孵化 3

 荒涼とした大地に突き刺さる幾千もの剣。からからの風が小さく渦巻きながら剣を撫でると疲れ果てた溜息のような青い砂が零れる。くるくると風が遊び、次々と砂が舞い、気の遠くなるような時間の後、気がつけば大地は平らかに。何も無く、平和でもなく、ただ、寂しく。
 一瞬の強風に蒼い砂塵が視界を奪う。青い霧、青い闇、青い混濁。足が乗っているのは本当に大地だろうか。月も太陽も滅多に姿を見せない断崖に切り取られた小さな空は、本当に天なのだろうか。指先をくすぐる凶器の欠片だけがさらさらとここがどこかを知らせるだけ。

 風が凪ぐ。顔を上げる。目の前に広がる地平には、また、無数の剣。


 夜明けを待ちながらラムザは谷底に立っていた。景観がラムザを眠らせなかった。切り立った岸壁はかすかに発光して足元の砂は一層蒼く、谷もまた眠らない。何も無いこの空しい世界は全てを断ち切り全てを拒否し、傷つきもせずに新しい剣を待っている。
 ディリータのようだ。眠りが浅いところまで同じ。
 ラムザはすくった砂を風に撒く。綺麗だと思う。どこかに朝日が昇ったのか、岸壁の発光は薄れゆき蒼と碧の中間色の空気が谷を満たしていく。
「ラムザ殿」
「いい加減に殿はやめて欲しいな」
 アグリアスを振り向き、ラムザは頭を振った。長く突っ立っていたので砂塵が髪に纏わりついている。
「・・・また眠らなかったようだな」
「出発までに少し仮眠を取るから大丈夫」
「夜が好きだとみえる」
「そう、かな。分からないよ」
 そっけなく通り過ぎるラムザをアグリアスは止めない。彼が何を思って谷に立っていたか、教えてもらえるとは思わない。
 さくさくと軽い足音で去って行くラムザを一度振り返ってからアグリアスはラムザが佇んでいた場所に向かう。何度もにじった跡が、ラムザが長くそこにいたことを示す。見回してもただ青い景色、夜明け直前の深い色合いがアグリアスの周りに満たされているばかりだった。
 アグリアスには老婆の話は真とは思えない。しかし、伝説が生まれる場所にはなんらかの真実が埋まっているに違いないとも思う。おそらく、かつてここは武器の墓場だったのだろう。うず高く積み上げられた防具や突き立った剣や槍が、風化するのを待っていた。金属の冷たさが気温を下げ、時折崩れるものどもの音が高く響き、そして錆びた金属が風に舞う。打ち捨てられいじけた投げやりな場所。そして今は何も残っていない。乾燥した風は何かを呼ぶように逆巻いているのに、魔物すら寄らない。すねて膝を抱えた子供のように世界に背を向けているくせに、人の足を惑わさず、安全な時間をくれる。
 ここはラムザに似ている。人嫌いの寂しがりやと呼ばれるラムザに似ている。
 そろそろ起きだしてくるだろう、食事係を手伝おうとアグリアスは踵を返し、自分の唇が笑っている事に気がついた。いや、ゼイレキレ辺りで既におかしいとは思っていたのだ。ラムザを思うと笑んでしまう。胸に暖かいものが溜まる、この感覚にアグリアスは覚えがあった。二度と感じることはないだろうと寂しく思っていたはずだった。
 いびつで狂気を孕んだ子供だ。
 笑ってアグリアスは空を見上げる。そう、それは己の事でもあった。


「ああ、あの城ね・・・!」
 オヴェリアが呟く声が静かに流れる。宿の窓から眺める城は無骨だが静謐で、古典的な教会を模している。
「ええ、いよいよでございますね」
 答えるアグリアスも頷くオヴェリアも緊張に満たされた顔つきだ。
 谷を抜けると小規模な町の外郭が見え、更にその町を通過するとライオネルの城下に入った。城を訪問するためには王女が同行するとはいえ先触れが必要、ラヴィアンとアリシアがオヴェリアの署名の入った書状を携えて城に向かい、残りの者は宿で身支度を整えながら彼女達の帰りを待っていた。
「はー。でっかいな! 俺、ほんとに入っていいのかな」
 ムスタディオが最も緊張すべき人物だが、あれ程言い募った割に彼はのんきに構えている。ラムザが後ろから蹴飛ばし、わかってるよ、とムスタディオはねめつけた。もちろんラムザは知っている。彼が毎晩皆が寝静まった頃に起き出して、母親の肖像画に向かって父の無事を祈っていた事を。
「似合うわよ、その格好」
「絶対嘘だ!」
「うふふふ、もの珍しいって事!」
 ムスタディオを小突き、彼の周りを一回りしてからジャッキーは顔をつき合わせて笑ってやる。枢機卿と呼ばれる人物に会うのならば失礼にあたらない服装を、ということで、嫌がるムスタディオに騎士の礼装を着せたのだ。傭兵達は様々な客を相手にする仕事柄、礼装を携帯しているのでラッドのものをムスタディオに貸したのだった。父親を追ってザランダに辿り付いたムスタディオはほとんど文無しであったためにラムザらが旅の資金を提供していた。戦闘の度に着替えを購う必要があったが、彼は気兼ねして洗うなり接ぎを当てるなりして出来るだけ保たせようと努力していた。その結果、随分と見栄えのしない格好を続けていた。本人は仕事着の方がずっとましだとぶつぶつ言っているし、誰もが似合っていない、と思ってはいるが、接ぎも染みもない服を着たムスタディオはそれなりに紳士に見えた。

「ただいま戻りました」
 アリシアの声に全員がそちらを見た。笑顔のラヴィアンが皆を見回す。
「面会をお許し下さいました。オヴェリア様さえお疲れでなければ、すぐにでも城内でもてなさせて頂きたいとのお言葉を承りました」
 ほうっ、とアグリアスが息を吐いた。結果はまだ分からないが、オヴェリアを受け入れる余地はありそうだ。
「では、行きましょうか。城に入れば安心です、早い方がいい」
 やはり礼装に着替えたラムザが立って言った。ラッドとジャッキーは宿で待つことにして、彼とアグネスは第三者として事情を証明するためにアグリアスらに同行を求められた。ムスタディオの嘆願も仲介する必要がある。
「お気をつけて。もうお会いすることはないかもしれませんが、お元気で」
 ラッドがぎくしゃくとオヴェリアに深く礼を取った。まだ王女には緊張するらしい。
「お幸せをお祈りします。アグリアスさんがいるから大丈夫ですね」
 胸に手を当ててジャッキーも礼を取る。彼女はオヴェリアが大好きだ。にこにこと王女を見つめ、勇気付けるように頷く。交互に二人の手を取って、オヴェリアは心情のこもった礼の言葉を言った。少し涙ぐんでいるようだった。簡単な別れは傭兵の常、振り返るオヴェリアに軽く会釈し、二人は部屋の扉を閉めた。

「・・・・申し訳ありません、走って追いつきますから!」
 宿の表に一歩踏み出して、ラヴィアンが突然言った。誰も止める間もなく、彼女は引き戻って行った。忘れ物かな、と一行はゆっくり歩く。

「あーあ、行っちゃったわね! 寂しくなるわあ」
「良い子だったよな、オヴェリア様。汚れてなくってさ」
「そー、ぴかぴかよね! こっちまで綺麗になりそう」
「あー、それ無理。俺らは無理」
「あーはは、そうね、でもいい気分になったよね!」
 そうそう、と言いかけ、固い足音にラッドは振り向いた。慌てたノックの後に扉が開き、ラヴィアンが飛び込んできた。
「驚いた! どうしたの? 忘れ物?」
 辺りを見回すジャッキーに首を振り、ラヴィアンは部屋の真ん中で困ったように突っ立った。無言の間の後、意を決したようにラヴィアンはつかつかと進んでもぎ取るようにラッドの手を両手で握った。へ、とおかしな声を出してラッドは後退る。
「・・・感謝します・・・貴殿が救って下さらなければ私は死んでいました」
「は?」
「滝で、水の中から引き上げてくれたでしょう?」
「は、あれ? あんなのは当たり前で」
「いいえ、傭兵ごときと不遜であった私を頓着無く助けて下さった事、決して忘れはしません。本当にありがとう」
 ラヴィアンはさっと身を屈めると、ラッドの手の甲に唇を押し当てた。そして茫然とする二人を残して急いで走り去った。
「・・・あら、まあ」
「・・・・」
「顔、赤いわよ、ラッド。残念ね」
「なっ、何がだよ!」
「残ってくれたら良かったのにねえ」
「だー! うるさいっ、所詮貴族のお嬢さんなんだ!」
「そうお?」
「そうだッ!」
「残念だわあー、面白い事になっただろーに」
「うるさいいいッ!」

 ラヴィアンは走って戻ったせいか顔を赤くしていた。ライオネル城を見上げ、宿を振り返り、オヴェリアの不思議そうな顔にちょっと笑って見せている。少し俯いて最後尾に付く彼女にすうっとアグリアスが寄った。
「良かったのか?」
「は・・・?」
「おまえがそうしたいのなら残ってもいい」
「は!?」
「姫様の保護が叶えば表立った動きも可能だ。父上に願い出て、新たな護衛を幾人か派遣して頂こうと思う。おまえに用事ができたのならば、休暇をやろう」
「よ、用事・・・」
「他の言い方でも私は構わないが」
 澄まして前を向いているが、付き合いの長いラヴィアンにはアグリアスが笑っているのがはっきり分かった。そして彼女の観察力に改めて敬服する。
「・・・ご勘弁下さい。私は近衛騎士として生きていくのが性にあっております故」
「そうか。私は残りたいな」
「は!?」
 振り仰ぐアグリアスは目を細めて遠くの山を見ている。
「冗談だ」
「・・・今のは本気ですね」
「冗談だ。王家にお仕えする近衛騎士であるのが私という存在だ。それ以外の人生は有り得ない」
 ラヴィアンを見返すアグリアスは僅かに笑みを浮かべている。この表情が最も本気であることももちろん知っている。何を選んでも後悔は必ず生じる。ならば成すべきことを成せばいい。かつてこの長が呟いた言葉を思い出し、ラヴィアンも笑みを返す。
「では、私もそれに殉ずると致しましょう」 
「縁起でもない」
 横顔は穏やかに笑っている。

 運命の門は目の前、門兵の声にアグリアスは凛と答える。

「私はルザリア聖近衛騎士団所属の騎士アグリアス・オークス! 神の御子聖アジョラの救済を求めオーボンヌより参上致した。開門を願う!」






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