ポラロイドカメラ

 三人きりで出発したのは夜明け前、ブラスカは言葉少なく微笑み、ジェクトまでしんみりとする青い薄闇の中、アーロンの真っ直ぐに伸びた背中が先に立つ。

 それぞれに、澄んだ早朝の空気は慣れ親しんだものだ。しかし、この朝のそれは苦い味がした。黙々とベベルの街を抜け、ベベル宮を過ぎる。見送りにはとても適材とはいえない、どこか軽蔑的な視線をくれる門兵達がいるだけの門出、彼らが重々しく開けた門の彼方にきらめくマカラーニャの森が嘘くさく思えた。
 とはいえアーロンは、こんな旅立ちは悪くない、と感じていた。
 孤独なブラスカの決心に寄り添い、信念のために背筋を伸ばして歩を進める、そんな厳かでさえある旅立ちは、この旅の目的にふさわしいと感じられたのだ。
 ベベル宮の正門を出る、その瞬間までは。



「うおー!!!」
 何度目だろうか、ジェクトの大声にアーロンの眉がひくひくと痙攣する。
 グレートブリッジを渡り出すと突然に元気になったジェクトは、自分の荷物からスフィアを取り出した。夜逃げだの凱旋パレードだの、アーロンの青筋を増やしながら大騒ぎでスフィアの使い方を覚えると、握った拳をブラスカにそっと押さえられているアーロンの前で、ジェクトは二つめのスフィアを取り出してマカラーニャの森を撮り始めていた。
「なんだこれ!? 森か? なあ、おい、これ森なのか!?」
「そうだよ。きれいなものだろう? 聖なる泉と呼ばれる場所もあるんだよ」
 ジェクトを見ないようにして横を向くアーロンの横で、ブラスカがのんびりと言った。
「きらっきらじゃねえか。アトラクションとしちゃ上出来だな!」
「アトラクション?」
「よく出来てんなー。金かかってんだろーな!」
「……」
「……」
「あんだよ、おまえら」
 くく、と笑いをかみ殺してブラスカが答える。
「これはね、ジェクト、生きている木が勝手に光っているのであって、誰かが作ったものじゃないんだよ」
 ほ、とジェクトがまぬけな顔をし、言葉も無く溜息を吐くアーロンの横で、ブラスカはとうとう、あはは、とふきだした。
「ほら、こっちにおいで、新芽が出ているだろう? この丸い部分が種のようなものなんだ。若い木は、親に絡まるようにして伸びていずれ一体となり、森は補強されていくんだ」
「マジかよ? イキモンな訳か、これ全部」
 ジェクトはぴょんぴょんと身軽に移動しながら森の見物を始めた。ブラスカはにこにことジェクトの後について森の中に入って行き、いらいらとアーロンは腕を組む。
「作り物の森や泉が聖地になる訳がないだろう」
 いかにも呆れた、という声にぐるっと振り返ると、ジェクトはどすどすとアーロンの眼前に立った。
「知らねえもんは仕方ねーだろーが」
「シンの毒気にあたるのにも程がある。元々まぬけな性格だったに違いないな」
「あんだと、コノヤロ!」
「あんたは本当の事を指摘されると腹を立てるタイプか?」
「うるせー! てめえ、黙らせてやる!」
 がば、とアーロンの上着を掴みにかかるが、アーロンも簡単には捕まらない。走り回っている二人を、どっちもどっちだねえ、と微笑ましく見やり、ブラスカはすたすたと先に進んだ。
「あっ、ブラスカ様! お、おい、離せ!」
「よっしゃー! コノヤロ、ぎったんぎったんに、うごっ!?」
 胸座を掴むジェクトの顔面に、ばこ、と二の腕を叩き付けて簡単にいなすと、アーロンはブラスカを追う。
「ぐ……ま、待ちやがれ……」
 引っくり返った体をずるずると起こし、ジェクトも後に続く。ブラスカは空き地のような小さな広場に入り、杖と荷物を降ろして追ってくる二人に笑った。
「さて、朝食にしようか。これからどんどん気温が下がるから、しっかり食べておかないとね」
「分かりました、すぐにご用意します」
「メシか……」

 ユウナを起こさないようにとの配慮から、彼らはブラスカ家で朝食は摂らなかった。朝日が昇り始めて明るくなった野営地では幾人かの旅人が炊飯を始め、良い匂いが漂っていた。血が上っていたジェクトも腹の虫には勝てないらしく、ぎろりと睨みつつも石を組んで火を熾すアーロンを大人しく眺めていた。が、ぽん、と急に手を叩くと自分の荷物をごそごそやりだした。
「どうしたんだい?」
「これこれ!」
 覗き込むブラスカの目の前に、ジェクトはスフィアを突き出した。
「ああ、グレートブリッジを撮ったスフィアだね」
「ガキに見せるのが楽しみだぜ! なあ、まだ撮れるのか、これ」
「ここに残り時間がバーで表示されるんだ。一杯になるまで撮れるよ」
「おお、なるほどなー。これは取っておくか。輝かしい第一歩ってやつだ!」
 次に二つ目のスフィアをいじる。
「もうちっと練習すっか! こっち向け、ブラスカ」
「え、私を撮るのかい?」
「何事も慣れってもんが大事だろ。後で俺様のカッコイーとこ、頼むぜ」
 ジェクトはブラスカを映し、次に手を伸ばして自分の顔を映し、更にはアーロンと彼の作っているスープにスフィアを向ける。
「……くだらない事をするな」
「うっせー、こういう日常ってやつがいいんだよ、笑えって」
「何が日常だ」
 ぐっとスフィアを押し戻され、ち、と舌打ちしてジェクトは立ち上がった。周りの景色を撮り始めるがすぐに、あれ、と言ってスフィアをぶんぶん振った。
「無茶をするな!」
 ジェクトからスフィアを奪い、アーロンはスフィアを確認する。
「……もう終りだ」
「なんだって!? 短いっつの!」
「こんなものだ、さっきブラスカ様に聞いただろうが」
「あーもー、なんだってんだ……」
「それはこっちの台詞だ!」
 まあまあ、とブラスカが寄ってくる。スープをひっくり返されては堪らない、という風情だ。
「リセットすればもう一度撮れるよ。全部消えちゃうけどね」
「お、そっか。じゃ」
 ブラスカに教わりながらジェクトはリセットボタンを押す。
「よーし、れんしゅーれんしゅー!」

 騒がしい朝食が終り、しばらく一行は森をさ迷った。道が分からなかった、という訳ではない。ジェクトがあちこちをふらつくので、正にさ迷うという状況になってしまったのだ。今現在、青く輝く蝶を追っている。また新しいスフィアを取り出そうとするジェクトに、ブラスカの取りなしで多少は我慢していたアーロンの怒声が飛んだ。
「何をしているんだ、もったいない!」
「いーじゃねーか、もう一杯なんだっつの」
「誰のおかげでスフィアを買えたと思っているんだ!」
「あーもーシケてんなあ、ぎゃあぎゃあ言うなっつの」
「シケ……っ、あんたはこの旅を何だと、」
「あ、出た」

 へ? と二人が振り返ると、召喚の杖を振りかざして、がつん、とシュメルケを殴るブラスカの姿があった。
「魔物に出会うにはやっぱり騒ぐに限るね!」
「あー! ブラスカ様ー!」
「うへー、でっかいトカゲ!」
 にこにことシュメルケに対峙するブラスカに顔色を無くし、アーロンは大刀を抜いて駆けていく。ジェクトも慌てて追う。
「お、っと」
 ジェクト様ソード一号、と名づけた幅広の剣を掴もうとして、ジェクトの手からスフィアが転げた。今は仕方ないとそれを放ってブラスカを背後に庇う。
「あんたはそのままでいろ!」
 ジェクトにブラスカを任せ、アーロンは高く飛び上がってシュメルケに剣を叩き込む。
「ほーお、やるもんだな」
「だろう? アーロンは綺麗な戦い方をするんだよ」
「小物だからって気を抜かないで下さーい!」
 ほのぼのと会話するブラスカ達に悲鳴を投げ、アーロンはシュメルケの尾を断ち切る。激怒して突っ込んでくるシュメルケを簡単にかわしながら退路を塞ぎ、同時に声を発して気を引いて、ブラスカへの攻撃を予防する。
 アーロンの動作は流れるようで無駄が無かった。ジェクトはそれをしっかりと観察した。次の魔物は俺がやる、と心に決めながら戦い方をシュミレーションし、うんうんと頷いている間にシュメルケは分解し、光になって飛散した。

「ブラスカ様、お怪我は!?」
 全速力で戻ってきて、返事も聞かずにアーロンはブラスカの全身を点検する。
「大丈夫大丈夫。強くなったねえ、アーロン」
「ブラスカ様を危険に曝して強いもなにもありません。俺が最初に気付くべきところ、申し訳ありませんでした……」
「いいんだよ。私だってあれくらい一人で倒せなきゃ、シンどころの話じゃない」
「それでも……俺はガードなんです……」
 耳まで赤くして失態を恥じるアーロンを、よしよしと肩を叩いてブラスカが慰めていると、落としたスフィアの土を払うジェクトが半目で二人を見た。
「おーおー、仲のよろしいこって」
 その声に、アーロンはぶるっと身を震わせた。
「あんたはいい加減にスフィアから離れろー!」
 大声が森にこだました。



 結局、落としたスフィアは壊れて、それ以上の撮影は出来なくなった。そして当然、新しいスフィアは全てアーロンに没収された。ぶつぶつと文句を零しながらも、初めての魔物との戦いに何か感じるところがあったのだろう、ジェクトは突っかかりはしなかった。

 旅の順路はマカラーニャ寺院、徐々に雪雲に覆われていく空を仰ぎながら、最後尾のジェクトは、未練がましく壊れたスフィアのスイッチを入れてみた。
 ぶ、と小さく音が聞こえて澄んだ水色の画面に映像が映る。が、動きが無い。
「あー、完全に壊れっちまったな」
 スイッチを切る。こきこきと首を鳴らし、その辺りに捨てようと腕を延ばす。しかし。
 もう一度スイッチを入れる。やはり同じ画像のまま止まっている。
「アレみてえだな、流行ってたヤツ」
 少々旧式であるために、逆に若者の興味を誘った撮影機のことだ。静止画像を一枚だけ撮ってすぐに印刷出来るというもので、目当ての選手と一緒に映ったものにその場でサインをしてもらう、という事がザナルカンドで流行していた。面倒がるチームメイトが多かったが、ジェクトはそれが嫌いではなかった。撮り直しが出来ず、現像もきかないというところに潔さを感じたのだ。
「えーと、なんだ、うん、」
 スフィアには、青から赤に色を変えようとする蝶を指先に止まらせ、微笑むブラスカの横顔があった。
「……記念だ、記念、そうそう」
 捨てられない理由を深く考える事は止め、ジェクトはそれを背中の荷物に放り込んだ。
「おい! 遅れるな」
「あーもーうるせーな、てめーはよ!」
「その格好で寒くないのかい、ジェクト?」
「……へっ、寒さなんぞ俺様の敵じゃねーっつの!」
 歩幅を広め、ジェクトは凍る道に踏み出した。






FF10 100のお題