凪の浜辺 1

                     ◆


 真っ暗な部屋の中、イルカはカカシの吐く息の音を聞いていた。早く遅く時に止まる、生きているという事実を証明する音。目を閉じ暗闇の一部になったように横たわるイルカの息もまた、早く遅く時に止まる。
 いかに光が無いといっても自宅の部屋だ。忍に何も見えないはずはなく、微かな喘ぎを聞きとめ薄く目を開けたイルカは、輪郭を危うくする白いカカシの顔を認めた。
 眉を寄せ、目を閉じ、視界を上下するカカシは苦しんでいるようにも見える。自分もそうなのだろうかと思い、イルカは唇を少しだけ緩めた。いつからこんなにも、冷静にセックスをするようになったのだろう。関係が始まった頃には、カカシの顔を見た記憶すら残らない嵐のような交わりだったというのに。
 視界の暗さが自分達の関係を端的に現しているように思え、イルカは仄白い濡れた肌に手を伸ばした。指先がぬるりとしたものに触れ、温かい肉に覆われる。やがて軽い痛みが走ってイルカは小さな声を上げた。指先から肩へ、そして脇腹へと甘くむず痒い刺激が波紋のように広がり、カカシが入り込んでいる場所まで降りていく。
「こんなのも、感じる?」
 カカシの問いに足を広げることで答え、もっと深くへと誘えば、いつも通りのどこか酷薄そうな表情が近寄ってくる。行儀良く並んだ歯から指を取り戻し、イルカはカカシの髪をきつく掴んだ。
 薄い唇は何かを言いたそうに小さく開閉したが、結局音の無いまま鼻の傷跡に軽く触れてから唇に重なった。同時に限界まで突き入れられ、イルカは喉を上げながら背中に爪を立てた。どちらの声ともつかないくぐもった喘ぎが合わさった唇から漏れる。ゆるゆると動きながら、未だ混濁しない意識の中でイルカは強く思った。
 ――もっと、奥に。
 そうしたからと言って快感が強まる訳ではない。しかし、イルカはカカシの胸に手のひらを当てて動きを止めさせ、上半身を起こした。足指で捻られたシーツを更に膝で乱しながら、離れないようにゆっくりと、体を立てていく。イルカの意図を察してあぐらを組むように姿勢を変えるカカシの手が、するすると背中を辿って尻を支えた。
 カカシの肩に額を置き、イルカは一つ息を吐いた。宥めるような動きで手のひらが腰を撫で、やがて指先が結合部にそっと触れた。開かれきったそこを押すような動きでくすぐるカカシと目を合わせ、イルカはほんの少し微笑んだ。言いようの無い表情でカカシは顎を上げ、子供のように熱心にキスをねだっている。
 もっと焦れた顔を見たい、急にそう熱望した。先を望む自分に抗って浅い位置で上下しながらカカシの肩を掴む。性器にカカシの指が絡み、根元から先端へと撫で上げ粘膜を執拗に擦る。円を描く動きは滑らかで、自分が垂らしている液体を想像しながらイルカは少しだけ腰を下げ、カカシの唇に舌を這わせた。
 半ばまで埋まった熱をきつく締める。掠れた声でカカシが名を呼ぶ。その音を舐めとるように舌を押し込み、イルカはカカシの乳首に指先を当てた。苛めないで、と呟く声に笑い、汗と唾液でぬめった指先で執拗に乳首をこね回し、浅く小刻みに腰を動かす。脱力するようにカカシの指が性器から離れ、イルカは満足したようにまた僅か、腰を下ろした。途端、太腿の裏から背中まで痙攣が駆け上がり、体の中心を走り抜けた快感にイルカは荒く喘いだ。カカシの先端が擦った場所に夢中になって大きく腰を揺らすときつく尻を掴まれる。やっと当初の目的を思い出し、イルカは促されるままに足の力を抜いた。
 何度も揺らされ、声を上げながら根元まで飲み込んでいく。限界まで密着してなお、奥へ奥へと突き上げる動き。カカシの肩に頬を乗せ、腰骨をきつく掴みながらイルカは足を大きく開く。結合部の立てる湿った音と乱れた呼吸音が、互いの感情をより荒く高めていく。
 自分が何に耐えているのか分からない。歯を食いしばりながらカカシに逆らうように体を動かし、イルカは目の前の耳に噛み付いた。揺れている銀色の髪の向こうに細い月、里は墨に落ちたように暗く、この世にふたりだけ、という歌の文句を思い出しながらイルカは笑うように顔を歪ませた。



                     ◆


「あれ」
 皿を手に持って立ち上がろうとしたイルカは、片膝に手を置いた姿勢で天井を見上げた。
「停電、ですね」
「珍しい……」
 いきなり明かりを失い、イルカは何度か瞬きした。皿を机に戻してカカシがいた場所あたりに顔を向けると、見えるような見えないような、中途半端な気配の移動を感じた。
 からり、と窓を開ける音に目をやると、月明かりをぼうっと受ける背が見える。
「ああ、里中が停電だ」
 驚いたような声を出しながら窓から身を乗り出すカカシに近寄り、イルカも表を窺った。
「うわー真っ暗ですね」
「月も細いですから」
 徐々に目が忍としての機能を思い出す。鮮明になっていく窓の外には、黒い粘土を乱雑に並べたような影だけの里が姿を見せている。
「本物の忍の里、って感じがするなあ」
「本物ですよ、いつでも」
 雲の間からちらちらと流れるように光を落とす月は、漆黒の天に刺さりそうな細さだった。星もまばらな空の灯りはいかにも頼りなく、イルカはろうそくを仕舞ってある場所を思い出そうとした。
「お向かい、何か点けましたね」
「うちもどこかにろうそくが……」
「いいじゃない、俺達は困らないでしょ」
「見えるけど」
 ごそごそとカカシが動き、イルカは彼の手をじっと見下ろした。ぽん、と小さな音と煙が立ち、窓枠の上に小型犬が姿を現した。
「召集がかかってるかどうか、様子を見てきて」
「自分で行ったらどうかいのう」
 ぶつぶつ言いながらパックンは窓枠を蹴って消え、イルカは火影の屋敷がある方向を眺める。
「行かないんですか、カカシさん。じゃあ俺、」
「よしなさい、よしなさい。大したことが無くても、行けば絶対使われるから」
「……危機意識が薄いですよ」
「薄くて結構。お互い全然休み無しだったんですよ。これ以上は超過勤務でミスをします。休むのも仕事です」
「いいかげんだなあ」
「いいのいいの」
 腰を持たれて引き寄せられる。カカシの胸に背中を預け、イルカは笑いの混じった溜息を吐いた。
「カカシさん」
 何、と微笑む気配で手が胸に上がってくる。肩の上でもぞもぞと顎が動き、くすぐったい刺激にイルカは僅かに顔を逸らした。その頬にぴったりと頬を付けカカシは囁く。
「向こうにいきましょ」
「だめですよ」
 一応、異常事態でしょう、と薄いシャツの上をさ迷う手の甲をつねる。アいた、と大げさに痛がって見せながら、カカシは低く耳元で言った。
「この前、いつだったか覚えてますか?」
「この前?」
 だから、と押し付けられるものは早くも熱を持っていた。意味もなくイルカも声を潜め、細い光を受けて鮮やかに浮かぶ赤い目と、掠めるように視線を絡ませる。
「覚えてませんね」
「でしょう、俺もです」
 一緒に暮らしているも同然の恋人と、最後に触れ合った日が思い出せない。新しい火影の元で組織は統率を持って動き出して久しく、今はもう非常時とは言いにくい。アカデミーには子供が戻り、カカシの任務も上忍らしいものに落ち着いた。中忍試験の御触れが出るのもまもなくだろう。
「このままじゃ、俺、イルカ先生の体を忘れるよ」
「随分と薄情ですねえ」
「違うよ、欲しくても手に入らないものは忘れるしかないじゃない」
「自虐的……」
 隠密行動の最中のように、極限まで声を沈ませる。カカシの腕を宥めるように撫でながらイルカは体を反転させた。窓からの乏しい明かりから背を向けると、それだけで閉塞感が高まる。妙な興奮が心臓を大きく跳ねさせ、イルカはほの白いカカシの顔に指を這わせた。
 焼き付いた傷跡は一層白く、沈むような黒さの右目には小さな光が映っている。唇を親指でなぞると、その光がゆっくりと近寄ってきた。鼻先を合わせ、触感を楽しむように擦り付けてから、ふっと息がかかって唇が合わさった。生き物のような舌先が、つるりと押し入って唇の裏をからかい上顎を掠め、痒い場所ばかりを責めながら、追いかけるイルカの舌から逃げる。カカシの頭を両手で捕まえ顔を傾けて深く口付けようとすると、笑う息遣いが唇を震わせた。
「するの、しないの?」
「しませんよ。パックンが戻ってくるんだから」
 息だけで囁き合う。本当に? と呟きながらカカシの膝がイルカの足を割り、太腿が性器に擦りつけられる。後退ればその分カカシが体を寄せ、イルカは部屋の角に押し付けられた。乱暴に押し上げられる性器には快感と痛みが同じだけ走り、イルカは目を顰めてカカシの足を叩いた。それで腿は素直に退き、代わりに手のひらが足の付け根に張り付く。じわじわと横に移送した手は、服越しの遠い感覚で調べるように性器を押した。
 先端を探し出した指に軽くくびれを叩かれ、壁と腕との間の狭い場所で身もだえた途端、箪笥に乗った茶筒が肘に当たって落ちた。床に転がった軽い缶は思いのほか大きな音を響かせ、イルカはびくりと体を揺らして足下を見つめた。
「大丈夫」
「……はい」
 視界が悪ければ聴覚が鋭敏になるのは忍の習い。腰から手を入れ片手で背中を撫でてくる、その音さえも今のイルカの耳には強く反響する。いかにも余裕のある愛撫を進めるカカシは自分よりも見えているのだろう、そんなところにまで力の差がある現実に、イルカは正気を戻して嫉妬した。
 自分達はいつもおかしい。常に互いに嫉妬しているようなものだ。イルカはカカシという忍の強さに、カカシはイルカという人としての強さに。そのせいで何度もぶつかり、滑稽な程深刻な感情のもつれも経験してきた。しかし結局のところ離れられるはずもなく、その嫉妬は『有るべき』と互いの中で昇華され、その昇華と共に関係はなだらかなものに変化していった。
 嵐の海から凪の浜辺へ。
 二年の間に景色は移り、感情はともすれば平坦となった。熱情という言葉ですら表現しきれない、あの激しい季節が懐かしくなるほどに。
 カカシの背中をきつく掴み、イルカは有るか無しかの溜息を吐いた。頬から顎へとたゆたうように輪郭を辿っていたカカシの唇が、それに敏感に反応して動きを止める。目を上げるとカカシの弓なりの目がじっとイルカを見つめていた。
「苦しい?」
「いいえ」
 カカシの言葉に胸が詰る。別れを考えた数は自分の方が多かったはずだ。その度に、柔らかい低音と慎重な指先で懐柔されてきた。そうしてくれたカカシに本当に感謝をしている。あの罵倒、あの無言、どの時点で別れたとしても、灼熱のような後悔が残ったことだろう。平坦な波一つ立たない生活の、きらめくような幸福。イルカは馴染み尽くした体温を発する体を力一杯に抱いた。
「するんだ?」
 腰から肌を伝って下へと潜り込んだ指が、尾てい骨をくるくると押してから窪みに触れる。
「しませんよ……」
 抵抗も何も無かったが、意地のようにイルカは呟いた。そうだね、とカカシは笑って爪の先だけを埋める。ん、と首を竦めれば服越しに触れ合っている性器が跳ねるように動いた。
「やらしい……」
「今の、カカシさん」
「イルカ先生だよ」
「違います……」
 潜める声が却って欲情の速度を上げる。ここに入らせて、と耳に吹き込まれる声に揺さぶられてイルカの膝は崩れた。脱力した体は簡単に腕に抱えられ運ばれる。
「ああ、うーむ、カカシ」
 気まずそうなパックンの声が聞こえた。停電はただの技術的な問題で忍の召集は無いとの報告に、ご苦労さん、と軽い声音が答えて部屋はまた静まった。
「異常事態、解除です。その内点きますよ」
 ベッドに下ろされ、軽い動作で楽しげに服を脱ぎ散らかすカカシをイルカは見上げた。首を傾げておどけるように笑う顔に唇を緩め、すり寄る肌を抱きしめようと手を伸ばす。が、服を脱がす間も惜しいとばかりに一気に剥かれて何度かバウンドし、乱れた髪から髪紐が落ちる。一際大きくスプリングを軋ませ、欲情をむき出しにして抱きしめる男をイルカは慌てて受け止めた。
 首筋をきつく吸う唇の熱さに眉を寄せる。頬から耳へと滑る唇と同じ速度で背中を下ってきつく尻を掴む手のひら、根元から先端へと性器を揉みこむ仕草、何度も何度も繰り返された愛撫は、次の展開を予想できるほどにイルカの体に馴染んでいる。キスを、と顎を上げた瞬間にはもう与えられた。カカシもまたイルカの望みを全て知っている。
 唇を離すと乱れた呼吸音が絡まる。上体を起こして座った姿勢のまま、筋張った手が足を開いていく。冷たい液体が肌に触れ、視線を下ろすと太腿の上で何かがちろりと光った。その小さな光はカカシの指に移動し、見えなくなったと同時に指が奥を突付く。その指先の冷たさは、潤滑剤のせいだけではなくカカシ自身の体温でもある。異物が入ってくる感触をより大きくする体温の差にイルカは足指を強張らせた。
 いつもよりも数段暗い部屋の中で聴く音は、必要以上に湿っている。短いカカシの呼吸が耳元にかかり、こめかみから髪へと吐息が混ぜ込まれた。暖かい肩に片手を回して額を押し付け、もう一方の手でカカシの性器を探った。熱を発する肉を見つけて手の中に収めてゆっくりと上下する。微かに笑ったカカシは一度指を抜き、宥めるように表面を撫でた後二本の指を再び埋めた。イルカの体温と同化した中指と、冷たい人差し指がゆっくりと内壁を滑る。小さく喘ぎ、力を抜きながら受け入れるイルカのうなじを手のひらが支えた。
 薄く開いた目で見下ろすカカシのこめかみから、一筋汗が光って落ちた。唇の隙間から覗く舌先もぬめっている。今の自分達は、貪欲に光を求める眼球と似ていると、イルカは痺れる意識の中で思った。僅かな刺激も全て快感に変換し、啜り上げて呑みこむのだ。ゆるゆると前立腺をくすぐる指先に焦れ、イルカは手の中の濡れ始めた先端を強く押した。即座に仕返しのように深く指が潜り、軽く曲げては伸ばす動きが空気を噛ませて卑猥な音が大きくなる。広げられる感覚にきつく目を閉じると、また一本指が増やされた。
 大きく息を吐きながら、イルカはカカシから手を離して自分の性器に指を当てた。根元から先端へと裏側をゆるく撫で上げる。捲るように粘膜を押し、震える息を吐いた。垂れ始めた粘液を染み込ませるようにくびれに塗りつけ、内部の指の動きと同調させながら摘むように先端を揉む。絡みつくカカシの視線に口角を上げ、更にきつく擦り上げようと手のひらを開いた途端、一気に指が引き抜かれた。鋭く声を上げて喉を反らしたイルカの唇に熱い舌がねじ込まれる。息を奪う荒い口付けに胸を上下させ、鼻から抜ける自分のものとは思えない甘い音にイルカは耳を熱くした。
 痙攣するまぶたを開けることも出来ずに背中をシーツに預け、膝裏を握られて腰が浮く。予想を上回る激しさで押し付けられた肉は、粘膜を押し分けて括れまで一息に侵入した。イルカの喉からすすり泣きに近い掠れた声が絞り出される。粘膜にぴったりと包まれながら奥へと進むものは熱そのものとしてイルカの中を侵し、熱い、とうわ言を繰り返す唇から唾液が滴る。低く唸って根元まで押し込んだカカシは乱暴に息を吐き散らし、イルカはその音に脳深くまでを支配されていった。







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