遠雷

 悩みに悩んだ末に決まった道筋をなぞり、ラムザ達はゴルランドと王都を掠めるように進んでグローグ山を目指した。
 やがて行き着いたのは橋の落ちた川、広い川幅を大きく回り込み気がつくと、迂回するはずだったグローグの丘が見えてきた。一向はわずかに気落ちしながらパンを片手に地図を開き、経路を確認するとグローグ山脈の麓を目指すべく立ち上がった。
 同じように川を迂回してきたらしい一団と正面から遭遇したのはその時だった。
 ラムザ達には思惑などなく、降り始めた雨の中ただ目を逸らして通り過ぎようとした。しかし相手は違った。ラムザ達を追撃部隊と呼んでいきり立ったかと思えば、目ざとい者がローブに半分隠れた顔を認めて異端者だと声を上げ、その瞬間、二組の旅人は敵味方と成り果て互いに向かって剣を向けざるを得なくなった。

 戦いが決するまでには時間はかからなかった。
 南天騎士団からの脱走兵とおぼしき者達は突っ込んでくるばかりの稚拙な戦略しか展開できず、神殿騎士達との死闘を終えたラムザ達には未熟に過ぎた。
 やがて辺りが静まった頃、そこかしこに倒れ伏した動かない者達の間でアグリアスが最初に剣を鞘に収め、他の者も負傷一つ無いままそれぞれの武器を下ろす。
「ラムザ?」
 ジャッキーが槍を偽装しながら顔を上げて呼びかけた。だが、雨に濡れるままにぼんやりと一人、剣を抜き身で下げたままのラムザは動かない。アグリアスが一歩近寄ると、彼はわずかに表情を変えた。笑うように細められた視線は、足元の土を掴んで絶命している男に向けられている。
「僕には、力が無い」
 唐突にそう言ってラムザは笑みを深くする。
「無いんだ」
 もう一度アグリアスが名を呼んだが、ラムザは意味があるのか無いのか頭を左右に振った。
「異端者と呼ばれて狙われるほどの力なんて、僕には無い」
 ラムザの手の中で白く輝く刀身に粘りついた赤がゆっくりと色を薄めて滴り、赤茶けた土と同化していく。
「……父さん」
 呟くラムザの声にアグネスがぴくりと反応した。隣のムスタディオが空になった弾倉に弾をこめながらそれを窺う。
「父さんなら……どうしたんだろう……」
 皮肉に響いた声は、降り注ぐ雨の音が吸い取る。記憶に残る父の横顔が脳裏に弾けてラムザは暗い微笑みを唇に貼り付けた。ラムザにとって父は混沌の象徴だ。子供の目にも明らかに母を深くいとおしんだ一方で、「教育」の名目で母から子供達を取り上げ孤独を強いた男。何十万という兵士の命を救う和平工作を成功させた裏側で、たった二人の女が無言で繰り広げる戦いをどうにもできなかった男。それが人の弱さというものであるのなら、今の自分の弱さはまさしく父から受け継いだものなのだ。得体の知れないものどもに怯え、しかしその同じ震える手で力及ばぬ者達を斬り捨てる、矛盾に満ちた弱さ。
 悄然と甲冑を濡らし前髪から雨の雫を落とし、ラムザは押し黙って俯く。
 ちゃりちゃりと武器や装備の鳴る音が静まっていく。動かないラムザからわずかずつ距離をとり、しかし皆が彼を気にしていた。
「ラムザ」
 雨に紛れるように言うアグリアスに、透明な雫を垂らすばかりになった剣を握ったままの腕がぴくりと反応した。だがそれは、彼女の声のためではなかった。
「何か、来る」
 顔を上げたラムザの視線を追い、アグリアスはわずかに目を細める。霧をはらんだ雨で視界は悪く、丘の麓は銀色にけぶるばかりでまだ何も見えはしなかった。
「残党か」
 ラムザは左に首を傾げた。しばし目を閉じ何かを聞いていたが、ふっと顔を上げると剣の柄を握り直す。
「四人以上いる。チョコボも混じってるはずだ」
 その言葉に素早く丘を駆け上がるのはジャッキー、「五人、南の紋章」と手話が返って、下ろされていた武器が次々と上がった。
「散開……」
 低く唸るようにラムザが言い、ラッドとアグネスが左右に駆けムスタディオとラヴィアンがジャッキーの後を追う。そして一つ残った気配。
「どうしたの」
 背後に問えば即座に言葉が返った。
「ここがいい」
 笑うように言った人にまた曖昧に頭を振って、ラムザは前方に視線をやった。ゆっくりと丘を上がってくるのは騎兵が一騎と人影が四つ、青く染め抜いた軍衣と白いマントがけぶる空気の中にはっきりと浮かんだ。彼らもラムザ達を認めてふっと速度を落とす。
「どうする、ラムザ」
「できるなら逃げたいよ」
 わかった、と穏やかな声に鞘から剣を引き出す音が続いてラムザは一瞬目を閉じた。進むべき道の赤さが、まぶたの裏を焼くように思った刹那、
「待て!」
と大きな声が雨を割るように響いた。
「戦意は無い!」
 なに、とアグネスが警戒の色濃く呟く。
「おまえ達はここで待機しろ。俺一人で行く」
 朗々とした声はそういい置くと言葉通りに一人、正確には一騎で進み始めた。あっとジャッキーが小さく叫び、ラムザもその声を記憶の中から探り当てた。
「あなたは……」
「また会ったな!」
 彼の背にはためくマントを目に留め、ラムザは今更ながらに呟いた。
「黒獅子……」
「ああ。わかっていたんだろう?」
 オーランは気楽そうに言い、ぐるりと顔を巡らせた。
「君達が片付けてくれたのか」
 言いながら彼は高い場所に目をやった。そして何を思ったか一つ大きく手を振った。上の三人が狼狽するのを感じながら、ラムザはふっと笑った。
「噂は本当らしいね」
「それはもちろん良い噂だろ? で、あの子の名前は?」
「内緒」
 ふうん、と楽しげにオーランは言ってラムザを見下ろした。
「ともかく助かった。ベオルブが俺達に手を貸してくれるとは思わなかったけどね」
「……好きで戦った訳じゃない」
 翳る声にオーランは大きく肩を竦めて見せる。
「誰もがそうさ」
 さらりと返されてラムザは拗ねるような表情を上向けた。
「わかってる。君が戦いを好む質じゃないってことくらいはね。俺達だって好きで脱走兵を追っているんじゃない。軍の規模が大きくなればなるほど、規律というものも強く厳しくなるものなんだ」
「それでも僕には、彼らが命を失わなきゃならないほどの罪を犯したとは思えないよ」
 言いながら自分の手を見てラムザは唇を歪める。どの口がそんな台詞を、と言われたかった。
「そうだな」
 オーランは顔を仰向け、霞む中空を見つめた。
「だから、助かった、と言わせてもらったんだ」
「……」
「俺をずるい大人だと思うかい?」
 下りてくる視線を受け止め、ラムザは目を細めて頷いた。
「そういう君だからこそ、今、ここにいるんだな……」
 感慨深げな声を聞きながら、ラムザは目に入った水滴を瞬きで追い払う。潤んだ視界の中でオーランは笑っていた。
「……あなたは僕らのことを知っていたんだね。始めから?」
「手配書に君達の名前と似顔絵が載っていたってことくらいかな。一体何をしでかしたんだい、『第一級異端者』の諸君」
 わずかにラムザの周りの空気が強張った。それを上げた片手で押し止め、ラムザは自ら剣を鞘に戻した。
「僕を捕らえる?」
「どうしてそんな真似を俺がしなきゃならないんだ?」
 質問に質問を返されてラムザは眉間を寄せる。
「俺達の任務は脱走兵の始末だ。肉親に追われている気の毒な少年を捕らえている暇なんてないね」
「オーラン……」
「良い具合の雨だ!」
 男は腹から声を出す。
「この霧じゃあ、例えどんなに似顔絵に似ているお尋ね者に会ったって、そうそうわかりはしないだろうな! ちょっと晴れれば小銭がもうかったかもしれないのに残念なことだ」
「……ありがとう」
「なんだい? よく聞こえなかったね!」
 さあ、とオーランは手を広げて丘の西を指差した。
「雨が上がらない内に行きたまえ。後ろの奴らが君らの首を欲しがる前に、ね」
 ラムザは一つ頷き、背を向けかけた。だが泥水を踏んだ足は動かず、穏やかに問う声が流れる。
「なんだい?」
「あなたは……」
 握った拳に目を落とし、色を濃くした金髪が震える。
「あなたはそれほどに強いのに……なぜ、戦いを続けるんだ……」
 矛盾に満ちた問いにオーランは小さく何度か頷いた。
「人は結局は獣さ。誰かに剣を突きつけられているなら、同じ行為をせずにはいられない……続くよ、戦いは」
「じゃあ、ラーグ公が引けば……」
「ゴルターナ公も引くかって? 残念だが、それは考えない方がいい」
「そう……」
 全ては走り出してしまった。後戻りできないところまで。自分もこの人も、結局は『大きな流れ』に逆らえないのか。
 俯くラムザの脳裏に茶色い髪が散る。あの港町で、ひどく険悪に語り合った男の言葉が最も得がたい忠告だったと今になって気付くとは。
「ラムザ」
 オーランが静かにチョコボの首を巡らせる。
「君のせいじゃない」
 びくり、と頭を揺らしてラムザはオーランを睨むように強く見た。
「……そうだよ、僕のせいじゃない。誰のせいでもないんだ」
 形容しがたい目の色で見つめてくるオーランは、どこか傷ついているように見えた。おそらくは、自分も同じ顔をしているのだろう。
「お願いがあるんだ」
「ああ……」
「南天騎士団の将軍オルランドゥ伯に会う機会があるなら伝えて。ラーグ公とゴルターナ公を煽って『利』を得ようとする奴らがいるよ。僕らは奴らの手の中で踊っているにすぎないってね。倒すべき相手はそいつらなんだ」
 わずかに眉を顰め、オーランは雨にじれているらしいチョコボの首を叩く。
「なぜ、オルランドゥ伯なんだ」
「父が……友と呼べる人間は、彼だけだと……」
「そうか……」
 長く、オーランが息を吐いた。霧をはらませたそれは、凍ったように白く染まった錯覚を起こさせる。
「オルランドゥ伯は、俺の義父だよ」
 ふっと緊張を解いてラムザは黒い目を見上げた。
「そうだってね。モルボルに食べられた人が言ってたよ」
 背後のアグリアスが小さく笑う。
「私からもお願いしたい。あの方なら、我々の心情を越えて真実を見通して下さるはずです」
「どちらのお嬢さんか知らないが、美人の言うことには逆らえないね」
 いいよ、伝えておこうとオーランは視線を二人に投げる。
「信じてくれるの?」
「今更だよ」
 肩を上げ、しかしオーランは笑わなかった。そして緩く目を細める。
「奴らがなぜ聖石を集めようとしているのかは知らない」
 彼らしくなく潜めた声に、え、とラムザが棒立ちになる。
「オーラン……!」
「それが民のために役立つことなら俺も義父も口出しするつもりはない。だが、私欲のため、『利』のためだけに伝説を利用しようとしているのなら義父は黙っていないだろうね。雷神シドの名にかけて誅伐することを約束するだろう」
「知って……知っているの、教皇の陰謀を……!」
 一歩チョコボに近寄れば、大きな嘴が威嚇するように開く。よしよしと喉を撫でてオーランは手綱を引いた。そしてそうか、とひとりごちる。そうか、だから第一級、か。
「確証はまだないさ。内偵は進めているけどね……。君らの方が詳しいと思うよ」
「じゃあ」
 咳き込むようにラムザは声を上げる。
「証拠があれば、戦いは止みますか!」
「証拠? あるのか」
 片眉を上げるオーランの視線がラムザの手に止まる。その手は、腰のポーチにかかっていた。
「ここにゲルモニー、あ、」
「我々は証拠に限りなく近付いています」
 ラムザの声に被ってアグリアスがきっぱりとした声音を発した。同時に口を押さえたラムザは顔を背けた。そして急に自分の鼓動の速さに気付く。世界と、妹を、今自分は天秤にかけた。そして瞬時に判定は下ったのだ。
「近く、お見せできると我々は信じています」
 清冽に言い切った人の声にラムザはぎゅっと目を閉じた。
「……実に興味深いね」
 気付かなかったのか、彼一流の気遣いなのか、オーランは声色を元に戻して大きく頷いた。
「戦いの終わりは見えない。誰にもそれはわからない。でも陰謀が明らかになるなら、義父は必ず剣を引く。必ず、ね」
 遠く、オーランを呼ぶ声が飛んだ。それに手を上げ、騎乗の人はチョコボの足先を下り坂に向けた。
「お別れだ、ラムザ。……死ぬなよ? 君達の言う証拠、楽しみに待っているからな!」
 無残な気持ちでラムザは顔を上げた。その表情に何を思ったか、オーランは優しげな苦笑になっている。チョコボが待ちかねた様子で一足二足と進み、ラムザは悄然とそれを見送った。だが、嫌そうに鳥がいなないたのと同時に大声が響いた。
「きみは独りじゃない!」
 霧の中、立ち止まった騎獣の上で長い腕が高く上がっている。
「きみには仲間がいる。命を賭して戦ってくれる仲間がいる。僕もその仲間の一人だ!」
 顔を見合わせる騎士団員をものともせずそう言いきった男は、それで完全に背を向けて雨に溶け入るように消えて行った。

「変わった男だねえ」
 唖然とした様子のラムザの側に、水音を立ててアグネスが近寄ってくる。
「悪い気はしないけど」
 溜息混じりに言うアグネスに被ってラッドがふんと鼻を鳴らした。
「ま、そういうことだぜ、ラムザ」
「何」
 投げるように言いながら、ラムザは西へと顔を向ける。
「とにかく俺らはおまえと一緒にいる、ってことさ」
 からりと笑う男を見上げるように背を伸ばし、ラムザは小雨になりつつある天を仰いだ。空を覆い尽くしたかに見える黒く厚い雨雲の中に一点、淡く溶けるように、それでも確かに光が灯っている。
「わかってる、よ」
 そう返せば強い力で背中に手のひらが押し当てられた。
「進もう。行ける所まで」
 水分を含んで重たげに揺れる髪束を背中に跳ね飛ばすアグリアスは、染み付くような若葉色の視線を向けてくる。それに頷き、ラムザは赤い土を踏みにじるように歩き出した。
「行こう」
 天の光は滲みながら西へと広がろうとしている。
「行こう、フォボハムへ」
 ラムザはきっぱりと告げた。仲間へ、そして何よりも、この先何度も迷うだろう自分に向けて。
「よっし、行こうぜ!」
「うん、急ぎましょ。日暮れまでに乾いた寝床を見つけなきゃ」
「ちょっとみんな、はりきり過ぎて息切れしないでよ」
 誰もが大股で先へと進む。その最後を守って濡れた前髪をかき上げながら、ラムザは遠ざかる丘を振り返った。雨の終わりを報せるように、雷鳴が低く轟いている。長く響きわたるそれは、彼の人を乗せた騎獣の声に似ていた。
「……ありがとう、オーラン」
 もう一度丘を見上げ、そしていつものように左に傾きながら、ラムザは仲間達のあとを追った。






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