闇と眠る 5

 アカデミーは想像以上に騒然としていた。何より、五代目と側にぴたりと従ったシズネの姿が事態の深刻さを告げている。
「イルカ」
 困惑顔のハツセが隣に立つ。あの任務の後、教師認定試験会場で顔を合わせ、腐れ縁だと笑い合った。以来共にアカデミーで勤めてきた男が、見たことも無いような複雑な表情を浮かべている。
「おう。大事になってるな」
「尋問部隊が出てくるとはな……」
 二人の視線の先、大柄な男達が最年少組の子供二人を囲んでなにやら話し掛けている。子供達はすっかり怯え、お互いの袖を掴んで震えるばかりだ。
「仕方ない」
 大きなお世話を承知で、イルカは尋問部隊の男達の中に割って入った。
「おい、取調べ中だ」
「これじゃ、何も話せませんよ」
 なあ、としゃがんで子供達の頭を撫でてやれば、わっと胸に飛び込んでくる。やれやれと肩を上げる男達に苦笑して、イルカは子供の顔を交互に見つめた。
「ナナセ、ヒカリ。チトセ達が家に帰っていないの、知ってるよな」
 こっくりと頷く子供らに笑って見せる。
「大丈夫だよ、ここにいる人達は、あいつ達を探すために集まっているんだ。でもな、あいつ達を最後に見たの、おまえ達なんだよ。その時のこと、教えてくれないか」
 二人は顔を見合わせ、そしていきなりまくしたて始めた。
「怖かったよ先生!」
「おっきな鳥が来たんだ。カラスみたいだった。でもすっげえ大きくて食われそうだった! キチキチ鳴いてたんだ!」
「こーんなの、ごうって飛んできて、チトセが転んだの。ヒカリ、助けようと思って手を出したんだよ、でも足が動かなかったの。まっ黒でずるずるしてたの」
「ああ、分かった分かった、ちょっと落ち着いて話せ」
 しがみつく子供達の背を叩いてやり、イルカは尋問部隊を見上げた。彼らは驚くほど真剣な顔をしており、イルカを真似て子供らの脇にしゃがんだ。
「キチキチ、鳴いてたのか」
 赤髪の男が言い、勢いがついて彼らの怖さを忘れたらしいナナセがぶんぶん頷く。
「鳴いてた! 鳴きながら飛んでた! 耳がいたかったんだ」
 眉を寄せ、赤毛の男は何度か頷いた。そしてヒカリに顔を向ける。
「黒くてずるずるってどんなだ? 詳しく話してくれ」
「黒くてずるずるだよ?」
 ヒカリの言葉にがっくり頭を下げる男に笑い、イルカは助け舟を出す。
「大きな鳥だな? 羽が黒かったのか?」
「んんー、黒かったけど……羽かなあ」
「マントとかかもしんない」
 考えるように首を傾げ、ナナセが呟く。
「マントか……。鳥だろ、鳥がマント、着るかな?」
「着るかもしんないよ、先生。だってでかかったもん。サンダルはいてたし」
「サンダル?」
「カゲがね、土の上でずるずるしてたの。なんかよく見えなかったけど引きずってたのよ」
 必死で思い出そうとするヒカリの頭を撫でてやる。この子がさらわれたかもしれない状況だったのだ、恐ろしさに記憶が曖昧になってもやむを得ない。
「参考になった」
 ぎこちなく赤毛が笑い、子供達はびっくりしたようにまた顔を見合わせた。そして手を繋いで走って逃げた。
「……傷つく」
「すみません、子供は正直、あ」
「先生もな……」
「すみません……」
 立ち上がりながら苦笑し合う二人の横で、ずっと黙っていたざんばらの黒髪が苦々しい表情で口を開いた。
「先生、今の話、どう思った?」
「え、どうとおっしゃられても」
「鳥、というのは違うな?」
「ああ、そうですね」
 イルカは顎に指を置いて考える。
「あの子達は、まだ忍の卵ですらありません。ただの小さな子、と思ってもらっていい。あれくらいの年頃なら非日常的な事態に直面した時、それを自分達が知っている物に置き換えて理解しようとします」
「うむ」
 遠くからこちらを窺っているヒカリとナナセを眺めながら、赤毛が一つ頷く。
「サンダルを履いていた、とナナセは言っていた……。ヒカリは逆に、よく見えなかったと言っていた……」
 尋問部隊は黙ってイルカの答えを待っている。待つことに慣れた男達の気配は鈍く、しかし苦い。
「ただの子供と言いましたが、それぞれの適性を考えればヒントになりますね。ナナセは幻術方向に伸びそうで、ヒカリはからっきしだ」
 二人の顔を見て、イルカは推論だと念を押してから言葉を続けた。
「あの子達は確かに黒い大きな鳥を見たのでしょう。しかしそれはサンダルを履いた人間だ。更には、扮装などではなく、幻術系の視覚を迷わせる術を使ったものと考えます」
「なるほどな……。助かった」
「子供達によろしく伝えてくれ、先生」
 あっさり背を向ける二人に一瞬唖然としたが、真っ直ぐ五代目に向かっていく姿を見て納得する。あの新しい火影はせっかちだ。待ち構えるようにして腕を組む綱手の背後では、アカデミー教師数人が額をつき合せて何事かを話し合っている。
「大捜索になるってよ」
 肩を回しながらハツセがやって来る。
「だろうな。他里の忍が侵入したんだと思う」
「そうなのか!」
「まだ決まったわけじゃない。でも、それ以外は考えにくいよ」
 かわいそうに、とハツセが眉を寄せ、イルカも重く息を吐く。子供が少ない新興の里が、木の葉のような大規模な忍里の血を欲しがって誘拐するという事件が過去何度もあったことを思い出し、二人の拳は固く握られる。
「とにかく探そう。五代目の指示は?」
 イルカが顔を上げた時、
「おまえら、よく聞け!」
 綱手が通る声を響かせた。
「里内および周辺を、緊急配備四の班分けで隈なく捜索しろ! 子供達はもちろんだが、侵入者がいたことは確実、その痕跡も見落とすな。だがくれぐれも無茶はするな。暗部の手配は済ませたからな。教師馬鹿は教室の中だけで結構だ!」
 はい、とあちこちから低く声が上がる。皆、感情を抑えようと苦労しているのだ。教師馬鹿か、とハツセが微かに笑った。

 その夜を徹し、捜索は行われた。しかし、侵入経路はおろか、怪しい人影あるいは黒い鳥を見たという新たな証言も皆無、教師達は無為に朝を迎えることとなった。

 が、事態は夜明けと共に一気に解決した。
 里の大門にもたれて眠っている子供達が発見されたのだ。門の見張りが、交代する際に引き継ぎ事項を伝え合っていたほんの僅かな時間を突いてのことだった。
三人共が無事な姿で戻ったことに教師達は安堵し喜び合った。医療班を中心とした検査でも異常は認められず、見つかって半日後にはそれぞれの親が子供を抱きしめて家に連れ帰り、事件は不可解ながらも幕を降ろした。





「ん? どうした?」
 里の大門を任されて数年、仁王立ちも板についたと自負するこの頃だ。ササギは『ん』の門扉を守るゴオウに目配せを送り、足元に寄って来た子供の側に膝を突いた。
「えとね、おとうさんがかえってくるの!」
 にこにこと笑ってササギを見上げるのは六、七才の女の子だ。思わず笑い返す。
「そうか。良かったな」
「うん! おとうさん、まだかなあー」
 小さなひさしを手のひらで作り、爪先立って遠くを見る。しかし決して門の外には踏み出そうとはしない。忍の子なのだろう。自分の息子が重なり、ササギは目元を緩めた。
「それじゃあ、よく見えないだろう? 高い所に登るか?」
「えー、どこどこ?」
「ここだ」
 女の子を抱き上げ、軽く肩に乗せてやる。
「どうだ、見えるか?」
「うん! ありがと、おじちゃん!」
 チトセと名乗った子供と他愛の無い話をしながら、ササギは再び仁王立ちとなった。これなら、子供を気にかけずに守衛の仕事も遂行出来る。こうやって親を待つ子をあやすのも、門番の務めだとササギは思っている。
「おとうさんはねえ、つよーい忍なんだよ!」
「そうだろうなあ」
「おじちゃんもつよい?」
「ははは、どうだろうなあ」
 季節は秋の気配だ。気の早い、半端に色づいた葉が数枚門の中に舞い降りてくる。どこかでキチキチと虫が鳴き始めた。
「おそいねえ、おとうさん」
「まだ待ってるか?」
「うーん、おかあさんはね、おそかったらいちどかえってきなさいって言ってたの」
「そうか。母ちゃんと一緒にもっぺん来るのがいいかもな」
「そうかなあ。……でももうちょっといい?」
「おう、まだ昼間だからな。夕方になるまでならいいぞ」
 ありがとおじちゃん、そう子供は言った。やけに、虫の声がうるさくなったとササギは思った。

キチキチキチキチキチ

「あ」
「どうした、見えたか?」
「あ、あれ?」
 子供の体が強張った。

キチキチキチキチキチキチキチキチキチキチ

 一瞬ササギは呆けた。馬鹿な、と唇が笑う。しかし。
「あ、あ、あ、」
 恐ろしい速さで、肩の上の子供が印を切っている。ササギの動体視力が追いつかない。
「あれ、あれ、おじちゃん、なにこれ?」
「な、なんだ、どうした、チトセちゃん!」
 空気が膨れ上がる気配に総毛立ち、ササギは子供の手を握った。しかし小さな手は、何倍もの大きさの手のひらをものともせず印を切り続ける。
「うわあ、どうしよう、どうしようおじちゃん!」
「何だ、何なんだ!」
「ああああああ! おじちゃんごめんなさい!」



 か細い叫びにゴオウが顔を向けた時、既にササギと子供の姿は歪んでいた。何が、と考える暇は無かった。
「下がれ、下がれええええ!」
 門に近づいてくる忍や里の民に絶叫し、手に触れた、赤ん坊を背負った母親を抱えて走った。
 どおおおん
 噴煙が巻き上がり、続いて『あ』の門扉がゆっくりと傾いた。それを背負うように、ごうごうと音を立てて渦巻く風が里に侵入してくる。門が、と唖然と呟く人々の間を縫って幾人もの忍が跳び出す。結界の印を切るもの、人々の足を止める者、幾つもの術が絡まり合うようにして発動し、赤子を背負った母親を道端に座らせたゴオウが、腹に巻いたさらしをくないで引き千切りながら最後に叫んだ。
「鉄蛇封! 何人も木の葉の門を抜けること成らず!」
 ど、とゴオウの腹から何かが飛び出した。施された刺青が実体となって門に向かう。五体の大蛇が『あ』の門を絡め取りながら門に変化し、風を押し出しながら無事な『ん』の門扉が轟音と共に閉じた。
「何があった!」
 駆け寄って来た忍に、ゴオウはただ首を横に振ってばたりと倒れた。
「すぐに火影様の元へ! 門番の封印はチャクラと生気を根こそぎ持っていく、何があったかを見たのはそいつだけだ、死なせるな!」
 別の忍の怒号に頷いてゴオウを抱えた忍が消えた。固く閉ざされた門の前には、混乱だけが残った。






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