アーロンが目を覚ますと、ティーダの姿は無かった。もちろん、明け方に出て行った事は知っている。
「うむ……」
頭を振って起き上がり、アーロンはベッド脇の窓に掛かったカーテンを開けた。切り裂いたように雲一つない空は明るく晴れ渡り、淋しいくらいの静寂が見えるようだった。
「……行くか」
必要以上に勢い良く寝巻きを剥ぐと、アーロンは着替え始めた。
昨夜、大きな地震があった。港は津波の危険があると封鎖されたが、船を守って残る、と言い張るティーダの首根っこを捕まえ、アーロンは自宅に連れ帰った。ただし、自宅とは言っても長期滞在している安宿だ。
ザナルカンドに辿り着いた時点で、アーロンは自分が無一文であると思っていた。スピラを『出立』する際に、手持ちのギルを全てキマリに渡してしまったからだ。金など無くともアーロン自身は構わなかったが、ザナルカンドは都会過ぎた。橋の下などに寝転んでいれば、すぐに通報されて警備員に追い払われてしまうのだ。
かつてスピラでは、アーロンは万一の事を考えて、ギルを分けて持つようにしていた(もちろん、ジェクト対策である)。調べてみると、ブーツの中から幾ばくかのギルが出てきた。それに頼って安宿街をさ迷う日々が続いたある日、強盗に出くわした。もののついで、と軽く撃退したところ、かなりの被害を与えていた強盗団だったらしく、街を上げての感謝を受けた。その後、腕を見込んで頼まれる厄介事を処理して日銭を稼ぐようになり、いつしかアーロンはその地域の用心棒と目されるようになっていた。今ではどの宿もアーロンを泊めたがる。彼の身の上では、定住に関わる雑多な手続きが果てしなく面倒である、という事もあって、不定期に宿を渡り歩くのがアーロンの生活となっていた。
「こんな所やめてさ、俺の家に住みなよ」
宿の部屋に入るなりティーダは眉をしかめて言った。簡素だが清潔な部屋のはずだ、とアーロンは見回して首を捻ったが、ティーダがそれ以上絡まなかったので放っておいた。
二人でスフィア放送の津波情報などを眺めていると、宿のおかみが部屋を訪れた。三十半ばの未亡人で、安宿にしては居心地の良い部屋を整える、良く働く女だ。『弟』さんに、と言って軽食を差し入れてくれたので、アーロンはありがたく受け取った。が、ティーダは不機嫌な顔で口の中でもごもごと礼を言っただけだった。明日の片付けが大変だ、などとしばらく他愛無い話をして彼女が出て行き、とりあえず叱った方がいいだろうとアーロンが呼ぶと、不機嫌なままの表情でティーダはアーロンの背中に回った。
「アーロン」
抱きつかれてアーロンは狼狽した。なんだ、と答えながら大きく体を揺すると、わあ、と声を上げてティーダはベッドに飛ばされた。
「アーロン、」
「もういい、寝ろ」
「アーロンも、」
「俺は食ってから寝る」
「……太るっすよ」
「大きな世話だ」
何も考えないようにして、アーロンが差し入れを食べていると、そろり、とティーダが隣に並んで皿からポテトフライを一つ二つ摘む。
「食ってから寝ると太るんじゃないのか、ブリッツエース」
「食べ盛りだから平気っすよ」
黙々と二人で皿を空ける。おかみは料理上手のはずだが、アーロンにはあまり味が感じられなかった。
「……食ったっす」
「じゃあ寝ろ」
「アーロンは?」
「俺は風呂に入る」
「さっき入っただろ?」
「何度入ろうと俺の勝手だ」
「じゃ、俺も一緒に入ろっと」
「ふざけるな」
「マジっす!」
ティーダが腰に両手を当てて、立ち上がったアーロンの前を塞いだ。
「いい加減に観念したら?」
「……何をだ」
見つめ合う。先にアーロンが視線を外し、ティーダは溜息を吐いた。
「……俺に飽きた?」
「おい、何を言っている、」
「さっきの人、結構ぐっとくる感じだったもんねー」
「なんでそうなるんだ……」
「じゃ、なんで!? 俺の船にも泊まってくれないし!」
「なんで、と言われても困る」
アーロンはティーダの前にぼうっと立っていた。完全に固まっているだけなのだが、ティーダには拒絶に映ったらしい。
「一回ヤったら終わりっすか!?」
泣きそうな声で、しかし激怒しながらティーダは言った。
「大きな声を出すな、ここはおまえの家じゃない」
「今夜こそって思ってたのに!」
「アレは、だから、いや、」
「なんなんだよ!」
「……いんだ」
「は!?」
顔を背けてアーロンが何かを言い、目尻に涙を浮かべながらかんかんに怒ったティーダは顔を近づける。
「だから! 壁が薄いんだ、この宿は!」
言い捨て、アーロンはバスルームに向かった。呆けた様子でそれを見送ったティーダは、しおしおとその場に座り込んだ。
アーロンがバスルームから出て来ると、ティーダはフテ寝を決め込んでいた。やれやれと寝顔を見下ろして、アーロンはソファに座る。乱暴に髪を拭いて窓を眺めれば、街灯りにけぶる夜空にぽっかりと月が昇っていた。
「……こっち来れば?」
眠っていると思っていたティーダが小声で言った。
「……」
「何もしないから!」
「……」
ティーダに何かされるようなら俺もお仕舞いだな、と思う。アーロンが動かずにじっと見ていると、ティーダはぶつぶつ毒づきながらうつぶせてしまった。苦笑と共に立ち上がり、スタンドの小さな灯りを消してベッドに向かう。嫌がらせのつもりなのか、ティーダはベッドの真ん中で手足を広げた。
「ガキだな」
「……あっち行けよ!」
「そうか」
言いながら、アーロンはティーダを端に寄せてスペースを空け、じたばたと抵抗する体を背中から抱いて横たわった。
「うううー!」
なんとも知れない声でティーダはうめき、ひとしきり暴れてから大人しくなった。力の抜けた体がかすかにアーロンに甘える。
「……アーロン」
「なんだ」
「俺のこと、嫌いじゃないよな……?」
「……当たり前だ」
少し前にアーロンはティーダを抱いた。それ自体を後悔することは無い。あの時、それは互いに必要だったのだ。しかし未だ心の整理がつかない。自分の愛しいという気持ちが家族以上のレベルに達している自信が無いのだ。他人だから抱けたというだけで、根本が父性愛では逆にティーダに申し訳ないとアーロンは思う。はっきりと確認出来るまではと、どれほど誘われ請われても、ティーダと寝床を共にする事なく過ごしてきたのだった。
「……今度、泊まるよね?」
ティーダの手のひらが、アーロンの腕に心細げに張り付いた。
なによりも、あの船ではジェクトやその妻に見られているようで恥ずかしい、などとはアーロンには言えなかった。答えに窮していると、ティーダの指に力がこもった。震えてすらいるようだ。
「……船酔いをするんだ」
そう、言うしかなかった。
「嘘つけー!」
「う……」
参った、と思いながらアーロンは顎の下の頭を撫でた。僅かに開いたカーテンからは、いつもながらに明るい街の灯が漏れ、拗ねるティーダの髪を光らせている。こんな夜にもこの街は眠らないのかと問おうとした時には、腕の中のぬくい塊は寝息を立てていた。
「……折れている」
港に着いたアーロンは思わず呟いていた。
停泊場所にはいつもより多い数の船が浮かんでいた。その中で、五つ並んだ船がすぐに目に飛び込んだ。揃ってマストが折れている。ティーダの船もその中にあった。
「もったいないな……」
近寄ると、側の崖が崩れているのが分かる。大木が、地面を巻き込みながら崩れ落ち、並んだ船を直撃したらしい。ティーダの船は崖から一番遠かったので被害は少ないようだ。しかし、アーロンの気に入りだった、空を射抜く弓のような美しいマストが折れかけて斜めになっている。結局、津波はやって来なかったのでそれ以上の被害は船体には無かったが、修理には時間がかかるだろう。アーロンは眉間に皺を刻みながら、既に何人かの作業員が動き回っている船を腕組みをして見つめた。
さて、どうするか。
ティーダを泊め続けるには今の宿は狭い。二部屋借りるしかあるまい、と結論付けたところに弾んだ声がかかった。
「アーロン!」
ティーダが妙に機嫌良く駆けてくる。
「酷くやられたな」
船を顎で示すと、ティーダは肩を竦めてみせる。
「うーん、まあ、仕方ないっすよ」
おや、とアーロンは思ってティーダをまじまじと見た。父親に関する全てにケチをつけまくるティーダが、唯一大事にしているのがあの船だ。かなりの金額を投じて整備や修繕を繰り返している。それにしてはあっさりした反応だった。
「いい機会だから、徹底的にメンテしてもらうっす!」
と言いながら、ティーダはポケットを探り、金色の磁気カードをアーロンに押し付けた。
「だからしばらくココに住むよ」
「何だ?」
アーロンは、訳が分からずカードの表裏を見る。
「ザナルカンド・ロイヤル・ホテルのスィートの鍵!」
「……スイ……」
「俺の分はこっちね」
と、もう一枚を見せびらかす。
「あ、さっきの宿はチェックアウトしたっす。アーロンの荷物はココに運んでおいたから」
「おい、勝手な真似を、」
「地面に建ってるホテルだから船酔いしないって!」
それに、とティーダは満面の笑みで朗らかに言った。
「ちょー壁厚いっす! 確認済みだから!」
よろ、とアーロンは傾いた。それと同時に二人の背後で、派手に音を立てながらマストが完全に倒壊した。青ざめるアーロンの前で、ティーダがにやり、と笑みを深くした。
船の修理期間が予定の倍ほどに延びたのは、言うまでもない。
FF10 100のお題