特殊任務

 職員室だと聞いたので、カカシはまずそこを覗いた。
「ちょっとちょっと」
 一人の中忍教師が通りかかったので声を掛けた。彼はびくり、と緊張してカカシに向き直る。
「は、なんでしょうか」
 どの中忍でも一様に見せる緊張に辟易しながらカカシはぶっきらぼうに言った。
「うみのイルカ、呼んでくれない?」
 その瞬間、職員室が異常なざわめきを示した。実際に何か音がした、ということではなく、波が渡っていった、とでも言えばいいだろうか。
「何?」
「あの、」
「いないの?」
「……ここには」
「じゃあどこ」
 若干いらつきを滲ませた声を、わざとカカシは出した。目の前の気弱そうな男は一歩後退りながら素早く答えた。
「は、古文書保管室の前です」
「あそ、どうも」
 カカシは後も見ず職員室を出た。

 古文書保管室に向かいながらカカシは、ち、と舌打ちをした。
 暗部が訪れることが滅多にないアカデミーで、この制服はインパクトがあり過ぎる。着替えたくとも、誉れだの示しがつかないだの、訳の分からない理由で着用を義務付けられているのだ。暗部になって以来、カカシは任務で必要な場合を除き、日中この制服を脱いだことはなかった。暗部である、ということはそういうことだった。
 記憶を辿って廊下を何回か曲がった。古文書保管室は次の角を曲がってどん突きだ。カカシは大股に歩いていたが、ふ、と足を止めた。同時に気配を殺す。尋常ではない音が聞こえてきたからだ。

「どうしたのかなあ、もう疲れちゃったかな? お口がお留守だよー」
「こっちもな」
 びたん、と肌を叩く音がした。カカシは軽い幻術を纏って角を曲がる。チャクラの伝えるところで特別上忍か上忍らしき者が五人、そこにいた。姿を消しながらも、角から右目だけを覗かせて状況を確認した。
「ほら、よく噛んで食えって。緩んできたぜ」
 四つ這いになっている全裸の若者の肛門を犯している男が、そう言って尻をばんばん叩いていた。口に性器を突っ込んでいる男は若者の耳を掴んで吊り上げ、意識を鮮明にさせようとしているようだ。
「そうだ、出来るじゃねえか、もっと腰振れよ」
 彼らは真昼の廊下で輪姦に興じていた。
「ほら、」
と、後の男が尻を持ち上げ、掴んだ腰を振り回した。どうやら若者も激しく腰を使っているらしく、男は満足そうに言った。
「美味しいかい、イルカちゃん」
 ああ、なるほど、あれか。
 カカシは納得してその光景を見物することにした。おかしな事を言う、と思ったが、さっきの教師の言葉は的確だったのだ。確かにイルカは古文書保管室の中ではなく「前」にいた。
 イルカを荷物のように振り回し、強く打ち付ける度に壮絶な粘着音を立てながら背後の男は達し、イルカもまた廊下に滴りを零す。しばらく突付いて余韻を楽しんだ後、男は一気に引き抜き、自由になったイルカの腰は床に落ちる。が、間髪入れず、待っていたらしい次の男がイルカの腰を持ち上げた。何の配慮もない動きでペニスを挿入すると、下から突き上げ始めた。喉を上げて口を犯されてるイルカは目を見開き、鼻から抜ける音を発した。
「イルカちゃん、出すよぉ」
 嬉しそうに口の男が言った。頭を掴むと最後の追い込みにかかり、達する一瞬前に引き出すと、一度強く自分で扱いてイルカの顔に精液をぶちまけた。その瞬間、
「ひああああぁっ、あああっ!」
 絶叫が廊下にこだました。さすがにカカシも怯む。口を塞ぐものが消え、イルカの嬌声はストレートに喉から吐き出され続ける。
「ああああああぁ、ああ、あっ、ふっ、あああああぁっ、ひっ、ひうっ、くあああぁっ!!!」
「大きな声だなあ、イルカちゃん」
「イッたばっかで突っ込まれたから、すごい感じるんだろ」
「イキっぱなしってか」

 男たちは実に楽しそうだった。白昼堂々の公共空間でのレイプにカカシは呆れるばかりだった。
 これじゃ、下手すりゃ職員室まで聞こえるな。というより、
 思ったところで背後に人の気配がして、カカシは振り返った。まだ十代とおぼしき青年が、巻物を沢山抱えて足を凍らせていた。若い中忍だろう、カカシの存在には気が付いていない。イルカの壮絶な嬌声を聞いて事態を察したらしい彼は、蒼白になって震えながら向きを変え、ぎくしゃくと去って行った。
 そのまましばらくカカシは背後に気をこらしたが、騒ぎが起きる様子もなく、また、助けも来ない。あの職員室の様子でそうとは思っていたが、どうやらこれは公認されている強姦のようだ。意気地がないねえと笑い、カカシは観察を続けた。イルカは見も世も無い風情で声を上げ続け、男たちは面白がって叫ぶがままにさせている。背後の男は既に交代していた。
「あーあーイルカちゃん、すごいことになっちゃった」
「しょうがねえよ、オマエ淫乱だもんな、なあイルカ」
 髪を振り乱し、絶叫を繰り返してイルカは夢中で腰を振っていた。両手を突っ張って唾液を垂らしながら、イルカは朦朧とした視線を宙に投げている。犯している男はほとんど動いていない。支える両手を腰に置き、イルカに任せて楽しんでいる。空気を盛大に噛んだ結合部は、卑猥を通り越しておぞましい程に肉の音を聞かせ、嬌声と絡み合う。
 男が位置を変えた。下から激しく突き上げられ、イルカはすすり泣いてよがり、やがて断末魔のように一声吼えると力が抜け、床に横倒しになった。遠目には分かりにくかったが、イルカの性器からたらたらと零れる精液は薄まって透明に近いようだ。勢いが無い、長い射精でイルカは達した。
 まだ男たちは続けるつもりらしく、脱力したイルカを無理やり立たせて窓枠に捉まらせた。大量の精液が尻から流れ、膝の裏を伝って床まで垂れた。

 長くなりそうだな。
 カカシは見飽き、その場を後にした。
 向かった食堂で下忍時代の知己を見つけた。昔話をぽつぽつと語り、茶をすする。授業だ、と言って去る彼を見送り、そろそろいいかなと、古文書保管室に戻る。狭いポケットに親指だけを掛けて歩いていると、古文書保管室の方から来る、卑猥に笑う二人の男とすれ違った。彼らは暗部の制服に目を留めると、さっと羨望と緊張の眼差しを送り、軽く会釈してカカシの横を通り過ぎた。その顔は、さっきの男達の中には無かった。
 新手か。全くよくやるよ。
 カカシはいよいよ呆れた。
 このアカデミーの風紀はどうなっているんだ。せめて密室でやればいいのに。
 やれやれと肩を竦め、今度は気配を消さずに角を曲がる。一人、まだそこに残っていたが、ぺたりと床に胸を付けるイルカの頭を笑いながらつま先で小突いて離れるところだった。彼はカカシを見て、ぎょっとして表情を強張らせたが、カカシが真直ぐイルカに向かうと知って、同族を見る卑屈な笑みを浮かべた。
「……もう使えなさそうですよ」
「そーだろーねえ」
 カカシはたっぷり一時間は知己と話し込んでいた。
「俺は古文書保管室に用があるの。邪魔だから誰か呼んで始末させて」
「へへ……放っときゃいいんですよ」
 男はにやにやとだらしなく笑いながら軽い会釈をし、カカシの来た方向に消えた。
 イルカよりも同階級の者に腫れ物扱いをされる事の方が気になる。だからカカシは不機嫌に、足元の性奴に声を掛けた。破れたりボタンが飛んだりした服が、辺りに散らばっていた。
「ちょっとアンタ」
 イルカは反応しなかった。目は開いていたが、恐怖とも恍惚ともいえぬ境界をさ迷っているようだった。全身を精液に濡らしている。コレを触ったら服が汚れるじゃないか、あいつら、そのまま仕事をするのかよ、とカカシは溜息を吐いた。
「うみのイルカ、だよね、ちょっと起きてよ」
 返事は無い。動く様子も無い。耳に意識を凝らすと心臓が止まりかけているのだと分かった。
「あー、死にそう? ま、そうだろね」
 面倒くさいがカカシはしゃがみ、仕方なくチャクラを指に集めた。汚れていない肌を探し、結局イルカの足の裏にその指を置いた。そこから血管を通して心臓に刺激を与え、蘇生させる。一定のリズムで鼓動を刻み始めた事を確認して指を離した。
「起きろって」
 触りたくないので大きな声を出す。チャクラで強く刺激したからすぐに覚醒するはずだと何度か呼びかけると、イルカは一つ震え、びっくりしたように目を瞬いた。
「うみのイルカ、だよね」
 カカシは眠そうな目を一層細めて言った。
「は、い……」
 イルカは辛うじて声を出した。 真っ黒い目はカカシのずっと後ろで焦点を結んでいる。同じ色の髪はところどころ固まっており、髪に精液がかかると後が大変なんだよね、とカカシは思う。
「あのね、俺ね、来週からアンタの生徒を引き取るの。ナルトって子なんだけど」
「ナ、ル、ト……?」
「そうそう、ナルトね。それであの子、ちょっと厄介そうだからさ、アンタの知ってる事、聞かせて欲しいんだよね、明日の夜空いてる?」
「あ、した……?」
「ていうか、空けといて。飯でも食って話そう」
「は、い……わかり、ました……」
「それじゃ明日。迎えに来るから」
 カカシはどっこいしょ、と立ち上がって窓に向かった。廊下のどん突きだから、酷い臭いが滞留している。窓を開け、新鮮な空気を吸って一息ついて、カカシはその場を立ち去った。少なくとも明日までは生きていてもらわないと困る。職員室を再訪し、
「誰か助けに行ったら? あの人、死にかけてるよ」
と声を掛けた。今度は本当に音を立ててざわめく職員室のから真っ直ぐ出ると、カカシはそのままアカデミーを後にした。



 次の日カカシがアカデミーを訪れると、丁度イルカが二人の男に教室らしき部屋にひっぱり込まれるところに出くわした。
 あーもー、またかよー
 げんなりしてカカシは待った。まあ、夜の密室プレイならマシな方だなと壁に寄りかかる。一時間ほど経った頃、男たちが笑いながら教室を出て、カカシと反対側に歩き去った。
 輪姦した後って、なんで笑うかね。
 そんな事を考えながら教室の扉をがらり、と開けた。教壇とは反対側のドアのようだった。真っ暗な教室の中、月明かりを照り返す机達が並んでいる。目の前の床を探したがイルカは見当たらず、カカシは教室を見回した。
 イルカは教卓の上にいた。
 放心しているイルカは上半身は制服をきっちり着て、下半身を曝している。
 なんか音がする。
 煩いな、と思いながら近づけば、イルカは両膝の裏に手をかけて足を開かされたままの姿勢で教卓の上に乗り、ひくひくと腹を震わせている。
「う」
 低いような甘いような声がイルカの唇から漏れる。イルカの肌も、机と同じように月明かりを照り返している。そそり立った性器の先端が濡れて光っていた。
 おやおや。
 カカシは音の正体を知った。イルカの内部に振動するものが残っているのだ。
「あ、は……」
 まだ感じているらしいイルカはカカシに気付いていなかった。ゆっくり足から手を離し、しかし股を大きく広げたまま、指を勃起したままの性器に絡めた。
「はあ……」
 あーあー、始めちゃった。
 カカシは黒板に寄りかかってまた待つことにした。
 イルカは自慰をしていた。どうやら男たちは、イルカに射精させずに性欲処理を済ませたらしい。服を汚さないように気遣った訳だ。カカシは肛門から精液を垂らしているイルカを見つめた。イルカは片手をペニスに絡め、もう片方で袋を揉みしだいている。そして震える指を穴に入れた。どうやら性感帯にアナルローターを押し付けて楽しんでいるらしかった。次第に擦り上げる動きが早まり腰が揺れ、甘い声が掠れる。
「ああ、あっはっ、いくっ……! あああぁ……」
 突っ込まれる時の声とは違うもんだなと感心して眺めていると、イルカは身震いして射精した。ほぼ同時にローターを引き摺り出し、ふう、と大きく息を吐いた。
「ふーん、結構冷静なんだ」
 イルカは手の平を先端に当てて射精し、服を汚さなかった。カカシの声にも反応して顔を横向ける。
「俺、今夜は空けておいてって言ったよね?」
「……空けていたんですけど」
「ま、仕方ないか。いや、ホント、冷静ね」
「……すみません……少し、待って頂けますか……」
「はいはい、どうぞお好きに」
 イルカはだるそうに身を起こし、教卓から降りた。ローターが床に落ちて煩く鳴る。イルカは教卓の下に屈むとティッシュの箱を取り出し、それで身の始末をした。何枚かを尻に挟んだまま窓近くに散らばった服に向かい様子を整える。
「どこで飯食おう……アンタのお勧めの店とかある?」
 床や教卓を拭いているイルカにカカシは声を掛けた。振り返ってイルカは微笑し、ティッシュの山にローターを包んでゴミ箱に捨てた。
「俺の給料に見合う店で良ければ」
「どこでもいい。外出がちでね、俺は里にそれほど詳しくはないから」
「飲食店は回転が早いですからね」
 イルカはゆっくり歩いてカカシに並んだ。
「いいの?アレ」
 カカシはゴミ箱を指差した。振動音が微かに聞こえる。
「使い捨てらしくって、スイッチが無いんです。壊すのも面倒だし、放っておけば今夜の内に電池が切れますから」
「よくある事、か。なんでアンタ、やられてる訳?」
「それこそよくある事ですよ。ウサ晴らしでしょう」
「白昼堂々公衆便所、ってよくあったっけか?」
「……ちょっと性質の悪いグループが」
「ああ、いっぺん輪姦したら癖になって、っていうヤツ」
「はは、その通りです。イイ体らしいですよ、俺」
「単純な構図だなー。退屈しているヤツラらしいといえばそうかも」
「その内、納まりますよ」
「収まる前に死ぬよ?」
「それは……その時は、仕方ないでしょう。これも任務みたいなものと言えますしね」
「達観してるんだ」
「そうでもないとやってられません」
「じゃあ、辛いの? へえ」
 カカシは教室の扉をがらりと閉めて、不思議そうにイルカを見下ろした。イルカはまだ少しぼんやりした風情でカカシを見上げ、はんなりと笑って言った。
「昨日は危うく川を渡ってしまうところでした。ありがとうございました」
「あ、覚えてるのね」
「今夜も空けたつもりだったんですけど、あの人達、任務が一日早く終わって」
「ああ、アンタ受付もやってたっけ。それじゃ逃げられないか」
「すみませんでした」
「イエイエ」
 待って、とイルカは通りすがりの校庭に備えられた水道の蛇口をひねった。ばしゃばしゃと手と顔を洗って口を濯いでいる。イルカは手を洗いながら最後にひねった蛇口を洗った。洗う前に手を触れた部分を。それが、なんとなくカカシの印象に残った。

 イルカが同僚とよく行くという店に二人は入った。雑然としたどこにでもある居酒屋だった。暗部が来るとは思ってもいなかったのだろう、店主は慌て、普段使っていない個室を簡単に掃除してから二人を案内した。
 そこでカカシは面をずらして口元だけを露にした姿で食事を取った。既に暗部としての役割は終了していたが、カカシはまだアカデミーの制服を支給されていなかった。この数年、下忍を任されては不合格にしてまた暗部に舞い戻り、と繰り返し、その度制服を返還させられている。上層部が何を考えているのか、馬鹿らし過ぎてもう考えるのは止めたが、暗部装束を纏う限りは顔を曝す訳にはいかない。既に三代目に問い合わせているのだろう、イルカはどうやら自分がはたけカカシだと知っている様子だった。そんな状況では、意味の無いいかにもまぬけな姿だろうな、とカカシは思ったが、イルカは何も言わずに穏やかに笑っていた。
 イルカは丁寧に、これまでのナルトの成績や苦手分野、癖や悪戯の内容までカカシに語った。イルカなりに自分の醜態を恥じて懸命に信頼を取り返そうとしているらしいのだとカカシは悟り、言葉少なに彼の話を聞いた。イルカが誰に何をされ何をしようともカカシには関係がない事なのだが、これはイルカの心の問題なのだろうと好きにさせることにした。イルカは始終笑い、和やかに会見は終了して二人は閉店間際の店の前に出た。ナルトには今夜の会見は秘密にすべしと二人の見解は一致し、次は、ナルトの前で「初めまして」と言おうと決めた。
 そして、二人は左右に分かれて家路に着いた。



 それから一月もしない内、新学期の直前に大幅な人事異動が実施された。多くの暗部が教職を始めとする他の部署に配属されたのである。その理由を簡単に言えば「リフレッシュ」であった。長く暗部をやる者は精神を病む事もままあり、優秀を極めた忍を失う前に気分転換させてやろうという火影の心遣いらしい。それに伴ってアカデミー内でも慌しく人が入れ替わった。
 移動の混乱が続くある日、一般の忍と大差ない任務服を着たカカシがイルカを探してやって来た。乱雑な職員室の、ひと際書類の積み重なった机に埋まるようにしてイルカは座っていた。ナルトが二人を引き合わせようと、カカシの腕を引っ張って来たのである。それは計算済み、二人は決めた通りにナルト達の前で「初めまして」をやった。そしてカカシは、親睦を深めましょうと、イルカを夕食に誘った。
 イルカは食事の間、ずっと目をぱちぱちさせていた。カカシがあまりににこやかだったので、人違いではないかと思っていたらしい。そんな話をするようになるまでしばらくかかった。やがてイルカの中からカカシへの酷い違和感が薄れる頃には、子供の話を肴に時折飲みに行くような間柄になっていた。

「最近どうですか」
 用事も無いのに職員室に立ち寄っては、カカシは必ずイルカにそう聞く。
「忙しいですよ!」
 暇な上役の良く言う台詞とそっくりで、イルカは笑いを滲ませてカカシに答える。周りの者達が緊張し同情の視線すら混じる中、イルカだけが朗らかだ。
「じゃあ、飲みになんて行けませんよねえ」
「付き合え、と言えば断れないの、知ってるでしょう?」
「そんなの嫌ですよ。上司みたいで」
「上司ですよ」
 晴れやかに笑うイルカと対照的に、カカシは無表情だ。
「あと一時間で終わりますけど」
 突然イルカは低く言う。顔は相変わらず笑っているが、背後のものを感じてカカシも声を低くする。
「特殊任務?」
「ハイ」
「ホントに一時間?」
「……なんとかします」
「じゃ、適当に時間をみて、いつもの店で待ってますよ」
 カカシはそれ以上の追求はせず、ポケットに手を突っ込んで職員室を出た。
 入れ違いに上忍が二人、職員室を覗く。イルカの「特殊任務」の相手だろう。人員が入れ替わり、口の重い古参を除いて職員のほとんどは事情を知らない。その一人が明るくイルカを呼ぶのを背後に聞きながらカカシは廊下を辿った。

 少し赤い顔で、イルカは一時間半後に現れた。ちょっと気絶しちゃって、と恥ずかしそうに言う。相変わらず壊れている人だな、と思いながら、カカシは猪口をイルカに渡した。
 自然と話は「特殊任務」の話題になった。あの時イルカが「任務みたいなものだ」と言ったので、カカシは強姦を「特殊任務」と名付けたのだ。イルカによればこの間の人事で随分と人が動き、相手の数は三人に減ったという。
「せっかく減ったんだから、前みたいな状況になる前になんとかした方がいいんですけどねえ」
 イルカはちびちびと酒をすすって他人事のように言った。目の周りと耳の先を赤くし、ゆったりと酔っている。
「アナタ実は、『特殊任務』が無かったら無かったで困るようになっちゃった?」
「そんな事はないんですけどね」
「ま、処理するだけなら花街にでも行ってタチの陰間でも買えばいいしね」
 カカシは覆面を取っていた。白い面に酒は映らない。
「だから、そこまでじゃないですって。そんな金も無いですし」
「ふーん、増えないようになんとかするだけか。じゃ、どれでもいいから一人選べば?」
「うーん、それは考えたんですけど」
 イルカは笑って徳利を持った。カカシに勧め、続いて自分の猪口に注ぐ。
「断るにせよ、選ぶにせよ、俺には無理なんですよ」
「どうしてです?」
「忘れてるでしょう、カカシ先生。俺は中忍です」
 ああそうか、とカカシは呟いた。
「上忍を断るってこと自体、無理か」
「そういう事です。残念ながら」
 カカシは枝豆を口に入れ、しばしもぐもぐとやった。
「それじゃ、こうしましょう。俺がイルカ先生のオトコになるってことで断って下さい」
「それはいいですねえ、カカシ先生に勝てる人、いませんもん。皆納得するでしょうねえ」
 また他人事のようにイルカは朗らかに笑った。
「本気ですよ」
「嫌です」
 妙にイルカははっきり言った。
「あなたとは無理です。寝たくないです」
 カカシは店員を呼んで、ホッケとシシャモと酒を二合、注文した。
「カカシ先生、魚が好きですね」
「そういや、イルカも魚みたいなものだなー」
「だから、嫌なんですってば」
「聞こえてますよ」
 イルカはカカシを見つめた。眠そうな目でカカシも見返した。
「俺だってアンタと寝たかないです」
「あ、そうでしたか」
「俺らがデキてるって噂を撒いて、俺達が否定しなければいいんです」
「ああ、そういう手がありましたか」
 イルカは驚き、そして嬉しそうに笑った。ね、とカカシも笑った。
「でも申し訳ないです。俺はどうでもいいんですけど、カカシ先生にお目当ての人が出来たらどうするんですか」
「俺ね、今一人でいたいから、丁度いいんです」
「気持ちってすぐ変わりますよ?」
「あのね、内緒ですけど、任務がらみで」
「あ、なるほど」
「どうしようかなって思ってたんですよ。何人にも口説かれてしまって面倒で」
 へー、すごいや、と、イルカは拍手した。
「ま、なんかの折にでも、俺とデキたって言ってみていいですよ」
「ホントによろしいんですか?」
「よろしいんです」
「じゃあ、ホントに言いますね、実は時々同僚に聞かれちゃって」
「なんて?」
 店員から皿と徳利を受け取り、イルカはからからと笑って言った。
「大丈夫かって。はたけ上忍にアソバレているんじゃないのかって。俺、すごく純情だと思われてるみたいだ」
 香ばしい香りをたてるシシャモのしっぽを摘み、可笑しそうにイルカは笑った。
「遊び人と思われるのは慣れてますよ。結構地味なんですけどねえ」
 ぺろんとホッケの半身を剥がし、カカシは少しふてくされたように言った。
「嘘でしょう! 嘘、嘘!」
「ホントですよ。童貞、なんて言いませんが、付き合った人間の数なんて片手で数えられます」
「十、二十、三十、って?」
「酷いですね、普通に一、二、三、でいいんです」
 二人は指を折り曲げながら笑った。

 しばらくして、イルカの「特殊任務」は完全に途切れた。意図した通りの展開にカカシは満足し、「特殊任務」が無くなったイルカは、暇だなんだと言いながらカカシを家に招き、またカカシの家に上がるようになった。
 イルカは花街に行くこともなく、正式な情人を持つこともなかった。溜まってるんじゃないの、とからかうカカシに、アナタに言われたくありませんと、イルカは答えて笑う。二人はただ、食事をして酒を飲み、時には隣の布団で眠るという、正当な友人付き合いを、続けた。




 呼び出しに遅れ、カカシは小走りになっていた。昨夜も自宅でイルカと深酒をし、二人共床の上で伸びてしまったのだ。休みだったイルカに自宅の鍵を渡して後を頼むと、カカシは大急ぎで支度を整えた。いつになく慌てるカカシの支度を手伝いながら、イルカはいってらっしゃい、と苦笑していた。

 暗部の司令塔、と呼ばれる男がいる。いつ上忍に上がってもおかしくない実力者だ。暗部の仕事は火影から直接依頼される、という事になってはいるがそれは建前で、実質の仕事の振り分けは火影勅命を除いて「暗部の司令塔」に任されていた。暗部だけでなく、特別上忍の選抜も彼の一存で決まることが多い。カカシはその男の部屋の扉を開け、頭を掻きながら愛想笑いをした。
「遅くなってごめーん」
「なんだ、忙しいのか」
「お子様の相手は疲れるもんでね」
「おまえが本気で教職をやるとはなあ、……おい、さくさく脱ぐんじゃねえよ」
「遅れたし、やるこたぁ同じでしょ」
「つれないねえ、脱がす楽しみっていうものがあるんだよ」
「気色悪い事言うなって」
「おまえの愛想笑いよりはマシだな」
「愛想笑いじゃないでーす」
「全くつれない……ああ、あのリストから三人、Sランクにやったぞ」
「捨て駒?」
「それ以外に使いようがないだろうが。まあ、人材が惜しくて溜まってた仕事が一気に片付いてありがたいけどよ」
「感謝するよーに」
「バカ言え。減った分、取り立てるのに一苦労だ。まあ、約束通りに全部片付けるがな。一年ってとこか」
「……もっと早く出来ない?」
「おいおい、三十五人だぜ?」
「……」
「それにしても何やったんだ、あいつら? おまえの機嫌だけは損ねたくねぇもんだな」
「別にぃー」
「じゃ、激怒か? 恨み骨髄か? 静かーに、深ーく怒るもんな、おまえって」
「別にぃー」
「聞いたぜ、上層部の誰かさんとも寝てるんだってな」
「知りませーん」
「イイ仕事、回してもらったのか? ん?」
「知りませーん」
「そういや火影様の旧知の、やんごとない方を警護したってな」
「知りませーん」
「その仕事でご褒美もらったんだってな、おい」
「知りませーん」
「あの人事は突然だったなあ、おい」
「さっさと突っ込めば!?」
「おまえは情緒というものを、って噛み付くな!」





「ああ、カカシ先生」
 任務帰り、受付に入ろうとしたカカシをイルカが廊下の端で呼び止めた。おおい、静かに待ってろよ、と中に呼び掛けるとドアをぱちんと閉めた。
「すみません、お疲れのところ」
「いえー、通りがかりですからー」
 イルカは癖になっている首傾げを一つやると、ぽんぽんと跳ねるようにしてカカシの前まで走って来た。
「大変なんです」
 突然言うので面食らってカカシも真似のように首を傾げる。
「カカシさん」
「はい」
「あなたがやった事、火影様にバレました」
 無言でカカシは目を細める。
「それで、あなたとデキてる事になってる俺が、アナタの寝首を掻かなきゃならなくなりました」
 カカシは何も言わない。
「それで、その後俺も処分されるんです」
 イルカはナルトの悪戯に困ったように眉を寄せてカカシを見た。
「それで、今誰も居ないことだし、あなた、俺を殺して逃げなさい」
 カカシを真直ぐ見てイルカは微笑んだ。
「いやですよ」
 落っことすようにカカシは言う。
「出来っこないですよ」
「やりなさい、俺の言う事が聞けないんですか」
「アンタの言う事なんか聞きません」
「バカですねえ」
「アンタに言われたかないよ」
「大人しくエロ本読んでりゃ良かったのに」
「うるさいね」
 ふう、と溜息を吐き、イルカは苦笑した。
「……やっぱりそうなんですね?」
 イルカは首を傾げ、顎に指を置いて、カマかけただけですよ、と言った。
「はあ?」
「あのね」
 イルカは腰に手を当て、叱る教師の形になった。
「俺が、女王様、だったんですよ」
「は」
「あなたが殺した人みんな、俺の幻術をかけてあった『しもべ』だったんです。情報源が無くなって困ってます。どうしてくれるんですか? ホントに『特殊任務』だったのに」
 血の気が引く音、というものを初めて聞きながらカカシはイルカを見つめた。真っ黒い目がちかちか光り、今にも術が纏わりそうだった。
「あなたが代りになりますか?」
 ハイ、と言いかけたカカシに、イルカはくるりと背を向けた。またぽんぽんと跳ねるようにして教室に向かう。
「あの、イルカ先生?」
 間抜けな声を出したカカシに、くる、と振り返ったイルカは言った。
「ホントにバカですね、全部嘘です、んな事ある訳ないでしょう」
 もう無茶したら駄目ですよ、とカカシを一睨みして、イルカは子供達のざわめく箱の中に消えた。



 司令塔の言った通り、それから一年ほどでイルカの「特殊任務」に関わった者は全て消息を絶った。
 カカシとイルカは相変わらず友人のままだ。







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