葬心

「邪魔をしたな」
 最初に口を開いたのはディリータだった。アグリアスは一瞬壮絶に燃える目でディリータを見たが、くるりと背を向けるとオヴェリアに真っ直ぐ歩いて行った。
「オヴェリア様。お怪我は」
「ないわ・・・ああ、アグリアス」
 オヴェリアは盛大に顔を歪めてアグリアスに縋りつき、声を上げて泣いた。アグリアスはその背をゆっくりと撫でながら、ああ、ご無事で、と笑みを零した。
「ごめんなさい、ごめんなさい」
「オヴェリア様がお謝りになることはないのですよ」
「こんなに怪我をさせてしまったわ」
「これくらい、何ということもございません」
 アグリアスは何度となくガフガリオンと打ち合った結果、左肩とわき腹に傷を負っていた。足取りはしっかりしており、ラムザも側に寄って覗き込んだが深手ではなさそうだった。
 お召し物が汚れます、と顔を上げさせれば、もうすっかり泥だらけよ、と笑い泣きでオヴェリアはドレスの裾を上げて見せる。主従というより姉妹のように笑い合う二人にやはり姉のような笑顔でアリシアが近寄った。
「降りましょう」
 アリシアがしっかりとオヴェリアの手を握り、ディリータと距離を取りながらオヴェリアを導く。背後のディリータに緊張しながら、ラムザはオヴェリアのすぐ後ろに付いた。
「ラヴィアンは? 怪我をしたのじゃないの?」
 オヴェリアはアリシアの手を取って細い崖のわき道をそろそろと降りながら聞いた。戦闘に没頭して経過を知らないアグリアスの視線にラムザが答える。
「ラッドがちゃんと助けました。ほら、アグネスが今手当てをしています」
 下方を指すと、オヴェリアはそれを追って首を伸ばした。深手を負ったラヴィアンは出血のために意識が朦朧としている様子だったが、ポーションでの応急処置を終えようとしていた。
「すぐお会いになれますから。足元をよくご覧下さい」
 アグリアスが苦笑交じりで言い、大丈夫よ、子供じゃないのだからとオヴェリアがすねた。
 丸太橋に差し掛かり、アリシアは先にラヴィアンに駆け寄って行った。後を追おうとするオヴェリアを引き止めたのはディリータの冷たい声だった。
「王女を俺に預けろ。それが彼女のためだ」
 ラムザがはっと振り向くと、既にアグリアスと睨み合っている。まだ剣を握っているディリータの前で、半ば命がけで両手を開いて彼女は黙って誘拐犯を見つめていた。
「ディリータ」
 ラムザが二人の前に割って入る。オヴェリアは目を丸く見開いて、踏み出した足もそのままに固まっていた。
「何を企んでいるんだ・・・? 君が、君が独りで考えたのか?」
「とんでもないな」
 必要以上の冷酷で嘲笑的でもある眼差しがラムザに刺さった。ゆっくりと剣を鞘に戻していく。
「これが真実だよ。オヴェリア姫は本来、北天騎士団に保護されるべき者だろう? それを貴様達は敵に回させた。これから一体どこへオヴェリア姫を連れて行くっていうんだ? すぐに追手がかかるだろう、その時こそ本気でオヴェリア姫ごと殺すつもりで奴らは来る。このイヴァリースで天騎士団が入れぬ場所などどこにも無いというのに、一体どこへ逃げるつもりなんだ」
「それは・・・」
「よく考えろ。黒幕がラーグ公にせよ、ゴルターナ公にせよ、王家が絡んでいることは間違いない。身内に狩られているんだぞ、そのお姫様は。万に一つ、彼女だけは祭り上げるために助かったとしても、貴様達は主犯として処刑だ」
「ディリータとかいったな」
 答えられずにただディリータを見つめるラムザを押しやり、アグリアスが掴みかかる勢いで進み出る。
「おまえが言うことが真実だと、どうやって証明する?」
「証明など必要ない。貴様らも分っているはずだ」
「王家が王位継承権を持つオヴェリア様を、そこまで軽んじることは有り得ないと言っているんだ!」
 アグリアスは唾を吐きかけるように怒鳴る。
「おまえならどうするというのだ! おまえはどれほどの後ろ盾を得たと言うのだ!」
「俺は、貴様達にできないことをするだけだ」
 ディリータはオヴェリアをじっと見ながら言った。その視線を追いながらラムザは溜息をついた。ディリータが彼の目的を言わない以上、幾ら怒鳴りあっても仕方ない。
「どういう意味が分からないよ、ディリータ」
 ラムザはディリータの耳の側に寄った。アグリアスに聞こえないように囁く。
「でも一つだけ分ることがある」
 ディリータはオヴェリアに視線を固定したまま、なんだ、と無愛想に吐き捨てた。
「君がホーリーナイトだっていう事。南でも北でもないって言うんなら、さあ、どこが黒幕なんだろうね」
 ラムザは気力無さげに言った。あれほど会いたいと望み、こうして追ってきて、こんなに近くにいるのに少しも彼に感じない。先ほどの戦いの間は嘲笑や厭らしい物言いにすら感じたのにどうしてだろう、と冷めた意識で思う。あんまり感じてしまったので麻痺してしまったのかな。
 さあな、とディリータは背を向け、アグリアスはいぶかしげに二人を見た。
「しばらく貴様らにお姫様を預けておく」
 尊大な言葉にアグリアスは憤慨して横を向いたが、オヴェリアがそっと寄って来て手を握ってきたので困ったようにその顔を見て息を吐いた。
「また会えて嬉しいよ、ディリータ」
 少しも嬉しそうには聞こえない声でラムザが投げやりに言う。嬉しいね、本当に。
 ディリータは僅かに首を傾けるようにしてラムザを見た。ラムザは土をつま先で掻いていて、早く行ってしまえと言っているように見えた。以前と変わらないその拗ねた態度に、ディリータは少し笑ってしまい、それを隠すために急いで目を瞑った。哀しいことを考えないと、一番哀しいことを。そして一番酷いことを言わないと。
「ティータが」
 ラムザがはっきり分るように体を震わせたのをアグリアスは見た。
「あの時、ティータが救ってくれたんだ」
 俯くラムザを置き去りに、ディリータはゆっくりと丸太橋を渡って行った。
「感謝致します、ディリータさん」
 アグリアスが驚いてオヴェリアを見下ろした。オヴェリアは真摯にディリータの背を見つめている。
「また会おう、ラムザ」
 少し立ち止まり、ディリータはあえてラムザに声を掛けた。うっとりするほど冷徹な声だ、とラムザは思い、顔を上げないまま、手首から先だけをはたはたと振った。同時に激しい水音がし、必死で崖を登ってくるアグネスが下方に見えた。アグネスは激怒していたが、待っている風情のディリ−タに何も言わずに近づき、そして顔を寄せて二人は何かを話していた。ラムザはそれをぼんやり眺め、途中で嫌になって背を向けた。
「ラムザ」
 アグリアスの声に、ラムザはのっそりと顔を上げた。ああ、居たの、と胸の中で言う。
「貴公らの助勢を心から感謝する」
 はあ、とラムザは溜息をつく。
「しかしいいのか、北天騎士団を敵に回したぞ」
「ああ、いいんです、そんなこと。僕が決めたんだから」
 ラムザは気力をすっかり失ったようにぼやけた声で言う。
「これからどうするんです。ディリータが言った通り、助けてくれる人はいないよ・・・」
 それもどうでもいいけど、とまた胸の中で付け加える。アグリアスは当惑したように放心しているラムザを見た。しかし思いの他おだやかに彼を見つめ、
「ドラクロワ枢機卿に頼ろうと思う。枢機卿の領地であるライオネルはグレバドス教会の本拠地だからな。教会なら王女をなんとか保護してくれるのではないかと思う」
 ラムザはそれをぼんやり聞いた。ディリータが教会側についたらしいと見当はつけたが、ディリータを差し向けた人物はなんにせよ王女を殺そうとはしていない。そう、少なくとも。
「北天騎士団も、教会内部にはうかつに手を出せない。僕らはそこへ行くしかないでしょうね」
「僕ら?」
 アグリアスは優しく尋ねた。
「?  ええ、僕ら」
「ありがとう」
 アグリアスは静かに言った。
「ライオネルまで同行を願おうと思っていたところだ、よろしく頼む」
「・・・はい」
「お世話になります、ラムザさん」
 オヴェリアはいっそ無邪気な笑顔を見せた。二人の暖かな言葉に僅かに救われたような気がして、ラムザもかすかに笑顔を見せた。妹は元気だろうか、と思いながら。

 オヴェリアに急かされながら滝壷の脇に下りると、アリシアがラヴィアンを抱き起こしているところだった。
 彼女は思い切りよく背中を斜めに叩き斬られていたが、ラッドの救助で辛うじて救命された。崖を背にしてぐったりしていたが細く開けた目に主人を認め、彼女はかすかな声で、ああ、姫様、とだけ言った。オヴェリアはべそをかきながら走り寄り、伸ばされた手をぎゅっと両手で握ってありがとう、と何度も言った。
 その姿をラッドとラムザは一つの慰めとして眺めていた。二人ともガフガリオンの事は一言も話さなかった。これからも話すつもりはない。生きていて欲しいと思いながら、おそらく追手として再会する予感に苛まれながら。ジャッキーがそっと二人に寄って来て、やはり黙ってオヴェリアを見ていた。
「アグリアスさんも手当てをしないと」
 いつの間にかアグネスが戻って来ていた。未だ怒りの形相を収めずにいる。ラムザはうんざりしてアグネスを見たが、アグネスはとても真剣にラムザを見つめ返した。大丈夫ね? と声を出さずに唇が動き、ラムザは両肩を上げて答えた。それを見届けてアグネスはアグリアスの手を取ってどんどん水の方に向かって行き、岸の端に座らせるとてきぱきと衣服を脱がそうとする。恥らうようにしてアグリアスがそれを拒み、当然なのか意外な反応なのかを伺いあぐねているラムザとラッドに向かって
「あんた達、気を利かせなさいよ! お姫様を連れてあっちに行ってて!」
 アグネスが呆れた声を出す。傭兵としての戦闘の中では負傷時に男女の区別などしている暇はない。ここにきてふと常識を取り戻し、男達は苦笑いしながら背を向けた。気遣わしげに見つめてくるオヴェリアにアグリアスが笑いかけ、さ、こちらへ、とアリシアが促した。
「やっぱり女ってああいうものかね」
 林に入って滝に背を向け、ラッドが感心したように言う。
「普通なんじゃないのかな」
 どうなの、とラムザはジャッキーを見て笑ってやる。彼女はこの手の話は大嫌いなくせに、努めて明るく振舞う二人に調子を合わせ、やめてよ、と小突いて笑ってみせた。そこでアグネスの呼び声、振り返るとアグネスは何かを言いかけ、しかしアグリアスが袖を引いた。アグネスは手話を使ってジャッキーにポーションをたくさん持ってくるように言った。男達は振り向かないようにしていたので気が付かなかったがジャッキーが装備の入った袋に飛びつき、慌ててそれを持って駆け戻るのを驚いて見送った。
 思ったより酷いのかな、とラムザが小声でラッドに言い、オヴェリアは心配そうに振り返った。ジャッキーは程無く駆け戻ってきて、なぜかラムザの手を掴んだ。
「来て、いいから来て」
 ジャッキーはラムザの返事を待たずにぐいぐい引っ立てる。アリシアが困ったように私が、と言ったがジャッキーは首を振ってラムザを引っ張っている。オヴェリアがいよいよ心配を露にし、どうしたの、と繰り返しているから、ラムザは仕方なくジャッキーに従った。
「どうしたんだ」
「取れないの」
 それだけ言ってジャッキーは彼女らを指差した。見ればアグネスとアグリアスは流れの緩やかな滝壷の脇に漬かっている。アグリアスは裸の上半身に上着を当てて、こちらに背を向けていた。彼女に隠れるようにして何かしているアグネスが、ラムザをちょっと見て呼んだ。頬に血が飛んでいる。
「ラムザ、」
 顎をしゃくってこっちに来いと言う。
「いいんですか、アグリアスさん」
 彼女は返事をしなかった。顔だけを見せてうなづく。その蒼白の頬に驚いて水を分けて行くと、肩の大きな傷口を洗いながら、アグネスが一生懸命何かを探しているのが分かった。上着を胸に抱いて乳房を隠しているアグリアスの前に回り、ラムザもアグネスと一緒に傷を覗いた。
「小刀が帷子(かたびら)に負けて、割れながら刺さったのよ。これだけ集めたのだけれどまだ残ってる」
 アグネスは手の平に刃の破片を乗せて見せる。
 見れば腹の傷も思ったより深手で、帷子がなければ致命傷になったかもしれないほどのものだった。
「まだ固いものがあるの。でもこれ以上、上手くできない」
 ラムザは頷き、アグリアスの傷を触った。傷を触られている間、アグリアスは眉一つ動かさずに耐えていたが、ラムザが何も言わずにいきなり腰からダガーを抜くのを見てびっくりした顔になった。その表情が変わらぬ内にラムザは手早く傷の上をまともに十字に切り分け、あ、と声が上がった瞬間に深く指を入れ、一瞬で刃の破片を取り出した。
「ごめんね、痛かった?」
 言うとラムザは破片を歯に挟み、もう一度丹念に傷を押さえながら、
「刺さっている感じがする?」
 と、もごもご言った。アグリアスは溜息のような震える息で大丈夫だ、と答えた。
「手早いな、助かった。」
 アグリアスは溜息をつきながら、オヴェリア様には内緒だと小さく笑った。アグネスからポーションを受け取って、広がってしまった傷に丹念に塗りこんでいくラムザを大人しく眺め、そしてその口から刃の破片を取り上げた。その動作で持っていた上着が水に落ちたが、アグリアスは破片の方を気にしたので裸の胸を曝した。彼女はちょっと困ったような顔をして上着を拾おうとしたが、ラムザが肩を手当てしているためにままならず、アグネスが慌てて流れ始めた上着を追っかけて行った。じゃぶじゃぶと水音を立ててジャッキーも寄って来てアグリアスに自分の上着を脱いで渡した。ラムザはただ熱心に手当てをしていた。
 ラッド達のところに戻ると、案の定オヴェリアが真っ先にアグリアスの状況を訪ねてきた。
「大丈夫。思ったよりも深手だったけれど、手当ては充分しました」
 それでもオヴェリアは掴まれているアリシアの手を逆に引っ張ってアグリアスに戻り寄って行った。その後姿を眺めていると、ラッドがにやけた顔で袖を引く。
「どうだったよ?」
「小刃が砕けて食い込んでたんだ、」
「違うって! 彼女、裸じゃないか、見たんだろ?」
 ラムザは黙ったまま、自分の胸の前で両手で乳房をかたどっているラッドの期待に溢れた顔を見返した。そう言えば見逃した。
「内緒だよ」
 にやっと笑ってやる。
「何だよ、いいから教えろよ!」
 彼なりに必死で気分を変えようとしているんだな、と盛大にすねるラッドを横目に、確かに少し残念だったなと思った。
 それ以上何も考えたくなかった。アグリアスが言った、ありがとう、という言葉にすがり、オヴェリアの柔らかな笑顔にすがって、ガフガリオンもディリータも深いところに閉じ込めるためにラムザは強く目を閉じた。






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