√(ルート)

「1.414213562373095048801の意味ってなんなんだよ」
 訪れたアーロンにティーダはいきなり言った。まだ、上着すら脱いでいない。
「訳分かんねー、同じもんかけたら二、って何の意味があんだよ」
「……平方根か」
「つまんねー、くだんねー」
 ティーダは喧嘩を仕掛けるようにアーロンを睨み上げている。それこそ訳が分からないと言いたくなったが呑み込み、アーロンは上着をティーダに押し付けた。
「そんなんじゃ、ダメっす!」
「一体何に怒っているんだ」
 仕方なくそう聞くと、自分の一月分の稼ぎでも買えない上着をぶんぶん振り回してティーダは口を尖らせた。
「同じもんかけたら二、同じもんかけたら二」
 答えず呪文のように呟きながらハンガーを上着にぎゅっと嵌めこむ。
「三や五じゃだめなのか」
「そんなのテキトーに意味あるじゃん。でも二は、一たす一だろ」
「……」
「その二を、なんで同じもんかけて出してこなきゃなんないわけ!?」
 アーロンにはティーダの不満がさっぱり分からない。寝起きの頭を大量のムースで押さえながらティーダは鏡に向かって呪文を続けている。常とは左右反対の顔を眺めながら、アーロンはネクタイを外す。
「ほら!」
 ティーダが振り返って叫ぶように発声した。
「カワイイ!?」
 いつもと同じ髪型だ。第一、可愛いか、とは何事だろう。しかし、それを言えば面倒な事になりそうでアーロンは嫌がる口と脳を説得して答えた。
「…………ああ、可愛い」
「あんた馬鹿だろ!?」
 ふー、と溜息を吐いてソファに座る。スプリングが駄目になっているらしく体が右に傾き寂しい気持ちに襲われた。こんな遠慮の無い罵倒は何年ぶりの事だろうと考え煙草に火をつけようとする。と、ティーダが跳びついて来てライターをさっと出した。これにも罠が隠されているような気がしてならないが、これの考える罠なら掛かってやるのが自分の務めか、と息を吸う。
「ここ!」
 ティーダは半目でアーロンを睨んで自分の腿を叩いた。自分は今さぞ間抜け面であろうと自覚しながらアーロンは首を傾げる。
「膝まくら!」
「……分かった」
「分かった、じゃねーよ!」
 じゃあどう言えば。アーロンは灰を落とさないように注意しながら指示された場所に頭を付け、肘掛に足の裏を置いた。
「てゆーか、これ腿だろ膝じゃねえし!」
「……俺にどうしろと」
 うっかり本音が出た。しかしティーダは怒りも拗ねもせずに、灰皿をアーロンの腹の上に乗せた。自分の不条理さを解かっているらしい。
「……二は、一たす一、だろ」
「そうだな」
 徐々にティーダは元気を無くし始めた。
「そうだろ」
「そうだな」
「たまに三になったりするよな」
「なるのか?」
 なるよ、そう小声で言ってティーダは天井を仰いだ。
「だから、俺がいるんじゃん」
 それで、アーロンの胸に心辺りが浮上した。
「なんかさ、一って色々ありそうなんだ。足したら二になったり三になったり色々さ」
 悲しそうにティーダは呟く。
「でも、二の平方根って割り切れないってだけで、それしか無いよな」
 そんなんじゃ、二がすごくつまんない。
「あれはガセだ」
 ちらり、とティーダはアーロンを見下ろす。
「なーにが?」
 ここまで動揺しておいて知らぬ振りをするティーダは横を向き、アーロンはそっと苦笑した。
「とにかく、ガセだ」
 腹から灰皿を持ち上げ、短くなった煙草を押し潰す。無駄の無い動きでチェーンを繋いで新しいものを咥え、アーロンはティーダの頬を触った。
「ガセだ。先方が勝手に騒いでいるだけで、俺には顔も知らん女に子供を作る特技はない」
 アーロンはサングラスを外した。ふーん、とティーダはその濃い色硝子を取り上げて自分の顔に嵌めた。
「……会った事もないんだな?」
「少なくとも、俺は名前も顔も覚えてはいない」
「だったら会ってヤってるかもしれないだろ!?」
「……ないと言っている」
「どーだか、ああ、どーだか!」
「子供は一歳だそうだ」
「ああそりゃよかったでちゅねー」
 ティーダは煙草を奪い、空吹かしの息をアーロンの顔に吹きかける。サングラスがずるっと下がって鼻まで降りた。
「ティーダ」
 アーロンは手を伸ばしてティーダのうなじを掴んだ。嫌がる動きを封じてぐっと顔を付き合わせると耳元に唇を寄せる。
「会って以来、おまえにしか勃たん」
 短い言葉にティーダは、う、と詰まり、アーロンの手を乱暴に叩いて顔を天井に向けた。
「ティーダ」
「……どうだか」
「ティーダ」
 アーロンは笑って指先で呼ぶ。それをちらりと目の端に認めつつ僅かの間ティーダは煙を胃に入れていたが、喉から顎に向かって撫で上げられるとその手に従った。合わせた唇が焦げついたように、隙間から薄く煙が漏れる。
「平方根は、マイナスも有るな」
 それでも二つだけだし、と拗ねて見せるティーダの頬は赤く、からかうようにアーロンは言った。
「閉塞も悪くはないだろう?」
「どこにも行けない……」
「ここにいればいい」

 窓から気の早いいつものネオンが降りかかる。
 出来の悪い数式を無理やり埋めるため、ソファのスプリングがまた一つ駄目になった夜だった。






FF10 100のお題