薄暗い廊下 1

「・・・上手く切り回しているようですね」
 新兵の訓練を指示しているディリータを見下ろしながらローブで顔を隠した男が言った。
「ほぼ全滅だった黒羊騎士団がこれほど早くに整うとは私も思ってはいなかったな。その分無茶もしているが」
 隣に立ち、窓から演習場を見下ろしながらヴォルマルフはローファルから書類を受け取った。神殿騎士団の敷地内ですら人目を避けるローファルは、ヴォルマルフの部屋に入ってなお、そのローブを取ろうとはしなかった。
「既に生贄が屠られたとか」
「相変わらず耳聡いな」
 ヴォルマルフは唇だけで笑って窓に背を向け、ペンを取った。簡単に検分してサインを書き付けると表紙だけをローファルに戻し、残りを懐に収めた。
「貴方の責任を問われることになるのでは」
「責任?」
 グリムス男爵の後釜としては若過ぎる。
 居並ぶ幹部の誰もがそう言って躊躇する中、ディリータ以外に誰がいるのだ、と強く推したのはヴォルマルフだった。いずれの武功で証明して見せよう、とまで啖呵を切った神殿騎士団長の心中を知ってか知らずか、ディリータは一見羽目を外しているように見えた。就任内定を報された直後、まだ正式に団長に任命されてもいない内にディリータは早々と「特権」を生かして一人の少年を寝台に引きずり込んでしまったのである。もちろん一般の団員は気付いていないが、常にディリータを鬼気迫る視線で追う少年の存在はすぐにヴォルマルフに知れた。
「件の少年はブリストック家の末子と聞きましたが」
 ブリストック家は近衛騎士を代々輩出してきた名門貴族である。オリナス王子の護衛を務める兄二人の下、その末子の名はデルタといった。
「それがどうした?」
 笑うだけのヴォルマルフを眺めながら、ローファルも追求を諦めて肩をすくめて見せた。
「数千の羊の群れを維持する番犬の牙には時に生贄が必要だ。一匹で済ませていることを褒めてやりたいくらいだ」
「団長閣下がご満足であらせられるならば私が申し上げる事はありますまい」
 実際ディリータの働きには誰もが納得せざるを得なかった。事実上壊滅した黒羊団の再編が彼に与えられた最初の任務だった。ディリータの動きは迅速で、グリムス男爵と共に殉死した兵士らの遺族の情に訴えて更なる子弟の志願を募り、また各地の仕官アカデミーの見習いからも選り抜いて登用した。そして各地の教会の警護を隈なく見直し、適正な数と配置に是正した上で余った兵を団に戻らせ、ものの半月で千近い数を補充したのだった。今でも常に城下に志願者を呼びかけ、兵を増やし続けている。全ての陣頭指揮を取り、自ら剣を持って志願者を試験する姿に、もはやその能力を疑う幹部は居なかった。
「あれの面白いところは、さんざ苦労して増やしたくせにあっさり減らしもすることだな」
 使えない、信仰が薄い、金だけが目当て、そういった神殿騎士団には不適合な者を迅速に見抜き、去れ、の一言で追い払う。ある意味不適合者の極みと言える存在であるディリータだからこそ出来る、思い切りの良さだとヴォルマルフは思っている。彼を除く他の幹部には、実に清廉な若者に見えていることだろう。
「いずれおまえと並ぶ。手を噛まれないように気をつける事だな」
「なつかないからこそ、番犬なのでありましょう」
「はは、正にその通りだな。ああ、見てみろ」
 再び窓に寄って顎をしゃくるヴォルマルフの視線の先に、険しい目をした金髪の少年がいた。走り回って新兵の挙動を確認して指導し、僅かな暇には年長の兵に願って剣を交えている。それこそ牧羊犬のようにくるくるとよく動く。
「あれが噂のブリストックの末子だ。喰われているばかりでは無いぞ、ご主人に付きまといたい一心で物狂いのように修練して存外に伸びた。ウォージリスにも連れて行くつもりだろう。あの見目にしてあの心持、我が番犬は中々に趣味が良いと思わんか?」
 ヴォルマルフは満足げに笑った。男色の気が無いローファルには返答の出来ない種類の問いだった。
「ウォージリスへの出立は?」
「3日後だ。ディリータには道々粛清に回らせる」
 ローファルの懐を指で示す。教会からの極秘の依頼書だった。異端者として始末されるべき邪魔者の名と居所を連ねた部分はヴォルマルフの懐にある。
「全く良く働くことです」
「おまえ程ではないがな」
 子飼いの部下、と呼ぶにはあまりにも同心となったローファルを見やり、ヴォルマルフは腕を組んだ。
「そろそろ次の罠を仕掛けるとするか。準備は抜かりないだろうな」
「まもなくあの小煩い近衛の女を放ちます。ラムザらが上手く食いついてくれれば良いのですが」
「心配はなかろう。万一見逃すことがあっても次々に餌をまいて必ずドラクロワを殺してもらう」
「やはりラムザを異端者にするおつもりですね。ベオルブの恨みを買うことにならねばよろしいのですが」
「とうに見限られている哀れな子供だ。所詮、妾腹だな。家名を汚したとしてダイスダーグが処分してくれれば手間が省けるのだがな」
「出来うる限り、お望みに添えるよう動いてみましょう」
「おまえに任せれば間違いはないだろう。褒美を考えておけ」
「過分なお言葉、痛み入ります」
「全く真面目な男だな」
 口元を緩ませもしないローファルに苦笑し、ヴォルマルフは扉に向かう。廊下に控えている者に内々の酒宴を用意するように命じた。ドラクロワの保護下にある王女は手に落ちたも同然だ。今夜はこれからの王女の行く末を肴に、美味い酒が飲めるだろう。そして。
 何よりも得難い美酒が自分を待っているのだ。



「デルタ、休めよ」
 続けざまに2人の伍長に手合わせを頼み、あちこちに薄い切り傷をもらって座り込んでいたデルタは顔を上げた。
「汗だくだな。それに手当ても要る」
  金髪の頭を振りデルタはきっと顔を上げて立ち上がった。
「いいえイズルード様、まだ休みません。お手合わせを願います」
「呆れたな。まともに立てないじゃないか」
 よろよろと剣を構えるのが精一杯、デルタはひったくられるように剣を奪われ肩を付かれ、またどさりと地面に戻る。イズルードはデルタの剣を鞘に収めると、胸元を緩めてやった。
「一日二日でどうなるものでも無い。今は休んで出立に備えろ」
「・・・じっとしていられないのです」
「すぐに逃げ出すかと思ったくらいのおまえがそう言うのか。頼もしい事だな」
 いえ、と少し照れてデルタは俯いた。イズルードは入隊当初から何かと目を掛けてくれていた。もちろんそれが自分の持つ家名故であることは分かっており、いつか剣技でも認められたいと思っていたのだった。
「このところ随分と上達したな。この上は実戦で学ぶのが一番だろう」
「そうでしょうか・・・あっという間に死体になりそうな気がします」
「ははは、そうならないだけの技量を身につけたから、ウォージリスに連れて行ってもらえるんだよ」
 イズルードを見上げ、デルタも破顔した。実戦があるかもしれないという緊張よりも、今度の遠征に参加出来る事が心底嬉しいのだろう、イズルードは弟のようにも思ってデルタの頭を一撫でして言い聞かせる。
「とにかく休めよ。ああ、ディリータ、おまえもだ」
 ディリータ、という音に反応してデルタはびくりと顔を上げた。逆光に表情が分からないのがいやに凄みがある、そんなディリータが思いの外近くにいた。
「俺はいい。教えることがまだ山ほどある」
 冷静な声は息一つ乱していない。さっきからデルタ以上に動き回っているはずだった。完全な重装備をものともせず、陣形の教授を主とした大隊の模擬戦を指揮している。イズルードは仮想の敵陣営を率いる大将の役だった。
「そうは言っても団長が倒れればどうにもならない。水くらい飲んで来いよ」
 イズルードとディリータは微妙な位置関係にあった。イズルードは神殿騎士団団長の息子として一目もニ目も置かれてはいたが、実質は伍長を取りまとめる役職である隊長だ。その上に幾つも面倒な役職がある。対するディリータは黒羊騎士団団長ではあったが、それはある意味副業であり、神殿騎士団の中では一団員だ。役どころを合計すれば同程度、黒羊騎士団の総指揮を取るのはもちろんディリータであるが、イズルードは隊長としてディリータを休ませることが出来るのだった。
「急ごしらえの演習場だからな、1/4ずつを出すのが精一杯だ。まだ半分残っているんだから無理はするなよ」
 黒羊騎士団と神殿騎士団は兄弟関係といえる。精鋭である神殿騎士団が兄分、新兵を中心に庶民までを含めた弟分が黒羊騎士団だった。団員は能力が認められれば神殿騎士団に上がり、また水準から落ちた者は黒羊騎士団に落ちる。しかし、黒羊騎士団の幹部には抜きん出た才能を持つ者ばかりが選ばれ、決して侮られることは無かった。むしろ各団員の力の差が大きい黒羊騎士団をまとめることは、放っておいても武功をあげる聖騎士達を扱うよりも難儀と言われている。
 グリムス男爵は黒羊騎士団団長を務めていた間、自分の領地を演習場として解放し、公私を団に捧げた人物だった。それが通例となっていたが、彼の死後領地の管轄は文官である息子に渡った。演習は勘弁、との申し入れを受け、元々有事の際には持ち物から人員までを取り分けていた神殿騎士団が、幾つかの建屋を取り壊して空き地を広げ、黒羊騎士団に演習場を提供することとなったのである。
「ハイラル団長、何かお手伝いをさせて下さい」
 デルタはふらつきながら立ち上がろうと重い足を動かす。ディリータが疲れていないはずは無かった。演習が始まってから「お召し」がない。あっても、走って駆けつけた時にはディリータは眠り込んでいるのだった。
「ほら、おまえが休まないとこいつも休めないぞ」
 肩を上げて見せるイズルードを冷ややかに見つめ、ディリータは吐き捨てるように溜息をつく。
「好きにすればいい。だが自分の体力を自分で把握できん奴は結局足手まといだ」
 ディリータの横顔はやはり表情が分からない。デルタは冷や汗が背中に伝うのを感じた。何の失策をしていなくとも、ディリータには常に叱られているように感じるのだ。自分達のいびつな関係がそうさせているのかもしれない、とかすかに思う。
 デルタを一瞥もせず、砂を荒く踏んでディリータは新兵の雑踏の中に紛れて行った。
「物言いはきついが、確かに一理あるな」
 イズルードは困ったようにデルタを見下ろした。
「半時休め。それからまた馬のように働けばいい」
「・・・はい」
 腕を取って立ち上がらせるとデルタは肩を落として去って行った。見送りながらイズルードは眉を寄せる。それとなく父に知らされる前に、あの二人が「そういう関係」だろうとは気付いていた。デルタの切羽詰った視線はいつもディリータを追っていた。ディリータにどこまでもついていくために狂ったように剣をふるうデルタを、心痛めて見ていたのだ。
 どこか自分に似ている。
 イズルードにも強くならねばならない理由があった。それは誰にも告げることは許されない秘された思い。
 頭を振り雑念を振り払おうとする。視線を感じて顔を上げると、灰色の石を積んだ幹部棟の窓に父の姿があった。明け方の闇のようなローブの色は腹心のローファルだろう。
「第3隊形、布陣!」
 ディリータの怒声に引き戻ると、砂埃と新兵の気合が舞う演習場にイズルードもまた埋没するのだった。






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