春の匂い 2

 両手を拘束したまま、ラムザはアグリアスに顔を寄せた。彼女は肯定も否定もせず、目を開けたままだった。そして、口付けをされている事に気が付くと慌てて目を閉じた。

 あまりにも容易い。

 拒否されることを半ば期待していたラムザの喉が引き攣れる。歯列を割りながら片手を放して首を触っても、アグリアスはぴくりとも反応しなかった。一気に背中に汗をかいて、ラムザは確かに怯えた。
 ラムザの不安はアグリアスそのものが煽る。思った以上に薄い体が。鍛えられてはいるが、余計な脂肪が一切殺ぎ落とされている所為でむしろ華奢と言っていい。抱き込めば、はめ込まれたようにラムザの胸に納まった。
 何か、いたたまれない思いに襲われてラムザは腕に力を込めた。自分と同じベルトを外そうと手をやると、アグリアスはやっと拒むように腕を触り、ラムザは真剣に安堵した。冗談だよ、と口を開きかけた時、
「自分でする」
 アグリアスはそう言った。
 被さっているラムザを少し押して身を起こし、妙に不器用な手つきでベルトを外し上着を脱ぐ。その姿をラムザはしばし眺めた。なぜか、現実感が薄れて視界が揺れる。
 まだ嘘にしようと思えば出来た、しかしラムザは苛立ちと不安と、薄れている感覚にうろつく指先を自分の服に掛けた。

 厚い皮の上着とズボンを脱げば後はほとんど下着のようなもの、肌と布の間を抜けるように風が通り、その風は甘く薫った。平和でほのかに甘い香りは春の日差しの匂いかもしれない。ラムザはぼんやりと地平を見た。陽炎がたゆたう地平は目眩のように揺れ、体が浮き沈むように感じて目を細める。
 その奇妙な浮遊感の中、やはり幻のような柔い感触で頬をくすぐられ、ラムザは鈍い動きでそちらに顔を向けた。視界に入ったのは、困ったような顔のアグリアスだった。長い髪がラムザに纏いつくようにして風に遊んでいる。
 草の音は風の強弱に合わせて彩りを変える。その風は、アグリアスの髪を刹那に跳ね上げては押さえつけた。同じく揺れている一枚残った彼女のシャツは薄く、乳房が透けて見えていた。そんな格好にも関わらず、作業は済んだ、とでも言いたげな生真面目さでアグリアスはラムザを見つめていた。
 最もはかなく、今にも消えそうな存在が目の前にあった。
 ラムザはゆっくりと手を伸べ、実体であることを確かめるようにゆるりと肩を撫でた。アグリアスは安心したように微笑み、逆にラムザは沸き起こる焦燥に必要以上に強く、ほとんど拘束するようにアグリアスを抱き留めた。やはり彼女は動かない。今度は口付けに目も閉じようとしないから、ラムザが代りに目を閉じた。その自分で作り出した暗闇にラムザは恐怖に似たものを感じ、きつくアグリアスに縋る。
 体重が掛かった途端、二人はあっさりと草の上に倒れた。



 耳を噛むと、アグリアスは小さく息を吐いた。窺えば、アグリアスの開いた目はラムザから逸れて天に向いている。そっと肩に置かれた手は微かに震え、アグリアスはラムザに全てを任せて静寂だった。

 殺してしまうかもしれない。

 そう、ラムザは思った。欲情を通り越してしまう程にアグリアスは無力に見えた。それは、見知らぬ女のようであり、求め尽くした女のようでもあった。恐れにおののく程にアグリアスは無力だった。

「知らないよ?」
 アグリアスの視線がラムザを掠める。
「知らないよ、僕は、知らないからね」
 シャツをはだけて乳房に唇を寄せながら、ラムザは無機質に繰り返す。
「構わない」
 どう理解したものか、アグリアスはそう言って微笑みラムザの頬を撫でた。
 瞬間、稲妻に触れたようにラムザは仰け反り、乱暴にアグリアスの両手を掴んだ。が、掴んだものの戸惑ってすぐに放してしまった。放した手は、無抵抗を現す仕草のようにアグリアスの頭の両脇に力無く落ち、その、アグリアスには有り得ない様子がラムザにある疑問を叩き付けた。

 どうすれば良かっただろう?

 全裸の女を眼下に、ラムザは呆気に取られた。まともな性行為を思い出そうとする、が、出来ない。
 
 どうすれば、良かった?
 
 覚えているのはあまりにも凶暴なものだ。それは、兄の庇護下にあった頃に捕虜となって経験し、その後の荒い傭兵生活の中で実践するようになったもの。何の躊躇もなく年端のいかない少女を犯した事もあった、どうすれば女の体が裂けるのかも知った、どうすれば最大限の痛みと共に快楽を与えられるか、それがどれほどの屈辱を呼ぶか、自分の体でラムザは知っていた。
 自分は傷つけずに女を抱けない。それだけで、別に何も困らない、そのはずだったのに。
 
 どうすれば。

 すでにはっきりと「恐怖」を感じていた。闇雲に肌を辿り、舌を突き出してもそれが正しいとはとても思えない。

 どうすれば。

 辛うじて、性急に進めているのだとは自覚出来た。アグリアスは不思議そうにすら見える表情だった。しかしラムザは焦燥と恐慌に囲まれ、力を抜いて、と吐き捨てると一気にアグリアスに自身を沈めた。
 快楽は無く、急きたてられるままに動けば、ラムザの下でアグリアスが微かにうめく。言葉にはしないが、全身が痛みに震えているのがラムザに伝わり、その度に、力を抜いて、と無駄な囁きを繰り返す。
 力を抜いて、力を抜いて。
 滑稽だと思った。しかし、それ以外に何を言っていいのかすら分からない。アグリアスは強く目を閉じ、声が届くと一瞬柔らかく脱力するものの、ラムザが動く分だけ締め付ける。彼女の意識は曖昧だが、きつく固まった指がシャツを纏ったままの背にしっかりと食い込んでいる。
 どうなってしまったのだろう。
 しかし、結合部を覗く事がどうしても出来無い。恐怖と浮遊の狭間でラムザは荒く息を吐き捨て、アグリアスの唇に噛み付いた。硬直している舌を舐めると、微かにアグリアスは目を開けた。

「ラムザ」

 くっきりと名を呼んだ。鮮やかな音だった。死んでしまうのかもしれないと、絶望を感じてラムザはアグリアスの背をしなるまでに強く抱く。顔を覗き込めば透明な碧は濃い影を落とした瞼がすぐに隠し、ただ名だけが零れた。

「ラムザ」

 汗の浮いた彫像の貌、苦痛と寛容。
 食い破るように首筋を吸い、叫び散らしたい狂気を殺し、縋る腕に逆に縋ってラムザは溺れるように落ちた。





 傾いた陽の陰に照らされながら、アグリアスが草の上にぽとりと落ちている。
 ラムザにやや背を向け乱された髪もそのままに、彼女はじっと何かに耐えているようだった。同じ草の上に座ったラムザは、感慨もなく戒めのようにアグリアスを目に映していた。

 泣き喚かせながら喘がせたい女だと、初めて会った時に確かに思った。ガフガリオンにやるのは惜しいから、アルマのお守りをしてくれていたことをだしにして、やんわり守ってやった。いつか、自分が引き裂いてやる、そのために。
 超然として現実味に欠け、感情が薄い印象を持ったからだろう、そういう女でしかも美しければ尚のこと、引き裂く瞬間の悦びを思って真っ黒な感情に浸った事がラムザには何度もあった。
 だが、アグリアスは予想以上に鋭敏だった。鬱屈したラムザの感情の束に、アグリアスは共感を持って容易に触れた。本来は激しいはずの性質も欲望も、大儀のためにひたすら押し殺して生きるアグリアスの目には、ラムザの汚濁した感情はむしろ同朋として映ったのかもしれない。そうやってラムザの内面に自ら触れるくせに、時に怯えもするアグリアスは、ある種の欲情に囚われているようにラムザには見えた。戦いの最中に見る不必要に過激な彼女の姿にその内情を想像し、ラムザもまた興奮した。
 そのあさましい欲望が「執着」にすり替わっていた事を、抱き終わってからラムザは思い知った。抱く、という行為に魔力などは無いとラムザは信じているが、抱かなければ良かったと思うこの気持ちに説明はつけられない。この執着、誰にも触れられない場所に隠したい、いっそ手に掛けてしまいたい、この思いを恋と呼ぶつもりは無い。しかし、抱かなければ良かったと、繰り返す後悔のざわめきを頭から追い出しもせず、自分への懲罰としての姿をラムザはじっと見つめた。ぼんやりと、アグリアスの背中の綺麗な曲線を見つめた。

 剥ぎ取ったアグリアスのシャツが渡る風にはためき、反射的にラムザはそれを手に取った。アグリアスは全裸のまま冷え始めた風に曝されている。さすがにそれは目に辛く、シャツを手にしてラムザは草の上を這い、それを認めた。
 黄色の陽の光は厚い雲に遮られて青味を帯び、草波もラムザもアグリアスも奇妙に色を失って作り物のようだった。そこに、一筋だけ鮮やかな色がある。

 赤い、血。

 それは、宣言するようにアグリアスの内腿に垂れている。

 おまえが、やったんだよ。

 何かがそう耳元で囁き、ラムザは四つ這いの背を跳ね上げた。萎えた自分の性器を乱暴にシャツで拭えば、赤い色で血が答える。
 一瞬の内に恐慌状態に陥ったラムザはアグリアスに飛びついた。意識はあるものの、痛みと疲労でぐったりと横たわっていたアグリアスは、仰天して静止の腕を伸ばした。しかしラムザはその腕には構わず、足首を掴み膝を折りたたむと彼女の尻の下に自分の膝を滑り込ませる。尋常でないラムザの様子にアグリアスは必死で身を起こそうとしたが、腹にラムザの手の平が強く押し当てられると、諦めて震えながら顔を背けた。
 ラムザは血の出自を確かめたいだけだった。アグリアスはこれ以上性行為は出来ないと思ったに過ぎない。
 しかし、各々の思惑は完全にすれ違って、足の間にラムザが顔を埋めた瞬間、アグリアスは最大級の悲鳴を上げ、同時に自分の口を押さえた。生暖かな舌が、性器を這う感覚に耐えながら、アグリアスは、自分がそんな悲鳴をあげてしまった事に衝撃を受けて徐々に虚脱し、ラムザに完全に体を預けていった。

 血を舐め取っても裂傷は見当たらなかった。裂いてしまったかと恐慌したが、ラムザの懸念は外れた。内部の傷か、と奥を探ろうとしたが、きつく閉じていて無理だった。とにかくも最悪の事態ではないと、僅かに安堵して口元を拭う。

「違った・・・」
 やおら身を起こし、ラムザはアグリアスの手を取った。
「なに・・・?」
 ラムザは答えず、押し付けるようにシャツを着せ掛けた。
「・・・乱暴、だったね」
「いや・・・」
 アグリアスは混乱の表情を崩し、不器用に笑顔を作ろうとした。しかし自分の膝当たりに視線をやってラムザの顔を直視出来ない。これだけ側にいるのに、アグリアスが自分を見つめないのは初めてだとラムザは少し傷つき、そして、傷つくなどなんとおこがましい事か、と自嘲する。
「もう、日が沈むよ」
 一人ごち、身支度を始めるラムザの背には無数とも言える赤い傷があった。シャツに通そうとした腕を止め、アグリアスは手を伸べた。
「これは・・・」
 触れられるとラムザは熱さによじれるように身を交わした。
「昔の傷。なんでもないんだ」
 囁き、ラムザは立ち上がる。手を伸ばした姿勢のまま見上げてくる、未だ全裸同様のアグリアスに苦笑して見せ、
「良い眺めだけど・・・風邪をひくよ?」
とからかおうとした。しかし、アグリアスは一層生真面目に眉を寄せる。
「治らないのか・・・?」
 うっかり零れたようなか細い声、ラムザは喘いだ。
「治らないよ」
「何か方法が」

 怖い。アグリアスが、怖い。

「あなたには無理だから」
 優しい声をラムザが出すとそれきり会話は途絶えた。
 


 夕日は凄みのある暗い赤を天に放っている。
 押し掛かるように夕闇が迫り、赤と青がせめぎ合って大理石の模様を描く雲が紫に染まる。
 変わる色に次々と染められながら、二人はとぼとぼと歩いた。二つの影は長く絡まっていたが、体は意固地なまでに触れ合わなかった。互いに拒絶するように距離を取り、自分の歩数を数えながら元来た道を戻る。
 
 無言で辿り付いた宿で、ラムザはやっとアグリアスを振り返った。口を開き、しかし音を発する前に閉じてしまう彼を、アグリアスも黙って見つめた。
 
「・・・では、食堂で」
 沈黙を破り、儀礼的にアグリアスが言った。
「うん」
 最後まで目を合わさずにラムザは答えた。
 
 これきりにしよう、と言うつもりだった。しかし、言わずとも、そうなるだろうという投げやりな自信もあった。あんな目に合わされた女が着いて来るはずはなく、明日北の陣営に行くまでの気不味さだと、ラムザは宿の扉に手を掛けた。

「私が治してみせる」
 
 祈りの文言のように耳元に密やかな音が落ち、びくり、と振り返ったラムザの頬に凍えた指が滑った。

「必ず」

 微かな芳香と共に、軽く唇にキスが触れた。指よりも、ずっと冷たい唇だった。幕が引かれるように解けたアグリアスの髪が視界を覆い、ラムザは思わず目を閉じた。暗いはずの閉じた瞼の裏一面に金色の光が広がり、止めようもない安堵がラムザを圧倒した。
 
 何かが、灯る。

 暖かい何か。掴めずまた、在処も分からない何か。溶けた金属のように閉じたはずの視界は揺らぎ、ラムザは身の内を照らした光を追ったが、それは次第に光度を落として終には失われてしまった。
 


 目を開けると、するり、と身を反したアグリアスが先に扉を抜けて行くところだった。
 眼前には少しだけ開き風に揺れる扉、微かな軋み。

 歓喜とも落胆ともつかない気持ちで、ラムザはその隙間を見つめた。






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