「石岡せんせー里美ですー、こんにちはあ!」
インターホンから聞こえる声に石岡はうきうきとドアを開けた。
「里美ちゃん、早かったねえ」
「えへ、ちょっと早いかなーって思ったんですけどー、お茶会、なんて聞いたら楽しみで楽しみで」
「そんな事を言われちゃ、僕、緊張しちゃうなあ」
「えー、どうしてですかー?」
お茶会に誘ったのは珍しく勇気を振り絞った石岡である。さすがに自分から電話をかける度胸は無かったが、彼女からの電話を受けて今日の約束を取り付けることができたのだ。いつもなら本題を持ち出す前に里美のペースで明後日の方向に話が飛んでしまうところだ。石岡は我ながらよくやった、と自分を褒めながら里美の上着を受け取ってハンガーに掛けた。里美が、大きな包みをはい、お土産、と渡してくれた。中をみるとシャツが何枚か入っている。
「ありがとう……。でも、悪いなあ、こんなに沢山。高かったでしょう?」
「いいんですー。先生白いシャツばっかりじゃないですかー。たまには変わった感じもいいですよー。きっと似合うと思う」
「うーん、じゃあありがたく頂くよ」
「今度それ着てデートして下さいね!」
「うん、する、する。代官山にでも行ってみようか」
あ、嬉しい、と里美は無邪気に喜ぶ。石岡も無条件に笑顔になった。
「せんせー、ケーキを焼いたって本当ですかー?」
「本当だよ、里美ちゃんに気に入ってもらえるといいんだけど」
「ケーキ大好きです、私!」
「やっぱり女の子は甘いものが好きなんだねえ」
「そりゃあそうですよー。それに、先生の作ったもの食べられるなんて幸せ−!」
「う、嬉しいよ、あ、飲み物はまず紅茶でいいかな。美味しい葉を仕入れたんだよ。今日は暑いからアイスティーでいいかな」
はーい、と答える里美に背を向けて、石岡は急いでキッチンに向かった。ああ。この言葉を御手洗から聞きたかった……。そんなことを思いながら石岡はそっと涙をぬぐった。最近は涙もろくていけない。
「ババロアとクッキーも作ってあるんだよ。まずそっちから試してみてよ」
「きゃあ、うれしー! でも太っちゃいそう!」
「里美ちゃんは痩せ過ぎているくらいじゃない。大丈夫でしょう」
「えー、そんなことないです、普通ですよー」
「今の若い人は気にしすぎだよ」
「やだー先生ったら普通のオジサンみたいー」
「僕こそが普通のオジサンだよ」
と言いながら石岡は紅茶やお菓子の乗ったトレーをテーブルに置く。きゃあ、素敵! と悲鳴を上げて里美がぱちぱちと拍手をする。最高の賛辞に石岡はまた目頭が熱くなるのを感じた。
「きれーい! 先生、すっごくセンスある!」
「えー、そうかな」
「うん、すごい! 私、こんなに綺麗に作れないかも」
ババロアは流線型の型に入れて固め、クリームやミントの葉、果物等で飾ってある。クッキーにも様々なトッピングが施してあった。里美は全部一通り食べたいと言った。
「あっ、この紅茶も変わってる!」
「あ、分かった? 気に入るといいけど」
「美味しい! おしゃれなカフェとかよく行くんですよ、私。でも、こんな紅茶は初めて!」
石岡特製ブレンドである。アールグレイに果汁と少しのリキュールを効かしたものだ。ホットでもいけるがアイスは特に美味しいと石岡は思っていたから、里美の評価は深い満足をもたらした。一人寂しい日々に手慰みに研究した紅茶のアレンジだけに、孤独が癒されたような思いであった。
「すごいな……」
しみじみと言う里美に石岡は何か引っかかりを感じて彼女の顔を覗き込んだ。
「お料理も上手なんでしょうね」
「どうしたの、何か気に障ったのかな」
「ち、違うんですー、私、大雑把な料理は得意なんですけど、こんな凝った事って苦手でー。一応女の子だからちょっぴり嫉妬しちゃった」
一生懸命に笑ってはいるが、里美の瞳にはどこか暗いものがある。彼女の目は元々憂いを秘めた深い色をしていてそれが彼女の魅力でもあったが、この時は沈んだ印象を石岡に与えた。
「そんな、経験がちょっとあるだけだよ。僕は君が生まれた頃から御手洗の食事の世話をしていたんだから」
言って石岡は少々ショックを受けた。確かにそうだ。彼女の人生は石岡の人生のやっと半分、というところだ。時は流れ、自分は一人横浜に住み、里美のようなお客を侘しい部屋に迎えている。それが幸福なのか、それとも他の何かなのか、石岡には分らなかった。ただ、自分が少しは気楽で強い人間になっているような気が、僅かにするのだった。もちろん里美とどうこうなりたい訳ではない。自分の生活にはっきりした明るい色を与えてくれる彼女に、ほんの少しのお礼ができればいいと思っている。彼女が打ち沈むなら、それを解決してあげたい。石岡は本心からそう思い、里美を見つめた。
「ねえ先生」
里美は聞きようによっては思いつめたような声を出した。石岡は少々ぎょっとして彼女の次の言葉を待った。
「私、先生にどうしても聞きたいことがあったんです。聞いてもいいですか?」
言う前に聞かれても分らない。石岡は曖昧に頷いた。なぜか心臓がどきどきする。
「あのね、先生。」
「はい」
里美の緊張した声に石岡も背筋を伸ばして両手を膝に置いた。
「御手洗さんと暮らしている時にね、」
「え? 御手洗?」
「先生、やっぱり言っちゃったりしてたんですか?」
「え? え? 何を?」
「おかえり御手洗くん、お風呂にする、ご飯にする、それとも僕(はあと)って!」
石岡はテーブルに突っ伏した。
「やっぱりそれが王道ですよね!? 何かバリエーションってあるんですか!? 御手洗さんって趣味がうるさそうだし! あっ! まさか、裸エプロンも!?」
言葉もなく石岡は頬を伝う熱いものを感じていた。
「先生! お願い、教えて! 私もう気になって気になって!!」
やはり時代は流れてしまった。里美の世代は理解不能だ、私の居場所はもう無いのかもしれない。御手洗をとてもなつかしく思い出しながら、石岡は激しい疲労を感じた。
「せんせーい! おねがーい!!」
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