うちの子

 天蠍の月、ゴーグはまだ暖かく風は優しい。子供達は力尽きるまで表を走り回り、それこそ鉄砲玉のようだ。
 太陽が真上にあがり、村中のかまどから煙が上がった。魚と豆の匂いが漂えば、それは食事の時間だという知らせだ。
 子沢山のこの村では、どこの家でも母親すら子供の数を把握しておらず、いつでも食事が多すぎたり少なすぎたりした。そして余ったおかずを持って家の外で大声を出していれば、ウチにおくれよ、とまた大声がかかる。食事時は村が最も騒がしい時間だ。

「ごはんだよ!」
 遊び回った挙句に疲れ果て、木陰に折り重なっていた子供達が一斉に首を上げた。這いずり出す子、踏み付けられて泣く子、それを引き摺っていく子、一塊の子供の群れがヘレナの声に向かって走り出す。
 ヘレナは足元に纏わりついては家に入る子供達の数を適当に数え、どうやら食事が足りないと判断して、隣の家に向かってまたもや怒鳴る。
「アリサ! 余ってないかい!?」
「ちょっと待ってて!」
 やはりでかい声が窓から返事をする。アリサは上品で通っている方だが、その声は3軒先までは軽く聞こえたことだろう。安心して家に引っ込んだヘレナは、早速の大騒ぎにうんざりと両手を腰に当てた。子供達は椅子の奪い合いが発展したらしい、『高見取り』の遊びに夢中だ。そこら中に登ろうとしたらしく、色々な物が子供を含めて床に落ちている。
「大人しくしな!!!」
 もちろん誰も聞いていない。
「3秒以内に椅子に座らないとごはん抜き!」
 1秒で静止した子供達は、きっちり3秒で椅子に座った。多いところでは3人が重なっている。引っくり返った椅子の上にとりあえず伏せているのは末娘予定の4つのキラだ。その下に弟がいて、さすがのヘレナもここら辺りで最後にしたいと思っているから、9人目が腹にいるらしい、ということは考えないようにしている。
「よろしい。じゃ、イブ、ケイ、メイフィールドとシェーンベルグ、手伝いな」
 11才を筆頭とした年長の4人を呼んでヘレナは台所に向かう。途端に残った子供達は動き出そうとするが、振り返ったヘレナの眼圧に固まった。
「テスとマクファーソン、ちゃんと面倒見とくんだよ!」
 8才組をぐっと睨み、二人が急いで頷くのを確認してから、彼女は年長組を追った。


 奪い合い、零し合い、食べさせ合いでとにかく騒がしい食事が始まるとすぐに、隣のアリサが鍋を持って現れた。その後に双子の血筋のクララ・セイラ姉妹、バニラが続いて入って来た。ヘレナを加えた5人の女は、その亭主達を含めてやはり一まとめにされて育ってきた仲間である。
「今日はここに集まってるのね。テスとマクファーソンの分、持ってきたわ」
 クララがパンを差し入れる。ここの子供は双子が3組だ。
「ちょっとイブ、エバはどこなのよ」
 ここも双子が2組のセイラが、ふかし豆を子供らに配って呼ぶと、口いっぱいに何かを頬張り、自分の皿を伏せるようにして守っているイブが首を横に振って、知らない、というような事を言った。
「エバはウチだよ。って、うちの子、いないよ? 3人行方不明だったけど」
 バニラがそこら中を覗いて回って言った。彼女の手の中のパンにはキラがぶら下がろうとしている。
「ウチよ、3人ともいるわよ」
 アリサは大きな腹を揺すって、どっこいしょ、と鍋をテーブルに置く。2つのヘンドリクセンが縁を握って覗き込み、落っこちそうになるのをメイフィールドが引っ張った。
「悪いねえ。7人もいるとどうなってるんだか、分かりゃしなくってさ」
「いいの、まだ3人だから余裕あるもの」
 この子が生まれたらよろしくね、と腹を撫でてアリサは笑う。
「あれ、ムスタディオは?」
「おや、そういや見ないね」
「ここかと思ってたわ」
「わすれてたー!」
 キラが大きい声を出した。パンを離してヘレナが呼び止める前に全速力で外に走って行った。
「置いてきたみたいだね・・・」
「あの子、大人しいからねえ」
「ちゃんと食べてるのか分からないくらいよ」
「最後に来て、最初に食べ終わるのよねー、大丈夫かしら」
「まあ、キラが面倒みてるから平気だとは思うけどね」
「おや、早いね」
 どたどたと家に戻って来たキラは、ムスタディオを思い切り引っ張っている。当のムスタディオは油で服を汚し、ネジ回しを握っていた。キラはかいがいしくネジ回しを取り上げ、リトルジョンを椅子から突き落としてムスタディオを座らせると、またバニラに戻ってテスと一緒にパンにぶら下がる。きょろきょろしているムスタディオにマクファーソンが皿を引き寄せてやり、それに手を伸ばすヘンドリクセンを膝に拘束した。
「ちゃんとお食べよ、ムスタディオ」
 ヘレナにこく、と頷き、ムスタディオはフォークを探してるようだったが、見つからないので汚れた手で掴もうとする。イブがすかさず濡れタオルで両手を拭いてやり自分のフォークを渡すと、嬉しそうに笑ってフォークを見ている。じっと見ている。
「これ食べな」
 シェーンベルグが呆れ顔でふかし豆を幾つか突き刺してやる。それでやっとムスタディオは食べ始めた。
「・・・大丈夫かね、あのおっとりで」
「いつもあの調子だもんねえ」
「親父はぱきぱきしてるのにねえ」
「ステアリーナに似たのよ、あの子大人しかったもの」
「病弱だっただけよ、えらく肝が据わってたじゃない」
「そうね、村に来た日にベスロディオの女房になったっけ」
 話題の中心になってる事など全く気付かず、ムスタディオは今度は鍋を覗いた。早くも中身は空だが、イブが傾けてやると残ったソースをスプーンで上手に取って皿によそい、口に運びながらせっせと膝に落としている。食べる量より落とす量の方が多そうだった。それをマクファーソンの膝から身を乗り出したヘンドリクセンが指ですくって舐め始めた。皿は、同じ年の子の食べ痕よりずっと綺麗になっていて、ムスタディオは満足そうににっこりしている。
「・・・器用なんだかどうなんだか」
「食べ零しはベスロディオ似ね」
「そうだね、それをうちの亭主が拾って食べてたっけ」
「ヘンドリクセンも親父似ってことかい」
 騒がしい食事がしばらく続き、ムスタディオはあっちの皿、こっちの皿、と摘むようにして食べていた。そして他の子供達が最後の戦いを繰り広げる中、さっさと戦線離脱するとほとんど落っこちるように椅子から降りた。表に出ようと戸口にたむろしているヘレナ達の足元にやって来る。
「こら! もっと食べないと大きくなれないよ!」
「パン、お食べ」
 キラとテスを振り払って残った棒パンを持たせると、ムスタディオは素直にかじり、しかし覗きこんでくるキラとテスにあっさり分けてやった。女房達の足元で3人はしばし固いパンと格闘し、早々と勝利したキラとテスは、テーブルの乱戦に加わるべく駆けて行った。ムスタディオは女房達に見守られながらパンをがんばって食べていたが、結局半分残して申し訳無さそうにバニラに返した。そして転がっているネジ回しを拾うと表に出て行った。
「機械馬鹿だねえ」
「全くだよ、あの子、今ウチの倉庫で何作ってるか知ってるかい?」
「何か作れるの?」
「それどころじゃないよ、オルゴールだよ!」
「嘘でしょ? 5つで?」
「それが本当なんだよ」
 まるで自分の子のように誇らしげにヘレナは胸を張る。皆驚いて開いた戸口から倉庫を見詰めた。
「もちろんうちの亭主が手伝ってやってるけど、鉄板切ったりネジ作ったりしてるだけなんだよ。組み立てはちゃんと一人で出来るんだ」
「すごいねえ・・・! さすがベスロディオの子だねえ」
「ベスロディオの誕生日にプレゼントしたいらしいよ。内緒でやってるから、絶対秘密だからね!」
「もちろん! 楽しみだ、後10日じゃないか」
「発表会しましょうよ、ベスロディオも喜ぶわ、ううん、喜ばせるわよ、絶対に!」
 件の誕生日は、同時に妻だったステアリーナの命日でもある。毎年自分の誕生日を祝うつもりなど毛頭無いベスロディオを、皆心配していたのだ。ベスロディオもまた、彼女達の『育ちの兄弟』であった。


 たまには、と仕事を早めに切り上げて戻ったロイドは、まず庭の倉庫に立ち寄った。このところずっと、ムスタディオががんばっているからだ。そしてその横にはキラがいることが多い。二人のために危ない道具を片付け、扉を開け放してある倉庫に入る。案の定、小さい眉毛に皺を寄せてネジと戦っているムスタディオと、それを真剣に見守っているキラが、作業台の上に座っていた。頭上にはランプが灯り、二人はオルゴールの蓋を本体に留め付けているところだった。キラが支える蓋に蝶つがいを当て、昨日ロイドが開けてやったネジ穴にムスタディオは集中している。ムスタディオは左利きだから余計にその動作は幼く危うげに見えるが、8つあった穴は既に7つが埋まり、残り1つももうすぐ塞がりそうだった。
「出来てきたなあ」
 キラがぱっと顔を上げる。
「おかえり、とうちゃん!」
「おう、イイコにしてたか」
「ううん、あんまり!」
 うずうずしているのが表情で分かるが、しっかり押さえた蓋は離さない。普段なら飛びついてくるところだ。性格からいって、この末娘が何かを我慢するのはよっぽどの事で、それは決まってムスタディオに関わっている。相当に将来が有望な亭主を早くも手に入れたらしい末娘を、にやにや笑ってロイドは見守った。
 ゆっくり、だが確実にネジを留め終わると、ムスタディオは5つらしからぬ溜息を吐いた。蓋を何回か開け閉めし、キラもそれを真似する。
「外見はきっちり出来たなあ、がんばったな、ムスタディオ」
 初めて気が付いたようにムスタディオはびっくりして顔を上げ、
「おかえり、ロイドおじちゃん」
と笑った。
「さ、晩飯だ。今日はここまでにして家に帰ろうな」
 二人をそれぞれ腕に抱え、ロイドはランプを吹き消した。
「中身はどうだ、ちゃんと音は鳴ったか?」
「うん。でもいっこ、おとがへん」
「そんじゃ明日見てやろうな。爪の位置がズレてるんだろう」
 丸い円盤に穴を開け、その穴を爪が弾くことで音の出るタイプのオルゴールだった。ロッドの監視の下、鳴音部の組み立ても、ムスタディオがちゃんと自分でやった。それを更に順番通りに繋ぎ合わせるまでが完了したらしい。後は多少の溶接をしてから箱に収め、箱の外側を装飾して出来上がりだ。ベスロディオの誕生日に充分に間に合う。ほとんど自分が作ってやるつもりだったロイドが一番、ムスタディオのがんばりに驚いていたのだった。
「キラね、きれいな石をみつけたよ。ちいさくしてふたにくっつけたらすてきだよ」
「うん、ことりのかたちにしよう」
「お花も! むすたでぃおのなまえもかくんだよ」
「きらもなまえかいてよ」
「いいの!? やったー!」
 二人は腕の中で嬉しそうに装飾の計画を立てている。微笑ましく思いながら、家のドアを開けると、いつものうんざりを通り越して馬鹿笑いしたくなる程の喧騒があふれ出た。
「おー、帰ったぞ!」
「おかえり、あんた! 早速で悪いけど、」
「よし、ちびどもは任せろ」
 ムスタディオとキラを降ろすと、ヘレナの裾でかくれんぼをしている下の2人を捕まえる。子供達は歓声を上げて父親の早い帰宅を喜び、飛びついては登ってくる。それを引き剥がしては椅子に押し込め、自分の子供がちゃんと8人いる事を確認する。ムスタディオは、周囲を見回して落ち着かず、それもまたいつもの事だった。
 ロイドはまず定番の豆スープをテーブルに運ぶ。続いてパンを持って戻る。すると案の定、自分の椅子に座っているのはムスタディオだけになっていた。3人ほど腰にぶら下がっているのを元の位置に戻し、テーブルに上がっている子を叱り飛ばして降ろしてから椅子に腰を降ろした。
「さ、いいよ。お祈りして食べようね」
 ヘレナが汗をかきながら煮込んだ魚と、野菜のソテーの大皿をテーブルに置く。夜だけは、出来るだけ自分の家に帰ってきちんとお祈りをして食べる、というのがこの村の子供が守るべき、唯一と言って良い決まり事である。今夜もムスタディオだけでなく、3軒隣のクララの子が混じっているが、あの家では生まれたばかりの双子に手が掛かっているから了解済みだ。
 ほんのひと時の祈りの静寂の後、喧騒が戻ってくる。ロイドが食事時に家にいるためにヘレナが一番嬉しがり、子供達もそんな母親を見ていつもより明るい。
「ほら、また零して」
 魚の頭にかぶり付きながら汁をぼとぼとに膝に落としているムスタディオにロイドが笑う。
「全く、ベスロのガキの頃にそっくりだよ」
「それじゃ、あんたが責任とって零したのを始末しとくれ」
「仕方ねえなあ」
 ロイドは大胆にも、ムスタディオの膝の上にパンを千切って置き、垂れたソースを染みこませる、という戦法に出た。ヘレナが、馬鹿、とロイドの頭を叩いて受け皿を持たせる。
「イイ方法だって」
 「馬鹿だね! ほら、食べ始めたじゃないか!」
 ムスタディオは魚を置いて、膝の上で柔らかくなったパンを不思議そうに触りながら食べていた。
「こらこら、お腹壊すからだめ、それはおじちゃんが食べるからね」
「俺!?」
「他に誰がいるっていうんだい!」


 それぞれが食事を終え、キラはムスタディオを引っ張って風呂に向かった。何人もがその後を追っていく。年長のマクファーレンを風呂の見張りにやり、残りの子供は絵本を読み始め、それなりに部屋は静まった。
 テーブルに座って夫婦はやっと一息付く。家中が酷い有様だが、片付けるのは子供達が眠った後だ。元からあまり物の無い家、落ちた物を拾って床を掃けば綺麗になるから心配はしていない。しばしの休息にロイドは今日見つけた古代機械の話を始め、ヘレナは頬杖を突いて微笑んだ。
「おまえが現場にいたらもっと早く進むだろうに。アレは面白いぜえ」
「残念だねえ、ちょっとだけ見にいこうかな」
「育児と仕事、交替するか?」
「上の子達が戦力になるか、独立して村を出ればねえ」
 ヘレナはベスロディオと並んで、彼らの世代では最も手先が器用で斬新な工夫の出来る出世頭だった。皆に請われて、結婚後も4人目が生まれるまでは地下に潜っていた程だ。ヘレナの腕を惜しがる年寄りも多く、ベスロディオも事あるごとにロイドに主夫になれ、とからかってくる。実際この村では、それは珍しいことではない。このデセルズ夫婦も、ロイドが破壊的に料理オンチでなく、溶接と研磨の達人でもなければ、ヘレナが仕事を続けていただろう。
「ホント、見に行けよ」
「触りたくなるだろうねえ」
「3年もしたら、なんとかなるって。戻ってこいよ」
「・・・・・いや、実は、次が、さ」
「・・・・・俺も、そうかなって、思ってた」
「・・・・・」
「・・・・・」
「ははは! 多い方がいいよ! ねえ、あんた!」
「ははは! そんなの決まってるじゃねえか、じゃあ、5年後だな!」
「ははは!」
「ははは!」
 沈黙。苦笑して二人は顔を見合わせた。子供が増えるれば単純に嬉しいが、それもここまで増えると無邪気には笑えない。これで30代の若い夫婦では村一番の子沢山だ。さすが15人を育てたヴァネッサの娘、と褒められるだろうが、食料事情はこの50年戦争末期、悪くなる一方だった。
「ま、今年は豊漁だから、魚だけはあるからさ」
「気合入れて働くぜ。スラムの南の方が風車の取替え時期なんだ。あっちはこの間の嵐の被害も少なかったし、稼がせてもらえそうだ」
「頼んだよ、がっちり育てるからさ」
「そっちは心配してねえよ」
「おばちゃん」
 足元から小さな声がした。パンツ一枚のムスタディオが見上げている。髪が拭けないらしく、タオルをぐちゃぐちゃに頭に巻いて困った顔をしている。キラの仕業だろう。
「綺麗にしたかい? ほらおいで」
 抱き上げて膝に乗せると、くすぐったそうにムスタディオは身じろいだ。髪を拭いてやりながらヘレナは笑う。
「いい色の金髪だねえ、母親似だ。10年もすればイイ男になって女を泣かすんだろうねえ」
 タオルの隙間からヘレナを覗いて、ムスタディオは首を傾げる。
「いーや、大丈夫だ、キラが捕まえちまうさ」
「あんたもそう思う? そうなるといいね! この子、一人っ子だから早く家族を作んなきゃ」
「へへ、そしたら俺ぁ引退だな! おまえがその“婿さん”を鍛えろよ」
「ちょっと! 婆あになるまであたしを働かせる気かい!」
 膝の上のムスタディオは、しきりに首を傾げながら笑う二人を交互に見ている。欠伸を1つして足をぶらぶらさせた。
「そろそろ眠いか、ムスタディオ」
「ねむくないよ」
「寝て待ってろ。ベスロディオが戻る頃に送ってやるからな」
「とうちゃん、しごと、おそいね」
「ああ。よく働く村一番の機工士だぜ」
「いちばん・・・」
「そうそう」
「ぼく、にばん?」
 何か真剣にムスタディオは言った。ぶ、と笑って夫婦はその顔を見る。
「ああ! すぐに二番になるよ、楽しみだね!」
「にばんがいいの。ぼく、しごとのつぎだよね、とうちゃんかえるよね」
 はた、とヘレナは笑いを止めた。ムスタディオはヘレナの腕にしがみ付いて一生懸命な顔をしている。思わずごしごしと、頭を撫でてぎゅっと胸に抱いた。
「おまえが一番だよ! 仕事は村一番で、おまえがベスロの一番だよ!」
「いちばんがたくさん・・・」
「はー、ちっこいのに悩んでたんだなあ」
「せっかちだよ、ステアリーナ・・・2、3人産んでからにすりゃ良かったんだよ、早すぎるよ・・・」
 ヘレナは涙ぐみ、ぐいぐいムスタディオを抱き締めた。胸の中で、くるしいよー、と金毛が揺れる。ロイドは笑ってヘレナからムスタディオを取り上げた。
「ベスロに言っとくよ。たまには早く帰れって。今のまんまじゃ倒れちまいそうだしな」
「この子が可愛くない訳ないだろうにねえ、ステアリーナが吹っ切れないんだねえ」
「疲れ果てることで誤魔化してんだろうなあ。ろくに話しもしてないんじゃねえだろか。心配だな・・・」
 ロイドを見上げてムスタディオはまた首を傾げた。
「とうちゃん、つかれてるよ」
「そうかあ」
「すぐねちゃう」
「うーん、そうかあ」
「いっしょにねるんだよ」
 涙を拭い、ふっと笑ってヘレナは手伸ばして頭を撫でた。そういえば髪だけは、ベスロディオがきちんと肩で切り揃え、毎朝結んでやっていると気付く。
「この子、ちょっと言葉が出ないね。ウチの子達がすごいから、いっつもびっくりしてるみたい」
「5つになったばかりだからな。なあに、すぐに慣れるさ。それにもう、ウチの子みたいなもんだしな」
「そうだね、立派な機工士になってキラの亭主になったら、それこそウチの子だよ」
 うちのこ、とムスタディオは呟き、複雑そうな顔をした。なんだい、と聞いても口をぱくぱくするばかりで言葉にならないようだった。
「さ、もう寝な。ちゃんと連れて帰ってやるからな」
「ウン」
 脇の下に手を入れてムスタディオを床に降ろす。とと、と走って行く向こうにキラが顔を覗かせた。二人は手を繋いで振り返り、おやすみ、と夫婦に言って仲良く寝室に向かった。



「よお、ロイド」
「よお、じゃねえよ」
 ロイドは不機嫌な声で言った。日付はとうに変わり、眠ったまま運ぼうと思ったムスタディオは腕の中で目を開けている。ベスロディオに渡すと寝ぼけ声でとうちゃん、おかえり、と言った。
「悪かったな、アイツが急に動いたんでな。ちょっといじってたらこんな時間になった」
「気持ちはよーく分かる、分かるぜ。けどコイツも構ってやれよ」
「あー、うん、すまん」
「それはムスタディオに言ってやれ」
「おう・・・。じゃ、おやすみ」
「ちょっと待て」
 ロイドは女房を真似て、両手を腰に当てベスロディオを見た。怒ろうとするが、随分と痩せて目の下にクマを作っている姿に勢いが落ちてしまう。
「ちゃんと言ってやれよ、一番大事にしてる、ってな」
「なんだ?」
「自分は二番でいいけど、家に帰って来て欲しいって言ってたぜ、ムスタディオ」
「・・・酷え親だな」
 ロイドはベスロディオの肩をばんばん叩いてムスタディオを覗いた。
「全くだ。今すぐ改めて取り戻せよ」
 脇に抱えられたムスタディオは、びっくりしている猫のように両手足を縮めて二人を仰ぎ見ている。
「・・・そうする。じゃ、また明日な」
「ああ、おやすみ」
 杖の無い方の脇にムスタディオを抱え、ベスロディオはゆっくりと向かいの家に戻って行く。俯いてムスタディオを見ているから、何か話しているのだろう。ロイドは肩を竦め、二人に背を向けて戸口を振り返ると、ヘレナが苦笑で迎えた。自分達の幸運を思いながら、夫婦は互いを抱き寄せた。



「悪かったなあ、遅くなって」
「しごと、いそがしい?」
「ま、ほどほどにな」
「ふーん」
 ベッドに寝かせるとムスタディオは大きな欠伸をした。その口に指を突っ込んで笑い、ベスロディオは毛布を引き上げてやる。
「風呂入ったらすぐ戻るから、寝てろよ」
「まってる」
「・・・そうか」

 言葉通りにムスタディオは、ベッドの下に寝そべって待っていた。床の上に小さい紙を広げ、鉄筆を動かしている。
「何書いてんだ?」
 年齢の割りにしっかりした字を書くから覗き込むと、慌てて隠す。追求せずにどこかにそれを隠しに行くムスタディオの背中を見つめた。一人遊びが上手になってしまう前にロイドに預けて良かったと、寝台脇の妻の似姿に視線を向ける。
「・・・いや、悪い。俺もちゃんとするからな」
 妻は、しっかりね、と言っているようだった。彼女が一番心配している事だろう。
 ぺたぺたと軽い足音でムスタディオは戻って来た。小さい体に薄いシャツを着ているから、ゴーグではまだ過ごしやすい季節にも関わらず言いたくなる。
「寒くないか?」
「だいじょうぶ」
「ほら、上がれ」
 手を出すと縋ってよじ登る。大人しく定位置に収まるムスタディオはもじもじしている。この村で親父に緊張する子供なんてコイツくらいだと、ベスロディオは情けない気持ちで抱き寄せた。
「父ちゃんはおまえが大好きだからな。心配するなよ」
「うん・・・」
「どうした、言ってみろ」
「うん・・・」
 ムスタディオは言葉が遅い。妻のステアリーナはおしゃべりな女ではなく、自分もまた無口な方だ。ロイドの家で覚えるだろうと気にしていなかったが、あの賑やかしい家では却って萎縮するんじゃないかと急に心配になる。
「とうちゃん、ぼく、うちのこ、だよね」
「なんだ?」
「キラのとこにやらないよね」
「やるもんか!」
 ショックを受けてベスロディオは半身を起こし、大きな声を出した。ムスタディオは小さくなってしまう。ああ悪い、と頭を撫でると恐る恐る顔を上げた。
「ロイドおじちゃんもヘレナおばちゃんも、ぼく、うちのこ、って」
「おまえは俺の子だ」
 ベスロディオは真剣にムスタディオを見つめた。髪の金は妻と同じだ。ベスロディオが足の自由を失った落盤事故の日、ぼんやり庭に座っていた女と。
 慌てふためく仲間がなじみの女だと思い込み、ベスロディオの意識が戻るまでの世話を頼んだ。そしてそのまま居着き、いつのまにか女はベスロディオの妻になっていた。どうして俺の家の庭にいたんだ、と後に聞けば、地面に地下室の窓が半分埋まっていて珍しかったの、と笑った、そんな女。
「俺の自慢の息子だぞ、一番可愛い子だぞ」
 泣きそうになってベスロディオはムスタディオの顔を胸に押し当てた。ぎゅっとしがみ付いてくる手は余りにも小さい。
「うん」
 嬉しそうにムスタディオは言った。ベスロディオは両親を爆発事故で失い、孤児としてここで育った。二人は、二人だけが家族だった。
「たんじょうび・・・」
「うん?」
「はやくかえってくる?」
「おう。なんだか知らんが、午後は仕事しちゃいかんと言われた。祟りがある、とか言いやがる。何か企んでるらしいな、みんなして」
「はやくかえるんだ!」
「・・・そうだよ」
 小さな手に力が入り、ベスロディオの心臓までを掴まれて震えた。この1年を後悔した。本当に、後悔した。
「・・・一緒にかあちゃんの墓参りに行こうな。それと、したい事があったら言えよ」
「うん!」
 目を輝かせてムスタディオは勢いよく頷いた。この子は一度も母を呼ばない。自分が打ちひしがれていたせいで、寂しがることさえさせてやれなかったのだ。
「さ、もう寝ろ。」
「とうちゃん、きをつけてね」
「おう」
「ちゃんとかえってきてね」
 言葉を失ってベスロディオはただ、頷いた。帰らない母を呼ぶのではなく、帰るべき父を呼ぶ、幼い子がそこにいた。
「おやすみ、とうちゃん」
「ああおやすみ、ムスタディオ」
 がらんとした家、寝台の上も静かに澄んでいる。柔らかい髪を触り小さな寝息を聞きながら、ベスロディオは強く呟いた。
「おまえはうちの子だからな。ここにゃ何にも無いが、俺達二人がいる。おまえも必ず帰って来いよ、そうじゃなきゃ“家”じゃないんだぞ」
 月灯りの下、永遠の微笑をたたえた妻が、私もいるわよ、と言った、そんな気がした。



 10日後にベスロディオは、見事なオルゴールとそれに添えられた手紙に男泣きに暮れることになるが、それは別の話。
 そして、無口だと思われたムスタディオは体中に言葉を持て余していただけで、何処に行っても誰よりもよくしゃべる若者に成長することもまた、別の話である。






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