尻尾の取れたロバ

 どうやら俺は可愛いものが好きらしい。しかも、かなり中途半端なものが。
 例えばあの幼児体型をした黄色い熊の友人で、人間の子供に尻尾をトンカチで付けてもらったり川流れをするロバがそれに当たる。
 年に一度は千葉所在の巨大遊園地に行くのが俺と啓介の習慣だ。啓介が中学校に上がった頃からそれは続いていて、大概史浩がくっ付いて来る。最近は賢太が参加するようになったので男四人で列車に乗ることが多い。こういう時は酒が入りがちだから車は使わない。
 啓介の強い希望で前日泊し、朝一番にゲートを潜ってパレードまで園内をうろつきもう一泊、というのが常だ。二十歳を過ぎた辺りで、この顔ぶれで遊園地というのは他人から見て気味が悪いのではないかと思ったこともあるが、意外と男ばかりのグループで遊びにきている連中は多い。そういう場所なのだろう。
 ある日、啓介が派手な包みを持って帰って来た。女と例の遊園地に行ったらしい。何を買ってきたんだと聞けば、俺への土産だと言う。開けて欲しそうにしているのでリボンを解いて包み紙を剥がすと、灰色のロバのぬいぐるみが出てきた。それ好きだろアニキ、と自慢げに言うのに驚いて誤魔化すのも忘れ、よくわかったなとじっとロバの顔を見た。だってバレバレだしと笑う啓介に詳細を聞き出したところ、確かにわかりやすいことを俺はしていたらしい。その年の春頃に例の遊園地に行った際、アトラクションのどこかで俺はこのロバの頭を撫でていたそうだ。完全に無意識の行動だ。他にいくらも撫でやすいものがあったようだが、俺はこのロバの置物の前でだけ足を止めて手を伸ばしたということだった。その悲しげな顔をしたロバのぬいぐるみは今でもクローゼットの中に置いてあり、たまに取り出して頭を撫でることにしている。

 そういう嗜好性のある人間は大抵一本道を進むことになる。わかりやすく言えば、気に入る人間が同じタイプばかりになるということだ。それもかなり頑固な有様で。
 史浩はロバの件は知らないはずだが、付き合いが長いだけに俺の嗜好に気が付いており、俺が気に入ったと自覚をする前にそいつを言い当てることがある。藤原などはその典型だ。藤原とバトルをする日取りを決めたと最初に伝えたのは啓介にだが、すぐに聞きつけてきてああでもあいつはレッドサンズには入らないんじゃないかと史浩はけろりと言った。何を言っているんだと問えば、バトルで負かしてから手元に置いて育てたいんだろうがと奴は更にけろりと言う。結果として負けたのは俺だが、意味的には史浩の言った通りになった。

 史浩が言い当てた人間をずらりと並べたならば、俺自身でさえ統一感の無さに首を傾げてしまうだろう。しかし、確かにその面々には共通するところがある。残念なことに、共通していると感じるだけで具体的に事例を挙げることはできない。それは史浩も同じだろう。ただ、ああこれだなという、直感があるだけだ。俺が可愛いものだと認定する何かが、その直感とイコールなのだろう。
 藤原に関してはあまりにも後悔が多すぎる。俺は豪快にやり方を間違えた。しかしどんなに熟考したとしても、正しいやり方には辿り着けなかっただろうとも思う。直感が行過ぎて、どこかの時点で動物的な渇望にすり替わったらしい。
 それまでに充分失敗しているにも関わらず、更なる失態を重ねて高崎のラブホテルに連れ込みセックスの真似事をさせた翌日、俺は絶望的な気持ちで眠っている藤原を抱いていた。
 一度起きてシャワーを浴び、もう少しだけと目を閉じてからしばらく、ふいに目が覚めた俺の腕の中で藤原は熟睡していた。頬を触っても髪を撫でても起きなかった。女のようだとは思わないが、曖昧さを残した体は柔らかく頬や額の感触もまた柔らかかった。濃い睫や鼻の付け根の窪み、緩い印象を与える肉厚の唇。そういったものを、成りきれていないという感想を持ちながら長々と観察している内に、堪らない衝動に襲われた。
 これは、可愛らしいものだ。傷つけてはいけないものだ。
 抱き潰したいほどに胸に迫り、髪を撫でながら匂いを感じていると指先が痙攣するように震えた。なんとかしてやらなければ。俺が、なんとかしてやらねばならない。
 その時不意に、兄ちゃん、と呼びながらぶつかってくる弟が脳裏を過ぎった。あれはすぐに泣いて怒って暴れる子供だった。面倒だと思いウザイとすら感じても、ぎゅっとしがみつかれると俺は弱くなる。どうにかしてくれと泣く弟を、どうにかしなければと抱きしめた、その、猛然とした思いがフラッシュバックのように喉をせり上がった。
 手に触れて良い肉体では無いとわかっていたのに、卑怯な真似をして中にまで入り込みこうやって腕に抱いている訳は、ただ俺がそうしたかったから、だ。そういう人間の前で警戒も無く安心しきって眠ることのできる藤原拓海という存在を、俺は、なんとかしてやらねばならない。だからこの先もずっと先も、俺の卑怯も欺瞞も消えることはない。
 きつく抱きすぎたせいか胸の中で藤原は何かを言った。耳を近づけると涼介さんと呼ぶ。起きるのかと待っていると、涼介さんもういいって、と笑ってからまたぐったりと体を預けてきた。何がもういいんだ、どこまで俺を入れる気なんだ、ああその胸を開いて心臓を見せてみろ、そこまで思ってから泣きたくなった。だから大して急ぐ必要も無かったが揺すり起こして家まで送った。藤原はいつものようにぽうっとした顔で瞬きしながら俺の車を見送っていた。


 ああだから今、藤原が顔を歪めて俺の前に立っているという状況がよく理解できない。俺の両腕を握ってベンチに座らせ、苦しげに歪んだ顔を俯けながら胸に額を当ててくる藤原に、俺は何を言えばいいのかわからない。あと三十分もすればゲームが始まるというのに、俺は俺のエースに何を言えばいいのかわからない。
 ワンボックスの背後、ベンチの上で藤原はきつく俺の背中を抱いた。髪を撫でてやると、くうっと喉を鳴らして腕の力を強めてくる。泣いているのだろうか。どうすればいい。どうして欲しいんだ。
 苦しんでいる藤原の肩越しに、史浩と松本が俺を見ていた。二人ともが同じ表情をしている。片手を上げて来るなと制した時、藤原の唇が喉に触れ、ゆらりと顔が上がった。
 こんな風に求められて何もやらない人間なぞいるものか。
 藤原が欲しがっているものを唇の上に置いてやる。舌先も与えて背中を掴み締める。
 再び俺の胸に額を潜らせた体の後ろで、松本が背を向けるのが見えた。史浩は激怒していた。俺はただやりたいように、わずかに震えている藤原の体を抱き、史浩はもういいとばかりに左右に手を払いながら戻って行った。

 あと、三十分。俺は俺のエースをどうにかしなければならない。  






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