カカシはイルカが好きだった。
暗部に所属していた時代、手が足りないという理由で引き受けた難度の低い任務を報告するためにほんの数度訪れた受付で、イルカに報告書を差し出しながら彼を好きになった。
暗部に所属するという事は個人を捨てるという事だ。
「面」と「同じ衣装」で画一化された後は、個人の気配を剥いでいく。例えば声音にも一定範囲内を求められるので、暗部達は限りなく特徴を殺ぎ落とした発声をする。そして、厳格に封じられるものの一つに「臭い」がある。
毎日目覚めると、必ず全身に消臭のための薬を塗りこめる。それで汗も封じる。それだけでは体温が上昇して死ぬので、犬のように舌から熱を逃すための特別の術をかける。正確には、そのように体を改造する。毎朝。
常に心がけるために、多くの暗部は里に滞在する時でも無臭を意識する。そうしても尚、体のどの部分にも使える消臭剤を、くないに匹敵する重要な装備品として彼らは携帯するのだ。
暗部に所属して数年、その頃カカシは十代の終わりだった。我ながら雄の臭いがすると思っていたから、同じ年代の青年達が明らかな体臭を振りまいている様子にぎょっとするほどには神経質になっていた。カカシの嗅覚が優れていたからではなく単に自分の臭いが無いために他人の臭いに敏感であっただけかもしれない。若い男というものはそういうものだ、と身を持って知っていながらも、多種多様の臭いを引き連れて平気な顔をしている同期のライドウやアオバ、煙にまかれたアスマなどの一般の忍が、カカシには時に苦痛だった。それは、その臭いが嫌だという感情ではなく、ただ信じ難いというだけの事だったが。
暗殺部隊といっても、殺しはいわば一瞬の出来事だ。どうしても機会を待っての潜伏時間が長くなる。狭い場所に押し込められれば絶対に雄の臭いが充満していく。そんな場においては女達がある種の警報機となって注意を与えた。しかし、彼女らよりもカカシの方が臭いには敏感だったようだ。それを証拠にカカシ自身は一度も、女達から注意を受けたことはない。
奇妙な話だが、女の臭いに目くじらを立てる者は少なかった。もちろん、女達も徹底的な消臭を心がけていたし、女生来の気質、体質というものもあってか、男が普通に生活して発する臭いと、女のそれとは比較にならない程の差があった。それでも女の臭いというものはやはり存在して、側で過ごせば必ず知れるもの、しかし、それが問題になった事は無かったようにカカシは記憶している。
本当に極稀な事だが、女三人とカカシとでフォーマンセルを組んだ事がある。一晩、四人で小さな祠に篭る必要があったが、その時カカシは女の臭いに気付かなかった。気付かなかった、というのは正しくはないかもしれない。その臭いは、そこにあって良いものだと、カカシは思ったのだった。なぜかは分からない。きつい香水の臭いでもなければ、女の臭いは隠さずとも良いのだと思った。それは、女の腹から生まれた生き物ならば無意識下に納得してしまう、そんなものなのかもしれないとカカシは思う。どこにあっても構わない、敵の女の臭いですら、感知する以前にただ受け入れてしまって無かった事になりがちな、そういう質のものだった。
だから、男の臭いには、カカシは敏感だった。
カカシはイルカが好きだった。ほんの数度、受付で彼に報告書を手渡して好きになった。
イルカからは、はっきりと汗の臭いがした。アカデミーに勤める者が汗止めをしないのは当たり前だが、イルカの臭いはとても強かった。時折、イルカではない臭いが混じっていてそんな時には不愉快に思ったが、概ね彼の臭いはカカシには素晴らしいものだった。それだけが恋情の理由かと聞かれれば、そんな事はないとカカシは言うだろう。しかしカカシの頭の中には、「良い臭いの人」としてイルカが分類されていて、その延長に性欲があった。
あんまりにも好きになってしまった。どうしようかと思って、カカシはイルカに頼んだことがある。それは三度目に受付をさせた日の事だった。
受付には他に誰もいなかった。夜勤のイルカが一人、積み上げた紙に朱を入れていた。イルカはカカシを見るとその紙を脇にやって「お疲れさまです」と言った。試験の採点をしていたらしかった。
カカシの目からは、イルカは自分と大して変わらぬ年齢に見えた。十代の始めから暗部をやるのと、十九やそこらで教師をやるのは、同じ程度に稀な事だとカカシは知っていた。それ故、目の前の薄い印象の青年はそれなりの能力者だとカカシは判じたが、能力以前にイルカの臭いが気になって仕方が無かった。
カカシが無言で差し出す報告書にイルカは黙って目を通した。そして、受領印を付く音と同時に、カカシは言った。
「首のところ、舐めさせて」
イルカは首を傾げてカカシを見上げた。暗部が口を利くのが珍しいのだろう。
「舐めていい?」
カカシは言い、イルカは、いいですよ、と答えた。そして、汗を拭こうとしたのか、手拭いらしきものを腰から取り出した。
「そのままでいいから」
手を押さえてカカシは身を屈めた。イルカは特に緊張もせずに、カカシが口を寄せた方の首筋を伸ばして目をつぶった。
近寄ると、イルカの臭いは強烈だった。おそらく日勤に引き続いた夜勤なのだろう、時は夏場、体を洗っていない若い男にはやはり精液の臭いが濃い。面をずらし、受付の机越しにカカシは汗と肌をしゃぶった。肌が白いと荒れている事が多いという現象と同じくして、色黒のイルカの肌はきめが細かく舌が吸い付くようだった。塩辛いというよりは酸い味と、少なくないは産毛の感触にカカシはぞっと背中を緊張させ、プロテクターの下で勃起した。
「……あの、交代を呼びましょうか」
こっそりと落ちた声に気を取り戻すと、カカシは受付の机に片足を乗り上げてイルカを抱え、首の詰まったシャツを引き裂きかねない程に広げて夢中で顔を突っ込んでいた。あれ? とカカシが呟くとイルカは苦笑し、呼びますね、と机の横に設置されている小さなボタンを押した。
数分の後に、受付の扉が開いて別の教師が顔を出す。彼は暗部の姿を認めて会釈し、イルカの隣りに立った。
「特に引継ぎする事もないな……ああ、三班がまだ帰ってきていない」
「分かった。終わったら宿直の方を頼めるか、イルカ」
「ああ」
簡単に受け渡すとイルカは席をたって同僚と入れ替わり、カカシの隣りに並んだ。
「部屋を使いますか」
見上げられてカカシは目を瞬いた。
「外」
はい、とイルカは答えて二人は受付を後にした。
ここがいい、とカカシが立ち止まったのは校舎裏の林の中だった。小さな誘導灯が近くにあって体がよく見える。ここまでするつもりは全くなかったが、イルカが気をきかせてくれたのだから、受けるのが筋だろうと思ってベストとアンダーシャツを脱ぐように言った。しかし、ベストを半分脱いだところでカカシは、待って、と手を出してしまった。
ベストの裏にまでイルカの臭いが移っているから、脱いで動いた空気が堪らなかった。我慢が出来なくなり、木に押し付け背後から抱えてゆっくりと脱がす。きついプロテクターの中でよりペニスが張り詰めて痛い。カカシは面を落とすとベストを剥がしながらアンダーシャツを噛んだ。濃い臭いに脳震盪のような視界の揺れを感じる。イルカは大人しく木肌を抱いて目を閉じていた。
ベストを草の上に落とすのがもったいなかったのでカカシはそれを着た。そして腰からシャツをまくっていくと背中が黄色い誘導灯に照らされた。依然として緊張の無い背骨の上を舐める。首と同じ味がして、射精しそうになったカカシは下腹に力を入れた。ごつごつした骨の上を舐め、こじるようにしてえぐれた傷痕に舌先を入れるといくらももたないような感覚がした。
「こっち向いて」
そろり、とイルカは動いてカカシと顔を合わせた。目が閉じられているのを確認して、カカシはイルカの乳首をいきなり吸った。女の乳首ほどではないが、ほんの微かに乳臭さがあるように思う。存分にしゃぶり尽くしたい気持ちはあるが、これ以上は本当に駄目だ。カカシはイルカのベルトを外し、下着まで一気に下ろすと萎えたペニスに舌を伸ばした。そしてカカシは跪き、自分の装束も下ろして性器を扱き始めた。
むっと青臭い性器はカカシの舌の感触に震えるように腫れていく。強く尻を掴んで根元や袋をねぶると先端からとろりと先走りが流れ出した。体臭とは違う、眩しいくらいの雄の臭いにかぶりつき、喉の奥で締め付けながらカカシはうっとりと目を閉じる。右手がいやにぬるつくので既にいってしまったらしいが、萎える気配は無かった。くちゃくちゃと好きなように舐めすすっているとイルカの膝ががくがくと揺れ、ふっと力が抜けてずるずると座り込んだ。追いかけるように沈み、イルカの股座に深く顔を突っ込み尻を上げた格好でカカシは自慰を続けた。
快感が強すぎて、自分がどうなっているのかカカシにはよく分からなかった。ずっと絶頂感を味わっていて、何度達したのかが判然としない。いき続けているのかもしれなかった。口の中でイルカのペニスはじわじわと青臭さを増し、その味にカカシは喘いだ。素のままの声が喉から溢れ、ああ、うう、とカカシは腰を揺らす。このままでは死んでしまうかもしれないと何度となく思い、しかし止める事が出来ない。
どっと口の中に精液が流れ込んだ。音を立てて飲み込みながらカカシもまた射精した。最後まで吸いきってから口を離すと、はあはあとイルカが喉を上げて息を吐いているのが分かった。
ああ、どうしよう。
また勃起して、カカシは泣きそうになった。
達したばかりのイルカの体からは、目に見えそうなくらいに彼の臭いが放たれていた。草の上に撒き散らされている自分の精液で膝を濡らし、カカシは両手でペニスを強く握ってイルカの首筋につっぷした。
汗の滴っている筋張った首には性器よりもイルカらしい臭いが立ち込めていて、カカシは鳥肌を立てながら新しい汗を舐めた。ぱあっと目の前が真白に弾け、あっけなくまた達してしまう。気持ちが良くておかしくなりそうで、恐怖を感じたカカシはイルカの顎の下でとうとう泣き出した。
「大丈夫ですよ」
穏やかにイルカが言って頭を撫でてくる。その浅黒い腕に縋ってカカシは泣いた。
「止められない」
両手を動かしながらカカシは洟をすする。
「止めなくていいんですよ」
イルカは微笑んで目を閉じていた。
「でも」
「大丈夫」
カカシの頬を手の平で包んでイルカは囁いた。
「手伝ってあげますから泣かないで」
涙を拭ってやってから、イルカはカカシの手に自分の両手を絡ませた。卑猥な音が大きくなり、カカシは喉を反らしてうめいた。押し殺した悲鳴を漏らし続けながらカカシはペニスを擦り上げ続けた。イルカの指が先端をこじり睾丸を握る。手を塗らす液体が増える。
「もっと出して、もっと」
イルカが囁く。痙攣に近い震えがカカシを襲い続けている。ひい、とうめくと開いた鼻腔から臭いが流れ込んで更にカカシを追い上げた。
怖い、気持ちいい、怖い、とカカシは上滑りに呟き続け、言われるまま、促されるまま、自慰を続けた。いつの間にかイルカの性器も握りこんで擦り合せ、瀕死の魚のようにぱくぱくと口を開け閉めし、臭いが感覚の全てとなり快感すらも掴めなくなってやがて、カカシはぽとりと失神して汚れた草に顔を埋めた。
意識がぼんやりと浮上して、カカシは一人、目を開いた。
体は何事も無かったように整えられて真っ直ぐに寝かされていた。面越しの視界から明るむ空が見える。
まだ、イルカの臭いが残っていた。それは、自分の体から強く香った。力の入らない指で撫でると、柔らかいベストがカカシが奪ったままに身を覆っている。持っていけとばかりに、ホルダーやポケットには何も入っていなかった。
イルカから直接発散される臭いとは違い、今カカシを包む臭いは穏やかで労う言葉に似ていた。
カカシは横倒しになってベストを鼻まで引き上げた。気持ちの良い臭いを胸いっぱいに吸い込み、ほっと溜息を落とす。
そしてまた、泣きそうになった。
興奮故ではなく、胸を焦がすような「匂い」のために。
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