合わせ鏡

「貴様! こんなところで」
 なぐりかかろうとするアーロンをするりと避け、ジェクトは酒瓶を逆さまにした。もう残っていない。舌打ちしながら空瓶をその辺りに投げ捨てる。
「な! どこでそんなものを!」
「その辺歩いてる奴に聞いたら、ちゃんと酒が買える店を教えてくれたぜ?」
「ガードが昼間から酒を飲むなど……!」
「だーから、それがどうしたってんだ、ああん?」
「やはりおまえなどにガードは任せられん! 今すぐどこへでも消え失せろ!」
「それは困るな」
 呆れ顔のブラスカを見つけ、アーロンは何かをまくしたてようとした。その顔の前に、すっとロッドが差し出され、アーロンは開けた口をぱくんと閉じた。
「こういうところでは揉めないようにと、私は言ったね?」
「は……し、しかし、」
「アーロン。ガードを決めるのは私だ。勝手にジェクトを放免されては困る」
「は、はい、それは……」
「ジェクト」
 アーロンの前からジェクトの前へとロッドを移動させると、虫を払うようにしてジェクトは白い杖を顔の前からどけた。
「無闇に非難したりはしないから、酒を飲みたければ私に言いなさい。後で『お連れ様が飲み逃げなさいました』と言われる私の身になってくれ」
「……ふん、小銭くらいもたせろってんだ」
「こ、この大馬鹿ものが! 飲み逃げだと!? ブラスカ様に恥をかかせるとは何事だ!」
「あーあーやかましいねえ、このワカゾーは……ってー! 何しやがる!」
 杖の先に飾られた細い装飾でジェクトの背中をぷすぷす刺しながら、ブラスカはにっこり笑って言った。
「コレで殴ったら氷漬けになるじゃないか」
「や、やめろって、いてーっ!」
「優しいだろう、私は。薄着のジェクトを凍えさせたくはないんだよ。さあ、その通路に入ろう」
「分かった分かった、ちゃんと次はおめーに言ってから飲むって!」
「ほらほら入った入った」
「マジ痛え! やめて下さい元坊主様!」
 お静かに、と異界の番人らしいグアドにたしなめられて、ブラスカはやっと杖をジェクトから離した。ぶつぶつ言うジェクトをきっと睨み付けるアーロンの臑を蹴飛ばし、離れなさいと自分の前に押しやる。
「ブ、ブラスカ様……」
「黙っていなさい」
「……はい」
 見るからに落ち込んで小さくなったアーロンを急かして、ブラスカは光に満ちた通路を進む。踊り場のような場所に丸い窓へと続く奇妙な階段が見え、三人は誰ともなく立ち止まった。
「さて、この上が異界だ」
 ブラスカはガード達を見回し、杖で床をコツコツ鳴らした。
「真偽はともかくとして、グアドにとって神聖な場所であるのは間違いがない。そして、心の癒しを求めてはるばるやって来た人達の邪魔をしてはならないということも、分かるね?」
「はい……」
「……おう」
 素直でよろしい、とブラスカは唇だけで笑った。
「上で何かやらかしたら、即座に凍らせる。では、行こう」
 通夜のようにうつむくアーロンと、背中を触っては眉を顰めるジェクトの前に立ってブラスカは階段を上がった。やがて、目の前に丸い広場が現れた。
「へー、こりゃあなかなかのもんじゃねえか」
 どうなってんだこれ、と一応潜めているらしい声でジェクトは辺りを見回している。広場の端に立った人々の前には、空に浮かぶ半透明の人影がゆらめいている。それぞれに祈り、語りかけ、誰もが時を忘れたように物思いに沈んでいる。
「こういう場所なんだ。そうとしか言えない」
「オヤジとお袋、来っかな」
「会いたい人を思い浮かべるだけでいい。やってごらん」
 おう、と手を上げてジェクトは空いている場所に小走りに向かった。真後ろでまだ小さくなっているアーロンを振り返り、ブラスカは両肩を上げる。
「アーロン、もういいから」
「俺の監督不行き届きです……。飲み逃げするとは本当にあいつは……」
「もういいんだ」
 さあ、私を一人にしてくれ、と笑うブラスカにアーロンは俯くようにして頷いた。


「……おい」
「……なんだ」
 互いに距離を取りながら、ガード達は低い声を出す。
「アレ、なんだ」
「……俺は知らん」
「お大事なブラスカ様のことだろーが。知らねえのかよ腰巾着」
「な、なんだと、いや、くっ……!」
「おっかしなモン出したな、ブラスカ」
 忍耐に言葉を失っているアーロンを横目に、ジェクトはブラスカとその前に揺れる影を眺める。
「鏡の前に立ってるみたいだな」
「お、おそらくは、お父上だ……」
 まだ己と戦っているアーロンの声に、ジェクトはひょいと片方の眉を上げた。
「ニョウボはどうした」
「……」
 ブラスカは、目の前を見つめている。そこには、もう一人のブラスカがいた。短い髪の色は昨夜宿で見たブラスカと同じ。遠目で判別し辛いが、目の色も同じ青だろう。背丈もほとんど変わらないその男は、髪の長さを除けば雷平原の宿で見た召喚服を着ていないブラスカととてもよく似ていた。
「お父上とは子供の頃に死別なさったらしい」
「ふうん。お袋は来ねえんだな」
「会えるとすれば、お父上だけだろうとブラスカ様はおっしゃっていた」
「ああん?」
「母君は思い切りの良いお方だったそうだ。幻影すらこの世には残されないだろうと」
「ははあ」
「細君もまた、そういう方だった」
「ほほう、マザコンか」
「マ……?」
 気にすんな、とジェクトは唇を曲げた。向き合っている似た姿は、どちらもがこの異界の空気に歪んで頼りなく左右にぶれる。どちらが実体なのかも分からなくなりそうなその様子は、合わせた二枚の鏡の間で永遠に反射する虚像のようだった。
「ブラスカ!」
 大声にアーロンは飛び上がった。邪魔をするな、とジェクトを咎めようとしたが、ブラスカはくるりと影に背を向けると二人に手を振りながら近寄ってきた。
「待たせたね」
「いえ、まだ時間は……」
「いいんだ」
 ブラスカはジェクトを見上げる。
「会えたかい?」
「いんや」
「そうか」
「気にすんなって。ここはザナルカンドから遠いからよ。はなっから期待してねえよ」
「なるほど……」
 ブラスカは顎に指を置き、悩むように首を傾げた。
「会えそうな者にだけ、会える……?」
「ブラスカ様?」
「生者の潜在意識まで読み取って、納得できる者だけが現れる……のか? いや、それではあの事例が説明できない……」
「あー腹減ったな。飯食おうぜ、飯」
「どうされましたブラスカ様?」
「なんでもないよ。ああ、アーロンは誰かと会えたかい?」
「俺は両親の顔を知りませんから。亡くなった友人もいませんし」
「僧院で最初に世話になったオラグ老師は?」
「あの方は大往生でしたし、俺みたいな小物を一々気になさいません」
「それはないだろう」
「は? あ、ブラスカ様!」
 あの方は呼ばれればチョコボにだって会いに行くお人だ、などと呟きながら、ブラスカはさっさと階段に向かって歩いて行く。その後を慌てて追うアーロンの背を見ながら、ジェクトは両腕を胸の前で組み、のっそりと歩み出した。
「……」
 一度異界を振り返ると眉を寄せる。
「俺様にもヤキが回ったかよ……」
 らしくもなく溜息を吐き、ジェクトは二人を追った。







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