ヤバイ感じがする。
目を開けた途端にレオンの全身に冷や汗が浮かんだ。目の前には見慣れたシーツとブランケット、では何がヤバいかと言えば、左側がなにやら暖かいからだ。
そちらから目を逸らしながら、レオンはそっと上掛けを捲った。
「泣けるぜ……」
全裸だ。しかもただの全裸ではなさそうだ。恐る恐る右手を伸ばして確認し、レオンは疲れた笑みを浮かべた。
「なんだってこんな事に……」
中出しされている。そう、『されて』いるのだった。
頭を抱えてレオンは記憶を探った。孤島を脱出し、アシェリーを無事にホワイトハウスに送り届け、正式にボディガードに、という親子そろっての熱いラヴコールを必死で辞退し、やっと解放されたかと思えば迎えが来て何日も体中の検査をされまくり、詳しい報告書も書かされ、ふらふらになって自宅に戻ってからは眠り続け……
そうだ、食事をしようと街を歩いていたら、旧知の男と会ったのだ。彼は上機嫌だった。もう酔っていたのかもしれない。彼の屈託のない笑顔を見て肩の力がやっと抜けた。色々あったが、ともかくも生きて帰る事が出来たのだと実感出来たのだ。
「とにかくシャワーを……」
静かに起き上がり、あくまでも左側には視線を向けずにベッドを降りる。と、一層ヤバい感覚が迫ってきた。
「た、垂れる……」
慌ててバスルームに向かおうと歩き出した。が。
「……モーニン、レオン」
寝ぼけた声が背後からレオンを襲った。
「レオン?」
無視だ、無視! とりあえず俺が『処理』しちまえばヤツには分からないはずだ!
バスルームまではほんの十フィート、尻に力を入れて猛然とレオンは歩き出した。
「レオーン?」
「後で!」
叫び、レオンはバスルームに飛び込んだ。
「下したのか?」
バスルームを出た途端に無神経な言葉がレオンを殴打した。
「違う!」
これくらいなら耐性が出来ている。いやそういう事ではない。未だ全裸のままベッドにあぐらをかいているクリスにどう対応するかが問題なのだ。バスタオルで体を拭きながらレオンは必死で考えた。
「そうか、良かったな。俺、腹減った。大丈夫なら食いに行こうぜ」
「あ、ああ」
ばりばり頭を掻きながらクリスは大あくびをしている。無性に腹が立ち、レオンはじっとクリスを睨み付けた。
「なんだ?」
「なんでもない」
「そうか? まあいいや。俺の服、知らないか?」
クリスはブランケットを捲くり、ベッドの下も覗いた。
「ど、どこだろうな」
冷静さを装って視線を外し、レオンは部屋の床を確認した。どこにも無い。ベッドの周りに脱ぎ散らかされていればなにやら不穏な事態であると一目で分かるというものだから、正直助かった。が、一体どこへ?
しかし現時点では自分の始末が先だ。レオンは腰にタオルを巻きクローゼットを開けた。努めて平静に身支度を済ませ、振り返った。
「クリス、とりあえず俺の服を着、」
「あったぜー」
服を抱えてクリスが近づいてきた。
「どこにあった?」
「トイレ」
「二人分が!?」
「そうだ。切羽詰って取り合ったんだろうな。それにしても全部脱ぐ事ないのになあ。ははははは」
爽やかに笑ってクリスは服をより分けている。
ああっ俺は一体ナニを!!!
眩暈を起こしながらレオンはしかし、涼しい顔で自分の分を受け取った。
「お互い昨日は飲み過ぎたみたいだな。久しぶりに記憶が飛んだよ」
平然とそう言い切って、レオンは大きめのサイズのシャツをクリスに差し出した。
「昨日の着るよりマシだろう」
「サンクス。シャワー借りるぜ」
渡されたシャツを素直に持って、クリスはバスルームに消えた。
――この分なら、ヤツも覚えてはいないはず。
水音を聞きながら、レオンは暗い笑みを浮かべた。
クリスが嫌だ、という事ではない。好みの問題ではなく、彼とそういう関係になるのが嫌だった。
社会に出たと同時にアンブレラの洗礼を受けてしまった世にも運の悪い元警官(それもたった一日だ)に、コンタクトを取ってきたのは今世話になっている連中の他にはクリスだけだった。レオンの情報は厳重に秘されていたが、クリスはどうしたものか探し出し、妹を助けてくれた恩人だと礼を言い、情報を与えてくれた。共に戦わないかと、トラウマを負ったのはレオン一人ではないのだと、励ましてくれた男なのだ。そもそもレオンはSTARSに憧れて警官になった。そのSTARSで射撃の名手と呼ばれた男が名もない自分を探してくれた、それだけでもレオンには生きる希望となったのだ。
クリスの気安さもあって今ではお互い軽口も叩くが、レオンにとってクリスとはいつまでも憧れの男であり尊敬の対象だ。そういう男と泥臭い関係にはなりたくはない。性が絡んだ途端に関係は粘着質となる。クリスとの付き合いには、そんな縺れは御免願いたい。
鬱々と考えていると、クラウザーの死に顔が目に浮かんだ。彼がどうして自分を憎んだのか、何度考えても分からない。レオンにとってのクリスが精神的な支えであるとするなら、クラウザーは物理的な援護を与えてくれた肉親のような存在だった。生き残る知恵を知り、未熟な自分を庇護する余裕さえある完成された戦士。ともすれば孤独に押し潰されそうな生活の中、一番近くにいたクラウザーの直接的な強さに惹かれ、望まれるままに関係を持ったのはレオンにとって自然な成り行きだった。
――それがいけなかった。
理由は分からないが、おそらくはそうなのだ。関係を持ってはならなかった。関係を持ったからこそ、自分の何かが彼の逆鱗に触れた。レオンの勘がそう囁く。
「止そう……」
正直なところ、あんな状況でなければ泣き喚いたはずだ。彼が生きていて嬉しかった。彼を殺さねばならなくて悲しかった。もう充分だ、これ以上考えたくない。
レオンは濡れた髪を乱暴にタオルで拭きながらキッチンに向かった。冷蔵庫からミネラルウォーターを取り出す。
「駄目だ、クリスとは」
――同じ事を繰り返さないと、断言出来ないから。
自分は体と心をバランス良く扱えないのだ。関係を持てば何かが偏り、拗れて終わる。レオンは深く溜息を吐いた。
「レオン」
半インチ程飛び上がりそうになったが堪え、レオンは振り返った。人一人分しか無い距離にクリスがいた。猫の足、という言葉を思い出しながらレオンは手に持った水を無言で差し出した。受け取って少し飲み、天井を眺め、そしてクリスは言った。
「レオン、おまえが割り切りたいって事は分かっているんだがな」
「ああ?」
「俺は……そう上手くは出来ないんだ」
「何の話だ」
「なんと言うか……。まあアレだ、情が移ったというか、気持ちが後から付いてきたというか」
「だから何の話だ」
レオンが眉を寄せた瞬間、クリスは壁に両腕を突いた。挟み込まれたレオンは間近に迫った目を怪訝に見つめた。
「クリス?」
「ちゃんと付き合おう、レオン」
「……は?」
「分かるだろ、俺ら、気も合うし体も合うし、うっ!? げほお!?」
床に身を丸めてクリスは腹を押さえた。鳩尾に、完璧な膝蹴りを決められていた。
「何するんだ、レオ、」
「クリス……」
とてつもなく恐ろしい笑顔のレオンを見上げ、クリスは口を閉じた。
「あんた……覚えてるんだったら早く言えよ!」
「ああうう、わ、悪かった、面白くてさ」
「俺の苦悩を面白がってたのか!」
レオンはクリスにタオルを投げつけ、床に転がったペットボトルを蹴った。
「レオン、聞けよ、」
「俺は覚えてないんだ!」
「へ?」
「覚えていないんだ……」
クリスに背を向けてレオンは項垂れた。最悪だ。泣こうかな。
「いやでもおまえ、隠そうとしてただろ、だから覚えているんだと思っていたんだが」
「……あんたも忘れてると思ったからだ」
「ちょっと待て、レオン」
「頼む、クリス。しばらく一人にしてく、」
「もう五回目なんだが。覚えていないのは昨日だけだよな?」
「ご?」
「……一回も、とか言うなよ」
「……」
「……」
「……お、俺ってヤツはー!」
クリスは慌てて立ち上がり、発狂して髪を掻きむしるレオンに駆け寄った。
「落ち着け、な、落ち着けって」
「い、いつだ……」
前髪の間から暗い目でレオンはクリスを見上げた。
「ああ?」
「最初はいつだったんだ!」
クリスは何度か首を傾げ、やがて少ない『私生活メモリ』の中から検索を終えた。
「二年前かな」
「二年前!? そんな前!?」
「仕方無いって感じだったぜ。なんかおまえ、誰かが死んだって荒れててな。最初はビールだったんだが、ストリチナヤをやり始めてさ。いやアレだ、俺は止めたんだぜ? でも逆に飲まされちまって、その内にどーでも良くなってきてさ」
「……なるな」
「無理言うなよ。とにかくおまえがぐにゃぐにゃになっちまったからここまで送ったんだ。そこまでは俺も記憶がある、はっきりと。でも、その後気が付いたらおまえが俺の上で腰振ってて、」
「うわあああもういい、聞きたくないー!」
「注文が多いな」
がくり、と膝を突いてレオンは頭を抱えた。俺か、俺が誘ったのか、ストリチナヤ、ああクラウザーはウォッカが好きだった、あの時だ、あの事故の後だ、てゆーか誘っておいてしかも乗っかっておいてけろっと忘れる俺って一体……。
ぽんぽんと背中を叩かれてレオンは顔を上げた。クリスは困ったように首を傾げ、そして強烈な光度で微笑んだ。
「忘れちまったもんは仕方ないさ!」
「いやそんな簡単に」
眩暈がする。床に手を突いてレオンはがくりと肩を落とした。このポジティブさを貴重と言うべきなのか。
「おまえは考え過ぎなんだよ。な、レオン。今からやり直そう」
「あんたはちょっと考えた方がいい……」
まあとりあえず、とクリスはレオンの両脇に手を入れてぐいっと立ち上がらせた。
「飯食ってから考えよう。な?」
項垂れたままレオンはゆるゆると頷いた。確かに腹が減っている時にはろくな事を考えないものだ。
「そうだな……」
よしよしと満足そうに頷き返すクリスを見る。自信に溢れた表情に少しだけ気持ちが浮上した。やはり彼は俺のヒーローだ、そうレオンは思う。そうだ、やり直すんだ、俺達はやり直せるに違いない。そうだ、そうなんだ、
「で、とりあえず素面でヤってみようぜ、ってうげごほお!?」
床に転がるクリスを放ってレオンは一人ドアを開けた。
今日も太陽が眩しい。
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