ガフガリオンの元にダイスダーグからの勅使がやって来たのは、ゼイレキレの滝での失敗から半月ほど経ってのことだった。ダイスダーグには逐一居場所を報告し、ガフガリオンは付かず離れずオヴェリアを追いながら、自身の傷を癒やしていた。その勅使は伝令ではなくガフガリオンの連行を言い使っていたため、彼は有無を言わさずザランダの郊外の森で引っ立てられた。
こりゃ、ちょっとしたお仕置きでは済まねえかもしれンな、と若干辞世の心持ちで大人しくチョコボで運ばれた先はイグーロス城だった。簡単だったがまともな部屋を与えられ、服装を正して執務室に来いとの伝令。ガフガリオンは自分や誰かの血がうんと染みこんだなじみの甲冑で扉を叩いた。戦場で死ねないのならせめてこいつを着ておっ死にたいと真面目に考えた末の格好だった。
「まったく、貴公はいつでもその姿だな」
思わぬ穏やかさで迎えるダイスダーグに、ガフガリオンは心の中で唾を吐く。それをやらずに奴の顔は見られない。
「これが俺の最高の礼装なンでな」
「その心意気を好意に受けてやろう」
低く笑ってダイスダーグは酒のグラスをガフガリオンに滑られた。毒杯でもなんでも飲んでやる、とガフガリオンは一気にあおった。
「しつこくオヴェリアを追っているようだな、その調子で頼む」
「なら呼び出さずに置いてもらえるとありがたいもンだがな」
「懸念は無用、貴公の代わりに監視をつけてある。なんとしもオヴェリアを捕らえてもらわねばならないからな。もちろん同行のアグリアスらも同様に、その場での処分を頼みたい」
「ラムザも殺すのか?」
くく、と笑ってダイスダーグは席を立つ。ゆっくり回ってガフガリオンの杯にまた酒を満たすと自分の物にも注いだ。
「ベオルブの名を汚すばかりか邪魔をするような者は要らぬな」
杯を唇に運び、一つ息を吐いてダイスダーグはじっとガフガリオンを見た。
「現実の厳しさを知る良い機会と思って貴公に任せたが、どうやら貴公が教育するには愚か過ぎたようだな。愚弟と笑え」
「正義感だけは強い馬鹿だがな、親父譲りか?」
「あれの母親の面影を追っていたのだろうが、父上は甘やかし過ぎた・・・。この先従えばよし、さもなければその時はやむを得ない」
杯を空けながらダイスダーグは首に一文字に指を走らせる。
「実の兄とは思えン台詞だな。胸クソが悪くなるぜ」
ガフガリオンも杯を空ける。ダイスダーグはただ笑うだけ、黙って酒の器をガフガリオンに滑らせた。受け取り、杯に注いでまた一気に流し込み息をつく。
「ライオネルの異端者狩りが邪魔をしたらどうする? 教会が後ろ盾につけば、あんたの親方でもうかつには手出しは出来ンぞ」
「それには手を打ってある。貴公が心配する事ではない」
「準備は万端ってか。つくづく恐ろしい男だな、あんたは」
「そう思うなら少しは言葉を慎むのだな。貴公の首を落とすくらい、なんの造作もない。それくらい分っておるのだろう?」
「はは、よしてくれよ、俺が忠実なシモベだって事、知っているだろうが。あの聖騎士の姐さんのようには頭は堅くねえ、それを忘れないでいてもらいたいもンだな」
二人分の乾いた笑いが部屋に流れる。
「ならばこれ以上の失策は踏まぬことだな」
「問題はそこだな」
ガフガリオンは声を低くする。
「あの若造はどこのどいつだ? 俺の部下を殺しやがった上、オヴェリアをラムザ達に任せやがった。それ以外にもドーターで襲われたンだぜ? ありゃどういうことだよ」
「私が命じた実行犯達は、オーボンヌの近くの林で死体で見つかった」
おい、と言うガフガリオンを目線で制してダイスダーグは唇をゆがめた。
「何者かが我々の計画を嗅ぎ付け、邪魔をしている」
ガフガリオンはダイスダーグの目に嘘が無いかを見極めようとして、すぐに諦めた。この男には真実ってものがはなっからないンだったな。
「いずれにせよ、アグリアス達がゆるく守っている今がオヴェリアを奪う良い機会だ」
「そう願いたいもンだがな」
「任せたぞ、貴公の腕一つが頼りだ」
その腹で自分の首を何時落とすかを見計らっている事をガフガリオンは知っている。今回の橋はヤバイと、この計画を報された時にガフガリオンははっきり悟ったが、結局ここまで乗ってきた。同じ殺すなら、俺の手でやった方がラムザも浮かばれるだろうと思ったからだ。
「ああ、任せとけ」
短く言ってガフガリオンは席を立った。すぐに此処を発ちたいと申し置いて部屋を出た。そうだ、一秒たりともこんな胸クソ悪い場所にはいたくない。
言葉の通り、その足で荷物を取り上げるとガフガリオンは自分のチョコボを駆って城門を出た。外は既に暗く、どこに行くにも中途半端だったがそれも自分には相応しいと思った。
適当に走りたいだけチョコボを走らせ、水場を求めるまま川側で下りる。木に繋いで簡単なテントを張って火を熾し、昨日狩った兎の肉を炙った。こうして一人で行動するのは久ぶりだと火を見つめる。夜の鳥が低く高く鳴き、梢がざわざわと風を知らせるこんな晩は嫌いじゃない。
去り際、ダイスダーグが良さそうな者達をバリアスの丘近くに待たせておくと言っていた。明日には合流できるだろうか。腕の良い者達なら助かる。自分はかつての部下達を葬るために追っているのだから、他を任せられるだけの力のある者が欲しい。アグリアスは任せるに惜しいが、多分あの女は生き残る。ラムザ達の息の根を止めてから、ゆっくり殺して溜飲を下げようじゃないか。
焼けた肉にかぶりつきながらガフガリオンは荷物を探って強い酒を取り出した。今更、と苦笑交じりに酒瓶を眺める。これを無理やり飲ませてラムザを寝かしつけた事を急に思い出したからだった。
あの晩、他の部下達は皆別々の場所を張っていた。少々厄介なからくり屋敷を落とさねばならず、何日か様子見を余儀なくされた。ガフガリオンが最初に突っ込み、ラムザが伝令に立って残る者が一斉に攻勢をかける手筈になっていたが、その夜も機会を逃した。ガフガリオンは木立の間を掘って布を広げた簡単な寝床にあぐらをかいて、もう寝ろ、とラムザを振り返った。そして自分でも珍しいと思うくらいには驚いた。
ラムザは小さく焚いた火の向こうで真っ青な顔色をしていた。全身を震わせて、涙を流してしかし、声も無く泣いていた。どうした、と声を掛けても首を振るばかり、そういえば昼間矢を射掛けられて腕に傷を負っていた、毒でも塗ってあったかと、少しばかり慌ててラムザの両手を取った。
「ガフガリオン」
ラムザは消え入るような小声で囁いた。
「しっかりしろ、どンな具合だ、寒いのか、熱いのか、痺れるのか?」
「死にそうなんだ」
「それじゃ分からねえ、しゃんとしろ!」
「死にそうなんだよ、助けて」
「ああ、助けてやるから傷を見せてみろ」
乱暴に包帯を解くが、傷に変わった様子は無い。毒矢は大抵傷を変色させる。
これは思ったより厄介か、と思った途端にラムザが力一杯抱きついてきた。ガフガリオンは、「ぶったまげた」。二人してひっくり返ってそれでもラムザは体の上から退かない。必死で縋ってぶるぶる震えている。もちろん、それだけでは50を超えた傭兵の度肝は抜けない。ラムザの体は、はっきり分るくらいには欲情していたのだ。
「なっ、なっ、なっ」
ガフガリオンは二の句を継げず、さりとてそれでは頂こうか、とも到底思えず、傭兵生活の中でも一、二を争うこの異常事態に狼狽した。
「なンだっ! なンだってんだ! オイ、説明しろ!!」
そう言えただけでも自分を褒めてやらねばならないだろう。なんとかの馬鹿力という奴なのか、とても空しい格闘の末、ガフガリオンはラムザを引き剥がす事に成功した。うつ伏せにして両手を背中に固定し、やれやれとラムザを覗くとまだべそをかいている。
「どうしたっていうンだ、こんなじいさんにトチ狂ってんじゃねえよ!」
「お願い、助けて」
ラムザはか細く泣くだけだ。
「ラムザ、落ちついて座ると約束するなら離してやる、そうでなきゃ、このままスマキにして朝までほっとくからな」
座る、離して、と泣き声が答え、ガフガリオンは鼻息も荒くラムザを引き起こし、ばちん、と平手をやって座らせた。
「馬鹿やろう、ちゃんと話せ、さもなきゃこれを限りに放り出すぞ」
ラムザは泥だらけの顔を上げてガフガリオンを見、行くとこないよ、と言って泣く。
「はあああああ」
こんな溜息は何年ぶりだろう。ガフガリオンは頭を抱えてしばし悶絶した。
「ごめん、ガフガリオン、でも、どうしようもないんだ、僕は淫売だから」
しゃくり上げながらラムザが言った。年の割りには大人びたもの言いをするくせにこんなに無防備に泣く姿に呆れ、また「淫売」という言葉に呆れた。
「淫売なんだ、だから時々どうしようもなくなって。そういう時には街に行って誰かに遊んでもらってたんだけど、こんな時にこんな事になってごめん」
「おまえが淫売なら女は皆娼婦だよ」
子供は大げさに言うものだ、たかを括ったガフガリオンは次の言葉に絶句した。
「違うよ、僕は兄さんもおかしくするんだから、ホンモノの淫売なんだ」
沈黙が流れた。時折ラムザが洟をすする音が酷く悲しく響く。
「兄さんに、何かされたのか?」
「家に居る時は毎晩してた」
「してたって・・・」
あの、ダイスダーグか? それとも二番目の方か?
「いつもじゃないけど・・・兄さんは家長で忙しかったから」
「無理やりだろう?」
「好きですると思う? でも、どうだろ、僕、とても気持ち良かった」
「おまえは悪くねえよ」
「僕がヘンだから、あんなことになっちゃったんだよ」
ラムザは少し落ち着いてきたようだった。それとは逆にガフガリオンは脳みそが沸騰するのをなんとか堪えようと躍起になっていた。奴は本物の獣だったと、今知った。
「おまえは悪くねえ・・・!」
吐き捨てるガフガリオンをラムザはきょとんとして見上げた。どう言ってもこいつには理解できないのだろうと、ガフガリオンは本能的に悟っていた。無駄に長く生きてきた訳じゃない、どれだけまともに見えても狂っている奴はそこら中に溢れてる。ラムザも自分もそういった者の一人だ。言葉なんて通じる訳もない。ただ、通じなくとも、何かを言ってやれる者は限られる。だから俺は言いたいように言うだけだ。
「おまえは悪くない、決しておまえのせいじゃない。その意味を知ることはなくてもいい、俺がそう言ったってことは覚えておけよ」
「僕? 僕は、いいんだよ」
ラムザはいっそ無邪気にガフガリオンを見つめた。とうの昔に忘れたはずの、傷つく、という感情が不意に沸き起こりそうになって、ガフガリオンは急いで話を変えた。
「他に相手はいなかったのか?」
ラムザはやはり泥だらけの指先にふっと視線を落とした。ディリータ、と小さな声が聞こえた。ン? と聞き返すと首を振る。誰も、いない、もう、いない。また泣き声になっている。ガフガリオンはしばらくラムザを好きに泣かせ、そして例の酒を持ち出した。こんな仕事の最中にこんな酒を持ち歩く自分が好きだが、今夜は殊に大好きだ。嫌がるラムザに無理やりに飲ませ、目を回させると布に包んでさっき掘った木の根元に転がした。
次の朝にはラムザはすっかりまともになって、夕べのことなど何も覚えていないかのようだった。それは、却って彼の病巣の深さをガフガリオンに知らせ、その後も気になり続けた。ラムザの背に残る無数の傷と同じように、あの夜の出来事はガフガリオンの脳裏に消えない痕をつけた。
ラムザに纏わる思い出は余りに強烈で、どれもダイスダーグに繋がっている。それは正確にはダイスダーグだけの責任ではないことも、今のガフガリオンは知っている。ベオルブ、という怪物が、その名を持つ者に必ず纏わりつき、その人生を蝕むのだ。
小さなキャップに酒を注ぎ、ほんの一口だけ喉に流す。その熱さが消えない内に、ガフガリオンはテントに潜り込むと目を閉じた。いつもの呪文を頭の中で唱える。
明日は明日のことさ。誰にとっても朝日が昇るまでは昨日なンだ。そうやって昨日ばかりが増えていき、いつか思い出さなくなるもンさ。
それでも、あの夜のラムザの泣き声を忘れることはないだろうと、ガフガリオンは心のどこかで知っている。
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