その言葉とは裏腹に、一行は祈祷室の扉の前で待たされることになった。ガフガリオンは次第にじれて、今にも扉をこじ開けそうな具合に悪態をつき始め、散々遅れて来たくせに一刻を争うンだとか言い始めた。そして、誰もが止められない勢いで天井までの高さがある重厚な扉を本当に開け放った。ラムザとラッドが慌てて腕を引いたが、ずるずる引きずられて3人とも中に入ってしまった。
祈祷室はほとんど一個の教会だった。修道院の一角という意味で、祈祷室と呼ばれるのだろう。淡い色ガラスをはめ込んだ、広い天窓からは光がたっぷりと差し込んで絨毯の上に光の文様を描いていた。最奥の祭壇に向かって祈祷場に跪いていた一人の少女が驚いて立ち上がるのが見える。側には聖職者と思われる老人が控えていた。彼は確か、シモンと言って正確には神学者だ、とラムザは思い至る。王女の教育係のような立場で、アルマが親切な方だ、といつも言っていたのを思い出した。
「まだかよ! もう小一時間にもなるンだぞ!」
ガフガリオンが下品に語り掛けた。即座にアグリアスに厳しくたしなめられると今度はすっかり上機嫌になり、にこにこして次は何を言ってやろうかと思案している。おいおい、とラッドがラムザにうんざりした目を向けてきた。しかし、ガフガリオンの最初の台詞で諦めたらしいオヴァリアは、聖職者と簡単な挨拶を交わすとアグリアスに先導されてこちらに歩いて来た。
「姐さん、さぞかしご立腹だな」
実に嬉しそうにガフガリオンはラムザに小声で言った。すれ違い様ふざけて首を竦めてさえ見せ、ラムザも巻き添えを食らう覚悟をしたが、
「助かった」
低い声が小さく掛かり、ガフガリオンは目眩を起こしそうな顔になった。初めて見る、この能天気な隊長が毒気を抜かれる様にラムザは堪えきれずに噴出した。この女は始めからこれを予想して自分達を伴ったのだ。忠義の騎士は大儀を見ることを知っている。不審気に振り返る彼女に、なンでもない、とガフガリオンは言って思い切りラムザの向こう脛を蹴飛ばした。笑いを堪え切ったラッドがラムザに憐れみの視線を投げてきたその時、
「アグリアス様、て、敵が、」
傷を負っているらしい女騎士が転がるように祈祷室に駆け込んで来た。扉の前に半ば伏せて荒く息を吐いている。アグリアスがオヴェリアを怯えさせないように少し下がらせ、シモンが慌てて女騎士に駆け寄って支えた。
「しっかりしなさい!」
素早く部下に駆け寄りその肩をそっと触り、何か言葉を交わした後、
「オヴェリア様は中に! シモン殿、オヴェリア様を頼みます!」
アグリアスは言い捨て速やかに腰に帯びた剣を抜き、修道院の出口に駈けて行った。素早さには定評のあるジャッキーにも追いつけない程の俊足だった。
「まあ、こうでなけりゃあ、金は稼げんぜ」
ガフガリオンがラムザ達を振り返った。ラムザをからかうように見て、なんだ、文句があるかあ、ととぼけた事を言う。肩をすくめて僕はもう、傭兵の一人だよ、と答えるラムザににんまり笑い、隊長は嬉しそうに戦闘の合図を出した。
ラムザ達が表に出ると、既にアグリアスと何者かが降り出した雨の中で睨み合っていた。ガフガリオンの指示でガーシュインとアグネスは祈祷室に残り、ジャッキーは裏道に配された。残った三人はアグリアスの背後に布陣を引く。
「黒獅子の紋章だと・・・」
アグリアスの顔つきは一変していた。髪を逆立てそうなほどに怒り狂っていて、彼女の髪や顎から滴る水滴が蒸発しないのが不思議な程だった。その、不自然なまでの猛りぶりは、彼女が同時にその興奮を楽しんでいるかのようにラムザには見えた。
「ばかな・・・! ゴルターナ公は一体何を考えているのだ! ここまでして戦争を起こしたいのか!」
「ははっ、こっちは儲かっていいぜ!」
踊り出したガフガリオンは、敵の常套文句に鼻を鳴らし、ずさんな攻撃を能無し、とせせら笑う。
「ならばここは我々だけに任せておくのだな!」
アグリアスは同意するようににやりと笑い、ガフガリオンに並んだ。
「それじゃあ、金が稼げねえンだよ!」
高笑いを鬨の代わりに、ガフガリオンはラムザとラッドに顎をしゃくった。
「行くぜ! 一人残らず殺るぞ! 生きて奴らを帰すな!」
「何を。奴らを殺す必要はない。それでは正にゴルターナ公の思う壺、追い返せば済むことだ」
アグリアスは苦笑を漏らし、聖騎士らしいことを言った。しかしその手に握られた剣は、正確に敵に向けられ、雨の雫にてらてらと、ぬめるように輝いている。
「そんな器用な真似ができるもンか!」
大笑いでガフガリオンは言い、いきなり闇の剣を放った。ガフガリオンの周りに剣を介して吐き出された負の気が纏わりつき、同時に暗く眩しい翳が剣先から放たれて正確に目前の敵弓使いの胸を貫いた。
何度見てもあの技は禍々しくそれでいて妙に品がある。ラムザは剣を抜きながらどうすればあの技を教えてもらえるのだろうか、と何百回目かの思案を巡らす。その程度の余裕はある敵だった。ガフガリオン1人でも充分だったが、抜いた以上汚さなければ納まらないのが剣というもの、ラムザは姿勢を低くして手近の弓使いに突っ込んだ。防御する弓と剣が激しく噛み合い雨の中でも火花を散らせ、互いが互いを捩じ伏せようと睨み合う。力勝負に勝ったのはラムザ、払い様に腹から肩へと斜に切り上げたところにラッドが飛び込んで利き手の肩を貫いた。返り血を避けて翻せばたゆたう白い蒸気、何だ、とラムザは雨に滑る柄を握り直した。
「あれは・・・?」
アグリアスの姿が白く霞んでいる。雨が目に入ったのか、と思うが違う。
「命脈は無常にして惜しむるべからず」
低い彼女の文言にラムザは瞬いた。一度だけこれを使う者と戦ったことがある。妹の仇、とラムザを執拗に狙うあの男が見せた技だ。だが、アグリアスの技はあの男とはどこかが違う。あんな風に纏わり付く何かは見なかった。雨が魔法を孕ませているのだろうか。
「葬る! 不動無明剣!」
彼女の凛々しい声が響くと強烈な光が全方向に放たれた。目を疑うほどのすさまじい破壊力にラムザは眩しさも忘れて見入った。ガフガリオンも一瞬呆けたように彼女を見て、小さく口笛を吹いた。ウィーグラフとは比べ物にならない。辛うじて倒した相手を更に凌ぐ、あからさまな力の差にラムザは感嘆した。
次の瞬間、何呆けてる! とラッドの怒号が響いた。はっと引き戻って背後からの切りかかりに横っ飛びにすさり、かろうじてラムザは眼前に剣をかざして敵騎士の刃を受け止めた。高い金属音が響き、びりびりと激しい振動は先ほどの弓使いとの腕力の差を知らせる。雨でぬかるんだ地面は踏ん張りが利かない。徐々に押され、一か八かで相手の懐に肩をぶつけて飛び込んでみると、やはり相手もぬかるみに足を取られて若干退く。機を逃さず剣を握りなおし、まともに正面から打ち込んで案の定止められ、今度は自分が退く。明らかに不利になりつつあるラムザを気にし、背後で素早しっこいアイテム士を相手にしていたラッドは舌打ちをして一気にケリを付けようと場所を移動し始めた。ラムザも交錯する刃をぎりぎりでかわしながら、ぬかった足元に精々踵を食い込ませながらやはり移動を開始する。
「離れろ!」
ガフガリオンの号令でラッドは敵の懐に体当たりをかます。掠めるナイフを皮一枚に避けて後退し、すかさずラムザに駆け寄って行く。ガフガリオンの剣がラッドを追尾しようとする敵を正確に捕らえて命を吸い上げた。ラムザの目の前まで来たラッドは加勢の剣を上げ、しかし突然足を止め激しく、避けろ! と叫んで飛び退った。何、と見回せば同時に強烈な聖剣技の光がラムザの周囲を包み、思考する間もなく激しい振動が全身を揺るがし始める。強烈な光は振動を伴うものなのか、と感嘆と共に覚悟を決めたがそれだけで終わり、重いものが倒れる湿った音に足元を見れば、斬りあぐねていた騎士が血泡を吐いて泥にまみれていた。
「自軍を避けるくらいはできる」
背後を振り返るとアグリアスが不敵に笑っていた。凄みがある目を興奮に煌めかせ頬は上気していたが、息一つ乱していない。濡れた髪を乱暴にかき上げながら、彼女はざっと周囲を見渡し、結局全部殺したな、と誰にともなく言った。その顔には偽善者ならば浮かべるであろう苦々しさは微塵もなく、さっぱりした、とでも言いそうな聖騎士らしからぬ悟ったものがあった。しとしとと降り続ける雨を見上げ、
「皆無事なようだな。まだ残党がいるだろう、一人は確保してほしい。生きた証拠にせねば」
アグリアスはガフガリオンに言葉を掛け、髪から睫毛から雨の雫を垂らして祈祷室に踵を返した。
「離しなさい!」
下方から高い悲鳴が上がった。続いて激しく抵抗する声が響いた。誰もオヴェリアの姿を目にしていなかったが、彼女の声は確かに裏道から聞こえた。
「祈祷室には裏口があったのか!?」
「ある!」
しまった! とアグリアスは吐き捨てながら猛然と裏道に駆け下りていく。おいおい、とガフガリオンは慌てて彼女の後を追い、ラムザらもそれに続く。
「こっちへ来い!」
ゴルターナの兵士の声が妙に冷静に響き、その声にラムザは一瞬足を止めた。
まさか。
アグリアスの背中越しに、ぐったりしたオヴェリアを肩に担ぎ上げる若い兵士が見えた。
「ディリータ・・・!」
ラムザは思わず呟き、ガフガリオンが僅かに振り返って舌打ちをした。
「待て!」
一方アグリアスは剣を投げつけんばかりに突っ込んでいくが、僅差でかわされ兵士はオヴェリアを抱えて上騎した。勢い余って草むらに転がったアグリアスはオヴェリアの名を呼びながら必死で立て直して剣を振るうが、チョコボが自ら彼女を避けて身を翻してしまう。一歩遅れたガフガリオンの剣も容易く避けて、チョコボは海に向かっていく。王女に当てる訳にはいかず聖剣技も暗黒剣も使えない。成す術もないままただ後を追い、アグリアスはまたオヴェリアの名を叫んだ。
「恨むなら自分か神様にしてくれ!」
嘲笑すら滲ませて言い捨てる言葉にラムザは茫然と足を止めた。海に飛び込みながら手綱を返して振り仰いだディリータはラムザに一瞬目を留め、彼もまた驚いた表情になった。刹那、二人の視線が絡まり、しかし速度が上がってディリータは波間に消えた。
「どうして」
アグリアスが波打ち際に両手を付いて、唖然としたまま王女の消えた波間に向かって呟いた。髪も官服もすっかり泥に汚れている。
ラムザもまた、同じ言葉を胸の内で呟いた。
どうして、生きている、その上なぜゴルターナ軍にいる? どうして・・・!
「オヴェリア様・・・!」
アグリアスの嘆きを聞きながらラムザもまた、消えた者の名を無言で呼んでいた。
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