闇と眠る 3

「起爆札を!」
 部隊長の言葉が足元から聞こえる。梢に片足を乗せ、イルカは息を整えようとして、諦めた。
「西に十六!」
 その数字にぞっとしている暇は無い。頭の中で足し引きを済ませると、重力に任せて落下する。
「部隊長!」
 落ちながら最後の起爆札を預ける。忍刀に手をやり、横っ跳びに木の幹を蹴った途端、くないが頬を掠めた。
「ち……」
 毒の臭いがした。続けざまに降ってくる毒針を避けていけば、透明な糸が眼前にきらりと光る。間に合わない、忍刀でそれを押し切り、案の定雨のように落ちてくる千本に火炎をぶつけた。瞬間、ぱちり、と何かが弾けた。
「! くそっ!」
 膨らむ空気に弾き飛ばされる。辛うじて頭を庇った腕に毒針が突き刺さる。
「一匹やったぞ!」
 敵の声が聞こえる。
 ――やられちゃいねえよ!
 長い横傷が引かれた額当てを見ながらイルカは枯葉の上に落下した。砂の抜忍だ。
「捕虜に取れ」
 背後から現れた者を仰ぎ見、イルカは息を呑んだ。顔の半分を鉄の面で覆った男だった。
「……おまえは」
「黙ってろ」
 額当てには半ば潰された木の葉の印があった。しかし、それを見るまでもなく彼の顔には見覚えがあった。
「……抜忍の間でも、木の葉と砂との関係は良好、か」
「黙ってろって言っただろう、イルカ」
 かつて何度か任務を共にした男だった。歯噛みし、イルカは半身を起こした。
「個人任務で深手を負って治療中だと聞いていた」
「里抜けってのは、意外と広まらないもんだ。火影の面子ってヤツだろうよ、くだらねえ」
「……どうするつもりだ。もう逃げられないぞ」
 はは、と笑って鉄面はイルカの胸を爪先で蹴った。
「数では劣るがな。なまぬるく生きているおまえらに、俺達は殺れない」
「ハクト、投降しろ!」
「縛っておけ、囮にする」
 砂の抜け忍に顎をしゃくり、鉄面は背中を見せた。
「残念だよ」
 イルカの呟きに被さりながら、がらん、と何かが落ちた。
「き、さま……!」
 地に膝を突くハクトの側で、胸を忍刀で貫かれた砂の抜忍がゆっくりと倒れていく。
「なまぬるいなりに、考えて生きてるんだよ」
 唖然と外れた鉄面を見下ろし、脇腹に生えた刃を触るかつての同胞を一瞥し、イルカは手のひらを地に翳した。二本、三本と刃が地から突き出し、ゆっくりと切っ先がハクトに向かう。
「動くなよ。こういうの、得意じゃないんだ」
「うおおあああ!」
 ハクトの体をくぐるように、血を吐きながら砂の抜忍が飛び出した。が、一瞬の後に硬直して棒立ちになる。
「……動くなって言っただろ」
 ハクトに向かっていた切っ先が、全て砂の男の腹に埋まっていた。
「動く物全部に反応する」
 砂の男は地にのめり込むように顎から落ちた。動かなくなった体から刃はずるずると抜け落ち、柄から血を滴らせながら再びハクトに向かう。刃越しに視線がきつく絡んだ。
「なるほどな……。そういや、さっきからおまえも動いてねえな、イルカよ」
「さあ、どうだろうな」
「相変わらず腕も頭も悪過ぎらあ」
「おかげさまで」
 刹那、ハクトは苦笑し、そして地を蹴った。





 治りきらない傷のようだ。
 夕暮れの空に浮かぶ細い三日月を見上げながら、イルカは杉の大木の枝に立っていた。仲間の怒号があちこちから聞こえる。
「ヤバイな……」
 足下で絶命したハクトの血が、まだ乾かずに爪先を濡らしているというのに、毒を絞り出し薬を塗り込めた左腕は紫色に腫れ上がっていた。
「きつい……」
 眉を顰め、腕の臭いを嗅ぐ。砂が得意とする即効性の猛毒では無いが、毒消しが効かなければ末路は見えている。
「イルカ!」
 呼ぶ声に枝を蹴る。
「……! 毒か」
 理想的に着地したつもりだったが、さっと支えられた。斜めになった視界に古なじみの顔が見える。もう数少なくなってしまった、アカデミー時代を共に過ごした男だ。今回の任務では彼だけが顔見知りであり、イルカが力を抜ける相手だった。
「すまん、ハツセ。ふらついてるな、俺」
「無理すんなって言いたいところだが」
 下草を踏みにじりながらイルカは深く息を吐いた。心拍数が上がり続けている。
「毒消しは」
「効かない」
 部隊長を、と言い指す男を止め、イルカは足に括り付けたポーチを探る。気付けの丸薬を奥歯でかみ潰した。
「遅効性だ。なんとか保たせる。心配してくれるんなら、さっさとやっちゃってくれよ」
「その状態じゃぎりぎり、」
 言葉を途切らせ、いきなりハツセは伏せた。本能的にそれに習ってイルカも身を投げる。次の瞬間、全身の肌が泡立ち、髪の根本が立ち上がるのがはっきりと分かった。
「何、」
「分から……」
 何かが上に、そう考えついた時には『それ』は頭上を通り抜けようとしていた。追いすがった視界の端に黒い残像を認める。
「鳥……?」
 互いに顔を見合わせ起きあがった視線の先で、強烈な光が飛び散った。
「あっ!」
「行こう!」
 強張った膝を叩いてイルカは手近の木に駆け上がった。僅かに先を行くハツセの足裏を見ながら、発光の中心を目指す。
「消えた!」
 霧散するように光は消え、イルカは目を眇めた。速やかに戻ってきた逢魔が時の青い色が、暗く視界を汚す。
「気配は残っている!」
 瞬き、瞳孔を意識しながら前方を凝視する。枝を降りてゆくハツセの軌跡を辿ってイルカも地に立った。しかし踵の感覚を探せず無様に膝を突く。
「……何だこれ」
 イルカを引き起こしながらハツセが呟き、またもや斜めになった視界の中でイルカも同じ言葉を発した。
「何、だ……これは」
 ちらほらと、仲間が集まって来ている。敵の気配は皆無だった。それもそのはず、目の前には二十人以上の死体がばらばらと倒れているのだ。
「仲間割れか?」
 死体はどれも、他の死体に忍刃やくないを埋めて倒れている。ただ一つ、最も奥まった木の根本につっぷしている死体だけは、背中の中央に穴を開けていた。
「こりゃあまた、派手にやったもんだ」
 木立の間からぬうっと現れた男に皆の視線が集まる。
「部隊長!」
「何ですかこれは!」
 口々に問う者達を片手で制し、部隊長は穴の空いた死体の腕を掴んで持ち上げた。
「焦げてるな……。ああ、木にも残ってる」
 彼が触る幹には、ちょうど拳ほどの大きさの黒い跡が付いている。
「あいつだ」
「は?」
「……まだ気を抜かずに付近を探索しろ。まあ、ここに集まってる死体が敵さんの全部だとは思うがな」
 行け、と部隊長は手を振る。何人かがそれに従い跳躍して消えた。
「あのヤロウ、全部殺っちまいやがって……」
「部隊長、イルカが」
 額を押さえる部隊長に、ハツセは遠慮がちに声をかけた。なんだ、と振り返るなり、彼は大股に近寄って来た。
「毒消しは」
「効かないようです」
 二人の声を頭の上で聞きながら、イルカは事情を説明しようと口を開けた。が、出たものは声では無く足元の草に赤く降りかかった。重くなる頭を下がるままに俯け、ハツセに腕を吊られた格好でイルカは崩れた。
「おいイルカ!」
「まずい寝かせろ。医療担当は、ヨシノはいないのか!」
「すみま、せん」
 辛うじて紡いだ言葉も血に塗れる。
「黙ってろ、誰でもいい、薬の知識のある者を連れて来い!」
 部隊長の怒鳴り声を聞きながら、イルカは必死でまぶたを持ち上げた。ここで閉じれば、もう開けることは無いのだと本能が知らせる。ごうごうと耳の中に突風のような音が渦巻き、脳が重く締め付けられた。
「それじゃ、俺かな」
 ――あ、彼、だ。
 濁り始めた意識に昨夜聞いた声が飛び込んできた。目を動かせば、白く光る長い小手が見える。
「お待ちかねの捕虜だよ」
 どさり、と何かが落ちる音がした。その何気ない音が脳に刺さるように感じて身悶えれば、また夥しい血が口から溢れる。
「……全くおまえという奴は」
「イルカ、しっかりしろ!」
「うわー酷い色」
「助かるか」
「こいつの持ち物に血清があったはずだーよ」
「本当ですか!」
「んーたぶんね」
 緑色に暗転する視界にサンダルから覗く足指が妙に白く映え、なぜかトカゲの尾を思わせた。思った途端にそれはサンダルから跳び出し目の前で長い舌を揺らめかせた。ああ幻覚だ、もう駄目か。苦笑に唇を歪めた時、体のどこかに何かが刺さった。
「間に合うか」
「間に合います! イルカ、根性出せよ!」
 体の芯に火が灯ったように感じ、イルカは濁る視界を瞬いた。目の前に、無機質な面が見えている。
「効いて、ます」
「ホント? 嘘だったら苛めるよ」
「暗部に……苛められるのは、勘弁……」
 どっと噴出した汗が目をきつく収縮させる。何度も瞬きしている内に、突然左の太腿に激痛を感じた。
「い、た、あし、が」
「あ、戻ったね」
 勢い良く、痛みの元が引き抜かれた。ひ、と体を縮めるが複数の腕で押さえ付けられ伸ばされる。
「力を入れるな」
「良かった、助かったんだぞイルカ!」
「う、痛、」
「ただの筋肉注射だよ。畳針みたいなごついのだったけど」
 次第に五感が冴えてくる。目の前で土をにじっていた足が離れて行くのが見えた。
「じゃ、俺はこれで」
「待て、労わせろ」
「冗談。あんたらだけでどーぞ」
 格段に楽になった呼吸に後押しされるように、イルカは半身を起こそうとした。しかし体はイメージ通りには到底動かず、慌てた様子のハツセが肩を押さえた。
「寝てなさいよ」
 じゃーね、と声を残して暗部は消えた。それと同時に、イルカの意識も落ちた。






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