マルボロ

「あー、ねえなあ」
「おい、何を、」
「ねえよなあ、なあ、あんちゃん、マルボロねえか?」
「マルボロ……? 何ですか、それ」
「ねえかー、仕方ねえな、どう見てもねえや、こりゃ」
「勝手にうろつくな! さっきからなんなんだ!?」
「ねえんだっつの! 全くよーツイてねぇな」
「なんだい? 別の店も見てみようか?」

 一行は簡単な自己紹介をしつつ、寺院の牢からベベルの繁華街に出た。主にジェクトの旅支度のための買い物を済ませ、最後に生活用品などを求めに入った雑貨店の中だった。
 品物を見回りながら、ジェクトはひたすら愚痴を零していた。うるさがるアーロンの隣からブラスカが気を遣った事を言ったが、ジェクトは苦笑して首を振る。
「や、こういう店のあんちゃんが知らんつー事はよ、こりゃどこにもねーよ」
 あー残念、とジェクトは頭を掻きながら雑貨店を後にした。顔を見合わせ、アーロンとブラスカも会計を終えて店を出る。
「何を探していたんだい?」
「ん? マルボロだ、タバコの銘柄でな」
「マルボロ? タバコって……?」
「へ、タバコもねーのか!?」

 ジェクトはさすがに肩を落とした。
「ニョウボもガキもネオンもタバコも何にもねーのか……」
 この短い時間で既に、ジェクトの『ニョウボとガキとブリッツスター自慢』は披露済みである。大きな体を縮めて項垂れる様子にさすがに可哀想になったらしく、ブラスカはジェクトの肩を叩いた。
「タバコってどんなものだか教えてくれないか? 全く同じ物は無くても、代用品があるかもしれないよ?」
 はー、とジェクトは溜息を吐き、ブラスカを半目で見下ろす。
「どーいえばいいかね、こう、葉っぱを紙で包んで棒状にしてな、火ィ点けて煙吸うんだよ」
 そう言って、左手でタバコを挟んで口に持っていくジェスチャーをして見せる。
「なんだ、シガーの事か」
 アーロンが言い、軽蔑の視線を向けた。ジェクトは飛びつくようにアーロンに迫った。
「あるのか!? どこに売ってんだよ、そのシガーつのは!」
「あんなものをやるのか」
「ああーん、ヤッたらどうした、喧嘩売ってんのかこのボーヤちゃんが」
「こらこら、街中ではお止しなさい」
 ブラスカが杖を振って見せたので二人は冷戦に切り替える事にした。

「シガーなぞ、意志の弱い者がやるものだ」
「どーせおまえにゃ吸えねーよ。けむいけむいってか、お子様だねえ」
「子供で結構、一人で堕落していろ」
「大げさだっつの! てめーにゃ頼まれたって吸わせてやらねーよ、このカータブツー」
「……子供は貴様の方だ……」
 まあまあ、とブラスカは笑いながら二人の間に入った。
「どっちもどっちだよ。ジェクトは大人なんだし好きなら吸えばいい。でも、体力が落ちるんじゃないか? ブリッツスターの嗜好品としてはお勧め出来ないと思うけどね」
「まあ、それはなー。ここんとこ禁煙してたんだけどよ、ココじゃあ試合もねーからいいかってゆーか」
「……ガードには体調管理の義務がある!」
 唸るようにアーロンが言い、ジェクトは顔を歪めてアーロンを見る。
「タバコくらいで俺様がどうにかなるって思ってるのかよ」
「現実に止めていたんだろうが」
「ガキが出来たからだっつの!」
 言われ、アーロンはふっと表情を緩めた。ブラスカも苦笑する。それに気付かず、ジェクトはとくとくと演説を開始した。
「部屋で吸ったらガキも吸う事になるだろが。ふくりゅーえんっつってな、吸ってる本人よりも、側にいるヤツのほーが体に悪い煙を吸うって医者が言ってんだ。どっちにしろガキに吸わせていいもんじゃねぇ。だからってな、一々ベランダに出て吸うってのも面倒だしカッコつかねぇ。家帰った時だけ吸わねーってのも出来そうにないしな。だからすっぱり止めてやったんだ!」
 どこかしら自慢げにジェクトは言い、腰に手を当てて胸を張った。ぷ、とアーロンもブラスカも吹き出し、ジェクトは不満げに鼻を鳴らした。
「それなら、私の持っているものを吸ったらいいよ。祭事用だから香料が入っているけど、シガーである事には間違いが無いからね」
 笑い含みでブラスカは言い、ジェクトも一気に笑みになった。やれやれ、と肩を上げるアーロンを尻目に、上機嫌でジェクトはブラスカの後を追った。



「ただいま、ユウナ」
「おかえりなさい、お父さん!」
「うおー! なんだコレ!? オメーのガキか!」
 奇声を発してジェクトが突進するので、ブラスカに抱きつこうとしたユウナはその姿勢で硬直した。アーロンが制止の手を伸ばす前にジェクトはユウナを腕にすくい上げる。
「こ、こら! ユウナちゃんが怖がるだろう、降ろせ!」
「うっせー、テメーよか子供の扱いは知ってんだよ!」
 なー、ユウナちゃん、怖くねーよなとジェクトは甘く囁き、ユウナは、かっくんと頷く。あー可愛いー、とジェクトが笑えば、ユウナも緊張を解いてつられるように笑った。
「ちっこいなー! ウチのガキよか軽いじゃねーか、オンナノコってのは小せえもんだな! よし、帰ったら俺も作ってみるか!」
「おじさん、だあれ?」
 物怖じしないユウナの髪を梳きながらブラスカは微笑む。
「このオジサンはジェクトだよ。父さんのガードになって一緒に旅をしてくれる事になったんだ」
「そうなんだー、こんにちは、ジェクトさん」
「よろしくな! ユウナちゃん」
 人懐っこい笑みを見せてジェクトの肩に小さな腕を回すユウナに、ジェクトの相好は崩れっぱなしだ。

「オジサンはなー、ザナルカンドのスーパーブリッツスターなんだぞ!」
「ええー、ザナルカンドにブリッツチームがあるの!?」
「もーちろんだ! ユウナちゃん、ブリッツ好きか?」
「だーいすき!」
「よし、ユウナちゃんはカワイーからな、イイモン見せちゃる!」
「何、何、ジェクトさん、何見せてくれるの!?」
「ブリッツならなんでもだ!」
「すごーい!」
「見たいもんあるか?」
「えっと、えっと、私ね、」

 二人はきゃっきゃと笑いながら家を横断し、庭に降りて行く。はらはらと追いかけようとしたアーロンの袖をブラスカが引いた。
「最後の挨拶に寺院に行ってくるよ。出来るだけ早く帰るから、その間ユウナをよろしく頼むね」
「わ、分かりました! あのバカはきちんと監視しておきます!」
「監視はいいから、おやつを出してやってくれ」
 はは、と笑ってブラスカはそのまま玄関を出た。残されたアーロンは慌てて庭に向かい、早くもブリッツボールで遊び始めている二人をしばらく見つめた。
 ジェクトは自分をブリッツ界のスーパースターだなどと自己紹介していたが、アーロンはもちろん本気にしてはいない。だが、ジェクトのボールさばきは自称するだけあって相当のレベルのようだと分かる。ユウナは喜び、ついぞ見せた事のないような笑顔でジェクトの後を追いかけ、声を上げて笑っている。

 ユウナがあれだけ懐くなら、危険な男ではないのだろう。

 ユウナは優しい気質の穏やかな少女だが、父親譲りの勘の冴えは年に似合わないくらいには鋭い。これまで、彼女が怯えた相手がまともな人間であった試しは無い。

 もちろん、懐いたからって『大人物』とは限らないがな!

 心中で悪態を吐きながらも、アーロンは苦笑してキッチンに向かった。




 夕食はにぎやかだった。ユウナが中心となり、ジェクトが見せたというオリジナルシュートの話で食卓は盛り上がった。それを、アーロンは茶々を入れず、また否定もせずに聞いていた。無理にでもはしゃごうとする、そんな気配をユウナに感じていたからだ。
 夕食が終わってブラスカに抱かれて寝室に向かうユウナを見送りながら、アーロンは小さく溜息を吐いた。ユウナが起きる前に出発しようとブラスカは決めているから、眠りにつくまでのほんの数時間が、あの親子に残された時なのだ。

「おい」
 自慢話を盛大に披露し、上機嫌だったはずのジェクトがぶっきらぼうに言った。
「明日、日の出前に出発ってのはマジなのかよ」
「ああ」
「どーせユウナちゃんを起こさねえつもりなんだろ、あのショーカンシ様はよ」
「……そうだな」
「かわいそーによ、ユウナちゃん必死だったじゃねぇか。泣くもんかって顔だったぜ?」
「……気がついていたのか」
「当たり前だっつの。ダテに七年もオヤジやってんじゃねーよ」

 しん、と黙って二人はテーブルを挟んで向かい合った。ユウナの小鳥のさえずりのような笑い声が、微かに奥から漏れてくる。

「ニョーボもいねーっつのに、娘一人をおいて行くのか? そりゃ何ヶ月かの辛抱だろうがよ、あの子の年じゃ辛いだろうが」
 ジェクトの言葉に胸を刺されながら、アーロンは不機嫌を装って眉を上げた。ブラスカがシンと戦った後に何が起こるのか、その真実はまだジェクトには告げていない。
「……ユウナちゃんに平和な世界を贈るために、ブラスカ様は旅立ちを決められたんだ。後の事は信用の置ける寺院の者に頼んであるから心配は無い」
「そうは言ってもよ……。なあ、シンとかいうヤツを倒す他の方法はねえのかよ、こう、大勢でどかーんとやっつけるとか」
「残念ながら、倒す方法はたった一つだ。この千年、散々試した結果の結論だ」
「……ち、ゆーずーのきかねえ世界だねえ、ここは」

 軽過ぎる言葉だが一理ある、とアーロンは思う。ナギ節を得るために払われる犠牲、その容赦の無さ、一切の慈悲無く淡々と繰り返される摂理。スピラは千年間、この頑固で恐ろしいルールの下、辛うじて存続してきたのだ。シンの毒気に触れて記憶が飛んでいるにせよ、本当に外の世界から来たにせよ、初めてこの摂理を目にしたならば、世界そのものに融通が無いと感じられても不思議は無いだろう。アーロン自身、憤りを押し殺しながらこの旅に出るのだから。
 アーロンは緩く頭を振り、ジェクトはそれ以上追求せず、淋しーな、とだけ呟いた。
 静まる二人の上に、羽のように音が降る。

「……ね! お父……私きっと……」
「……なのか、それは楽しみ……ユウナは……」

 美しいさえずりは、終りを知らないように続く。これがいつもの夜ならば微笑んで盗み聞くはずなのに、今夜は聞いてはならない神聖なもののように思われた。アーロンは静かに席を立って庭に向かう。ジェクトはブラスカにもらったスピラのシガーを薄紙で巻くと、その背中を追った。

「おめえ、こいつが嫌いなんだろうけどな」
 ジェクトは軒下に立ち、ランプからシガーに火を移した。
「こういう時に吸うと、明日が見えるような気がするんだ。……ちょっとだけな」
 じ、と小さな音を立ててシガーが燃える。ジェクトは足元のブリッツボールを軽く蹴った。
「……ふん、マルボロと毛ほども似てねえ味だぜ」
 苦笑しているらしいジェクトの声を聞きながら、アーロンはほのかに流れるシガーの香りを嗅いだ。

 明日は見えなかったが、今夜を終える決心はついたような気がした。






FF10 100のお題