垂れているのを見ながらラムザはイズルードの残した剣を両手で握った。傷ついた左手には意識を凝らさなければ力が入らない。
「大儀の無い私達には生き残るための努力が許されている」
 歩み寄りながらアグリアスは淡々と言う。
「命をいとおしみ合って戦う事も。それが、ラムザが無茶をする理由であり、私達が負けない理由だ」
 どさっと壁に背中を当て、同時に苦痛にうめいてイズルードは腹を庇った。
「くそ……っ! 貴様らの強さを認めろと言うのか……」
「認めてもらわずとも構わない。私とて、ラムザを知るまではこんな強さは知らなかったのだから」
「どいて、アグリアスさん」
 ラムザがずるりと立ち上がって言った。
「彼は、僕が気に入っているようなんだ……」
「ラムザ」
「僕も、イズルードを気に入っているんだ」
 アグリアスは珍しく呆れたような表情でラムザを見下ろした。そしてゆっくりと道を空け、ラムザの後ろで剣をイズルードに向け続ける。
 イズルードは石積みに挟まれた壁に手を添えて縋り、片手で剣を掲げた。
「俺は死なない、ここで死ぬ訳にはいかないんだ、聖石は俺達が守る……!」
「僕らに渡してくれれば命を助けてもいいよ」
「は、笑えない冗談だな!」
 イズルードは顔を背けて唇を曲げた。
「僕は嘘を吐かないけどね……。じゃあ、ディリータへの遺言を聞いてあげようか?」
「そんなもの……あるものか!」
 イズルードは汗を飛ばして顔を上げた。真上にあるランプの光に輝きを増した目は、命が無い人形のような鮮やかに過ぎる色に見える。そう、二人は互いに思った。
「あるものか……あいつは……まだ、」
 ラムザが不審に眉を上げ、ふっとイズルードが笑った。
 瞬間、ご、と重く何かが軋み、あっとアグリアスが声を漏らした時にはイズルードの姿は壁の中に吸い込まれて回転する隠し扉が勘に触る音を立てて閉じた。
「覚えておけ、ラムザ! 次に会う時がおまえの最期だ!」
 そう、ひどく遠くから声が聞こえ、駆け寄った二人が幾ら押してもそれは二度と開かなかった。






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