紅の陰影 6

 ばさりと布が捲られ、転がるように人影が出てきた。
「何やってんだ」
 尻餅をつき、妙な笑顔を浮かべているミナトを見下ろすのは同じ隊の男だ。
「なんでもなーい」
「テントから蹴り出されといて、なんでもないってこたあねえだろ」
「ん。フラれたのかも」
「おまえ隊長狙いかよ。ガキのくせによくやるぜ」
「ガキ? そう見える?」
「……ふうん。じゃあ俺が試してやろうか」
「いいよ」


 連れ立つ気配が消えていく。そちらへ視線を向け、しかしサクモは動かなかった。
 あの夜から、奇妙な関係は続いている。
 一度垣根を越えれば後はたやすく、もう何度も体を繋げた少年は定期任務の宿営地でも求めてきた。差し迫った危険のない任務とは言え、職場での艶事などサクモには『有り得ない』。当然とばかりに叱責してテントから放り出したのは数分前だ。それが、あっという間に他の男と消えた。
「一体、何を考えている……」
 関係が始まっても彼は容易く他の男とも寝た。そしてそれをサクモに隠そうともしない。あからさまに過ぎる態度に、他にも相手がいるならそちらへ行けと言ってみたことがある。それを聞いたミナトはひどく驚いた顔をした。
 ――したい人としてるだけだよ?
 あまりにびっくりした顔をしたので、サクモは一瞬自分の方が間違っているのかと常識を疑ったほどだ。
 ――それに、その方がいいでしょ、隊長だって。
 意味がわからなかった。彼は確かに、サクモがいいと言ったのだ。カカシを人質にとるような物言いすらしておいて、結局はその他大勢の一人でしかないと言う、その感覚がサクモには全くわからない。
 完全に気配が消え去った。宙を睨み、黒く濁ったものが下腹に溜まる感覚に耐える。もういつからそうなのか、思い出せないほど当たり前にそのどす黒いものは常にサクモと共にあり、あの少年の言動に一々反応する。それが何よりもサクモを苛立たせ、歯ぎしりすらさせるのだった。
「一番わからないのは、俺か……」
 あの夜以来、彼はサクモがいてもいなくてもお構い無しに、ふらりと自宅へとやって来るようになっていた。カカシも家政婦も、あの人懐っこい性格にほだされている。受け入れていないのは、体の関係に至っているサクモだけなのだ。しかも、こうして一人物思いにはまり込む時にはもう二度と勝手はさせないと強く決意するが、実際に対峙すれば全く歯が立たない。むしろ、濡れたように輝くあの髪や肌に、強烈に惹かれている自分を思い知らされるばかりだ。今でも行為はミナトからの誘惑という形で始まるが、欲望の強さはどちらが上かなど、もうわからない。
 飲み込みたくないまずい薬を無理やり喉に落とすように、サクモは薄い毛布を被って体を横たえた。今は自分にも、待ってくれている者がいる。そのことだけを考えようとした。
 しかし、閉じたまぶたの裏には月の光が乱反射のように瞬き、サクモは唇を噛みながら硬い寝床に額を押し当てた。


 翌日、任務報告を終えた足でサクモは自宅への道を駆けた。
 常ならば、戦地で得た殺気や興奮を逃すために上忍待機所をしばらくうろつくところだが、その日はどうしても待てなかった。

 玄関を潜ると脚絆を脱ぐのももどかしく、上がりかまちを踏みしめサクモは廊下を大股で歩いた。出迎えようとしたらしい家政婦が驚いた顔で道を開ける。
 果たして居間の中には、半分眠った顔でふかした芋を握ったカカシが座っていた。
「カカシ」
 泣くかもしれないと思ったが、堪えられずにしゃがむと手を伸ばした。子供はぼんやりと芋とサクモを見比べ、ふにゃりと笑った。
「おとうさん」
 おかえりなさい、と耳元に頬がすり寄せられる。柔らかい、暖かいものをやっと手に入れてサクモは深く呼吸をした。子供特有の、かすかに甘く湿った匂いがする。
「お帰りなさいませ」
 困った顔が癖になったように家政婦が苦笑する。
「まだお体が本調子でらっしゃらないのに出立なさいましたからねえ、カカシちゃん、とても心配して」
「そうか」
「今度は少しごゆっくりできますわよねえ」
 言いながら台所へと消える背中を見送り、サクモは抱き上げたカカシと目を合わせた。
「もう大丈夫だ」
「いたいの、もうないの?」
「ああ。ほら、包帯もしていないだろう」
「ない」
 ないよ、と肩を手探る小さな手をそのままに、縁側に目をやってサクモはぎくりと体を強張らせた。日当たりの良い床板の上にはまだ客用の湯のみが乗っている。サクモはカカシを側に下ろし、卓袱台に茶器を並べる家政婦を見やった。
「誰か来たのか」
 わかっていて聞く。
「ミナト様が。カカシちゃんと少し遊んで行かれましたよ」
 参加した部隊は二組に分かれて帰還した。ミナト達は確かに、半日ほど先に帰りついたはずだ。
「カカシ」
「あい」
 望まぬ客人が残した菓子を頬張りながら子供が振り向く。あらあらと、家政婦が慌てて残りの菓子を手繰り寄せた。
「何をした?」
 もぐもぐと口を動かしながら、カカシは首を傾げる。
「だから、あれと……何をして遊んだんだ」
「あえ?」
「ミナトお兄ちゃんですよ、カカシちゃん。今日、遊んだでしょう」
 家政婦の助け舟にカカシは菓子を飲み込みながら頷いた。
「おにわでおはなをみたの。おはなしもきいたの」
「話?」
「しょだいさまのおはなし」
「そうか……」
 おそらくは里の子供なら誰でも知っている、初代火影の武勇伝の一つだろう。存外にまともな対応をしてるらしいとわかり安堵する反面、得体の知れない不安がサクモの脳に瞬く。脅し文句に過ぎないとわかっていても、彼は言ったのだ。その子も同じ髪の色だね、と。
「サクモ様」
 緊張が伝わったのか、気遣い深い声で家政婦がそっと呼ぶ。は、と顔を上げると小動物のように黒々とした目がサクモを覗き込んでいた。
「おはなし、だめ?」
 負傷に怯え、続いて怒鳴りつけられたあの夜のせいで、カカシは父親の気配に敏感になっている。サクモは軽く目を伏せ、自分と同じ色の髪の上に手を置いた。
「……いいんだ。おいで」
 膝に抱き上げ、首を傾げるカカシの髪を何度も梳く。首を反らしてサクモを見上げ、カカシは大きく目を瞬いた。
「すこしむかしのおはなしです。しょだいさまはあるひ、おとうとぎみといっしょにかわべりをあるいていらっしゃいました」
 とつとつとそこまで言って、カカシは機嫌を窺うようにサクモの手を触った。
「……それから?」
 促してやると、小さな口元がにこりと笑って続きを紡ぐ。
「するとかわかみからいっそうのふねがやってきました。そのふねには、ちいさなこどもがたくさんのっていました」
 カカシは父親を気にしながらおとぎ話に似たその逸話を披露し、最後にまたサクモをじっと見上げた。その目を見返して頭を撫でてやる。
「よく覚えたな」
「しょだいさまのおはなし、すき」
 くすぐったそうに首を竦め、しかしカカシは髪を撫でる手から離れることはなく、あぐらにすっぽりとはまって腰のポーチをいじり始めた。くないを掴もうとする手に携帯食のパッケージを握らせ、サクモはわずか、笑みを浮かべた。
「また重くなった」
「どんどんと大きくおなりですよ。また靴を新調しなくちゃいけませんわ」
「そうか。修行を始めてもいい頃合かもしれないな」
「ご冗談を。こんな小さい手に手裏剣を握らせるおつもりですか?」
「この子は忍にならねばならない。そのために生まれた」
「サクモ様……」
「素質はある。本人のためにも、鍛錬を始めるのは早い方がいい」
「……それは、ミナト様もおっしゃっていましたけれど」
「波風ミナトが?」
「サクモ様」
 すっと声を潜める家政婦に手元を見ると、小さな銀色の頭がこくりこくりと揺れている。
「ああ、寝かせてやらないと」
「その前に、少し」
「なんだ」
「ミナト様ですが、このままでよろしいのですか」
 この女も元は忍である。主の言動に何かを感じぬはずはない。数秒逡巡し、言葉を選びながら言う。
「……俺としては、少々ずうずうしく思ってはいる」
「では、これからはご遠慮願いましょう」
「いや」
 頷きたい言葉にサクモはあえて首を横に振った。表面上どう対処しようと彼はやってくる、必ず。ならば下手に刺激するよりも好きにさせている方がカカシの安全度は高いだろう。
「カカシに危害を加えない限りは問題はない」
「何かあってからでは遅うございますよ」
「……何かある、と思うか」
 家政婦が息を止めたのがわかった。
「あの子は、子供を傷つけるような、ひとでなしではないと、思います」
 女は慎重に言い、サクモは頷く。
「あれが来た時には、あなたが側にいて見守ってくれればいい。そうしてくれるか」
「かしこまりました」
「ただ……俺にとっては、苦手な質なんだ。あまり愉快な顔はできない、ということは知っていて欲しい」
 ゆるゆると頭を振りそう言うと、納得したというように家政婦は頷いて見せた。
「そうではないかと思っておりましたよ。私はああいう子は嫌いじゃありませんけれど、サクモ様にとっては鬼門でしょうねえ。どうして懐かれておしまいになったのか、不思議でなりませんよ」
「鬼門か……」
 そうかもな、と呟き、サクモはぐったりともたれかかるカカシを抱き上げた。その柔らかく暖かい寝顔を起こさぬように、そっと。






 その夜、サクモは一種の殺気と共に風呂から自室へと歩みを進めた。
 ――必ず、来る。
 確信に心拍が上がりそうになっている。それを気力で押さえ込み、サクモは暗く長い廊下を歩いた。途中のカカシの部屋に視線はやらなかった。目を伏せ足早に通り過ぎて角を曲がれば自室、襖に手を掛け、サクモは知らず眉間の皺を深くした。
 ――いる。
 思った瞬間、襖が開いた。日向の猫のように目を細め、こんばんはと差し出される手を反射的に掴む。わずかに肩に痛みが走るが、構わず足払いをかけるとその場に押さえ込んだ。派手な音が立つのを覚悟した振る舞いだったが、完璧な受身を取った彼はまさしく猫のごとくほとんど無音で畳に伸びた。
「随分と手荒だね」
 半分開いた障子の桟が、月光を背後に碁盤の目のように模様を描く畳の上、両手を広げ無抵抗に体を投げ出し波風ミナトは笑っていた。
「勝手に入るなと何度言えばわかる」
「玄関から入ったよ」
「仕掛けがあっただろう」
 掴んだ両肩に力を入れるが、少年は悪びれもせずにサクモの首に腕を回す。
「あれくらいでどうにかできるって、本気で思ってた?」
「家主の意思は伝わるはずだ」
「どうして?」
 喉を鳴らすように笑い、頚動脈を指先で辿りながら、彼は楽しげにまた目を細めた。
「俺が脱げば立つくせに、どうして嫌がるのかなあ、隊長は」
 ぎり、と肩に指を食い込ませたが、細い体は反射も忘れたかのように脱力し、成長しきっていない細い指先がうなじをするりと撫で上げた。
「抱いてよ。この間してくれなかった分も」
「他の男としただろう」
「今、あなたとしたいんだ」
「どうして俺なんだ」
「この髪が」
 髪の中へ分け入る指が、かすかに地肌に爪を立てる。
「好きなんだって、もう何度も言ったはず」
 緊張とも嫌悪ともつかない湿った感覚がぞっと背中を下り、サクモはその手を掴んで畳に押し付けた。体をねじるようにして嫌がりながら、ミナトはまた小さく笑った。
「隊長。あなたは俺を抱くよ」
 その目の色は浅瀬の海に似て、波立つように表面を光らせる。唇も髪も、任務服からわずかに見える肌すらも、彼が喉を振るわせ笑う度に細かく月の光を反射し、幾千もの月に照らされたようにサクモは強く目を閉じた。
「そうするしかないんだ」
 それは、ミナトの言葉であり同時にサクモの思考でもあった。黙っていろと呟く男にしのび笑いが纏わりつき、月の光の下に肌が晒されていく。まだ華奢な肩、薄い胸、骨ばった腰、同じ性でありながら己とは違い過ぎる体にサクモは眩暈すら覚えながら思った。
 初めから自分は、この体を意のままにしたかっただけなのかもしれない。あの黒く凶暴な不快感は、暴き、組み敷き、貫いて喘がせたいという欲望だったのかもしれない。
 そんな錯覚に陥ってしまうほど、目の前の体は焦がすようにサクモを欲情させた。浴衣の帯を解いたミナトが溜息を吐いて、もう少し小さくしてくれなきゃ入らない、と笑う。そしてサクモの右腕を両手で掴んで引き寄せ、薄紅い唇を開いて舌を覗かせた。
 手のひらから指先へ、ねっとりと舌が舐め上げる。むず痒さに腕を引き戻すサクモを許さず、温い舌が丁寧に中指をしゃぶり唾液を塗りつける。舌先が爪と肉の間をこじり甘噛の軽い圧力が爪の根元にかかり、そのまま指は口内へと導かれた。代替の行為であるのをあからさまに知らせるように湿った音を派手に立てながら、蒼い目がすくい上げるようにサクモを眺め、そして両足を開いて横たわると滴るほど濡れた指をその奥へと掴み寄せた。
「中、触って」
 強請られるままに窪みに指先を当てる。わずかに指を曲げるだけで口を開く熱い粘膜は、ここに来る前に何があったかをはっきり伝えてくる。待ちきれないように締め付ける内部は、ミナトの唾液ではない何かで濡れていた。他人の痕跡を見つめ、サクモは乱暴に指を引き抜いた。それだけの刺激にすら耐えきれないように、ミナトは自分の性器の根元を掴んで喉を反らせた。
「やだ、抜か、ない、で、」
「ふざけるな」
 だが、止める気はもうサクモには無い。それならばと窪みを開き、無理やり三本の指を含ませた。ひ、と漏れた声はすぐに熱い溜息に変わり、それら全てに苛立ちながらわずかに感触の変わる場所をきつく撫で押し込むように指を捻る。いくらも経たず、ああ、と悲しげにすら聞こえる声が聞こえたと同時に、性器を掴んだ指からひくつく腹に白濁が零れた。
 大きく胸を波打たせながらミナトは満足げにサクモを見上げた。そして荒い呼吸を整えもしないままに濡れた指を奥へと滑らせていく。淡くけぶる金色が指から滴る粘液で濃い色に変わり、二つの膨らみを越えて会陰まで濡らした指は、太腿の付け根に掛かってぐっと大きく足を開いた。
「隊長……」
 絡みつく声は鼓膜を汚すように甘くせかす。粘膜を戦慄かす場所から指を抜き、寒気がするほどそそり立っている自身に手を添えた。先端を当てた場所は締まりきらずにゆるく開いて誘い、サクモは一気にその中へと押し入った。
 一瞬、ミナトの息が止まった。構わず深く体を交差させ、限界まで胸を反らす体を折り曲げ腰を強く掴む。悲鳴のように嬌声が上がってミナトの全身がぶるぶると震え、内部までもが痙攣に似た締め付けを何度も繰り返す。
「ふか、い、あ、あ、あ!」
 しがみついてくる腕を振りほどき、サクモはミナトの肩を両手で掴んだ。ぐらぐらと思うままに揺さぶり、敏感な場所を狙って強く擦り上げる。ミナトは快感を逃がすように大きく口を上げ、しかし急に後ろ手を付いて身を起こすと喉を天井に向けた。
「あっ、いく、あ、あ――あっ!」
 そうさせているサクモがぎくりとするほど激しく達し、白い体は強張った。強張りながら、てらてらと濡れた海色の目がはっきりとサクモを捕らえた。
「もっと……して、隊長……」
 絶え絶えの声、絞るように蠢く肉の感触、もうサクモは何も考えなかった。この体を抱く、抱くしかない、そうするしかないのだ。
 高く低く上がる喘ぎと濡れた摩擦音だけを聞きながら、サクモは意識を埋没させた。それだけが、サクモに許された抵抗だったのかもしれない。


 破滅は、始まった。







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