なんだったっけ。
ええと。
マシン?
そう、マシンだ、機械。
あまり良い例えじゃないよな。正確過ぎるというか事務的というか。
血が通っていなさそうだし。ああでも、爬虫類とか緑の血とかが通ってる方がそれらしいか。
そうそう、セックスマシンなんてのもあるな。って昼間っから何考えてんだ俺。
仕事人間って意味でもありそうだ。うん、俺らの場合ならそれがやっぱり一番だ。
殺人マシン。
それだ、きっと。
アダナを思い出すことに成功し、俺は気分よく目の前の男を見上げた。無表情とはこれだ、という顔付きのはたけ上忍だ。
人間関係の中でちょっとしたアダナが付くというのはよくあることだ。例えば俺なら『鼻傷のセンセイ』、なんて呼ぶ保護者がいる。親しんでくれて嬉しいと思う反面、名前覚えてないだろと言いたくなることもままあるのだが、それはまあ仕方が無い。保護者にとって大事なのは、子供達の安全と成長だけだ。
それはともかく、はたけカカシの二つ名である『コピー忍者』は、知るべき者は知っている。が、ごく一般に広く流布しているアダナが別にあって、それが『マシン』だ。ちょっと失礼で大いに勘繰りたくなるアダナ。そうかマシンなんだなと、変な納得を腹に置いて、俺は受付業務を開始した。
「お疲れ様です、カカシさん」
とりあえずな笑顔を作って眠そうな左目を見る。
「イルカ先生も」
投げやりな声でお愛想を言い、はたけ上忍は報告書を差し出してきた。俺は両手でそれを丁寧に受け取って中身に目を通す。目を通すと言っても、今回の報告書は形式だけのものだ。Sランク任務は大概機密性が高く、任務内容の詳細は火影様に直接報告される。今提出されたものは出席簿程度の意味合いしかない。
「報告書、確かに受領しました」
「はい、どうもです」
そうしてはたけカカシは去って行った。何ということもないいつものことだった。
「やっぱ上忍はすごいぜ」
混雑した食堂で、久しぶりに会う同期の男が切り出したのはそれから三日経った昼のことだった。
「だから、何がだよ」
長期に渡って他国の内戦地域で働いていた彼は、以前よりもずっと精悍な顔付きになっていた。自分の緩んだ頬の辺りを触りながら、俺は煮魚を解した。
「なんかもうな、すごいとしか言い様がない」
「それじゃ分かんねえよ。ってか、すごいのは分かってるしなー」
味噌汁を啜って俺はのんびり合いの手を入れる。
「いやいやいや。違うぜ、はたけ上忍は」
ん、と俺は箸を置いて湯飲みを取り上げる。
「何、おまえあの人と組んだのか」
「組む訳ねえじゃん。激戦区に短期の特殊部隊として派遣されて来た上忍の中にいたんだ。俺は援護しただけ」
ふうん、とまた箸を持つ。
「はたけ上忍、マシンって言われてるよなあ」
受付で見た笑顔のはたけカカシを思い出しながら言えば、
「そう、それだ!」
と彼は声を潜めながらも勢い良く言った。飯粒が飛んで来たので投げ返す。
「正確、迅速、しかも頑丈」
「へー、頑丈なんだ」
「技術があるから怪我しないってのもあるけどな。大した筋肉を持ってるぜ、あの人」
「見えないけどなあ、なるほどなあ」
「そんでもって止まらないんだ。決められた場所にあるトラップを外していくみたいに、二手三手を読んで連続技でガンガン攻めていく。口開けて見てるしかなかったな」
「バカ、何のための援護だよ」
「そんなの決まってるじゃん、怪我した連中を拾ったり野営場所作ったり飯炊いたりすんだよ」
わはははは、と二人で笑う。笑いが収まると同期は飯に戻りながら小さく溜息を吐いた。
「なりてえなあ、あんな上忍にさあ」
「受けねえのか、上忍選抜」
俺の言葉に奴はぶんぶん首を振った。
「戦場ならともかく、試験場で死にたくねえよ、俺は」
「はあ、なるほどなあ。おまえの志も立派だよ」
戦忍らしい物言いに感心した。俺には、そんな鮮烈な覚悟はない。子供達のために命を使いたい、というくらいなら思っているが。奴は少し照れ、しかし呟くように、上忍になりてえなあ、とまた言った。
その夜、俺はいつものように家に帰って出来合いの飯を食った。冷えた飯を冷えたまま、作業としての咀嚼を繰り返して夕食を終えると風呂が沸き、風呂場の前に服を脱ぎっぱなしにしてシャワーを浴びる。
明日の演習メニューはどうしようか。まだ体が小さい生徒達を思い起こして頭が痛くなる。ナルト達が卒業して年少組を担当するようになってから、今までとは違う悩みが増えていた。が、そうやって悩むのが俺は好きらしい。トラップを少し多めにしよう、いやそろそろ幻術を見せてみようか、そんな楽しい思考に熱中してた時だった。
「お?」
電気が消えた。風呂場の戸を開けて覗くと台所や居間も暗い。停電なんて珍しいな、と少しわくわくしながらシャワーに戻る。ガス給湯だから風呂には問題がない。泡を落としてシャワーを止めようと手を伸ばした。
「!」
手首が動かない!? 心臓が一瞬止まる。
「ぐ、」
声も出ない! 全身に一気に鳥肌が立ち、動き始めた心臓が脳天まで響く大音響を鳴らす。
「だ、れ、だ、」
絞り出せば、喉元に腕を掛けられて強く圧迫されていると分かった。振り返ろうとしても厳しい固定にぴくりとも頭が動かない。背後に足を蹴り上げても宙を掻くだけ、これまで経験した危機的状況の全てがどっと脳裏に押し寄せる。生き延びるために考えるんだ、考えろ!
「こんばんは、イルカ先生」
有り得ない声が聞こえた。
「カ、カシさん?」
「はい」
どういうことだ、俺はもがきながら必死で彼を目で探す。
「夜分に突然すみません」
丁寧に言いながらも彼は力を緩めない。
「なに、を、」
「大したことではないんですが」
カカシの声は、冷え冷えとする程抑揚が無かった。
「昼間、あなたを見た時に思ったんですよ」
「……?」
「あなたね、真面目そうでちゃんとした先生で、至ってノーマルそうなあなたがね、犯されたらどうなるんだろうって」
言ったが途端、カカシは一層強く首を締め付けてきた。俺は全身で暴れたが、カカシは腕だけしか存在しないかのように俺の体は彼に掠りもしなかった。やがて目の前に黒い幕が下りるように視界が狭まり、俺は意識を失った。
で、まあ、なるようになった訳だ。
ひどい話だ。全くもって理解不能のとんでもない話だ。
強姦魔は一晩中異常なセックスを継続し、結果として俺は翌日出勤出来なくなった。ベッドの中でうつ伏せになって半分死んだみたいに脱力していている俺の横で、カカシは淡々とアカデミーに欠席の連絡を入れていた。
それが、十日前の出来事だ。
そして今、俺の家には未だ強姦魔が居座っている。
どうしてだろうと、俺は帰宅した玄関で立ち尽くした。昨日も一昨日もそうだったように、カカシがもっさりと無表情な顔付きで出迎えた。
「おかえりなさい、イルカ先生」
「……ただいま」
「飯、出来てます」
「……そりゃどうも」
居間に行くと、さわらの味噌漬けを焼いた匂いがした。
「どうぞ」
手渡される茶碗に光る、白いてんこ盛りの米の濃厚な香りはコシヒカリ。今夜は味噌汁ではなく澄まし汁で、恐ろしいことにマツタケが沈んでいる。浮かんでいるのはゆずの切れ端だろう。そこはかとなく(いや、あからさまに)漂う上忍風味にがっくりと肩を落とし、しかし食うものは食う。
「旨いですか」
「旨いですよ」
そりゃ良かったとにこりともしない上忍を横目に、俺は千枚漬けに箸を伸ばす。ちくしょう、漬物にまで嫌味な高級感を醸し出しやがって、こんなの干からびた黄色い沢庵で充分だ。しかし、食材費は強姦魔の懐から出ているのでとりあえず食う。
「良い出物があったので」
台詞を読むような無感情の声と共にまだ出てくる皿を見れば、よく分からない物が乗っている。
「なんすか、これ」
「生春巻きです」
ふうん、生春巻き。聞いたことはある。ピンク色の中身が透けている薄い皮をまじまじと見つめ、一つ手に取った。
「そのままでもいけると思いますが、このタレを付けても旨いです」
「そうすか」
緑色のスパイスが浮かんでいる赤っぽいタレに端を浸し、半分ほどをぱくっと口に入れた。
「どうですか?」
旨いというかなんというか。いやむしろむかついた。
「旨いですよ!」
「どうして怒るんですか」
春巻きの具は、刺身に使えるような上物の生のカニ身だった。それにキュウリ、浅葱少々、なんかよく分からない野菜の葉。しかし、俺を怒らせたのは他でもない。酸味のきいたタレになにげなく加えられている、カニ味噌だった。
「喜んでもらえると思いましたが」
「旨いっつってんだろーが!」
それは良かったですと、能面のような表情が一層俺の神経を逆撫でする。何が出物だ季節の食材だ。しかし旨いものは旨いので食う。カカシも食っていたが、ガラス玉のような無気力な目で俺を見ている時間の方が長いようだった。
「ごちそうさまでした!」
「んー、まだ怒ってますね」
「ごちそうさまっつってんだろうが!」
俺の態度はたった十日で加速度的に悪化している。上忍様も何もない。それならいいんですが、と食器を片付けるカカシを放って風呂に行く。当然沸いている。
「ゆずが余ったので、風呂に入れておきました」
追いかけてくる声にぴくりと眉が上がる。なんだと? 吸い物に入れるような高級ゆずを風呂桶に入れたのか?
しかし、俺の懐は痛まないので入る。髪を洗おうと見れば、俺のシャンプーとリンスの隣に別の容器があった。『ハイパー無臭シリーズ 労わるシャンプー、労うリンス』だった。俺の愛用品より一桁高い値段の、上忍御用達のメーカーのものだ。むっとしていると、石鹸ももう一つ置いてある。やはり『ハイパー無臭シリーズ』の『慈しみソープ』だ。
「何ですか、これは!」
『労うリンス』をむんずと掴んで居間に行くと、カフェ風の短いエプロンで手を拭きながらカカシが出てくる。
「何だそのエプロンはー!」
「はい?」
「くっそう、こじゃれやがって!」
「いけませんでしたか?」
「勝手にしろ! つーかなんであんたの身の回り品が風呂に置いてあるんだよ!」
『労うリンス』を力いっぱい投げつける。軽く受け止められ、当たり前なのに余計に腹が立ち、俺は子供のようにドンと床を踏み鳴らした。
「え、服も持って来ましたが」
「な、何考えてんだ、住むのか、ここに住むってのかー!」
「いけませんでしたか?」
「ばかやろー!」
話にならない。ゆずの香りを振り撒きながら、俺はかんかんに怒って寝室に入った。
「イルカ先生」
「うるせえ、俺は寝る!」
「……ハイ、おやすみなさい」
なんだなんだその態度は。まるで俺がヨメを省みない亭主関白みたいじゃねえか! むかっ腹を立てながら布団をめくると妙に軽い。
「羽布団か、羽なのかー!」
シーツや布団カバーもこれまた暖かそうな素材に変わっている。
「まくらも羽なのかー!」
俺の声がむなしく部屋に響いた。
ステキな布団で安眠熟睡、おかげで朝から快調な俺は、やはり朝からバランスの良い食事を取って出勤した。当たり前のように見送るカカシに激しい怒りを感じるが、上忍を追い出す術など思い浮かばない。
困った困ったと腕組みをしながらアカデミーへ向かう。職員室に着き、カバンを机に下ろした。
ごつん。
何だ? 硬いものが机に当たった。カバンの蓋を開けると、底の方になにやら包みが入っている。
「……うおうあ!」
「ど、どうしたイルカ!」
俺の奇声に驚いて寄って来た同僚からカバンを隠し、なんでもないと叫んで俺は職員室を走り出た。古文書保管室に走り込むと鍵をかけ、カバンを再び開けた。ごちゃごちゃと詰め込んだ教材の間から、布で包まれた箱が見え隠れしている。意を決して引きずり出すと、やはり思った通りのものだった。
弁当箱だ。
どうしてなんだ。俺が一体何をしたというんだ。へのへのもへじ柄の布で包まれた弁当箱を前に、俺はしばし床に手を突いて耐えた。しかし、いつまでもそうしている訳にもいかない。元通りにカバンの底に弁当箱を収めて、とぼとぼと職員室に戻った。どうかしたのか、と目配せする同僚に気にするなと手を振り、授業の準備を始めながら、俺は深い深い溜息を吐いた。
そして時は過ぎる。つまり、昼休みがやってきた。
こんな弁当、と箱ごと捨てる大胆さから俺は遠く離れた生き物だ。んなもったいないことできるか。そーっとカバンを開け、当たり前だが入っている弁当に落胆し、小さく気合を入れて取り出す。風呂敷を解き一呼吸置いてから、銀色の蓋をぱかりと開けた。
「ぬおおおおお!」
すごい勢いで閉め、周りの同僚が声をかけてくる前に俺は弁当を持って職員室を走り出た。
「カカシさん!」
「おかえりなさい」
無表情でもっさりと、今日も強姦魔が俺を出迎える。
「なんですか、なんですかあの弁当は!」
首を傾げるカカシにへのへのもへじに包まれた弁当箱を投げつける。
「洗ってくれたんですか。気にしなくていいのに」
カカシは素早く中身を点検し、すぱんと水場の洗い桶に弁当箱を放り入れた。くっそう、無駄に上忍。
「あああ、そうさ食ったさ、全部食ったさ、どうせ俺は中忍だ、小市民だよ!」
「一体なんです」
冷静な声にかーっと血圧が上がる。いかん、死ぬ。俺は深呼吸を繰り返し、脈を測ってから言った。
「ハート型の海苔なんてどこで売ってるんですか! 青いでんぶとかアイラブユーて焼印おしたカマボコとかどこで買うってんだー!」
ちなみに、青いでんぶは海苔の上で踊るイルカの絵に使われていた。しかも蓋にくっつかないように、ご丁寧にラップで保護されていた。
「新しく出来たニューパラダイス木の葉ってスーパーで買いました」
「そりゃどこのラブホだ! つーか売ってんのかって違う違うそういうことじゃねえ!」
はあはあと息を荒げ、俺はカカシを睨みつけた。さっぱりわかりませんと、小馬鹿にしたような済ました顔でカカシは台所に消えた。ぶるぶる拳を震わせながら居間に入ると、それはもう素晴らしい土手鍋がぐつぐつと煮えていた。
「なんだこのデカイ身は!」
生のままでは一口で食えない程の、ぷりぷりしたカキが皿に盛られている。
「お嫌いですか」
「んな訳ねーよ!」
叫び過ぎだ。喉が痛くなって俺は黙り、それからいつものように、そう、かなりショックな表現だが『いつものように』二人で飯を食った。情けない程旨かった。
満腹の腹を抱え、俺はベッドに入った。カカシは居間に客用布団を(勝手に)敷いて寝ている。すっかり同居状態に突入したようだ。頭痛をこらえて俺は真剣に考えることにした。
問題は山程あるのだが、一番意味が分からないのは、最初の夜を除いてカカシがセックスを強要しないことだった。あの夜は、何を叫んでも泣いても請うても許してくれず、延々と、それはもう延々とヤラれ続けた。その間カカシはほぼ無言で一本調子の無表情を貫き、あらゆる意味で恐ろしかった。ヤった後、バリバリ食われるんじゃないかと本気で思ったくらいだ。
それが一夜明けると上げ膳据え膳の高待遇。始めは俺もびくびくとカカシの機嫌を窺っていたが、強姦が無いと分かると一気にタメ口で罵るようになって今に至る。
何かの罠なのか。
そもそもあの強姦の目的は何だったんだ。ヤラれたらどうなるかが見たいとカカシは言った。言葉通りなら、もう見たんだからお帰りいただきたい。単にヤリたい口実で無理やり同居に持ち込んだなら、毎晩ヤりまくればいい。いや、俺は大いに困るが。
というより、なぜ同居。
根本的な疑問の連発に目尻に涙が浮かぶ。カカシの意図がまるで分からない。ごろごろと寝返りを繰り返している内に眠ってしまい、気付けば朝になっていた。悲しいくらいに快調な予感に視界が霞む朝だった。
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