報告には少々時間がかかった。単なる上忍任務であったが、若干込み入ったものだったので火影への直接報告が必要だった。しかし肝心の火影の姿が見当たらず、カカシはたっぷり浴びた返り血とも氷ともつかないもので冷えながら、それを溶かさないよう屋外で長く火影を待った。
報告が済み、飛んで帰って風呂を使い、再び表に出たのは昼食の時間を回った頃だった。少し腹が減ったので甘味屋で団子を買い、串を舐めながら歩いた。きっと待ってくれている人のために、左手に握った紙袋には大福が入っている。
イルカは不在時には鍵を掛けるが、在宅している場合には大抵『仕掛け』だけで過ごす。おどろかしてやろうとすっかり気配を消して静かに仕掛けを外してたたきに滑り込む。と、食べ物らしいのどかな良い匂いがした。気のせいだと思う。部屋には若い男の一人暮らしらしく、壁や床、雑多な物品が漂わせる有って無いような匂いだけが存在し、食事の様子などは感じない。しかし短い廊下を通って居間を覗き、感じた僅かなものは確かに刺激だったのだと分かった。それは居間の窓寄りに置いてあるこたつの上に、イルカと仲良く並んでいた。
イルカは突っ伏して眠っていた。穏やかに聞こえる寝息は規則正しく、カカシは側に立ってしばらくその様子を眺めた。香りを楽しむ内に眠ってしまったのか、イルカの鼻先には大きな赤いイチゴが一つ転がっている。側の皿に五、六個が盛られており、甘い匂いがカカシにも伝わってきた。
宿直明けだと言っていたイルカ。待っていた様子で任務服のままのイルカ。こたつの板に頬を潰してイチゴに寄り添い笑うように眠っているイルカ。本当に小さい、日常の光景だった。それにカカシは鼻の付け根を熱くして洟をすすり、誤魔化すように台所に向かった。水場にはビニール袋に入ったまま茄子が置かれていた。その横に大福の包みを置いて冷蔵庫を開けるとサンマが伸びており、奥には『生ラーメン!』と大きな赤文字が見える。笑い、カカシは牛乳パックを手に取った。ナルトの師らしく、飲みかけのそれに刻印してある賞味期限はぎりぎりで、流しに放りだされた鍋を洗ってカカシは牛乳を温めるべくガスレンジの前に立った。
じんわりと乳の匂いが強くなめらかに漂う。部屋がにぎやかになるようだった。湯気を昇らせるカップを二つ持ちカカシは居間に戻った。幸せそうなイルカの鼻先から彼の幸せの素を取り上げて代わりにカップを置き、カカシは笑った。ほのかに熱が伝わるのかひくひくとイルカが頬が揺れ、つられるように鼻まで動いたからだった。
「起きませんか?」
控えめにカカシは囁いた。
「早くしないと膜、張っちゃうよ」
うつぶせ傾いた首筋は張り詰めた皮膚を見せている。不意に、その首筋に手に取ったイチゴを押し付けたい欲求がカカシに沸き起こった。かさかさした葉を摘み、うろうろと宙に円を描く。気配を感じたのか首の皮膚がふくりと動き、そこを狙って赤くまろい果物の先をそっと押し当てた。
「うーん」
イルカは呟き、つっと滑るイチゴに首をすくめ、そして細く目を開けた。途端、
「カ、カカシ先生!?」
いきなり覚醒してがばっと頭を上げた。
「お待たせしました」
ゆっくりとあぐらを組んでカカシは言い、イルカは、やー、あの、と口ごもった。
「お疲れ様です……」
「はい。あなたもね」
微笑んでカカシはカップに口をつけた。イルカは寝ぼけ半分で首を傾げて見つめ、不思議そうにも見える子供っぽい目をした。
「いい匂い。何飲んでんですか?」
鼻から寄って来るような彼に唇を緩めてカカシはカップを下げて中身を見せてやった。牛乳には仄赤い綺麗なマーブル模様が入っている。
「あ、イチゴ」
「いちごミルクイルカ味です」
イルカは今度は本気で首を傾げたようだった。
「味見する?」
訊いてはいるが聞くつもりはないカカシは傾いた唇に唇を押し当てた。うぐ、と音を発してからイルカは慌てて目を閉じた。
「乳くさい……」
「そりゃね!」
目を合わし、もう一つ軽くキスをするとカカシはイルカの背後に回って両足の間に挟むように彼を抱いた。
「お風呂の匂いもします」
少し残念そうに聞こえ、今度はカカシが首を傾げたがイルカは胸に背を預けてそれ以上は言わなかった。そしてこたつ布団を引っ張りカカシの爪先に被せて布団の中で足の甲を握った。ひゃ、と言ったのはイルカだった。
「冷たい……どうしてこんなに冷えて、」
言い終えず、イルカはにやりと笑った。
「また、踏んで来たんでしょう」
「バレましたか」
足首を引かれて膝を伸ばしながらカカシは言う。
「溶けちゃったらもったいないでしょ」
「カチカチですよ。湯冷めって知ってます?」
たぶんねー、と答えるカカシの足先をイルカはごしごしと擦った。
「子供っぽいなあ」
「凝り性なんですよ」
さくさくと、布団の擦れる音が続く。足先が堅いのは四日程走り続けたためだったし、冷たいのは風呂から出ると熱を持っていたから氷水で冷やしたからだ。しかしカカシはそれを言いたいとは思わなかった。暖めようと熱心なイルカとその両手の温度が嬉しかった。
その嬉しさがいけなかったのだろうか、カカシはそれっきり沈黙する事になってしまった。少しすると、忙しなく温い手から逃げるように足が退き、イルカは首を捻って振り向いた。振り向きながら追いかけるように尻をずらすと、カカシもどんどんずれていく。
「まだ温まってませんよ?」
「い、いいんです」
よかないですと、イルカが冷たい足を引っ張ると、カカシは仰け反りながらイルカの腰にぶつかる事になった。もちろん、股のところから、である。イルカが、あ、と理解した時、カカシの体はまた離れてしまった。それでも名残惜しそうに額がイルカの肩に乗る。
「カカシ先生」
「い、言わないで、下さい」
カカシは顔を上げない。
「……いいんですよ?」
だから、言っちゃだめ、とカカシは呟く。その頭をそっと抱き取りながらイルカは体を回した。するとカカシは大層照れた様子で、急いで口付けを仕掛けてきた。イルカがその背中をしっかり抱くと、少しだけ抵抗するようなもがく動作でカカシは考えているようだったが、とうとうふらりと体重を掛けてきた。
互いに同じ仕草で相手を抱き、何度か口付けを交し、こたつをがたりと鳴らしてその一辺にはまり込む。赤外線の熱と肌の温みでのぼせたように二人の頬は赤かった。カカシの油分も色素も少ない肌を検分し怪我の無い事を確かめ、イルカは髪の括り紐を自分で解いた。
こたつの上に並んだ白と桃の液体には薄く皺の寄った膜が浮かんでいる。
イルカは台所にいた。ラーメンを作っている。どんぶりにはタレと麺が入り、その上に炒めておいた野菜を沢山乗せた。更に半熟卵をスプーンですくって半分ずつ入れたところで、カカシがのっそりと顔を見せた。彼は流しから調理台代わりの小さい机からと、よろよろと回った後で慎重にイルカの後ろに立った。イルカはカカシをちらりと見たが、カカシはじっとラーメンを見ているようだ。
「のびちゃいますね。早く食べましょう」
「あなた野菜好きでしょう、沢山入れましたよ」
「カカシさん、卵がね、」
やはり慎重にカカシの腕が伸び、そろそろとイルカの腰を抱いた。
「……ごめん」
ぼそりとしたカカシの声に、困ったな、とイルカは苦笑した。
「ごめんね」
しんと冷えたカカシの指が服越しにイルカの腹に触った。とてもかわいそうで同時に可笑しく、イルカはその指をしっかりと握ってやった。
「緊張してたし」
「疲れてるとね、」
「ええと……俺、したくなければしなくていいって前に言ったでしょう?」
イルカはカカシの耳を暖めるように囁いた。したかったの、俺は、とカカシは拗ね、ラーメンのびちゃいますよ、とまたイルカは笑った。
NARUTO TOP