「心配するな」
「でも、父さん」
サクモは苦笑した。
「どうした、カカシ。情けない顔をするな」
「どこに行くの」
「里内だ」
「でも……」
謹慎中なんでしょ、とカカシは小声になった。
「一時間で済む」
「何が」
「やらねばならないことだ」
サクモはカカシの頭に手を置いた。
「父さん、外は寒いよ……」
「ついては、来るなよ」
自分はどんな顔をしたのだろうか。カカシはびくりと震えてから下を向いた。
「……はい」
その声に背を向けながら頷き、サクモは家を出た。月の眩しい夜だった。
サクモが聴聞会への出頭を命じられたのは、帰還後一週間経った朝のことだった。任務を受けた同じ場所で、それ以上の人数に囲まれたサクモがまず耳にしたのは砂からの脅迫じみた書面の内容だった。
それは、サクモが予想した通りの結果だった。砂は謝罪が成されなければ正式に戦線布告をすると告げてきたのだ。そしてそれらは、木の葉からの一方的な攻撃に起因するとされ、書面には首謀者として『はたけサクモ』の名が明記されていた。
その書面の到着直後、雨隠れの里は、木の葉との関係断絶を宣言し、事実上敵方に回った。
一方、草は木の葉からの要求を待たずに武器輸送の事実を認めた。自来也隊が荷渡しの現場を押さえることに成功したからである。ただし、砂の忍を捕縛することはかなわなかったために、草隠れの里は砂との連帯については知らぬ存ぜぬを通した。武器は情勢不安の中、軍備を増強するために必要としたものであって、むしろ木の葉の援護であると草の里長は主張した。
結局、上層部が最も望んだ砂の勢力の縮小はかなわず、総計すれば事態は木の葉にとってマイナス方向に傾くこととなった。
それでも一応の成果を上げた自来也はその場にはいない。サクモは己を糾弾する上層部の顔ぶれを目で追いながら沈黙した。
そして火影から裁定が下された。
『はたけサクモは一時謹慎、後に三代目を警護し、風影との面談に臨む』
それが告げられた瞬間、殺気に近いざわめきが上層部の面々に走った。それでは砂におもねることになる、叫ぶようにうちは一族の代表が言い、幾人かが同調し、更に幾人かがサクモへの懲罰を求めた。ご意見番の二人までもがそれらに連動して火影の裁定に異を唱えた。
その中で、サクモは一切の釈明をしなかった。唯一火影の裁定に理解を示した日向ヒアシからの詳細説明の要求にも「己の力不足」としか答えず、紛糾する室内の中央にただ真っ直ぐに立っていた。
結論はその場では出なかった。サクモには謹慎の命が下るに留まり、それを受けて以後、サクモは以前に増して寡黙になり蟄居を続けた。
やがて誰の訪問も受け付けずに一月が経った雪の日、木の葉が相次いで雨と砂からの攻撃を受けたことを、サクモはカカシを通じて知った。
そしてサクモは家を出た。
空からひらひらと降る大粒の雪は重く舞い、乾いた風が薄い藍鼠の寝巻きの裾辺りに絡まる。道の上を淡く覆った雪の上に広い歩幅で足跡をつけ、サクモは一軒の家を目指して歩いた。
道幅が狭くなり、路地を何度か曲がって公園の前を通り過ぎ、灰色に沈む一軒家に目を眇める。
明かりは、点いていた。
細い木板を組み合わせた玄関戸の側の呼び鈴を押す。ややあって返事と共に内部の空気が動くのがわかり、サクモは理由も無く笑った。
――出てくる、か。
黄色い明かりが玄関の中に灯り、人影がスクリュー錠を回す。
――機会はこれ一度。
がたがたと建付けの悪い玄関戸が横滑りするのを見ながら、サクモは懐に手を入れた。
「隊長?」
開いた戸から黄色い髪が覗いた。
「珍しいね。……というより初めてだ、うちに来るなんて」
「ああ、そうかもな」
言うなりサクモは右手を振り抜いた。あれ、と首を傾げるミナトの腹に刺さった出刃包丁を力任せに押し込み、心臓に向かって切り裂き上げた。
「そんなこと、しにきたの」
顔を上げた瞬間、崩れ落ちる体は煙となって消えた。
「俺、任務が終わったばかりで疲れてるんだけど」
上がりかまちに裸足を置いた本体が薄く笑って見下ろす。
「時間はとらせない」
きつく眉を寄せ、サクモは三和土に踏み込んだ。小動物の動きで一歩を下がるミナトを見据えて右手の刃物を握り直す。刹那に視線が合い、先に動いたのはサクモ、跳躍と同時に眼前でくないと出刃が火花を散らして力比べになった。ぎりぎりと癇に障る金属音が響き、強度の弱いサクモの刃物がめりっと歪んだ。その瞬間、二人は引き退り睨み合う。
「そんなもので、俺をどうしたいの」
「すぐに、教えてやる」
着物も髪も乱し、サクモは唸った。曲がった刃物を両手で掴んで再びの跳躍、背を向けたミナトの体が沈んで鋭く足払いがかかってサクモはたたらを踏んだ。その背中に組み付いた腕の先、くないが首筋に触れて細く血が垂れる。しかしそれは鈍い音と共に弾かれて天井に突き刺さり、前のめりに崩れるようにサクモは背後の体を投げ飛ばした。そのまま廊下を滑って居間に跳び込む姿を追って跳び刃物を振り上げるが起き上がりざまの強かな蹴りが腹に入って茶箪笥に突っ込む。めりめりと薄い板が背中で割れ、崩れ落ちてくる陶器を振り払い、互いに低い姿勢で間合いを計る。
「やめよう、隊長」
「黙っていろ」
回るようにじりじりと角度を変えて数秒、二人は互いに向かって跳びかかり畳の上を滑って縺れた。乗り上げるサクモの顎をくないの台尻が弾くように打ち、振り上がった腕を尖った先端が切り裂く。温い血に塗れて二人は転がり、二つの刃物は重い音を立てて同時に畳に沈んだ。間髪無く小刀を喉元に突き付けられ、サクモは無表情にミナトを見下ろした。
「武器は包丁だけ? 潔いって言えばいいのかな」
「俺はおまえを殺さねばならない」
「……チャクラ刀だったら仕留められたのに」
「あれは私闘に使うものではない」
「私闘、ね」
苦しいよ、とミナトは首を絞めに掛かったサクモの手首を掴んだ。
「隊長、もう無理だよ、あなたの負けだ」
ごきりと鈍い音がした。左手首の関節からだ。
「丸腰同然でも殺れると思われるなんて、俺も舐められたもんだね」
上体を起こしながらミナトは言った。関節の外れた手首をぐっと押し込み整復しながらサクモも立ち上がった。
「おまえなどに、術や忍具を使うものか」
「俺がかけた術は解けてるんでしょ」
食いしばるサクモの唇から、つるりと一筋血が流れた。
「いつ解いたの?」
「二日前だ」
「……ふうん」
サクモは解けかかった帯を直して高く立ち、何度か深く呼吸をした。そしてまだ座っている金髪を見下ろし口を開いた。だが、音にはならなかった。
「理由くらい、聞いたら?」
「聞けば言うのか」
「言うかもよ?」
その時ミナトは笑っていなかった。サクモはその顔を凝視し、ゆらりと血に染まった右手を振り上げた。拳を作ったそれを、ミナトは避けなかった。
鈍く重い音が何度か続いた。うつ伏せになった胸元を掴んで引きずり起こし、サクモはまた拳を振り上げた。だが上がった顔は、前歯を赤く染めて尚笑っていた。
「気は、すんだ?」
逆に胸元にすがり、ミナトは血の溢れる唇をサクモの傷に押し当てた。二人の血が混じって畳にぽつりと落ちる。
「あなたは、俺のものだよ。俺だけがあなたをどうにでもできるんだ」
サクモの拳はぶるぶると震えてからだらりと垂れた。
「ねえ、殺しあうよりももっと、楽しいことをしようよ」
耳元に流れる声が意識を白くする。それが怒りなのか目も眩むほどの執着なのか、もうわからない。サクモは絡みつく体を突き飛ばすと青年から背を向けた。傾きながら玄関へと向かう間に何かまた声がかかったが、サクモは立ち止まらなかった。
――機会はこれ一度。
それだけが頭の中で回っていた。
「サクモさんはそんな人じゃない!」
がしゃん、と何かがひっくり返る音がして、一人の男が立ち上がった。
「おまえらは知らないからだ、サクモさんがどんな風に戦い仲間を助けたか、知らないからだ!」
「忍なら当たり前のことだろうが。その上で任務を成功させるのが『木の葉の白い牙』の務めだぜ」
「そうだ、それだけお偉い忍様ならさぞ完璧に任務を遂行あそばすはずだろう」
「説明しろ、アマニ。俺の親友を殺したやつらははっきり『はたけサクモ』の名前を出したんだぞ! 最も卑怯な木の葉の忍だとも言っていた!」
「あれだけの人だ、逆恨みの一つや二つは買うさ! そもそもおまえは同じ里の英雄よりも、敵の言葉を信じるってのか!」
「今のサクモは信じるに値しない!」
「それなら言うがな。今までどれだけの忍が木の葉や火影の名の下に死んだと思ってるんだ。おまえの親友だってひいては里のために死んだんだ。それをおまえは恨むのか、里に呪詛の言葉を吐きつけるのか!」
「穏やかでないのぉ」
衝立の向こう、ぬっと立ち上がった影にその場の男達はてんでばらばらの格好で固まった。
「なかなか興味深い話ではあるな。わしが聞いてやるからこっちへ来て飲まんか? ん?」
自来也が手招きした途端に男達は跳び上がり、いいえとんでもないなどと言いながら転がるように居酒屋を出て行った。
「どうした、おまえさんは行かんのか」
一人残ったのは、茶色い髪を短く刈った男だった。彼はうなだれながらも、拳を震わせている。
「自来也様……」
「出るか」
こっちのテーブルの分も会計してくれと店員に呼びかけ、自来也はアマニの肩を叩いた。
花が散るように大粒の雪が降る大通りをぶらぶらと歩きながら、自来也は大人しくついてくるアマニを振り返った。
「おう、ここでいいか」
「は、はあ?」
「飲み直しだ。来い」
半間ほどの小さな間口に身を屈めて、自来也は暖簾を上げた。
「オヤジ、酒だ。冷やでいい。それとおでんを適当にな」
「あいよ」
馴染みらしい店主に注文すると、自来也はカウンターに座って隣の椅子を指先で叩いた。
「座れ。アマニ、だったな」
「はい……」
「最近、サクモさんに会ったのか? わしが家を訪ねた時には顔も見せてもらえんかったが」
「俺も同じです。息子さんが応対してくれました」
「そうか。それにしても、さっきの店では気になる話をしていたのぉ」
二人の間に店主が徳利を置き、自来也は猪口を取り上げる。
「……自来也様の方がよくご存知ではないですか」
「まあそう警戒するな」
注がれた酒を煽り、返杯しながら自来也はにやりと笑った。だがアマニは眉を寄せて手の中の猪口を睨むばかりだった。
「おまえさん、サクモさんとは親しいようだな」
「何度か同じ任務に……」
「さっきの店での様子じゃ、雨にも行ったようだが?」
そうです、と怒った目のままでアマニはぐいっと杯を空けた。
「あいつら、好き勝手言いやがって……」
溜息混じりの言葉に自来也は片方の眉を吊り上げる。
「あいつらは何を言っていたんだ? サクモさんは信じるに値しないと聞こえたがな」
「馬鹿どもが!」
ごつりと猪口を置き、アマニは肩を震わせた。
「サクモさんの責任じゃありません!」
「話してみろ」
足された酒を即座に飲み干し、アマニはがばっと自来也に向き直った。
「そんなはずが無いんです、サクモさんが……」
口にするのも汚らわしいと顔を顰め、アマニは搾り出すように言った。
「色狂いで任務を放棄したなんて」
「……どういうことだ」
声を潜めて自来也も頬を引き攣らせる。
「噂、ご存知ないんですか」
「噂?」
「見たっていう奴がいて……」
「ええい、はっきり言わんか!」
「波風ミナト、なんです!」
しん、と二人きりの店内が静まった。
「どうした、アレが」
冷静な声を作った自来也を、見抜いているぞという顔でアマニは見つめた。そして徳利を摘むとそこから直接酒を煽り、口を拭ってもう一度自来也を睨むように見た。
「サクモさんが、波風ミナトに骨抜きにされたって噂が流れています。ひどいものになると、先だっての雨での失敗も、波風恋しさに命を惜しんで任務を中断したんだと……」
「……なんと」
有り得んな、そう自来也が呟き、わずかにアマニは表情を和らげた。
「二人が……その、特別な関係だという話は、以前から噂にはなっていたんです。そういう話は仲間うちではいいつまみになるというか……。でも、そんなことはサクモさんの任務には関係ないですよ。サクモさんは立派に隊長として指揮しておられました。具合が悪そうでしたが、我々には伏せておられて」
「具合?」
「俺は目をやられていたので、感覚が敏感になっていたんです。サクモさんはどこかおかしかった。無理をしているように思えました」
「ふむ……」
苦しげに語るアマニを見ながら、酒だ、と自来也は店主に手を上げた。
「成果のないままの撤退は恥ずべきことです。こんなことは、同じ任務を成功させた自来也様の前で語るべきことではないのかもしれない」
自来也は否定も肯定もせずアマニを見つめた。
「しかし、サクモさんが早い撤退を決意しなければ、俺達の隊は成果を出せなかったばかりか死者を三人増やしたでしょう。俺の右目も無事ではすまなかったはずです。サクモさんは正しくはなかったかもしれませんが、間違ってもいなかった、そう俺は思います。そして、絶対に、あの人は個人的な理由で己の命を惜しむことはしません」
その言葉には自来也がはっきりと頷き、安堵したようにアマニは深く息を吐いた。
「敵さんがサクモさんの名を出したって話はなんなんだ?」
ああ、とアマニは自嘲するように唇を歪ませた。
「これまでになく残虐な方法で木の葉の忍を殺し、『はたけサクモへの報復だ』と告げるそうですよ、最近の砂の忍は」
「……例の謝罪の件か」
「そうでしょうね」
結局、風影からの謝罪要求を木の葉は拒否した。火影が敵対国に頭を下げるのならば、そうさせたサクモにはもっと頭を下げてもらわねばならぬ、すなわち首を落とすと主張する者が上層部のほとんどを占めた結果、火影が決定したことだった。そんな身内の軋轢などを聞かせても詮無いことだと、自来也は黙って酒をすすった。
「サクモさんをダシにして、木の葉を悪者に仕立てようって魂胆ですよ」
「ずいぶんみっともないのぉ、砂の連中は」
だが、それを信じる者が出るほど、今回のサクモの失敗が与えた損害は大きかった。英雄であるが故に、責任の重い任務が与えられ、英雄であるが故に、ただ一度の失敗が取り返しのつかないものとなる、その典型だった。
「みっともないのは木の葉も同じですよ」
そして、英雄であるが故に風評の広まりも早い。
自来也はちくわぶを噛み切りながら、アマニに目を向ける。
「ちと噂が気になるな。あれでいてサクモさんはなかなか繊細にできとるからのぉ。何かあったらわしに聞かせてくれるか?」
「……無いことを祈ります」
日付が変わる頃、アマニと別れた自来也の足は自然とサクモの家へと向かった。店に入る前に降っていた雪は止み、骨を凍らせるような風だけがくるくると回って通り過ぎて行く。路地を折れ、黄色い葉が作る生垣に差し掛かったところで自来也は一つの人影を見つけた。
――あれは……。
『噂』がちらりと頭を掠めた。それを振り払うように頭を振り、自来也はその人影に大股で近寄った。すぐにあちらも気づき、玄関戸を開けたまま動きを止めた。
たった今自宅に着いたという風情の彼は、薄い着物で裸足の足には下駄だった。そんな格好でありながら、寒さを全く感じていないかのように背を真っ直ぐに伸ばして手を上げた。自来也に向かって、ごく気軽な様子で左手を。
拒否でもなければ招待でもなく、思わずといった仕草につられ、自来也も手を上げた。左右に振ればあちらも同じ動きを返す。それで、喉に詰まっていた何かがすとんと腹に落ち着いたように感じ、安堵に近い気分で自来也はぶんぶんと手を振った。
「また来るからのぉ。謹慎が終わったら酒でも飲もう」
「ああ」
かすかに笑み、サクモは玄関戸の中に消えた。直後にぽっと明かりが点く。その橙色の光を見ながら自来也は一つ頷き、そこから背を向けた。
明るい月が白々と空に浮かぶ、闇浅い夜だった。
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