久しぶりに誘われアスマは居酒屋のカウンターに腰を降ろした。週末の陽気で少々やけっぱちな喧騒の中、隣の男がぷちり、とおしぼりの袋を破る。
「アスマー」
相変わらずの間延びした声のカカシはせっせと両手をおしぼりで拭う。
「あのさ、もらってくれないかな、イルカ先生」
ああ? とアスマもおしぼりの袋を引き裂く。
「もらって。イルカ先生」
「何言ってんだ、藪から棒に」
また、益体も無い痴話喧嘩のあれこれを聞かされるのだろうと、煙草を咥えてライターを探す。いつも通りに見つからないので手のひらで火遁を唱えようとすると、店を燃やすな、と言わんばかりにさっと店員がマッチの箱を置いた。すまんなと笑って大人しくマッチを燃やす。
「ガイとおまえ、どっちに頼もうか迷ったんだけどねー。やっぱりアスマがいいや」
「訳分からん事言ってんじゃねえ」
カカシはうっそりと笑って箸を割った。さて次はどう来るか、にやにや笑い返したアスマにカカシは言った。
「所帯を持つ事にした」
へえへえと聞き流しそうになって、アスマは、ん? と首を捻った。
「なんて言った、今、」
「俺、所帯を持つんだ。だから、イルカ先生はもう、いらない」
嘘だろう、と口から煙草が落ちる。それを空中で摘んで元あった唇に押し込み返し、カカシはアスマをじっと見た。
「・・・急な話だな」
「だね。ま、求められちゃったもんは仕方なーいよ」
「仕方ないっておまえな、」
はは、とカカシは笑い、突き出しを箸の先でいじる。
「そっちとはいつからなんだ?」
「覚えてなーい」
「信じられん、年がら年中イルカの後ろにくっついてたおまえが」
アサリと水菜の煮しめを食みながらカカシは店員に手を挙げる。
「熱燗、それとサンマの焼いたのちょーだい」
アスマも角煮と漬物の盛り合わせを頼む。
「乾杯、する?」
手付かずだったビールのジョッキを握ってカカシが言い、お幸せに、とアスマは既に半分ほどに減っている液体を持ち上げた。白々しい音が二人の間に響く。
「で、いつ別れたんだ、イルカ先生とは」
「んー。今夜」
「・・・まだかよ」
「なかなかね、言い辛くてさ」
「そらまあ、そうだろ」
見たままに生真面目なイルカにカカシは大層苦戦した。口説き落とす過程から始まって山だの谷だの、あらゆる愚痴とのろけ話の聞き役に任命されていたアスマには知らぬ事は無いと言っていい。
「おまえ、無事に別れられると思ってるのか?」
カカシは気楽な笑い声を立てる。
「無事も何もどうにもならないって。もう好きじゃないんだから」
――好きじゃない、か。
アスマは茶でも飲むようにビールを喉に流し込むカカシを眺めた。
「で、理由を聞かせろや」
「何の?」
「なんで、俺なんだ」
酒と漬物を受け取りながらアスマは次の煙草を咥える。
「俺の知らない訳分かんないヤツにはやりたかないし、ガイじゃあもったいない」
「ガイが聞いたら泣くぜ」
「違うって。ほら、ガイとイルカ先生って熱いところとか努力型とか基本が似てるでしょ。だからイルカ先生のいいところとそうじゃないところ、大して差を感じないんじゃないかって」
「なんだよ、いいところってのは」
「アレとかコレとか俺が教え込んだ事」
酷えな、とアスマは猪口に酒を注ぐ。
「ガイだとさ、ナニやってもせいしゅーん! って大喜びして終わっちゃいそうでもったいない。でも、アスマになら分かるよ」
カカシが差し出す猪口に注いでやり、アスマは長い尾のような煙を吐いた。
「そんなにもったいないならおまえがとっとけ」
「それが出来ないからもらってって言ってんの」
目の前にサンマが差し出され、カカシは嬉しげに箸を持つ。
「カカシ」
「何」
カカシは綺麗にサンマを解していく。おそらく、イルカもそのように解されたのだろう。
「おまえにとって、イルカは何だった?」
カカシは、イルカの今後の話よりも、サンマの骨と身を完璧に分ける作業に熱中しているようだった。
「水、かな」
「水? 味もそっけもないってか」
だから、味は付けといたって、とカカシは笑った。
寒い季節だからね、簡単だ。イルカ先生は寒いの嫌いなんだよ。
俺があっためてあげてたベッド、今日から冷たいまんまなんだよね。
だから別れて速攻、落とせる。むしろ、速攻じゃないと駄目だ。
次に会ったら、顔色悪いでも目が赤いでもニキビ出来てるでもなんでもいいから誘ったらいい。
で、そのままお持ち帰りしちゃって。
そーゆー事で、よろしく。
――んなこと言われてもなあ。
受付の列に並びながら、アスマは煙で溜息を誤魔化した。
――俺の意思はどーなんだと。
列の先に待つイルカをちらりと窺う。彼は、辛い事など一度も経験しておりません、とでも言いたげな笑顔で任務帰りの忍達をさばいている。
何にせよ、気まずい。当然イルカはカカシと自分が親しい事は把握している。さぐりを入れられるか泣きつかれるか、それとも、などと考えている内にアスマの番が来た。
「こんにちは、アスマさん」
イルカには取り立てて異変は無かった。あーだのうーだの、アスマが唸っている間に処理は終わり、お疲れ様でしたとあっさり解放されてしまった。
――意外と吹っ切りが早い、のか?
振り返って改めてイルカを眺めるがその営業的な顔付きからは真意など分からない。とりあえず日を改めて仕切り直すか、ってなんだ、俺は「もらう」つもりか、とがりがり頭を掻いてアスマは受付を後にした。
その繰り返しが10日程続き、成るようにならあと面倒事から逃避し始めたアスマの前で、それは起こった。
「こんにちは、イルカ先生」
アスマが受付に入った時、その声が妙に明瞭に聞こえた。込み合う時間、受付はざわめき暖房が暑く感じられる。何してんだあいつ、とアスマが思うのも無理はない程、イルカの前でカカシがにこにこと笑顔を垂れ流していた。
「お疲れ様です」
イルカも負けてはいない。彼の緊張と壮絶な気合を知っているのはアスマだけであったが。
「最近どうですか」
閑職の上司のような言い回しのカカシに、変わりありませんよと、イルカが笑う。カカシの後ろで誰かが首を傾げるのが見え、アスマは眉を寄せた。
「どうした二人とも!」
ガイだった。え、とイルカが顔を上げる。
「そんな他人行儀な会話じゃ青春が逃げてしまうぞ!」
ぴっと指を立てるガイにイルカが笑おうと口の端を上げる。しかしそれは完成せず、カカシの声に遮られた。
「だって、他人だもん」
ねえ、とカカシがイルカに同意を求める。何気ない声色ではあったが、それは扉の前にいたアスマの耳にもはっきり聞こえた。ヤツめ、声帯に細工してやがる、と舌を打つ。すっと受付のざわめきが低くなり、沢山の視線が明らかに二人に集中した。カカシとイルカの仲は長く、隠したくとも隠せないカカシの性分も手伝って周知の事となっているのだ。
「確かに、他人ですね」
イルカは澱み無く報告書に判を押す。ガイが再び首を傾げた。
「他人、とは穏やかじゃないな。おお! さてはおまえ達、犬も食わないなんとやら、だな! いかんぞ、喧嘩は!」
「別れた人とどうやって痴話喧嘩すんの?」
カカシはのんびりそう言い、さっとイルカが報告書を処理済の箱に入れる。ガイはポーズを決めたまま固まった。
「そういう事なんです、ガイさん」
イルカは顔を上げてにっこり笑った。そ、そうだったか、とガイは激しく衝撃を受けているようだ。
「結構ですよ、受付完了しました。それではガイさん、どうぞ」
報告書を求めてイルカは真っ直ぐ手を伸ばした。じゃーねとカカシが背を向け、すまん、とガイが項垂れるのにイルカは小さく噴出しさえしている。列に並んでいる者達がイルカとカカシを見比べるように顔を動かす中、アスマの横を掠めるように通りながら
「ぐずってないで、さっさと落としちゃってよ」
と、今度はアスマだけに聞こえるように言ってカカシは受付を出て行った。
そしてカカシと入れ替わるように、見た顔の教師が入って来て受付机に寄って行く。嫌な予感に顔をしかめるアスマの前で、交替時間だイルカ、と彼は言った。
――追わなきゃならねえんだろな。
アスマの脇を、こんにちは、とイルカが微笑んで通り過ぎる。
――全部計算して、ぶちかまして行きやがった、あのヤロウ。
ああ、面倒だ、面倒だ。そう呟きながらアスマは筋立てに従い、受付を出て早足で去っていくイルカの背を同じスピードで追った。いや、とアスマは思う。全てが偶然だったとしても、自分はイルカを追っただろう。ものにするしないは今は関係無い。イルカには思いを吐き出す誰かが必要で、その役が出来るのは自分くらいなのだとアスマは知っていた。
廊下の角を曲がり、方向から推測していた通りにイルカは古文書保管室に入った。それを見届け、扉の前でアスマは、むう、と唸る。しばらく泣かせてやってからの方がいいだろうか、そう考えて躊躇していると中からがたんと大きな音がした。それで反射的に扉を開けた。
「・・・イルカ」
予想に反してイルカは薄ら笑いをアスマに向けた。床に、尻餅の形で座っている。
「どうしたんですか、アスマさん」
倒れた椅子に手を掛け、イルカは立ち上がろうとしていた。が、足がついてこないらしく、諦めたようにぺたりと座る。
「大丈夫か」
「ええ、もちろん」
古文書保管室は薄暗く、古い書物特有のひねた甘い匂いが充満している。
「立てないか」
アスマが差し出す手をイルカはぼんやり見上げて首を横に振る。どこかしおれたように感じられる一本括りの髪が頼りなく揺れた。
「いいです。しばらく座っている事にします」
「そうか」
代わりにアスマがしゃがむ。それと共に視線を下げるイルカはしかし、アスマを見ている訳ではなさそうだった。どうするか、とアスマが煙草を取り出すと、イルカは目を瞬いて言った。
「俺にも、一本下さい」
ほらよ、と差し出す。ポケットを探ると奇跡的にライターが見つかった。火を点けて突き出すとイルカは、駄目です、と言いながらライターを取り上げて自分で火を灯した。
「律儀なこって」
「本当に律儀な人間は、古書の積まれた部屋で煙草なんて吸わないんですよ」
薄い煙を吐いてイルカは笑った。近くで顔を見てアスマはようやく気が付いた。
「何か塗ってるな」
「あ、やめて下さい、」
変化する程でもないが印象を変えたい時に使う、忍の化粧道具を使っているようだ。嫌がるイルカの目の下を無理やり擦ると濃い隈が覗く。
「イルカ」
慌てて剥げた部分を直すイルカを見ながらアスマは言った。
「飲みにでも行くか」
自然に出た言葉だった。
「駄目です」
イルカは朴訥な響きで答えた。
「俺、家に帰ります」
「じゃあ、飯だけでもいい」
「家で食います。色々考えたいんで」
「色々ってなんだよ」
「煙草、きついです」
イルカは眉を寄せ、手のひらの中で煙草を燃やし尽くしてしまった。フィルターの焦げる生臭い臭いが瞬間的に二人の間で濃く渦を巻いた。
「俺のせいじゃねえ」
そりゃそうですよ、とイルカは目を閉じた。
「食ってねえだろうが」
食ってますよ、とイルカは言う。
「寝てねえんだろうが」
寝てますよ、とイルカは言う。
「あいつ、おまえになんて言った」
イルカはぼんやり宙を見つめた。
「なんて、言ったんだよ」
「別れてもらえませんかって」
ねえ、イルカ先生、別れてもらえませんか? はは、冗談じゃないんですよ、本気。
訳っていってもなー。もう、あんたが好きじゃないんです。女と所帯を持つんですよ。
そうですか、気付きませんでしたか。
や、縋られても変わらないから。手え離して下さいよ、もう行かなきゃ。
ああ触んないでよ、やだって言ってるでしょ、あのね、これね、お願いしてる内に
引いた方がいいよ? あのね、俺はね、上忍なんだって事覚えてる?
あのさ、早い話もうアンタの穴に入れる気しないんだよ。
まあね、入れちゃったら気持ちいいけどね、そういうもんじゃないって分かるよね?
・・・そう、よかった。殴ったり蹴ったりしなくちゃだめかなーって思ってたからさ。
それじゃあね、ばいばい、イルカ先生。
別れてもらえませんかってあのひとは言いました。それだけ答えてイルカは宙を見つめる。
「そうか」
放っておいてやるべきか、とアスマが腰を浮かせた時、
「帰らなきゃ」
がばっとイルカが立ち上がって今度はアスマが尻餅をついた。
「お先に失礼します、アスマさん」
イルカはぺこりと頭を下げて部屋を出て行った。
手出しの出来ない時間が過ぎる。カカシは相変わらずだらだらと上忍待機所で茶をすすり、時折アスマの周りを一周して尻を蹴ったりする。
アスマには手出しが出来ない。ほんの小さな違和感がイルカを包んでいるだけで、周囲は次第に一組の恋人達の別れを当たり前の事と認識し始め、そして冬は一層深くなる。イルカは確かに面変わりし、アスマには手出しが出来ない日々が連なっていく。
手出しをしたのは、無邪気な善意の集まりだった。
今夜お邪魔してもいいですか、と久しぶりにアカデミーを訪れたサクラが言った。ああ構わないよ、と答えるイルカにサクラは華やかに笑った。美味しいものが手に入ったんですよ、皆で行きます、絶対面白いから。そう言い彼女は帰って行った。美味しくて面白い? 僅かに首を傾げながらも、サクラの言う「皆」を楽しみにしながら家に帰り、リクエストされた白飯と出汁を準備していると玄関の扉がどんどん叩かれた。確認しなくても誰だか分かった。
「イルカせんせー、お邪魔するってばよ!」
「おう、上がれ上がれ」
ドアを開けると随分な人数が見えた。ナルトが脱ぎ散らかしたサンダルを揃えながらサクラがこんばんはーと朗らかに言い、いのがその後ろでにっこり笑う。あー、今日もたるかったぜ、とシカマルが会釈をし、おいおい、靴を脱ぐ場が無いぞと笑うイルカにサスケがぺこりと頭を下げた。そして、腹減ったーと背中を丸めるチョウジをばんばん叩くアスマが最後に入って来た。
「あ、アスマさんも、」
いらっしゃい、と言いかけてイルカは固まり、いきなりぐるっと背を向けた。肩が震える。
「・・・好きに笑え」
立派な新巻シャケを片手に吊り下げたアスマがげんなりと言った。うぐぐ、と喉を詰まらせながらイルカは居間へと引っ込み、途端にわはははと笑い声が聞こえる。
「ね、面白いでしょ、イルカ先生!」
「正にクマよ、クマ、ふっふふふ!」
女の子達の高い声がそれに被り、やれやれと肩を回してアスマも靴を脱いだ。
「集合写真撮ろうぜ」
にや、と笑ってシカマルがカメラを窓辺に置いてタイマーをセットし、入って来たアスマと鮭を中心にして皆で囲む。シャッターが降りた途端に全員の爆笑が響き、賑やかな夜が始まった。
アスマが鮭をさばき、サスケが黙々と洗う野菜をサクラといのがせっせと刻む。居間ではシカマルの音頭で酒粕が出汁に溶かれている。やがて良い匂いが漂った。
「め、飯・・・」
へとへとのチョウジを笑ってソフトドリンクで乾杯した。
「美味い!」
殺気立ってかっこむチョウジを除いた全員が、一口食べたところで声を揃えた。
「すんげー美味いってばよ!」
「・・・おまえは何食ってもそうだろうが」
「さすが雷の国名産の銀シャケだな。面倒だったけど買って来て正解だぜ」
「へー、シカマルの土産なのか。アスマさんのだと思ってたよ」
「違うの、シカマルなのよ。でもアスマ先生が持つべきだと思って」
「そうね、それこそ正解だったわ」
「・・・言ってろ」
「あの写真は焼き増しして配る。全員肌身離さず携帯する事。どんな場面でも救いになるからな」
真面目な顔を作って言うシカマルの言葉に皆が笑って了解、と答える。
「そろそろ漬かったかな」
いのが席を立ち、サクラとナルトが後を追う。なにやら台所でやっているのでイルカが見に行くと、酢の匂いが漂う中で3人が白飯を囲んでいた。
「何だ? 寿司か?」
「『なんちゃって押寿司』作ってるんですー」
なんちゃって? と苦笑するイルカの前で意外と手際良くナルトが酒とレモンに漬けた鮭の切り身をタッパーの底に並べた。その上にサクラが寿司飯をぎゅうぎゅう詰め、いのが蓋を締めて、うりゃっ、と押し固めてから中身を出す。なるほど、とイルカは包丁を持って微妙な固さの「なんちゃって押寿司」を崩さないように切った。大皿一杯に盛ったそれを居間に持ち込むと、うおーとチョウジが目をぎらぎらさせた。
「飯、飯!」
「おまえはそれしか言えねぇのかよ・・・」
「今日はいーじゃない、いっぱいあるんだもの」
和やかに『なんちゃって』に手が伸びる中、ナルトが15歳にしては少々無邪気な気配で言った。
「カカシ先生も来れば良かったのに。いつもこういう時には絶対いるのになんでだろなー」
ぴく、とサクラの眉が上がった。むっとした表情で押寿司をがぶっと噛みながらもごもご言う。
「別にいいわよ、いなくったって」
隣のいのが半目になり、軽蔑しきった視線をここにはいない誰かに向けた。
「何かとお忙しーんでしょーよ」
「何かって何だってばよ」
「・・・もういい、おまえは食ってろ」
サスケが睨むが、いつもの事と受け流すナルトはポットの湯を急須にじゃあじゃあ入れながら、残念だってばよ、と笑う。視線をうろつかせるイルカにアスマが無言で煙草を勧め、彼らの顔を見回し分析を終えたらしいシカマルが、ああそーか、と呟く。そしておもむろに「良い銀シャケの見分け方」を教授し始めた。それに真っ先に乗ったサスケを不思議そうに見ながらからかうナルトに女の子達が溜息を落とす。しかし、それを最後と彼女達は高くきらめく声で話に参加し、酒粕の匂いで温まった部屋にはまた笑い声が戻った。
長い時間をかけて鮭は骨を残すだけとなった。明日が休日の者もいれば任務で他国に行く者もいる。皆がしっかりと自分の道を歩いている姿を確認し、イルカは微笑んで元生徒達を見送った。
「さて、ガキが消えたら酒だな」
当たり前の顔をして居残ったアスマが一升瓶を机に置いた。滅多に飲めない高級な銘柄だ。
「どこに隠してたんですか」
「そりゃ上忍の秘技だ。教えられねえな」
笑うイルカは湯のみを二つ持って来る。
「では、いただきます」
「おう」
乾杯はしない。しばし黙々と酒を飲む。
「つまみ、あったかな」
イルカはぼんやりした表情で立ち上がり、冷蔵庫を探って漬物を持って来た。
「とりあえず、これでも」
座ろうとしたイルカが途中で止まった。なんだ、と振り仰いだアスマの前で顔色がすっと青ざめる。
「おい?」
「・・・すみませ、」
ばたばたと走ってイルカは手洗いに飛び込んだ。首を巡らせてそれを目で追い、溜息を吐いてアスマは酒を続けた。10分ほどで戻って来たイルカは、情け無さそうに眉を下げて頭を下げた。
「申し訳ないです・・・」
「どうした、もう酔ったのか」
苦笑でアスマが迎えるとぐったり座ってイルカは湯のみを持った。
「せっかくの新巻、全部出してしまいました」
美味かったのに、とイルカは酒を煽る。
「まだ、だめか」
「何が、ですか」
イルカは一回りも小さくなったようにアスマには見えていた。そしてサクラといのは間違いなくイルカに食事をさせるためにここに来た。おそらくサスケも。
「イルカ、酒はやめろ」
「持って来たのはアスマさんでしょー」
ぐいっと飲み干して空いた湯飲みを突き出す。だめだ、とアスマは一升瓶に蓋をした。
「つまんないなー」
笑い、イルカは言った。そして砂山が風にゆっくりと崩れるようにアスマの肩に頭を乗せた。
「イルカ」
「あのひとに言われているんでしょう?」
穏やかにイルカは笑い、目を閉じてずり落ちた。アスマの腕を掴んで畳に背を預ける。
「しましょうか」
「イルカ、」
「自棄じゃあ、ないですよ」
覆い被さる形でアスマはイルカを見下ろす。自分の影が作るイルカの陰影は随分と鋭い。
「カカシの言う事なら喜んでってか」
はは、と笑ってイルカは細く目を開けた。
「やっぱりあのひと、あなたに言ったんだ」
ち、と舌打ちしてアスマはイルカから目を逸らす。
「いいんですよ、俺、がんばります」
何言ってやがる、とアスマは腕を取り戻そうとするがイルカの力は強い。爪が食い込む。
「がんばりますから」
イルカは言った。きっと、本当にそうするのだろう。そうせずにはいられないのだろう。
「面倒はごめんだ」
四つ這いの不自然な姿勢でアスマはきっぱり言った。ふう、と溜息を吐いてイルカは手を離す。
「・・・ですよね、すみません」
「ふん」
一升瓶を再び開けるアスマを、転がったままのイルカはぼんやり見上げ、帰ろうとしない様子に苦笑する。
「アスマさんってイイ人ですよねえ」
「くだらねえ」
全くくだらねえ、言って湯飲みを空にする。
「俺もね、ホントは申し訳なくって」
何がだ、と沢庵をがりがり噛む。
「馬鹿なヤツに、あのひとのお古、だとか言われそうじゃないですか。そんなの申し訳ない」
「ああ、馬鹿なヤツはいるな」
今更女と所帯を持つとか言い出す馬鹿とかな。心でそう呟くアスマの膝辺りに、イルカは顔を隠して横臥した。
「すみません。俺、寝ます」
「ああ寝ろ寝ろ。俺は勝手にやってる」
「冷蔵庫にチーズがありますから」
カビてるけど、と言ってイルカは静かになった。アスマは酒を飲み続け、僅かずつ膝が湿っていくのを感じていた。涎垂らしやがって寝ぎたねえ、と呟くと、丸まった体は微かな笑う気配で一つしゃくりあげた。それだけの夜だった。
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