ティーダはアーロンの隠し事を知っていた。それは彼の密かな趣味、釣りである。
ある夜、アーロンは円筒形のケースを肩に掛けてティーダの船にやって来た。いつもなら何だかだと言っては長居をするくせに、ティーダの様子を確認した途端に、また来る、と言って帰って行った。
このアーロンの不審な行動は、初夏になってから五度目だ。始めはとうとう女でも出来たかと、嫉妬にも似た感情で面白くなくその背を見送っていたティーダだが、友人が自慢げに見せびらかした折りたたみ式の釣竿を納めたケースを見た瞬間に、アーロンの行き先が分かったという顛末だ。
もやもやした感情は吹き飛び、今度は意地悪い気持ちがティーダに沸き起こった。あのアーロンが趣味を持つ、というところにティーダは激しく興味をそそられた。
どんな顔で糸垂らしてるんだろ。
これは、俺が『ティーダ』である以上、知っておかねばならない重要なことだと、ティーダは即座に判断し、次の機会を待った。そして今夜、アーロンはいそいそと船を出て行く。
迷わずティーダはその後をつけた。
「……駄目か」
朝の光を全身に受け、アーロンはひとりごちた。日が昇る直前から何度となく挑戦しているが、未だアタリは来ない。手応えの弱さに竿を上げると案の定、おとりの魚は息も絶え絶えに身震いをし、そして動かなくなった。
「兄さん、まだやるのかい?」
手招きで寄ってきたおとりを売る男に札を一枚渡し、いきの良い魚を一匹手に入れる。とにかく触れば触るだけ弱っていくのが魚というもの、バケツの中をぐるぐると回っている鼻先に手早く針を引っ掛け、その勢いのまま、アーロンは川の中州の側に魚を放った。解禁前に下見をした限り、この中州周辺が最も、この魚の好む藻類が具合良く繁殖しているのだ。
「うーん、見立てはいいんだけどねえ、後はタイミングだろうねえ」
「運、なのか?」
「いや、腕だあね」
あの人をごらん、と、おとり売りの男は初老の男を指差した。その男は流れの中ほどで糸を手繰っている。竿はアーロンのものとさして変わらないレベルだ。あの男も最初の一匹はこのおとり売りから買っていたから、条件はほとんど同じだった。違うのは、アーロンが四匹のおとりを川の藻屑にしてしまった間に、彼は自分で吊り上げた魚をおとりにし、どんどん交換しながら十匹以上を吊り上げているという点だった。
「あれが良いパターンだね。弱らない内に新しいのを釣って、そいつをおとりにして、ってぐるぐる回転させていくほどアタルんだ」
「彼の腕さばきはやはり俺とは違うな……」
「あったり前だあね! あのひたぁ、二十年以上、解禁日から仕舞いまで毎週末をこの川で過ごしてるってぇツワモノだあね」
「……それは、すごい」
「楽しくって仕方ねえって感じさ。ほれ」
男は仕掛けごと持って行かれて、絡まった糸を解している。くっそー、やられたわ! 見とれよ、ワシが絶対釣ったるからな! とぼやきながら、満面の笑みで新しい仕掛けを取りに岸に上がって行く。
「そのようだな……」
「あんたも笑顔で釣ってみたらどうだい?」
「……」
「……いや、俺が悪かったわ、じゃ、がんばっとくれ」
おとり売りはアーロンの肩をぽん、と叩いて岸に上がった。そう、アーロンもブーツを脱ぎ、腿までスパッツをめくり上げて川の中に入り、玄人はだしのあの男を真似て挑んでいるのだ。しかし、川底の石は丸くコケで覆われ足場は甚だ悪い。よろよろと左右に揺れながら、それでもアーロンは竿を持ち直して魚を引っ張って反対側に泳がせる。
「あーもー! 見てられんわ!」
仕掛けと竿を手に、件の男が寄って来た。
「アンタな、コレ付けられるか?」
「……ああ、一応は」
「年は取りとうないわな、目ぇが見えんわ! 付けてくれるか?」
「……いいだろう」
男は自分の竿と引き換えのようにアーロンの竿を持ち、ぐっとひっぱって魚を上げた。そして見た瞬間、
「あかんな!」
と大声で言い、ひょいと外すと川に放り投げた。
「おい! さっき買ったばかりの、」
「コレがええわ」
男は自分のバケツから一匹取り出した。それは、おとりの魚よりも一回りも大きい立派なものだった。
「ホレ、こうやって掛けるんや、ここ、分かるか? ん? 分かるか?」
「……なるほど」
「アンタのやり方やったらな、十年やっとっても釣れんわ!」
「そうなのか……?」
「そうや!」
男は大声で言いながらざぶざぶと川に入り、中ほどで竿をびいん、と振り出した。は、とアーロンはそのさばきを見守る。何が、とは言えないしその男にも教えられるものではないだろうが、男が泳がせる魚が引き絞る糸の描く軌跡は、魚の意志そのものに見えた。
「こうや!」
男は満足げに振り返り、アーロンは思わず頷いた。
「やってみ!」
ああ、とアーロンは川に入って男に竿を帰し、自分の竿を掴んだ。こういう領分は、本来アーロンの得意分野だ。正しい見本から自分のスタイルを導き出し、体に覚えこませる、それは剣術にとても似ていた。
男の動きを脳に刻み、アーロンはまずそれをそっくり真似た。
「おう?」
そして次に、アーロンがそれ、と狙ったポイントを掠めさせ、そして自由に泳がせてからまた戻す。
「……ふーん、やるやないか、アンタ」
「お褒めに預かり光栄だ」
と、アーロンの腕に強い衝撃が来た。
「キタで!」
「今のがそうか!?」
「ホレ、もっぺんやらんと!」
「うむ……っ」
「お、掛かったでー!」
「そ、そうなのか!?」
「待っとれ! まだ上げたあかんで!」
「お、おい、」
ようやくのアタリに喜ぶ前に狼狽し、アーロンはぎちぎちに放物線を描く竿に引き摺られた。これは、手強い。上げる方向を間違えば、即座に持って行かれる。
「ホレ! アンタなら出来るやろ、コレ使え!」
男は短い柄が付いた網をぐいっと差し出した。
「一本の木ぃから削った枠やで、折ったらあかんで!」
「……よし!」
片手で魚を流れに泳がし再び帰しして、徐々に自分に引き寄せる。
「よぉし、よぉし、ソコや!」
「おお!」
ばしゃ、と二匹の魚が網の中に飛び込むようにして入った。
「待っとれ! まだ上げたあかんで!」
さっきと同じ事を言って、男はまたばしゃばしゃと岸に戻ってアーロンのバケツを持ってきた。
「ホレ、入れろ! ひっぱっとれ、ワシが外したる」
男はてきぱきと二匹の魚を針から外して自由にした。バケツの中で、二匹はぐるぐるぐるといつまでも回る。
「釣れたか……」
「アンタ、アンタな、結構スジがええわ、この調子でいったらあと三つは釣れるわ」
「三つ、か」
「今日はあっついからな、水温すぐに上がってまう。後二時間が限度やな」
「……助言、感謝する」
「なんや、固い男やな、まあええわ、ワシャこれで帰るわ」
「なんだ、もう帰るのか?」
帰る帰る、ほなサイナラ、と男は笑顔で手を一つ振って、岸に上がって行った。
「……よし、この手応えが残っている内に」
アーロンは教えられた通りに新しい魚に針を掛け、再び川中に踏み入った。
結局ティーダはアーロンが二匹目を吊り上げるのを確認し、声を掛けずに川を後にした。
「あーもー、何やってんだろ、アイツ」
帰りの道すがら、全身を水浸しにして格闘を続けるアーロンを思い出し、呆れた小声を漏らしながらティーダは笑った。
「全くもー、カッコ悪ぃ」
朝日を浴びて雄雄しく魚と戦うアーロンは、本当はとても感動的な姿だった。にやにやとティーダは思い出し笑いを続けながら、山間の道を走って帰った。
かくて、夕飯には立派な焼き魚が並んだ。全身に塩の衣を纏った魚は尾をぴんと上げた形で色良く焼きあがっていた。予想通りの展開に、ティーダは笑いを噛み殺しながらアーロンの顔を伺った。何気なく料理をテーブルに並べるその顔は、どこか誇らしげに見える。
「冷めない内に食え」
「うん」
ティーダはまず、その魚に取り掛かった。身はよく締まり、独特の良い香りがする。塩に塗れているから皮までぱりっと焼き上がり、アーロンに促されるままにティーダは三尾を平らげた。
「美味いっす!」
「そうか」
アーロンは、微妙に嬉しそうな雰囲気を醸しながら、自分の皿までずいっと寄せた。また、笑いそうになったティーダは慌ててパンを口に放る。
「後はアーロンの分だろ」
「せっかく食えるんだ、良いだけ食え」
「でもさ……」
あれだけ必死で釣っている姿を知っているだけに、単純に手を伸ばすのは憚られた。ティーダはにや、と笑って言う。
「俺、腹いっぱい! 美味い魚だったっすよ、マジで」
「そうか」
アーロンはゆっくりと魚を一匹取り、ばりばりと頭から食べ始めた。アーロンは骨を残すという事を滅多にしない。その姿は少々獣じみているように感じられ、幼かった頃ティーダは魚が食卓に上がると嫌がったものだ。今は、アーロンの生活に染み付いている偏ったワイルドさにも慣れているから、全く動じないし、むしろ男らしいように感じる。
そんな事を考えてアーロンをぼんやり眺めていると、彼は勘違いも甚だしく、残った一匹をティーダの皿に入れた。
「いや、だからさ、」
「もの欲しそうな目をするな」
「いや、だから」
いいから食え、とアーロンは言った。その目が、とても満足そうに笑っているような気がして、ティーダは素直に魚をつつく。
「これって高い魚っすか?」
あえて聞いてみる。
「……もらいものだ」
その返答にまた笑いが込み上げる。
「天然ものは美味いというのは本当だったな」
「へー、天然ものっすか」
「こういう本物なら、魚嫌いのおまえにも食えるという事だ」
「……」
「まあ、おまえも好き嫌いが少なくなってきたようだがな」
なんっすか、それじゃ、アーロンは俺が魚が嫌いだって思いこんでて、美味いと評判の天然ものをわざわざ釣りに行ったってこと?
俺のために何日も通って、水浸しになって、まだ水の冷たい川の中に何時間も立ってたってこと?
「何、笑っている?」
「えー? 俺、笑ってるっすか?」
「男がへらへらするな」
「へへへ」
「……さっさと食ってしまえ」
「ハーイ」
珍しく良いお返事を返すティーダを不審そうに見ながら、アーロンはデザートを取りにキッチンに消えた。
「アーロンの魚、また食いたいなー」
ティーダは呟き、自分の残した四本の背骨から一本を摘むと、かりかりと噛んでみた。
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