さんだる

 たまたま二人の休日が重なったなんということもない午後、カカシはただの思いつきで物入れの中身を出した。ぎゅうっと押し込めば人が二人入れる程度の小さな物入れには、半分程箱が詰まっている。それぞれの箱に書かれた簡単な但し書きを読みながらカカシは一つ一つを開けていった。
「『武器と装備』、あ、『任務服』まで。こんなところに仕舞い込んでもったいない」
「そうでもないですよ」
 横から顔を出したイルカに箱の中身を見せてカカシは笑った。
「……小さい」
「でしょ」
 よく見れば但し書きの字も幼く、箱の中に納められているのは子供用の物ばかりだった。イルカがくないを手にとれば、それはすっぽりと手のひらに収まってしまう。実用性はほとんど無く、小さな手に感触や使い方を伝えるためだけの玩具に近い物どもだ。
「こんなの、アカデミーの授業でしか使わないと思ってました」
「下忍時代はやむを得ず、ね」
 ああ、とイルカはくないを小指に引っかけてくるりと回した。
「これくらいじゃなきゃ持てなかったでしょうねえ」
「すぐにね、使い物にならないって気づいて普通サイズを手に入れたんですが、振り回すと重くて俺が飛んでいきそうになりましたよ」
「うっ、可愛い! 他のも出してみましょうよ、俺見たいです!」
「いや、その、ね」
 イルカはカカシの手から箱を奪って中身を床に並べていく。細部まで作り込まれたミニチュアのようなベストやポーチを微笑んで眺める。
「あ、残ってた」
 散らばった小物の中からカカシは一足のサンダルを拾い上げた。あぐらをかく彼の手の中を覗き、イルカは溜息を吐いた。
「小さい靴って妙に可愛いですが……。これはもう、痛々しいです」
「はは。結局あれきり履かずにとっておいたんだっけ」
 その小さなサンダルには、裂いた手ぬぐいらしき布地が絡んでいる。
「この布、補強ですか?」
「ええ、サイズが合わなくて。任務に一緒に行った人が応急処置してくれたんですよ。初対面の大人に親切にしてもらったのなんて初めてでねえ。嬉しくてとっておきました」
「い、痛々し……」
 目眩を起こしかけているイルカの横で、サンダルを矯めつ眇めつしてカカシは笑う。
「その人のおかげだろうな、俺が今ここにいるのは」
 物騒な言葉に黒髪の尻尾がぴくりと反応した。
「厳しい任務だったんですか」
「予想以上に強い奴が出てきちゃって。俺は毒にやられてしまいました」
「こんな小さなサンダル履いてるのに……」
 イルカは眉毛を下げて呟く。
「いやね、それはそれでヤバかったんですけど、その後で本当に助けてもらったんですよ」
「その後で? よく組んだとか?」
「組んだのは一度きりです。あれきり会うことはありませんでした」
 カカシはサンダルをきちんと揃えて床に置く。
「その人がしばらくの間俺を上忍にしないように動いてくれたんです。放っておいたなら、二、三年後には昇格したでしょう」
「え、このサンダルのサイズじゃ六つかそこらでしょう!」
「その頃は皆麻痺していたんですよ、今思えば。どんどん抜ける穴を埋めるのに必死だった時代です」
 手拭いの紐をひっぱりながら、カカシはこきこきと首を鳴らした。
「なんかね、俺が話したことをその人が覚えていて、俺の上忍昇格を決める会議で『ゆでたまごで家を燃やしかねない子供を上忍にする里なんて嫌だ』とか訴えたそうです。その台詞が三代目を泣かせたので、チャラになったとかなんとか」
「……ゆでたまご?」
「はは。俺にもよく分からないです。なにせ物心がついたばっかりの頃でしょ。ほとんど自動的に忍やってたから。その人のことだってぼんやりと覚えてるだけです。なんだっけ、イメージみたいな言葉が印象的で」
「いい人に会えましたねえ」
「うーん、なんだっけ」
 言いながらカカシはもう一つ箱を開ける。使いこんだ様子の千本がばらばらと入っている。あーこれまだ使えるなと覗き込むカカシの横からぬっと手を伸ばし、イルカはソーダ水のような気泡をたくさん浮かべたガラス玉を摘み出した。千本の間には他にも幾つものビー玉が混じっている。
「やっと子供らしいものが出てきましたよ」
 窓の光に透かすように目の前に持ち上げ、イルカは満足そうに微笑んだ。
「なんでこんなとこに入れたんだろう?」
 首を傾げるカカシの目の下に、一つ二つとイルカはビー玉を並べ始めた。
「ひとーつ木の守初代さま、ふたつ二代目泉守、みっつ遊ぶは山の猿、よっつ黄色い矢が走り、いつーつ転べば情が姫」
「なんですかそれ」
 ビー玉をはじくイルカは懐かしそうな目をしている。
「小さい頃、親からこれを習って遊んだんです」
「ふうん」
「気付きませんでした? 結構すごい歌ですよ」
「ん?」
「二代目の時代に出来たらしいんですけどね、火影の五代目までをぴたりと的中させているんです」
 そう言うともう一度イルカは低く優しい声でわらべ歌を歌った。
「……こわー」
「はは」
 誰が作ったものなのかは伝わっていない。初代だという説もあればどこかの高僧だとも言われている。
「今の子は知らないだろうなあ。木の葉丸にでも教えておくか……」
「続きはないの? 六代目は?」
「十までの数え歌だって聞いた気もするんですけど、俺が知っているのはここまでです」
「ふーん。ま、」
 とカカシはビー玉を手のひらにすくった。
「未来なんて知らなくても平気ですよ。作るものなんですから」
 そう呟きながらころころとイルカの手のひらに移す。子供時代を閉じ込めるようにその手を握り首を伸ばして頬に口付けると、イルカはにっと笑ってお返しだと尖った唇をちょんと鼻の頭に触れさせた。お返しお返しと笑いながら繰り返す内にビー玉は廊下に零れ、重なった体の周りに散らばった。



「あ、思い出した」
 タオルでがしがしと髪を拭きながらベッドに戻ってきたカカシは、イルカの顔を見て驚いたようにそう言った。
「はい?」
「ほら、サンダル調整してくれた人のイメージ」
「……まさかずっと考えていたんですか」
 けだるそうに伸びているイルカに含む目つきで睨まれ、今だよ、今イルカ先生を見て思い出したの、とカカシはマットレスに座った。
「おじさんはフランクなんだって言ってた」
「フランク? というかなんで俺見て思い出すんです」
「さあー? イルカ先生がフランクなんじゃない? それより」
 窓際に置かれた時計をカカシは指差した。
「あ」
 十二時を回っていた。イルカは起き上がってベッドの上に正座をし、ひょこと頭を下げた。
「お誕生日おめでとうございますカカシさん」
「改まるねえ」
「まあたまには」
 小さく口付けを交わし、イルカはにこにこするカカシに照れた視線を向ける。
「カカシさん、何か欲しいものあります?」
「うん、たくさん」
「うっ、い、一個か二個でお願いします……」
「はは。じゃあ、とりあえず膝枕」
「膝枕? いいですよ」
 どうぞ、と自分の膝を指差したイルカの視界が斜めになり、くるりと反転した。
「あれ?」
 カカシの腿の上でイルカは瞬きした。
「俺がされる方?」
 唇の先で笑いながらカカシはイルカの髪を梳いた。
「誕生日はね、俺にとっての記念日が他にも重なっているんですよ」
「はあ」
「だから」
 カカシはじっとイルカの目を見下ろした。なんですかと問いかける視線に柔らかく赤と黒の視線が絡む。
「あなたに、おめでとうと言って欲しかった。それで充分です」
「うーん、そんなことで良いんですか……」
 残念そうにイルカは言う。
「全然『そんなこと』じゃないですよ。これからも毎年ずっと、ですから」
 イルカは少しの間黙ってカカシの指に遊ばれていた。そしてごそごそと寝返りを打って横を向くと言った。
「じゃあ、とりあえず三年分の予約を入れておきますね」
 控えめな言葉だったがイルカの耳は赤い。そこに吹き込むようにカカシは身を屈めた。
「イエ、十年でお願いします。そんで自動更新でよろしく」
 明後日の方向を見ながらイルカは鼻先を掻いている。
 やがて、ハイ承りましたととても小さな声が聞こえた。

 廊下にはまだ、ビー玉と小さなサンダルが散らばっている。







NARUTO TOP