天使の所在

 ゼイレキレの滝を離れ、彼らは野営を持ちながらゆっくりと進んでいた。これは、ラヴィアンとアグリアスの傷を気遣ったオヴェリアの提案だった。二人はしきりに恐縮していたが、実際これからライオネル城まで王女の身分を隠しての道中、オヴェリアには野営に慣れてもらう必要があると、傭兵達はこの展開を歓迎した。
 3度目の野営の折、その夜の警備の順番を決めるため傭兵達がアリシアを含めて焚き火を囲んでいると、既に休んだと思っていたアグリアスが彼らの話を聞いてテントから顔をのぞかせた。
「私も警備に入れて欲しい」
「アグリアス様、無理はおやめに、」
 アリシアを片手で遮ってアグリアスはラムザの横に座った。石を取り除いた土の上に布を敷いただけの狭い座席では彼女と体をくっつけ合うしかなく、ラムザは少し落ち着かずにさっさと話を進めることにした。気分が悪いのではなく、アグリアスが思ったよりも女性的な体つきであるのに違和感があったからだった。座席の順に2人づつ組にして解散とし、ラムザは順番を待つ間に短い仮眠を取りにテントに潜ろうとした。ちらりと振り返った焚き火の脇に、ラムザと組むはずのアグリアスは数本の長剣を抱えて赤く印象的に立っていた。
 数時間の仮眠の後、ラッドとアグネスに起されてラムザはテントの外に出た。アグリアスは小枝を焚き火に放り込みながらぼんやり布の上に座っていた。磨き終わった長剣が無造作に横たわっている。
「眠らなかったんですね」
 ラムザの声にアグリアスはうっすらと笑って振り返る。
「怪我のおかげで、このところ横になってばかりだったから」
 アグリアスは立ち上がるとラムザに並んだ。彼女の方が少し背が高いのだとラムザはその時知った。
「少し辺りを周ってきます。アグリアスさんは火の番を」
 ラムザは妙な居心地の悪さを再び感じながら背を向け、林の中に入った。なぜか落ち着かない気分で、林に分け入ってしばらく歩くとラムザは手近の木に登る事にした。夜警の際には時折することだった。軽い体を利用して梢に登って辺りを眺めるのは少し良い気分だ。その夜は月が明るく、崖を背にしたテントやその側のアグリアスも梢から良く見えた。アグリアスはオヴェリアのテントを覗き、崖の縁まで歩いて底を見下ろし、枝を火に足したりと、真面目に夜警を務めているように見えた。その内に彼女は髪を結っている紐を解き、指で手早く梳くようにして顎を上げた。そして高い位置にいる人物を認めて一瞬緊張したように身構えたが、それがラムザと分ると降りて来い、というように手を動かした。表情は分らなかったがおそらく苦笑しているのだろう。
「変わった夜警をするな」
 火の側に戻るなり、予想通りに声を掛けられてラムザは肩を竦めて見せた。アグリアスの横に足を折り、
「悪くないですよ」
と薪を取ると火に放る。
「そうか」
 ぱちぱちとはぜる火の粉を二人で眺めた。話すことはあるが、互いに糸口を探っている。随分長い間そうして黙って火に当たった。そろそろ次の組に交替してもいい時間になっていた。
「どうでした?」
 とうとうラムザが折れた。アグリアスが無理やりに自分の隣に座った時から、彼女の目的は分っていた。
「オヴェリア様は『ご無事』でしたか? その事を話したいのでしょう」
 アグリアスは火を見つめたままだ。
「・・・どう聞けばいいのか。切り出しかねている」
「・・・もしかして僕に聞けって?」
 ラムザはややうんざりしてアグリアスを見た。彼女はふふ、と笑ってラムザを見返した。
「大丈夫だろうと思う。オヴェリア様はあの男に対して悪感情をもっておられない。随分と手荒に連れまわされたとはおっしゃっていたが、笑ってもおられた。オヴェリア様は外界の事をよくご存知ないから、今となってはあの誘拐も社会勉強かちょっとした冒険だ、とでも思っておられるのだろう」
「のんきなお姫様だな・・・」
 それも有り得るだろう。ラムザもアグリアスと同じように笑ってしまう。
「オヴェリア様に仔細を問うてくれとは言わない。ただ、もしも何か気がついたら私に教えて欲しい」
「分りました。それとなく注意しますよ。でも本当に僕は口を出しませんからね。露骨になってしまうから」
「それは充分承知している」
 アグリアスは笑って薪を幾つか火にくべた。ふと視線を月に投げると呟く。
「あの男。ディリータは何者なのだろうか」
 ラムザには一つの推論があったが、アグリアスには言わずにおくことにした。オヴェリアと共にライオネルに保護されれば、それは自然と知れるか、彼女達には関係のないことになるだろうから。
「・・・ガフガリオンとの一騎打ちを邪魔されましたね」
「それは、もういい。ガフガリオンは死んではいまい、おそらくまた会うだろう。今も我々を追尾していると思う」
「・・・そうですね」
 父を思うようにガフガリオンの下品な声を思い出しながらラムザは月を目に映す。暫しの沈黙の後、アグリアスは生真面目な声でとんでもないことを言い出した。
「ディリータは君の、特別な相手だったのか?」
 その、上品と慇懃の間の言い回しに、ラムザは一瞬意味を捉え損ねて言葉なくアグリアスを見つめた。
「君を見る時だけ、ディリータは僅かに視線を逸らしていた。君は少しだけ嬉しそうでとても怯えていた。そしてガフガリオンは不機嫌で、アグネスは無意味なほど怒っていた」
 返答を求めない口調でアグリアスは言い、ラムザは沈黙した。ざわざわと林が鳴って、月に雲が掛かっては流れて行くのを二人して顔を仰向け、じっと眺めた。
「こういうのはフェアじゃないな」
 アグリアスがそっと呟く。その顔ははぜる火を照り返し、橙色の石で作った彫像のようだった。
「私のかつての恋人は、私に嘘を言い置いて知らない場所に行ってしまった」
 自嘲的な笑みを唇に載せ、アグリアスは膝を抱えた。珍しく背を丸めたその姿は小さく見えた。
「もしももう一度会えたのならば、私は君と同じように少し嬉しく同時に怯え、きっとあの人も私を直視できないだろうと思う・・・死んだ者をどう思っても仕方のないことだが」
 アグリアスは長剣を拾って立ち上がった。見上げるラムザに向けて、穏やかに唇を緩めた。
「かつて心を許した者と対立するのは辛いだろうと思う。私に出来ることがあったら言ってくれ。そして、気に障ったのならば許して欲しい」
 ジャッキーとアリシアを起こす、と言い置いてアグリアスはテントにつま先を向けた。土を踏む微かな湿った音を聞きながらラムザはふっと溜息をついた。
 彼女は危険だ。
 初めてはっきりと頭の中で言葉になる。
 アグリアスは危険だ。見抜く。一番深い、真っ暗な場所でさえ。
「・・・取り込むか排除するか。どちらかしかないね・・・」
 溜息と共に呟く言葉は林の上を行く風に紛れて消えた。



 山をかすめるように迂回して進むこと2日、ようやく城塞の都市ザランダの郊外にたどり着いた。丁度ラムザらが何度か利用したことのある安宿街で日が傾き、彼らは久しぶりに宿を求めることとなった。王女が困らない程度に酷すぎず、しかし充分にひなびた宿を選び、そこに入る時からオヴェリアとアグリアスはローブを深く被って顔を隠した。残りの者も念のために互いに名を呼び合わないように申し合わせた。宿の親父は胡散臭そうに彼らを見たが、彼らの素性よりも金を払えるかどうかに興味があるようで、ラムザがアグリアスから預かった銀貨を示すと満足げに頷き、前金として数枚を要求した。
 2部屋を修道院一行と傭兵達とに分けて荷物を降ろすと、夕食までのしばらくの時間を利用してラムザは装備類を床に広げ始めた。それらの大部分は、本来はガフガリオンの所有だ。彼が抜けたことでラムザらのものとなったが、ガーシュインもいない今、余分な物は単なる重りでしかない。他の者も寄って来たので4人で選り分けてはまた併せ、と繰り返した。つまりは彼らには価値や用途が分からないものが多すぎるということで、誰が言うともなくアグリアスに相談することになってアグネスが彼女を呼びに行った。
 戻って来たアグネスはアグリアスだけではなくオヴェリアも連れていた。王女はただ歩き続けるだけ(しかも彼女はチョコボに乗っているだけ)の旅に飽いていたようで、装備を一つ一つ手に取っては眺め、引っくり返してはまた眺めている。アグリアスは苦笑しながら丁寧に用途を説明してやり、それは思った以上に有益でラムザらも大人しく聞いた。
 アグリアスは手を出そうとするオヴェリアをやんわり叱りながら、武器もてきぱきと分けた。50年戦争のごく末期に参戦した経験があるとのこと、彼女は大方の物品を、残す物、売る物、買い換える物とに分類したが、やはり彼女にも価値の分からないものが幾つかあった。特に装飾品についてはアグリアスは皆目見当がつかないようで、オヴェリアは残ったリングや腕輪を両手につけてくすくすと笑った。
「可笑しいわ、アグリアス。こんなに綺麗なのにどうして興味が無いの?」
「・・・装飾品の多くは魔術に関わるものですから」
「あなただってしてるじゃない。それはどういう腕輪なの?」
 オヴェリアはアグリアスの左手を指差した。アグリアスは忌憚無く腕輪を外し、オヴェリアにはめてやる。白金の地金に透明な石が幾つか埋め込まれた派手ではない造りの腕輪だった。ダイヤモンドなのね、きらきらしているわ、とオヴェリアは珍しそうに顔の前にかざした。彼女の無邪気な仕草に小さく笑いながら、高価な宝石の姿を当たり前に知っているのは王女らしいな、とラムザは思った。しかし、彼女自身の身を飾るものといえば甘い赤みのある金髪に映える夕日色のリボンだけだ。質素な生活を義務付けられた修道院は王女といえども目こぼしはなかったようだ。
「これはダイヤの腕輪といって魔道、武力ともに補佐するものだと聞いております。初陣の折に父が贈ってくれました」
「そう、大事な物なのね。・・・オークス侯爵、お元気かしら。随分長く会っていないわ」
 オヴェリアは腕輪を丁寧にアグリアスの手首にはめ返し、少し寂しげな顔になった。
「お身内の方にもお久しいですね・・・もうしばらくのご辛抱ですよ」
 大丈夫よ、と笑ってオヴェリアは残る装飾品も外していったが、リングの一つを手の平で転がし、次に日に透かして見て、あ、と言った。
「面白いわ、青い海の中を鳥が泳いでいるみたい」
 綺麗よ、と言ってラムザに渡す。同じようにして透かして見ると確かに、群青の石の真中に翼のような文様が浮かんでいる。皆が次々と覗き、アグリアスも興味深そうにしている。
「これ、天使のリングよ!」
 ジャッキーがリングを覗き込んですぐ、驚いた声を出した。
「戦士斡旋所に出入りしていた頃、同じものを見せてもらったことがあるわ。小隊を任されていた元北天騎士団の騎士だったの。50年戦争での何かのご褒美に上官からもらったって言ってた。絶命傷を負ったらリレイズがかかるんですって。」
 さすがガフガリオンの持ち物だと皆が感心する中、オヴェリアは無邪気にそのリングを指にはめ、綺麗だわ、とにこにこ笑っている。4人の傭兵は顔を見合わせ、一様に頷き合った。
「オヴェリア様、そのままお持ちになっていて下さい」
 ラムザの言葉に、え、とオヴェリアとアグリアスが同時に言った。
「僕達にはフェニックスの尾がありますから」
「しかしラムザ殿、これは中々に価値のあるもの、」
「だから取り合いになっちゃうじゃない。オヴェリア様に持ってて頂く方がいいわ」
 ジャッキーが笑って言った。
「あまり考えたくはないけれど、今後オヴェリア様を巻き込んで戦うことがあるかもしれない。そんな時、そのリングをお持ちならば僕らも少しは余裕が出来ます」
 アグリアスはラムザの顔を見ながら少し思案したが結局頷いた。オヴェリアも納得したように微笑む。
「それじゃあしばらくの間お借りするわね。皆、ありがとう」
 まるで何かの記念に贈られた高価なプレゼントを喜ぶように、彼女は嬉しそうに天使のリングを見つめている。
 まだ王女ではなく、ただのお姫さまなんだな。
 ラムザは思った。これではディリータも手を出せないだろうと別の意味でも苦笑が漏れる。
 こんなオヴェリア姫と過ごした生活はきっと、アルマにとっても心安らかな日々だっただろう。自分がベオルブで経験した日々よりは必ず、ましだ。
 オヴェリアがラムザの視線に気付いてふっくりと笑って見返してくる。
 今頃妹はあの冷たい石の屋敷で死んだティータや行方知らずの自分を思って泣いているのかもしれない。やりきれない後悔は常に波のようにラムザの魂を洗い続けているが、オヴェリアのそれこそ羽が舞うような笑顔は冷えた心を少しばかり慰めた。

 分類しきれずに残った物品は信用できそうな店で価値を確かめることにし、彼らは沈みかけた夕日を見ながら立ち上がって食堂に向かった。






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