「おお!? なんだ?」
いきなり開いた壁の隠し戸からの光に身構えたラッドは、アグネスの顔を見て力を抜きつつ目を剥いた。
「面倒見て! まだやつらを追ってるから!」
ぐったりとしたムスタディオを押し付けられ、意識の無い血塗れの体を隠し通路に引きずり込みながらラッドは顔をしかめた。アグネスは壁の中に残していた長剣を掴み、矢筒を背から降ろす。
「おい、待てよアグネス!」
「時間が無いのよ、逃げたリーダーをラムザが探してる!」
「だから俺が要るだろうが!」
アグネスは、ムスタディオの蒼白な顔とラッドを見比べ足を止めて無言になった。ラッドは持っていたポーションを素早くムスタディオに振り掛け大慌てでケアルを唱える。そして微かに身動きしたムスタディオを軽く揺すった。
「ムスタディオ」
唇を震わせ、しかしぼんやりとラッドを見上げるばかりのムスタディオにラッドは強く囁く。
「ここで、これ持って、じっとしてろ。後で拾ってやるからな!」
ありったけのポーションをばらばらとムスタディオの脇に置き、ラッドは通路から身を乗り出した。
「……すぐに戻るからしっかりおしよ、ムスタディオ」
アグネスが緊張と不安のために無表情に近くなった顔でムスタディオを覗き込む。理解したとは思えなかったが、ムスタディオは小さく頷いてから目を閉じた。
「さっさと片付けて来るからな」
ラッドは無理な笑顔をムスタディオに向けると壁を閉じた。暗い通路に横たわっていた、現実感がない程に白く見えたムスタディオの手を振り切るように、二人は階段を勢い良く登って行った。
駆け上がり、灯りの乏しい書庫に飛び込んだ時、頭上から降る太い男の声に目を見開くラムザがまず見えた。
「ウィーグラフ……?」
ラムザの呟きが書庫の床に固く落ちた。
「え、」
ラムザが唖然と見上げる男を背後で同じく見上げ、アグネスは剣の柄に手を掛けたまま足を止めた。
「聖騎士だ、間合いを取れ」
低く言いながらアグリアスが二人の側を走り抜け、頭上を仰ぎ続けるアグネスにラッドが眉を上げる。
「知ってるヤツなのか?」
おい、とラッドが揺すると固まっていたアグネスは茫然と頷く。そしてまた書庫中央に位置する回廊の上に視線を返す。そこには白みの強い金の鎧を纏い、多方向に光を放つ剣を掲げた男が立っていた。その脇にはやはり剣を抜いた二人の剣士が見える。
「ウィーグラフ……! 生きていた、のか……」
ラムザは唸り、ウィーグラフを見つめている。ジャッキーの矢を剣を返すだけの動きで簡単に叩き落しながら、ウィーグラフはゆっくりと階段を降りて来た。
「久しぶりだな、ラムザ」
階段の中ほどで立ち止まり、ウィーグラフは目を細めた。
「また会えて嬉しいぞ」
その掠れた、しかしよく通る声に反応したアグネスが素早くラムザの背後に控える。先ほどのイズルードとの戦いでラムザは左肩に大きな傷を負っている。更には強打された腹の痛みが残っているだろう。手当てはしたが、切先がいつもより下がっているのはアグネスにも分かった。
「あなたは理想の実現に燃えていたのだと思っていたよ」
喉に物が挟まったような、くぐもった声でラムザは言った。
「まさか教会の犬に成り下がっているなんてね」
「犬」
ウィーグラフはぴたぴたと剣で手のひらを打ちながらラムザの周りを歩き始めた。それを追ってラムザもじりじりと歩を踏み変える。
「おまえは私の信仰を笑うか」
軽く首を曲げてウィーグラフは視線を投げる。からかうような笑みが唇に浮かび、ラムザは腹に力を入れて低く言った。
「今の教会は、もう正しい場所じゃないよ」
ははは、と軽やかに笑う声が響いた。回廊の部下達が驚いた視線を投げ、それを隙と見て打ちかかるラッドとアグリアスが乾いた靴音を聞かせる。
「そうか? 傭兵家業も神殿騎士団もさして変わりはないだろうよ。優先されるのは正しさではなく信じる事だ。隷属するしかない貴族どもよりかは随分とマシな居場所だがな」
「それだから僕は言っているんだ! 貴族の圧制を憎んだあなたが、聖石を利用して教会が民を支配する事を許すのか?」
ふ、と唇から呆れたような音を漏らしてウィーグラフは頭上を見上げた。剣士は一人倒れ、もう一方はまだラッドと睨み合っている。
「『実現』の困難さを知らぬおまえに何が分かる」
「僕は、」
「知らぬだろう、己の絶望しか。おまえは理想を捧げた場所が分解し、汚水のごとき流れとなって国を荒らす様など知らない。理想がどれほど素晴らしくとも、実現されなければそれはただの夢、いや、悪夢だ」
「それでも信じ続ければ叶う事だってある……!」
行け、とアグネスを追い払う仕草をしながらラムザは言った。馬鹿じゃないの、といつもの呟きとケアルの詠唱が聞こえてから彼女の気配が背後から消え、ラムザは切先を僅かに上げた。
「話にならんな」
ウィーグラフは歩を止めた。古い祭壇の石を思わせる、暗く圧倒的な眼光にラムザはにじり下がる。
「それこそ夢物語だ。夢を実現させるのは、力だ。この世では力が無ければ何も出来ない。私はそれを悟り、夢を実現化するために教会を擁護すると決めた。犬と呼ばれようとも私は一向に構わない」
「あなたの夢?」
「差し当たってはおまえ達を屈服させる」
彼の言葉が終わると同時にラムザはぞっと背筋を強張らせた。床を蹴るのが一瞬遅れ、ラムザの膝辺りを掠めて赤い光が駆け抜けて行った。
――なんだ!? 今の気配は
膝から立ち昇るように体の中に痛みが響く。しかしラムザはそれよりも、アグリアスのものとは全く違う聖剣技の様に額に汗を沸かせる。
――あの時と違う!
アグリアスとウィーグラフの聖剣技は違う。アグリアスは自身の覇気すら剣に注ぎ込み、気迫で技を支えるようなやり方だが、ウィーグラフは至極あっさりと放つ。かつて風車小屋で戦った時ラムザは、歩くが如く簡単な仕草で高度な技を操るウィーグラフの姿に恐怖を覚えた。しかし、今感じる恐怖はその時のものとは違う。明らかにそれは、禍々しさ故の生理的嫌悪だった。
「変わったんだね、ウィーグラフ」
自然、眉が寄る。ラムザにとってウィーグラフは、戦いたくない相手であり、同時に戦えた事を誇りたい男だった。
「あなたは悲しい人だ」
「お気遣いありがとう」
ウィーグラフは腰を折ってお辞儀をして見せた。そうして上げた顔に輝く賢者のような石色の瞳は、かつての『心』が溢れるようなものでは無く褪せて見えた。彼が纏うきらびやかな武具の光と同じく。
大きく頭を振りラムザはウィーグラフを見つめ返した。彼の瞳に炎を探そうとした。
「たとえ夢敗れても人々はあなたを忘れなかったはずだ。あなたの思想も行動も、人々の価値観に影響を与えて僕ら貴族の因習に確かに一石を投じたじゃないか! あなたは、あなたの思想でもって行動していた、だからあなたの行動には意義があった。今のあなたを見れば、ミルウーダもあなたの仲間だった者達も無念に思うだろう」
ラムザの言葉が流れる中、ウィーグラフの唇が僅かに曲がり、詠唱ではない低い声が漏れた。喉だけで作られる笑いだった。
「夢や理想は誰かの手を借りて実現させても価値が半減してしまう! そうじゃないのか、ウィーグラフ!」
軽い動作でウィーグラフは退いた。途端、あ、と一声上げてラムザは吹き飛ばされ本棚に打ち付けられた。ばさばさと落ちる本の隙間から見えるウィーグラフに剣を突き出しながら空いた手に触れる本を投げつける。それを剣で叩き落としてウィーグラフはまた声を上げて笑った。明らかな手加減と立ち上がるのを待つ様子の彼にぎっと歯を噛み合わせ、ラムザは剣を構えた。
「ラムザ、おまえは一人で生きているか?」
暇を持て余すようにウィーグラフは剣を手のひらに打ち付ける。
「何……」
「おまえは違うのか、と聞いているのだ。おまえは独りで生きているのか、と」
返答は出来なかった。ラムザは攻撃の間合いを取りながらじりじりと後退する。
「おまえには、我々のような『持たざる者』の気持ちは分からぬ。たとえ分かるとしても、それは理屈だけだろうよ。実感の無さ、それがおまえの限界だ。貴族に属するという限界なのだ」
「……確かに僕は持たざる者ではなかったかもしれない。でも、何かを持っていた訳でもないッ!」
「詭弁だ。おまえは他の手が入れば半減すると言ったではないか」
「そうだろう、ウィーグラフ!」
「おまえには、半分でも上等だとは思えないのだ」
また、何の気配もなくラムザの前に青い光の亀裂が瞬いた。辛うじて剣を掲げて転がるが、ウィーグラフの足が背中に乗ってラムザは回転を止めた。
「理想が半減して何が悪い? 公正な世が得られるならばそれで私は構わない。現実とはそのようなものなのだ。おまえが考えている以上に、人にとっての現実は『厳しい』」
蹴り飛ばすようにラムザの背から足を下ろしたウィーグラフは優雅にも見える動きで回転して、背後に降りて来たラッドに剣を叩き込んだ。う、とうめきがラムザの耳に届いた時には、彼はラムザとは逆方向の壁に叩き付けられて倒れ伏していた。
「おまえに責められる覚えはない。おまえ達に私を責める理由など何もないのだ」
やはりウィーグラフはラムザが立ち上がるのを待っている。ぴたぴたと手のひらで剣を弄びながら少し顎を上げ、蔑み哀れむ視線を投げ下ろし続けている。
「……責めたいよ、僕は」
ラムザは盛大に顔を歪め剣に縋って立ち上がった。剣を胸の前で立て、ウィーグラフは鼻で笑った。
「あなたが理想を失った時……あなたは同時にミルウーダを失ったんだ」
瞬間、どっと衝撃を受けてラムザは揺らめいた。しかし倒れる事は許されなかった。傷つき庇っていた左肩の傷の上に、ウィーグラフの煌めく剣が埋まっている。鎧が割れている分簡単に埋まったそれに、ラムザは叫ぶ代わりに頭を振った。
「奪ったのはおまえだ!」
「殺したのは僕だよ! でもあなたが理想を持ち続ければ彼女の心を失う事はなかったんだ……。ミルウーダはあなたの理想に殉じたんだから!」
「黙れ!」
それまでは細められていたウィーグラフの目がぎらぎらと見開いた。
「おまえには分からない!」
「分からないよ、ウィーグラフ!」
ラムザの切先が上がりウィーグラフが跳び退る。肩から飛び散った血がウィーグラフの動きそのままの軌跡を描きそれを断ち切るようにラムザが跳ぶ。がっと剣を合わせ、書籍を撒き散らしながら本棚の間で二人は回転した。
「力だけは一人前か!」
至近距離でウィーグラフの息を聞きながらラムザはひたすらウィーグラフに密着した。噛み合った剣が離れれば瞬間的に殺られるという確信があった。荒い呼吸音と踏み換える踵の音が空間に満ちる。
「こうしておまえと戦える日を待っていた」
滑りそうになる刃に力の全てを注ぐラムザを徐々に追い込みながら、ウィーグラフは囁く。
「ミルウーダの無念を晴らせる日を!」
「ミルウーダは、あ!」
足元が浮いたように感じラムザが視線を下げた瞬間、視界が真っ赤に染まった。北斗、という音をかすかに聞きながら、強烈な光の圧力に全身の皮膚をびりびりと振動させラムザは大きく弾き飛ばされた。
――憎悪と怒りの波……!
そう意識が動いた時、ラムザの視界には男のつま先が見えていた。
「こんな心じゃ、ミルウーダは……」
呟いたつもりだったが声は出なかった。喉の奥に焼けた金属が詰まっている。吐き出せば、それは唇を焼きながら床に垂れた。目の端に腕から離れた剣が光っている。それは、王都で購ったばかりのラムザの剣では無く、白く光る細身の剣だった。ウィーグラフの剣でもない。石の迷路の中でイズルードが使っていたものだった。
――ああ、入れ替わっていたんだ。
この場にはそぐわない思考の中で剣に腕を伸ばす。しかし想像の半分も腕は動かない。体を折って這えば激痛に貫かれ咳き込み全身の痛みに耐える、視界のつま先が動く。
「その血がミルウーダを慰めるだろうよ」
踏みにじるようにウィーグラフはラムザの血に足裏を置いた。ラムザは反射的に彼の足首を掴んでいた。
「あがけ」
低く笑い、ウィーグラフは剣を振り上げた。
どん、と低く爆発音が響き、物陰に運んだラッドにポーションを振りかけていたアグリアスは顔を上げた。ラムザ、と悲鳴のように呼ぶ声が聞こえ、続いて黒い煙が本棚の間を流れてくる。行け、と呟くラッドに頷き、アグリアスは駆け出した。
「どうした、」
回廊の真下、蒼白の顔に汗を浮かべてジャッキーが矢を放ち続けている。アグネスが燃える書架の間をゆく。炎の中央には二人の人影が灰色の煙を上げていた。それに体当たりするようにしてアグネスが跳びかかり、床に近い所にいるラムザを抱きかかえると盛大に咳き込みながら引きずって行った。
ぐ、と低い唸りはウィーグラフ、彼はゆっくりと崩れ折れると膝を突き、剣で体を支えて顔を上げた。
「捨て身も極めれば、か」
自分を標的としてラムザは炎を呼んだ。
「だが、私は……負けぬ」
彼は熱をもった鎧を軋ませて立ち上がり、剣を高く突き上げた。その体にジャッキーの矢が一つ二つと埋まる。
「私は……アリエスを持つゾディアックブレイブ……! 負ける……訳には……いかぬ!」
アグリアスの切っ先は届かず彼の体は膨張するように歪み、そして溶けるようにして消えた。
「まさか……彼もまた聖石を……?」
唖然と焦げ跡を残す床石を見つめたアグリアスは、どこだ、とうわ言のような声を聞きとめて振り返った。ラムザがアグネスの腕の中でもがくようにして這い出そうとしていた。
「ラムザ!」
駆け寄ってもラムザは床を掻いている。
「ウィーグラフ、どこ、だ、」
「終わった、ラムザ、ウィーグラフは消えた」
ラムザはぼんやりと視線を上げてアグリアスを見つめた。アグネスが続けざまにケアルを唱え、アグリアスもあるだけのポーションの蓋を開ける。
「なんて無茶するんだよ!」
「彼が、言っていた、から……」
呟き、ラムザは小さく笑った。
「僕は、一人じゃない、からね」
「あたし達のポーションを当てにしないでもらいたいね!」
今にも殴りつけそうに拳を震わせ、その手でアグネスはケアルを降らせる。
「こっちは心配ないわ」
ラッドに肩を貸してジャッキーが寄ってくる。いてて、といつもの軽い調子でラッドはラムザを見下ろした。
「なんとかなったな」
ほっと空気が緩む中、アグリアスも微笑み、そしてすっと立ち上がった。
「アルマ殿! もう大丈夫です」
「きっと壁の中だよ」
ラムザを床に寝かせてアグネスも立ち上がり、大きな声でアルマの名を呼んだ。しかし、薄く煙の漂う書庫からは、何の音も聞こえない。
「アルマ……?」
辛うじて起き上がったラムザが、手を突いて辺りを見回す。ジャッキーが跳ねるようにして駆け回ってアルマを呼ぶ。
「いない……?」
一同に、痛いほどの緊張が走った。
「おい、まさか」
「手分けして探すのよ!」
ジャッキーの言葉で女達が一斉に書庫を駆け出して行く。ラッドと体を支え合ってラムザも立ち上がった。思うようにならない全身から汗が噴出してくる。
「上に行ってみるか」
気軽な調子でラッドが言い、ラムザは重い頭を頷かせた。
苦行のように階段を上り、そして白い石の敷かれた回廊に辿り着く。と、行きに見たオーボンヌの兵士の死体に混じってムスタディオが倒れていた。彼らに気づいてムスタディオは顔を横向けて何かを言った。
「なんだぁ!? あいつ、出てきやがったのかよ!」
ラムザを引きずるようにしてラッドが踏ん張って歩く。ぱったりと倒れているムスタディオの隣にラムザを座らせてムスタディオを覗き込んだ。
「どうしたよ、じっとしとけって言っただろが!」
「アルマが連れて行かれた」
え、と二人は同時に目を剥き、ムスタディオは表を指差した。力を使い果たしたようで、早く、と言うとぐったりと頭を落とす。
「アルマ!」
掠れた声で叫び、ラムザが力の入らない足で壁に縋って立ち上がる。そしてチャクラを詠唱するとほぼ同時に駆け出した。それでも完全に回復しきらず蛇行している。
「おい! ラムザ!」
もつれそうな足を叩きながらラッドも後を追う。外からジャッキーの叫び声が聞こえ、ラムザは速度を上げて扉を抜けた。
「アルマ!」
ラムザの目に駆け去るチョコボの背とそれを操るイズルードの姿が見えた。彼の腕の中には赤いアルマのドレスの裾がひらひらと揺れていた。
「待て、イズルード! アルマ!」
声が聞こえるかどうかという距離、矢を番えようとしたジャッキーが、はっと気づいたように口笛を吹いた。それに答えてボコの声がする。いつものように『仕事』が片付くのを近くで待っていたチョコボ達がジャッキーに向かって駆けて来た。
「追うわ! ジェリアはここに残りなさい!」
そう言い残してジャッキーはボコに跳び着き、最上の速度で駆けて行った。
ラムザはしばし呆けたように立ち尽くしていたが、死体だと思っていた前方の影が唸り、びくりと体を震わせた。
「やっと……本物の妹を奪ってやれたな……」
「ウィーグラフ……!」
ラムザは剣を抜き、ゆっくりとウィーグラフに近づいた。倒れ、矢傷から絶え間なく血を流す男は暗い目を宙に泳がせて呟く。
「こんなところで……死ぬのか……私は」
「死なせない!」
ラムザはウィーグラフを凝視した。
「あなたと交換にアルマを返してもらう!」
「ミルウーダの仇……これくらいでは足りぬ……。このまま死んでは……死んだ仲間に、申し訳が……」
「死なせない、ラッド!」
ラムザは振り返り、扉にもたれて肩で息をしているラッドに叫ぶ。
「ラッド、ポーションを!」
「いや、だ、死にたく、ない、この、ままで、は、あまり、に……」
「ウィーグラフ!」
ラムザの叫びも空しく灰色の目は光を失っていく。それに呼応するように、彼の胸元から生き物が這い出すように紫色の石が現れた。それは、かつん、と高い音を立てて転がり落ちたと同時に、ふわりと宙に浮かび上がった。
「聖石……!」
――聖石を持つ者よ 我と契約を結べ
石は宙に浮かび回転しながら言葉を発した。ライオネルで聞いたあの不快なものと同じ音に、ラムザは後退った。
――聖石を持つ者よ 我と契約を結べ さすれば汝の魂は我が肉体と融合し、永遠の生を得ることができよう
「これが……聖石の秘密……? あの方がおっしゃた事は真実だったのか……」
――汝の絶望と悲憤が我を喚びだした さあ 我と契約を結べ
「聞くな! ウィーグラフ、聞いちゃいけないっ!」
ラムザの背筋を泡立てるその声に、ウィーグラフは恍惚として頷いた
「駄目だ、ウィーグラフ!」
「助けて、くれ」
「やめろ、聞くな!」
――我が名は魔人ベリアス 汝の願いを聞き届けよう!
ウィーグラフの言葉と共に聖石は辺りを圧する光を放ちウィーグラフの姿が歪む。ラムザは顔を背け、しかし痛みに似た強烈な輝きに膝を崩して地に伏せた。
――これが聖石の力か!
光が弱まり顔を上げる。そこに人の姿は無かった。
「ウィーグラフ……!」
――ラムザ、素晴らしいぞこの力は! 力だけではない、時空を越えてあらゆる知識が刻み込まれていく……!
ラムザは握ったままの剣をウィーグラフだったものに向ける。喜びに溢れたように身を震わせる圧倒的な存在に勝てるとは思えない。しかし剣を向けずにはいられない嫌悪。
「あなたは……ウィーグラフ、あなたは……っ!」
剣を突き出して飛び掛るが体が前に進まない。ベリアスが軽く手を振ると、ラムザは弾かれ背後の立ち木で強かに背を打った。
――慌てるな……楽しみは後にとっておけ……!
高く低く笑い、ベリアスはまた光を放ち始めた。歓喜と憎悪に満ち満ちた声が光と混じり合って頭の中を掻き回し、ラムザはウィーグラフの名を叫びながら剣を振り回した。
やがて、紫の強い光が消えた。彼の消えた方角など分からない、それでもラムザの足は闇雲に走り出そうとする。しかしなぜかラムザの体は斜めに傾き、足の裏が柔らかく歪んだ。
「ラムザ、様、」
その時背後で、誰かが溜息のように言った。濡れた足音に振り返ると、施した応急処置も虚しく法衣の裾までを赤く染めたシモンが崩れ落ちるところだった。
「シモン先生……!」
駆け寄っているはずなのに、いやにシモンは遠い。混乱した思考の中では血の色だけが鮮明だ。
「しっかり、しっかりして下さい!」
シモンは既に生の限界を超えていた。焦点の合わない目がラムザの顔を何度かかすめて懺悔をし、そして閉じられた。
「こんな……」
老人の軽い体を横たえて、ラムザは立ち上がる。追わなければ、追わなければ。
「ゾディアック……」
手の中に残されたのはただ一冊の本。
「アルマ!」
その名を呼ぶ自分の声に打ちのめされてラムザは地に膝を付く。それだけでは身を支えられずに本を抱えながら体を丸めた。寒い。
「……ザ、ラムザ!」
誰かが呼んでいる。寒い。
「ポーションは無いのか!?」
暖かい光が体を包む。ケアルにわずかに和らぐ冷たさ。では自分は傷を負っているに違いない。それも新しい、チャクラで回復したものが流れてしまうくらいの傷を。いつ自分は斬られたのだろうかと考え、しかし、唇は一つの名だけを呼んだ。
「アル、マ」
それを最後にラムザは真っ黒な視界に自ら飛び込むように落ち込んだ。とても遠くでケアルよりも暖かい声が自分を呼んでいたが、それも今はどうでも良かった。
FFT TOP