アグリアスの足に副木を当てて応急処置を施した一行は、地下への隠し通路に急いだ。その入り口は祈祷台の後ろにあり、キュクレインに吊られていた時にアグリアスが見つけたものだ。そんな状態で見つけるなんて、あなたって一々嫌な人だね、とラムザはぶつぶつ言いながら、不思議がるアグリアスに肩を貸している。
「それにしても滅茶苦茶な相手だったわね・・・」
「あんたが一番かもしれないよ・・・」
がっくりとジャッキーを見やってアグネスが言う。
「弓で殴りかかるなんてさ。無茶もいいところだよ!」
「何よ!最後まで戦うのが戦士ってものでしょ!」
「相手がアレでもかい? ・・・全くどいつもこいつも・・・」
「俺はちゃんとしてたよな、な?」
「ムスタディオは、もうちっと強くなりな!」
「・・・論外・・・?」
あの「怪物」についてはまだ、誰の頭の中ででも整理がついていなかった。このまま忘れてしまえるものなら忘れたい、と皆が思っていたが、ラムザの懐には「怪物」が残した聖石が、逃れようのない事実として収まっていた。
「ねえ、ラムザ・・・聖石、持ってても大丈夫・・・?」
恐る恐るジャッキーが聞く。
「・・・うん、あまり良い気持ちはしないけどね。何もしなければ問題はないはずだ。儀式か呪文か、使い方があるんだと思う」
ラムザは苦く笑ってムスタディオを見る。
「僕よりムスタディオの方が心配だよ。随分と長い間持って使っていたんだしね」
「お、俺!?」
違う違う、と急いで手を振るムスタディオを皆が笑った。
「ともかくアイツの事は後で考えようよ。今はオヴェリア様だね」
アグネスがアグリアスを振り返って言う。
「ゼルテニアに向かわれたという事だからな。もう地下には誰もいないかも知れない」
「そうだね・・・まあ、ラッドを探すついでに見ておくさ。それはそうとラムザ、ゼルテニアにも行くのかい?」
「行くよ」
あっさりとラムザは言った。
「副木当ててる人を放ったらかして安心できるほど、僕は神経が太くないんだ」
ふっと笑いを漏らしてアグリアスはラムザを見つめる。
「そうか。済まないな・・・」
「・・・僕が行きたいんだよ!」
「またそんな意地張って。そうそう、ムスタディオはどうするの?あんたの関係無い話になってきたわよ?」
ジャッキーに見つめられ、ムスタディオは腕を組んだ。
「うーん・・・でもさ・・・このまま帰っても気になって仕方ないだろうなあ。せめてオヴェリア様の無事な姿を見たいよ」
「じゃあ仕方ない、面倒見るさ」
盛大に溜息を吐いてアグネスが言い、また笑いが漏れる。
得体の知れない化け物の恐怖は根強いが、倒し生き残った安堵が勝っていた。ほがらかにジャッキーが腕を伸ばし、地下の通路の曲がり角を指差した。
「いたわよ、ラッド。ラッド! お待たせ!」
地下の廊下に点々と灯されている灯明の一つの下にラッドはいた。駆け寄るジャッキーを眩しそうに見る。すごいヤツと戦ったのよ、と興奮して語るジャッキーをぼんやりと見つめた。
「どうしたのさ、あんたらしくもない。ぼうっとして」
アグネスが大きな声で言う。湿った空気の立ち込めた地下道にその声が反響し、しかしラッドは鈍く頭を動かして彼女に目をやっただけだ。
「誰もいないか・・・?」
アグリアスが聞いた。彼女を見て初めてラッドの目に色が戻った。
「・・・いる」
貸した肩から彼女の緊張がラムザに伝わる。
「・・・オヴェリア様、か?」
「いや、違う、けどよ・・・」
「なんだよ? 鍵が開かないとか?」
俺が道具を持ってる、とムスタディオが先に行こうとして、ラッドはその腕を取った。
「おい、ラッド?」
「・・・がむいてる」
「え?」
「ラムザが、むいてる。行ってくれ、ラムザ」
「代わって、ジャッキー」
ジャッキーは慌ててラムザからアグリアスを受け取り、
「何・・・? なんなの・・・」
と、やっとラッドの異変に気付いて心細い声を出した。
「4人はここから後ろを探索して。それが終わったらここで待つように。この先は僕らが確認する」
ラムザはきっぱり言い、ラッドの背を叩いた。びく、と大きく体を震わせ、ラッドは先頭に立つ。
「私も行かせてくれ」
アグリアスが踏み出そうとするが、ラムザは振り返らなかった。
「駄目だ。後で呼ぶから」
「ラムザ!」
「待ってて」
静かだが有無を言わせぬ声だった。アグリアスはくぐもった了承の返事を返し、二人の背を見送った。角を曲がって消えた先で、扉が軋む音が聞こえ、そして即座にラムザの声がした。
「アグネス、来て」
「え、あたし?」
「アグネスだけだ」
穏やかな声だった。しかし、それに被って微かに女の声が聞こえる。アグリアスが身を乗り出し
「私は行っては駄目か!?」
凛と声が響くと女の声が泣き声に変わった。
「アグネスだけだ」
あくまでも冷静に、ラムザはアグネスを呼んだ。
「行くよ!」
待ってて、見てくる、と残る者を振り返りつつアグネスは駆けて行った。
「どうしたのさ、ラムザ」
言ってアグネスはラムザを見た。ラムザは開けた扉の脇に立っていた。アグネスを確認すると片手を伸ばし、扉の中を示した。
「僕はこの先の部屋を確認する。戻って来るまでになんとかしてあげて」
ラムザの隣でラッドは棒のように立っている。どうやら彼は役には立たないらしい。
「仕方ないねえ、どれ、」
と、それきりアグネスの言葉は無くなった。
どれくらい時間が経っただろう、とうに探索も終え、そろそろ様子を見に行ってもいいだろうかと、3度目の台詞をアグリアスが口にした時に、ラムザ達の低い話し声が流れてきた。
「行こう」
アグリアスはジャッキーの腕を揺する。
「そうね・・・行ってみようか」
二人はそろそろと歩みだした。ムスタディオも後に従う。
「アグリアスさん・・・顔色悪いよ・・・」
「ここは暗い」
「蝋燭の下だよ」
「骨折をしたからだ」
「大丈夫だよ・・・」
「おそらく、違う」
アグリアスは唇を噛んだ。掛ける言葉もなく、無言で彼らは角を曲がる。途端、アグリアスが感極まった声を上げた。
「・・・ラヴィアン!」
腕を振り払う勢いでアグリアスが折れていない足を前に出し、ジャッキーは大急ぎで体を進めた。ラヴィアンはアグネスのローブで全身を包まれ支えられてはいたが、自分の足で立ち彼女達に向かって歩いていた。
「よく無事で・・・!」
がくりと落としていた首を上げてラヴィアンはアグリアスを認め、
「ああ・・・アグリアス様・・・」
と、言った。言ったようだった。ほとんど声は出ていなかった。泣きつかれたか叫び疲れたか、落ち窪んだ目は澱み、唇は乾燥して切れている。
「ラヴィアン、ラヴィアン・・・済まなかった・・・!」
ジャッキーがアグリアスをラヴィアンの隣に運ぶ。二人はしばらく抱き合い、腫れたラヴィアンの目から涙が零れた。
「お救い下さり・・・なんと感謝を・・・」
「礼など・・・私は・・・!」
「おっしゃいますな・・・オヴェリア様はご無事で・・・?」
「その話は後にしよう・・・アリシアは・・・?」
「ここに」
開け放した扉から、ラムザが布で包んだ何かを抱えて出て来た。その荷物は人の形をしているが、全く動くことは無かった。
「ああ・・・!」
膝を崩してアグリアスが傾き、ジャッキーが脇に手を入れて引き上げる。
「落ち着いて、アグリアスさん、生きているから」
ラムザは冷たい程の落ち着いた声で囁いた。
「気休めはいい! ラムザ、」
「静かに」
囁くラムザは腕の中を気にした。
微かに、しかし、それは確かに動いた。
「本当に生きて!? アリシア!」
ジャッキーを引き摺って駆け寄ったアグリアスは指を伸ばして布を剥ぎ取り刹那、
「あああああああああああああああああああああああああ」
激しい絶叫が唐突に漏れた。止まる気配の無い悲鳴にアグリアスの全身から力が抜け、ジャッキーが慌てて支える手に力をこめる。
「これは、ああ・・・!」
やつれ、髪の色も褪せて相好の変わり果てたアリシアは、ぎらぎらと輝く瞳を零れそうに開いていた。恐怖も歓喜もなく、無表情なままあらん限りの発声を続ける。
「だから静かに、と言ったのに」
ラムザはアグネスを見る。決して触らないで、とムスタディオに言いつけ、嗚咽しているラヴィアンを壁に預けて駆け戻ったアグネスは、懐を探って袋を出した。小さな箱から白い丸薬を取り出して指の腹で潰し、アリシアの口の中になすりつける。しばらくの間アリシアは絶叫を続け、しかし次第にそれは掠れて最後に瞳が閉じると静まった。
「静かに、ね、アグリアスさん」
「ラムザ・・・」
ラムザはアグリアスを見つめ、首を横に振った。
「今は何も言わないで。ここを出よう、もう用は無いから」
アグリアスだけでなくジャッキーもまた蒼白な面、二人は一言もなく抱き合ってラムザの後に付いた。壁と一体になったように固まり、ただ泣いていたラヴィアンをアグネスが再び抱える。
「ムスタディオはラッドを頼むよ。たまには面倒見てやって」
「あ、ああ、うん・・・」
ラッドはぼんやりと最後尾に付いている。無表情と自失の中間の表情だと思いながらムスタディオが腕を触ると、びっくりしたように顔を上げ、
「何処に、行くんだ?」
と、聞いた。
アグリアスが通った地下道からの抜け道を彼らはなぞった。おおよそ凱旋の戦士達とは思えない疲労困憊の集団は、すえた地下の空気に濃い草木の香りが混じる方向にただ黙々と歩いた。
「出口が・・・」
とうとう歩けなくなったラヴィアンを背負ったアグネスが、ほっとした声を出した。前方に月明かりの薄闇が口を開けていた。
「森の中、だったわよね。夜はやっかいだわ・・・」
遠くから幾通りもの獣の鳴き声が聞こえる。ジャッキーはムスタディオに装備を探らせ、腰に剣を装着した。アグリアスもまた柄に手をやった。
「ん? あれ・・・」
ムスタディオが目を細めた。
「ボコだよ! ジェリアもいる!」
「え・・・丘で離したのにどうして・・・?」
けー、と長い鳴き声と共に、忙しないチョコボ独特の足音が近寄って来た。
「ボコ! よく来てくれたわ!」
胸に頭を摺り寄せるボコを優しく叩き、ジャッキーは笑顔をラムザに向けた。
「・・・意外と忠義に厚いんだね」
呆れてラムザは2頭を見ている。
「乗せてくれる? あんた達の大好きなアグリアスよ」
「私はいいんだ、」
「アリシアを抱いて乗ればいい」
ジャッキーとラムザに押し出され、背中を見せるボコにアグリアスは跨った。そっと、アリシアを彼女の腿の上に乗せ
「軽いから大丈夫だね?」
とラムザはいつになく真剣にアグリアスを見つめた。
「・・・重さなど感じないくらいだ」
衝撃を受けているアグリアスの背を叩き、ボコの尻を叩いてラムザは手綱を引いた。
「あー、一時はどうなるかと思ったよ」
広い場所を見つけて火を囲み、アグネスはぺったりと土の上に伏せている。アリシアとラヴィアンはテントに入り、アグリアスも共に潜った。そこからは僅かの間話し声が聞こえていたが、今は静かだ。
「ジェリアがいなけりゃゴブリンに食われてたかもな!」
努めて明るくムスタディオが言う。森の真ん中で出くわしたゴブリンに、真っ先に突っ込んで行ったのはジェリア、皆が慌てて援護したが、ほとんど一頭で3匹のゴブリンを追い払ってしまった。ボコは、といえば何の心配もしていない様子で、のんきそうに羽ばたいて背中の二人にケアルをかけていた。
「人に飼われると親より弱くなることもあるらしいんだけど、この子は上手く育っているみたいね」
「素人の飼育にしちゃ良い線だね」
もぞもぞと身を起こし、アグネスはのびをする。
「これだけ戦いを見ていれば強くもなるって」
な、と傍らにうずくまっているジェリアに伸ばしたムスタディオの手は、案の定突付かれジャッキーが控えめに笑った。
「眠いのよ。また明日遊んであげてね」
「明日くらいまでならムスタディオも元気だろうね」
何時の間にか夜警から戻ったラムザがジャッキーに剣を差し出した。肩を竦めてジャッキーはそれを受け取る。
「やっぱり折ったのは不味かったわ・・・弓が無いと調子出ないのよ」
「オヤジは弓が嫌いだったから替えがねえんだな・・・」
4人が振り返ると、テントからごそごそとラッドが出てくるところだった。
「寝ていなさいよ、ラッド」
「や、もういい」
そう、とジャッキーは微笑んで頷き、あえて軽い足取りで焚き火を後にした。
「・・・なあ、何があったんだよ?」
残った3人の顔を見比べ、ムスタディオの遠慮がちな声がした。彼を見つめてアグネスは肩を竦め、ラムザは首を回す。
「無理に聞こうとは思わないけどな・・・力になれるもんならそうしたいんだ」
ラッドの表情を伺い、アグネスは溜息を一つ吐いた。
「・・・乱暴されたってことはあんたも想像しているだろうけど・・・それ以上の事はあたしにもよく分からない。アリシアの傷は酷かった。それ以上は分からないよ・・・」
「正確なところはね」
この僕でもね、と皮肉にラムザは唇を曲げ、よせよ、とラッドが小声を出した。
「ん・・・そうだな・・・そういう事を考えてたけどさ・・・アリシアがあんまり酷い状態だからさ・・・」
「アリシアは深手を負っていた。お腹の辺りに刺し傷があってね。普通の傷じゃないような気がしたよ」
「普通の傷じゃない?」
ラムザの言葉にムスタディオは顔をしかめる。
「異様な感じがしたぜ。正直、なんで生きているのか不思議だったな」
ラッドが頭を抱えて言ったところで
「フェニックスの尾を隠し持っていたのです」
不意にか細く声がした。ラッドの正面のテントが開いている。
「ラヴィアン・・・」
「休んでろって。疲れ果ててるって顔だぜ?」
「気がささくれて・・・あまりよく眠れないの」
ふう、と大きく息を吐き、ラヴィアンはテントの前で膝を抱えた。
「火に寄れば?」
場所を開けるムスタディオに苦そうに笑ってラヴィアンは首を振った。
「ごめんなさい・・・ここが良いの」
男達から距離を取り、彼女は小さくなっている。
「アリシアは、元に戻るかしら・・・」
「様子見ってところだね」
「そう、ね・・」
ラムザに見つめられてラヴィアンは少し下がる。アグネスがムスタディオを押し退けてラヴィアンの近くに座った。
「・・・二人共、もうちょっと向こうに下がってよ」
ぐいぐいムスタディオとラッドを押して、ラムザは火の向こうに移動する。男3人は身を寄せ、火を挟んでラヴィアンに向かい合った。
「ありがとう・・・ごめんなさい・・・」
「何も話さなくていい」
遮るようにラムザは低く言う。
「火に当たりたいなら僕らが余所に行くから」
「平気よ・・・」
アグネスが手を握ると顎を上げて震える唇で微笑む。
「食事は? スープが火にかかってるよ」
「・・・明日頂くわ」
しばしの沈黙の中、不規則なラヴィアンの呼吸が流れる。
「熱があるね・・・」
額に手をやり、気の毒そうにアグネスが言う。
「大丈夫、すごく気分が良いのよ」
ラヴィアンは笑いながら不意に涙を零した。両手を顔をに押し当てて彼女はしばらく泣いた。
「オヴェリア様とアグリアス様と離されて・・・」
嗚咽の合間に声が聞こえた。
「私達は地下牢に入れられた・・・3日程して・・・沢山の兵士がやって来たわ」
ローブで涙を拭ってラヴィアンは顔を上げた。
「言いたくないことは言わないでいいの!」
思わず、という動きでアグネスが彼女を抱き締める。
「いいえ・・・いいえ、狂ってしまう前に言わせて・・・」
しっかりとアグネスにしがみ付いてラヴィアンは声を震わせる。
「最初は・・・戒律を守るために口を犯されて、でもそれだけといえばそれだけだった・・・」
それなら耐えられたの、と彼女は呟く。
「2晩ほどしてからかしら、看視者が代わった・・・それから・・・戒律の解釈が変わったの・・・彼らは・・・アリシアのお腹を刺して・・・そこに・・・」
入れたのよ、そこを犯したの、とラヴィアンは辛うじて声にした。誰の口からも言葉は出なかった。
「私は万が一の時のため、髪の中にフェニックスの尾を幾つか小さく折りたたんで隠しているの・・・私、怖くて・・・アリシアが先に死んでしまったら独りであいつらの汚物に塗れて死ぬ事になる・・・それが怖くて怖くて・・・!だからあいつらが去った後で仮死状態のアリシアに羽を振ったわ・・・何度も・・・!」
「なんてこと・・・!」
「死なせてあげるべきだったわ・・・!」
ラヴィアンは掠れた悲鳴を上げた。しっかりと抱き留めながらアグネスも泣いていた。
「あんたは悪くないよ・・・!」
「いいえ・・・! 短期間に何度も羽を振ったからすっかりアリシアは正気を失ったわ。それ以前に充分狂っていたのに、痛がって痛がって痛がって・・・!」
「もういいよ・・・」
ラムザの言葉にラヴィアンは首を振る。笑うような表情で視線を炎に固定している。
「羽が尽きてアリシアは動かなくなって、そしていつの間にか看視者はいなくなっていた。それから彼らは「通常のやり方」で私を犯したわ。アリシアを忘れて・・・完全に死んだと思ったのね・・・」
ぎゅ、と拳を握るラッドの背をラムザが小さく叩く。首を振り、ラッドは立てた膝に顔を埋めた。
「すごく凶暴な男がいて・・・首を締められては死ぬ寸前で息を吹き返してって繰り返し。何をされたのかもよく覚えていない、何日経ったのかも知らないのよ・・・。気が付いたらアリシアを抱き締めていて、あなたが、ラッドが、扉を叩いていたの・・・それで・・・」
すすり泣きが虫の音のように火の周りを流れた。アグネスが、しーっと息を吐いた。遠くに行くほどには泣かないで、どうか落ち着いて。
「私は汚い・・・」
「あんたは悪くないよ」
「アリシアが恐怖と苦痛に囚われたままなら、それは私の責任よ・・・」
「違うよ、ちっとも悪くないんだから!」
「私は汚いわ・・・なんて、酷い事を・・・!」
ラヴィアンは長く泣いていた。いつしかそのまま気を失うように眠り、アグネスが抱いてテントに入れた。随分軽いね、と思わず囁くアグネスの声に、眠っていない腫れた目をアグリアスが向けた。ずっとアリシアの寝顔を見つめていたのだろうアグリアスは静かに身を起こして頷き、毛布を持ち上げた。
翌日、ラーグ公とゴルターナ公が戦火の口火を切ったという報が国中を駆け巡った。何度か利用した、バリアスの谷向こうの宿にラムザらが辿り着き、疲弊した体をほんの数日休める間に、南天騎士団は北天騎士団を圧して王都ルザリアに上洛した。どこから入手するものか、宿の親父は逐一情報を彼らに伝え、上洛のその日の内に王妃ルーヴェリアはベスラに幽閉、速やかにオヴェリアの即位の儀が執り行われたこともほどなく知れた。
報を聞いたアグリアスはその場で膝を付き、ここまでだ、と呟いた。依然としてイヴァリースの正式な王位継承者はオリナス王子ではあったが、即位したオヴェリアを奪還する、という行為は即ち、彼女を王座から引き摺り落とすという反逆行為となる。例えオヴェリアには王位への望みは露ほどにも無かったとしても、アグリアスには手の届かない彼方へ、彼女の主人は去ったのだ。
先行きを迷って彼らは宿に滞在した。もはや急ぐ者はおらず、チャクラの「返り」で寝込んだムスタディオ、アグリアスの骨折やアリシア達の回復を彼らは待った。
しかし、アリシアの心はいつまでも、子供と眠りの中間の状態から脱することはなかった。アグリアスは繊細に心を配り続けたが、アリシアを生家に帰すという結論に達した。晴れた日の早朝、ランベリー近郊のアリシアの生家に向かうアグリアスにアグネスが付き添い、ボコの背にアリシアを押し上げた。残る者が口々に別れを言う中アリシアは、はしゃぐように笑って花を握っていた。
そして何日かが過ぎたある未明、ジャッキーがラッドらを叩き起こし、ラヴィアンの姿がどこにも見えないと蒼白の面で告げた。ラッドの差し出す手に笑って縋れるまでになっていた彼女に、皆が安堵した矢先の出来事だった。
誰に宛てる手紙も無く、持ち出したものは身に付けた衣類だけ。戦士としての全てを残し、ラヴィアンは消えた。
その日、オリナス王子が即位し、同時に北、南天騎士団共に、大規模な軍勢をもって王妃ルーヴェリアの幽閉先であるベスラ要塞への進軍を開始したとの報が流れた。
獅子戦争の勃発である。
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