王様とコイバナと

 ざわつく店内には珍しくプロジェクトDのメンバーが全員揃っていた。リーダーとダブルエース、二人のメカニック、そしてなんだかんだと理由をこねてくっ付いて来る賢太。彼らの注文が出揃った最後に、史浩はかやくごはんセットを頼んでメニューを閉じ、ウエイトレスに手渡した。
「松本は麺ばかりだなあ」
 にゅうめんセットを頼んだ男を見ながら言えば、みんな同じじゃないですかと笑い返された。確かにもう一人のメカニックは丼物ばかり、「とりあえずハンバーグ」のダブルエースや和食一辺倒の史浩、必ず赤いスパゲッティが添えてある皿を頼む賢太と、食にこだわりがあるのか無いのかというところは不明だが、わかりやすいラインナップになっている。
「涼介さんだけは色々ですよね」
 そう呟く拓海に啓介が妙な笑顔を向けた。
「そう見えるんだ?」
「……なんすか」
「おまえには、そう見えるんだなって言ったんだよ」
「だから、なんすか」
「啓介」
 絡むな、と制止する史浩の隣で黄色い頭が自慢げに顎を反らす。
「アニキはな、」
「啓介」
 今度は向かいでお冷を飲みきった涼介がじろりと啓介を睨んだ。
「べつにいいだろ、油モン好きってことくらい」
 ええっと声を出して賢太が啓介を見上げる。
「そうでしたっけ?」
「そうだよ、いつでも揚げもん食ってるよ、アニキは」
「そう言えば……」
 何かを思い出しているらしい拓海にちらりと視線を流し、涼介は一つ溜息を吐いた。
「効率よくカロリーを取っているだけだ」
「体脂肪率、七パーとかだもんなアニキ。あ、きたきた」
「おまえだって大して変わらないだろう」
 兄弟の前にウエイトレスが皿を並べていく。
「俺は九パーあるし」
「いばれねえよ」
「七パーセントは低いですね。ずっと食べてないとダメなんじゃないですか、ラッコみたいに」
 松本の微笑み混じりの言葉にテーブルがしんとする。
「ラッコ……」
「噛み締めるな、藤原」
「はあ」

 隣り合った涼介と拓海を見ながら史浩は胸の内で笑った。案の定拓海からは何も反応は無かったが、あの夜が明けた早朝、涼介から短いメールが来た。『とても嫌だったが今藤原を家に送った。どうして俺は忙しいんだ』という文句だかのろけだかわからない文面に、寝ぼけながら吹きだしたことを思い出す。プラクティスで一瞬見せた涼介の激し方には驚いたが、本人が良好というからにはそうなのだ。細々したことには無理にでも目を瞑ると、もう史浩は腹に決めている。
「まあともかくお疲れさん」
 ウーロン茶を手に啓介が言い、なんとなく全員が水や飲み物を持ち上げた。残暑をいたずらに消化した感もあるが神奈川遠征は二戦目に向かって動き出している。ミーティングは細分化され、今夜はやっと全員がそろった。
「アニキさ、この間レッドサンズに顔出したってホントかよ」
「少しだが。放っておく訳にはいかないさ」
「何人かメール送ってきたんだよな。やっぱアニキがいるとシマルって」
「……そうか」
 コロッケを切る手を止め、涼介はわずかの間視線を目の前のコップに固定した。重要な考え事をする時の顔だと判じて史浩はしばし言葉を待ったが、結局リーダーはそれ以上何も言わなかった。来年以降のチームをどうするのか、史浩はまだ聞かされていない。リーダーと外報が抜け、新しい最速の指揮者となるべき啓介もおそらくプロへの道を選択して長居はできないだろう。解散、という文字を頭に思い浮かべていると、機嫌を伺うように賢太がやたら眩しい白目を持つ目で見つめてくる。心配するな、と唇の端を上げてやって見せ、史浩は味噌汁の椀を手に取った。



「あ、俺が持ってたんだな」
 料理の皿が下がったテーブルの上にバッグの中身を放り出した啓介が呟いた。
「なんすか、それ」
 キャンディーや小銭、ゴミなのかメモなのかわからない紙切れなど、雑多な物と一緒に細い棒がばらばらと散らばっている。
「おーさまゲーム。欲しかったらやるぜ、ケンタ。あ、あったあった領収書。頼むな、史浩」
「いらないっす……。でもなんで持ってんですか?」
「こないだコンパ参加したからな」
「……」
「なんだよその目は。人数合わせだよ、だいがくせーは色々大変なの」
 啓介は端に数字の書かれた棒をトントンと揃え、にっと笑いながら顔を上げた。
「なあ、ちょっとやんない? おーさまゲーム」
 七本の棒を目の前に突き出され、反射的な動きで賢太が一本を摘んだ。
「アニキも」
「俺はやらねえ」
「たまにはカワイイ弟と遊んでよ」
「……いつも遊んでやってるだろう」
「どうやるんですか?」
 意外なところから声がする。首を傾げて拓海がしげしげと棒を眺めていた。
「なんだよ、社会人。やったことねーの?」
「やりませんよー。コンパってこういうことやるもんなんですか?」
「いーから一本選んで持っとけ。そうそう、まだ引っ張るなよ、全員一緒に見るから」
「久しぶりですねえ、パーティーゲーム」
 なぜか嬉々として松本が参加する。それにつられるように史浩が手を伸ばすと、びしっと涼介から責める視線が飛んだ。
「まあいいじゃないか、親睦だよ、こういうのも」
 そう言ってやると涼介は声を出さずにぶつぶつと唇を動かした。
「選べなくなりますよ、涼介さん」
 メガネをずり上げながら笑う男を睨み、渋々と涼介は手を出した。残った一本を啓介が摘み、おーさまだーれ、と笑い声で言ってぱっと棒を持った手を開いた。
「フジワラ、番号だったら自分だけ見て隠しとけ」
「うん、番号」
「俺、王様でっす!」
 楽しげに賢太が王冠マークを見せびらかした。
「どうしましょーか、啓介さん」
「そうだな、初心者もいることだし、定番でいっとけ」
「了解っす!」
 何が始まるのかとそわそわしている拓海の横で、涼介は憮然とコーヒーを口に運んでいる。
「一番が五番に熱いキッス! でお願いしまっす!」
「えっ!」
 軽く仰け反った拓海が、そういう遊びなのかと呟く。
「おまえなのか」
「ち、違います……」
 温度を下げたらしい涼介の視線を避けながら拓海は手の中の棒をじっと見つめている。助かった、と溜息を吐き史浩は手を上げた。
「五番だよ」
「それじゃ、失礼して」
 『1』と刻まれた棒を机に置き、賢太と啓介の前に体を割り込ませた松本がぬっと手を伸ばした。妙に物慣れた手付きで史浩の顎を捕まえた松本は、全く躊躇無く唇にキスをした。おおーと賢太が手を叩く。
「松本……」
 げっそりと史浩が呟くと松本は席に戻りながら、何か?と微笑んだ。
「挨拶レベルですよ」
「すげーな、おい」
 肩を揺らして笑う啓介が棒を回収し始める。
「お、俺、もういーです……」
「びびんなよ、フジワラ。もう一回だけやろーぜ」
 ノった手前、もういいだろうとは言えずに史浩は紅茶を口に運びながら助け舟を求めて涼介を見たが、ざまあみろとでも言いたげな冷たい視線が突き刺さっただけだった。
「ほい、引いた引いた」
「これで仕舞いだからな」
 やはり最後から二番目に手を出しながら涼介が言い、はいはいおーさまだあれ、と棒が離された。
「お! おーさま引いた!」
 ほれ、と啓介が王冠マークの書かれた棒を放り出した。
「作為を感じる……」
 目を細める涼介に、なんもしてねーよと啓介が腕組みをする。
「どーすっかなー」
 目を合わせない拓海を見ながら啓介はにやにやと頬を緩めた。
「ちょっと変則でやってみっかな!」
「普通でいい、普通で……」
 史浩の小声は黙殺され、啓介は高らかに宣言した。
「二番と四番が好みの女について熱く語り合う!」
 おげーと呻いたのはまたも史浩だった。
「面白そうですね」
 にこやかな松本を半目で眺め、まだマシな方かと史浩は肩を竦めた。
「二番、誰だよ」
 気を抜いてそう言った目の前、かちんと小さな音で『2』と端に印刷されたプラスチックの棒が放り投げられた。
「俺だ」
 一瞬店内の音が止まったように感じ、史浩は無意識に腹の上に手を置いた。ふん、と顎を上げた涼介が、ゆっくりと腕組みをした。
「女、か」
「やったー! 聞いてみたかったんすよ、涼介さんの武勇伝!」
 無邪気に喜ぶ賢太の横で啓介もにやにやと笑い、むっと押し黙る史浩の脇腹を肘で小突いた。
「始めろって」
「そう言われてもなあ……。俺は好きな女が好みになるってタイプだからな」
 弱弱しく言い、涼介の顔を見る。感情が有るのか無いのか、史浩でさえ判別のつかない冷ややかな黒い目が見返してくる。
「自分のことはわからないようだな、史浩。おまえの好みは、年上だ」
 飲みかけた紅茶を気管に引っ掛け、史浩は盛大に咳き込んだ。
「説教はするが、結局何でも言うことを聞いてくれそうな雰囲気の癒し系がど真ん中だ。そうだろ?」
「おげ、うっ、りょ、涼介……」
「気の強いとんがった女も結構好きみたいだが、長続きはしねえな」
「イイ好みっすね、史浩さん」
「う、うるさいケンタ!」
 ははっと笑って賢太は啓介の後ろに隠れる。
「涼介さんは? 史浩さんと被ったりしなかったんですか?」
 メガネの奥から興味深そうな視線を送られ、涼介は何度か意味無く頷いた。
「それはねえな」
「アニキはあれだな、純な感じが好みだよな」
 ゲームはどこへやら、楽しげに雑談に移行する啓介から史浩は視線を逸らせた。
「そうか?」
「そうだって。ほら、村野さん」
 ああ、と言って腕をほぐすと頬杖を突き、涼介は視線をテーブルの上に滑らせた。
「頭良かったよなー、あの人」
「涼介さんはユルイ子は駄目そうですよね」
 松本の言葉に啓介が頷く。
「高校の時に付き合ってた人、T女の生徒会長だったんだぜ」
 へえ、と賢太が目を見開き、拓海がちらりと涼介を見る。
「涼介さんってどこ高?」
「T高に決まってんだろ」
 ぼんやりと窓の外を見る涼介の代わりに啓介が返事をする。
「生徒会がきっかけで付き合いだしたんだよな。文化祭かなんかで向こうに行って、とかだったっけ」
「涼介さんは一目惚れタイプじゃないですか?」
「そうかもな」
 綺麗に笑み、涼介はコーヒーカップを持ち上げた。
 一々いいところを突く、と思いながら史浩は松本の視線を掬い上げた。わずか見合っただけで、彼はわかったと言うように背中を椅子に預けて会話から一歩身を引いた。
「あの人、東京行ってそれっきりだよな。元気にしてるんかな」
「たぶんな」
 涼介の横で拓海が顔を上げる。東京、という言葉の後だった。
「家に来るといっつも皿洗ってたよなー」
「おまえが食ってばかりいたからだろ」
「そういやあの頃、俺が食った手料理ってほとんど村野さんが作ったやつだったかも」
「甘えやがって」
「だってすげー良かったもん、あの人。そういや、振られた理由なんだったんだよ、アニキ」
「ふ、振られたんですか、涼介さんが!」
 頭のてっぺんから出したような声で賢太が言った。
「そうだ」
「相当の美人だったとか?」
「美人?」
 そうだったかな、と涼介は史浩を見つめてきた。
「俺に聞くな……」
 生々しい記憶がどっと史浩の頭を過ぎる。きっちりと編んだ髪、とても小さい手に似合わない頑固者で、安易に人に助けを求めることを嫌う子だった。真っ直ぐ涼介を見上げ、高橋くんなんて好みじゃないの、ときっぱり言う姿を史浩は十五回見た。
「美人っつーより、潔いっていうかそんな感じだったぜえ」
 遠くを見る目で啓介が言い、涼介は軽く頷く仕草をした。
「そうかもな」
「でも振られちゃったんでしょ?」
 賢太のあけすけな言葉に苦笑したのは涼介だけだった。
「そもそも俺が悪いんだ。卒業してあいつは東京の大学に行って遠距離になった。ただでさえ不安にさせていたっていうのに、断りきれなくて一度だけ違う女とデートをしたんだ。それを見られた。人を責めるということをしない子だったから黙って俺からの連絡を待っていたらしいが、色々と間が悪かった。それで、俺とのことを相談していた大学の友人ってやつといつの間にかデキちまったって訳だ」
 はあーありがちーと無責任な言葉を吐く賢太の横で、啓介がちぇーと唇を尖らせる。
「アニキ、あれから色んな女と付き合ってたみたいだけどさあ、俺、村野さんが良かったなあ」
「だったら探しに行けよ。俺は構わないぜ」
「違うって」
 ぶんぶん手を振る啓介は歯を見せてにやついている。
「義姉さんとして、さ。俺の好みじゃないってのも丁度いいだろ」
 む、と拓海が血圧を下げた様子でコーラのグラスを握る。啓介がそれを横目で見て、笑みを深くしたのを確かに史浩は見た。
「啓介さん」
 目立たぬように黙っていた松本が、抹茶金時パフェに長いスプーンを刺しながら穏やかな笑顔を向けた。
「人生はままならぬもの、なんですよ」
 なぜかとても深い沈黙がその場に満ちた。隣のテーブルまで会話を止めた。
「……そーね」
 素直に言って啓介はコーヒーをがぶっと飲んだ。
「だからこそ夢は美しい」
 ねえ、と笑顔を振り向ける松本に、だから俺に聞くなと史浩は額を押さえる。
「……啓介さんの好みのタイプは?」
 ぼそっと拓海が言った。ほっとしたような空気が場に流れ、会話はいよいよ雑談に流れていった。



「涼介」
 ゆっくりと車へと向かう友人の背に声をかけ、史浩は駆け足で追った。
「送れよ」
「ふん、自分の胃を心配しろ」
「何とでも言え」
 肩を竦めて隣に並ぶ。ファミリーレストランの駐車場は、入った時にはほぼ満車だったが、啓介のFDが騒がしく出て行きメカニック達がその後に続くともうハチロクと目の前の白い車以外には軽自動車が一台きりだった。涼介がポケットの中を手探ってFCの鍵を引っ張り出した時、数歩遅れて歩いていた拓海が二人に追いついた。
「涼介さん」
 常夜灯の下、妙な低音で言って涼介を見上る拓海の頬辺りが随分と赤くなっているのがよくわかった。何度か口を開け閉めした後、結局決定的な何かを言うことには失敗した様子で勝手に諦めの表情を作った拓海は小さな声を出した。
「あの、こないだ、バナナ……」
「は?」
「ああ、どうした」
 思わず声を出す史浩を振り返って目で黙らせ、涼介は拓海を見つめた。その途端に、音がしてもおかしくない程はっきりと拓海は耳まで赤くなった。
「バナナ……美味かったです……」
 これ、ありがとうございました、と紙包みを差し出して涼介に押し付けると拓海はくるっと背を向けた。突進するようにハチロクに駆けて行く姿をぼんやり目で追い、さて行くかと言いかけた史浩の胸にその薄く柔らかい紙包みとキーが押し付けられた。
「乗ってろ。五分で戻る」
 言い捨てて涼介はエンジンのかかる音に向かってやはり突進して行った。引き続きぼんやりと見ている史浩の前で涼介は無理やり運転席に乗り込み、その下で吊り上げられた魚のように拓海が暴れた。
「バレたらバレたで容赦ないな、あいつは……」
 回れ右でFCにキーを突っ込み、史浩は指示通りに大人しく待った。インパネの中で光るデジタル表示を見つめているときっかり五分で運転席のドアが開いた。
「いいのか、俺が乗ってて」
 半ば嫌味、半ば本気で聞いた。
「今から大学だ」
「お忙しいことで」
「おまえほどじゃない」
 ふっと笑い合い、セルが回される。アイドリングの間に一つクラクションを鳴らして黒白の車が先に走り去った。
「涼介」
「昔のことは言うなよ。今のことなら胃に穴が開くまで話してやる」
「……遠慮しておく」
「これだから病弱は」
「言ってろ」
 アクセルを踏み込む涼介の横顔はすっきりと前を向いていた。俺が見たいのはこの顔なんだろうな、そう胸の中で呟いて史浩もヘッドライトに照らされた黒い道を真っ直ぐに見詰めた。






Initial D TOP