冷静な男だ。
それがブラスカに対するジェクトの第一印象だ。隣で歯を剥いている若造との対比が、余計にブラスカを落ち着いた人間に見せているのかもしれないとも思う。
「ですからブラスカ様、宣誓書なり、なんらかの契約をされた方が、」
「アーロン、彼が判子や身分証明書を持っているとでも思うのかい?」
「拇印ならいつでも押せます、いっそ血判です!」
「ちょっと待ちなさい、ガードに血判押してもらう、なんて聞いたことないよ」
「アイツに対してはそれくらいの備えは必要です!」
「じゃあ君も押すかい?」
「ええ、喜んで!」
「何勝手に決めてんだ、拇印だとぉ〜!? 俺ぁ押さねえからな!」
「貴様が口を出すべき問題じゃない!」
「こらこら二人共、およしなさいって」
「おーおーおー、なぁにさまだぁ、このガキャァ!」
「やるか!」
「やったろーじゃねーかっ!」
「あの、すんませんがね、そういう事は表でやってくれませんかね」
堪りかねた牢番が溜息混じりに言い、ブラスカは、ははは、と笑った。
一緒に行こう。ブラスカがそうジェクトを誘い、アーロンが驚愕と不快を表明した牢の前である。ジェクトとアーロンは噛み付き合い、ブラスカは微笑んだままだ。
「そうだね、これ以上はお邪魔だね」
ブラスカはにっこり笑って牢番に頷くと、今にも取っ組み合いそうなガード達の間に杖を差し入れる。
「ともかく表に出よう。アーロン、それから……なんだっけ?」
「ジェクト様だっつったろーが!」
止められれば燃えるらしく、とうとう杖越しにアーロンの胸座を掴んでジェクトは唸る。一方、ブラスカの存在を忘れているらしいアーロンはバンダナを掴み返し、二人は激しく眼光を飛ばし合った。
「はいはい、ジェクト様、ここまでだよ。離れて離れ、」
「うぜえ!」
ああっ!?」
「ブ、ブラスカ様!」
軽く片手で捻っただけで、ジェクトはブラスカを杖ごと放り投げた。瞬時にアーロンはジェクトを突き飛ばして飛んで行ってブラスカを抱き起こす。
「ブラスカ様、お怪我は!?」
言いながら複雑な召喚衣の捩れを直し、吹っ飛んだ頭防具を拾ってホコリを払った。
「平気平気、そんなにヤワじゃないよ。……しかしすごい力だね!」
むしろ嬉しそうにブラスカはジェクトを見上げ、頭の装飾を被り直して立ち上がる。尻の汚れをはたくブラスカの後ろで、斜めになっている長い尻尾をアーロンが甲斐甲斐しく直した。
「ふん、これが契約書代わりだ。俺様の実力がおめえらにも少しは分かっただろーが」
「馬鹿者! ガードが召喚士にこんな無礼を働くなど有ってはならん! 今すぐ成敗してやる!」
「バカはおめーだっつの、ショーカンシがなんだか知らねーがよ、ガキじゃねーだろが、ンな甘やかしてんじゃねーよ!」
「なっなんて口の利き方を……! この方は、」
「ほらほら、止めなさい、アーロン、ジェクト」
「だから、表でやってくれませんかねえ」
うんざりと牢番がまた言い、ブラスカは、申し訳ないね、と彼に頭を下げた。そして掴み合うガード達の肩を触り、反射的に腕を振り回すジェクトを今度は軽くかわした。
「外の空気を吸いたいだろう、ジェクト?」
「クーキもなんも、こいつ腹立つ!」
「こっちの台詞だ、この馬鹿!」
「なんだと、てめー、俺様に向かって、」
「やかましい!この、」
「痛っ」
ひー、とアーロンが悲鳴を上げた。今度はブラスカのこめかみに、構えたアーロンの拳がヒットしたのだ。
「あああ! 申し訳ありません!」
蒼白のアーロンは土下座寸前である。さすさすと顔を撫でながらブラスカはアーロンの腕を引っ張ってしゃんと立たせた。
「分かってるよ、もういいから。とにかく大人しくしてくれ。それに私も早く外に出たいんだよ」
ね、とブラスカは二人を見た。さすがのジェクトもブラスカの穏やかな姿勢に少々恥たらしい。しかたねーな、などと言いながら、アーロンから離れてブラスカの背に従った。
「よしよし、さあ行こう」
「ブブブブラスカ様、本当になんとお詫びしたら良いのか……」
ブラスカの周りをぐるぐる回って冷や汗を垂らすアーロンの姿に、ふふふ、とブラスカの苦笑の声が漏れる。
「分かった分かった、許してあげるから落ち着きなさい」
「今後は決してこのような事は致しません……!」
「……ショーカンシ様ってのはそんなに偉いもんなのかよ?」
ジェクトが不満そうな声を上げ、きっと睨むアーロンを片手でブラスカは制す。暗い地下牢から寺院内部へ続く階段に足を掛けた姿で、ブラスカはジェクトを振り返った。
「そんなことは無いよ。召喚士は単なる職業の呼称だ」
「ブラスカ様!? 召喚士という尊い存在は、」
「黙ってなさい、アーロン?」
笑顔のままのブラスカだったが、アーロンは、ぱくん、と口を閉じた。
「ジェクトにも、この旅について話しておかないとね」
すぐに出発するのだし、とブラスカはジェクトを見つめた。
「まず、報酬は無いよ。私は貧乏なんだ」
笑ってブラスカは数歩登る。
「……ザナルに帰れるんなら、んなもなぁいらねえ」
「そうか、良かったよ!」
ははは、とブラスカは笑い、大人しいままのアーロンを不審に見ながらジェクトも、ふふん、と鼻を鳴らした。
「それからね、ジェクトには剣を使ってもらうからね」
背を向け、ゆっくりと登りながらブラスカは静かに言った。ジェクトは少々ぎょ、とした気配を醸したが、それは無視された。
「ブリッツボールみたいな武器もあるんだけど、せっかくここまで来てガードの醍醐味である『剣』を扱わないなんてつまらないだろう?」
そう言われればジェクトも答えずにはいられない。
「望むところだぜ! 俺様にボールを触らせたきゃ、相応の金が要るってもんだ!」
「意見が一致して嬉しいよ。剣は私が買ってあげるから心配しなくていい」
ブラスカは嬉しそうに続ける。
「これから先は寺院を回るんだ」
「寺院か……。辛気臭えな」
「まあそう言わずに。私は寺院に居る召喚獣をもらいに行く。だから寺院内では行儀良くしてもらわないと困るんだ。それだけは頼むよ」
「しょーかんじゅー……?」
「ああ、君は知らないかな。後で見せてあげるよ。可愛いんだ。召喚獣を集めるのが私の趣味でね」
こう、肩に留まって私の手から餌を食べるんだよ、と言うブラスカに、違う違う、とアーロンが無言で首を振っている。ジェクトの視線は二人の間をさ迷った。
「……そんなもん、どうすんだ?」
「沢山召喚獣を集めると、最後に究極の召喚獣が手に入るんだよ。これはねえ、召喚士の間ではレアものとして知られていて垂涎の的なんだ。なんといっても一回しか使えない! これは貴重だろう!?」
首が取れるほどにアーロンは違う、というアピールをしている。しかし一言も反論しない。ジェクトも何かを感じたらしく、声が小さくなった。
「……だから、それをどうするんだって聞いてんだよ」
「もちろん、可愛がるんだよ!」
不気味に沈黙を守るアーロン、しかしジェクトは背筋を伸ばして頑張った。
「それだけじゃねーだろが!」
「そりゃあ戦ってももらうけどね! でも、私は本当に召喚獣が可愛くて仕方ないんだ。娘みたいなものかもしれない。出来るだけ傷つけたくないんだ」
君なら分かるよね、とブラスカは振り返る。にっこり笑顔がとても眩しい。
「がんばってくれよ? ジェクト、アーロン。召喚獣を出させたら、私の機嫌が悪くなること請け合いだからね」
「けっ、ちんたらした魔物くらい、俺がばっさりやってやるっつの!」
「それは頼もしい」
ふふふふふ、とブラスカは長く笑い、アーロンの沈黙は深い。
「後ね、私はほっとんど役に立たないからね!」
「へ? なんだそりゃ、じゃ、魔物に会ったらおまえは何するんだ?」
「なんとなくその辺りをふらふらしてるよ!」
「……ふざけてんのかよ!? 魔物がごろごろいるくれぇなら、まほー、とかも使えるんだろーが」
「だって召喚獣を出さないんだから! それ以外って言ったら、私にはちょっと炎や氷を出すくらいしかやる事が無いじゃないか、ねえ、アーロン?」
「……」
無言。
「ジェクトは元気があり余っているし、アーロンはぶっ飛ぶと私の静止なんて聞こえないみたいだし。これだけ気力の溢れる素晴らしいガードが二人もいるなら、大概の魔物なんて簡単にやっつけられるよ、ねえ、アーロン?」
「……」
「……」
「それからね、建物の外でならケンカはどんどんやってくれ。騒ぐ程魔物は集まってくるから修練には丁度良いね! あはは!」
「……」
「……」
階段の最後の段に足を掛けたブラスカは振り返った。出口から漏れる光に照らされて逆光に表情は分からない。召喚の杖をちょっと掲げて見せながら、笑みの形に開かれた唇が静かに動く。
「最後にコレ、ね、殴ったところで威力は弱いんだけど、たまーに即死しちゃうんだよ。試す?」
「……」
「……」
ジェクトはアーロンと二人で、ぶんぶんと首を横に振った。あはははは、冗談だよ、とブラスカは清々しく笑って出口に消え、アーロンが慌ててその後を追った。
冷静な男だ。
それがブラスカに対するジェクトの誤った第一印象だった。隣で歯を剥いていた若造との対比が、余計にブラスカを落ち着いた人間に見せたのかもしれない。第一、微笑みながら激怒する男、というものをジェクトは今まで見たことはなかったのだから。
登ってきた階段を見下ろして、ジェクトは僅かに逡巡した。
「……戻ろっかなー」
牢番がジェクトを見上げ、肩を竦めて見せた。
FF10 100のお題