暴れようが呪おうが任務は任務。俺はただ待つしなく、肌寒くなる季節を一人寝で過ごさねばならなかった。アスマやガイに絡んで冷や奴を飛ばし、鍛錬を積んで任務を増やしても夜は長い。
本当にね、俺、イルカ先生と会うまで一体何やって過ごしてたのかね。
夜がこんなに長いなんて知らなかった。ナルトとも良く飯を食うようになったくらいだ。あいつはあいつで寂しい時間が増えている。イルカ先生の思い出話しをしながらしんみりラーメンをすすっていたら、一楽のオヤジに通夜みたいに食うんじゃねえと怒られた。もっともだ。
少し雪が積もって里の景色が一変した早朝、俺は個人任務を終えて家に戻る道を歩いていた。誰の足跡も付いていない白い道は、イルカ先生のいない俺の人生みたいだ。このまま寒々と一人生きるのも俺らしい、そんな地面にめり込みそうな思考をぐるぐると回しながら下を向いて黙々と歩いていたその時だった。
「カカシさん」
溜息みたいな小さな声だった。聞き逃しそうになって歩き続ける足を無理矢理止めた。
「任務だったんですか。お疲れ様です」
まるで昨日も会ったような当たり前の台詞に、俺はその場に硬直した。
「イ、ルカ、先生?」
何度もみた夢みたいに、俺の家の前にイルカ先生がいた。任務服のままで、彼もまた帰ったばかりのようだ。
「はい」
微かに笑ってイルカ先生は俺に向かって歩いて来た!
「イルカ先生……」
「お久しぶりです」
抱き締められ、硬直が解ける。イルカ先生は冷えていて俺もきつく抱き返した。ああ、イルカ先生の匂い、イルカ先生の匂いだ!
「あれ」
違和感に顔を見る。
「痩せた?」
少し、とイルカ先生は呟いて首を傾げるようにして苦笑した。それだけで充分伝わった。ぐっと熱い塊が喉に詰まる。
「俺、ずっと考えていました」
イルカ先生はちょっとだけ眉を寄せた。俺の言いたい事が分かってるんだ。
「別れます、あなたと別れます」
ぎゅうぎゅう抱き締め、俺は言った。ああイルカ先生の匂い、胸が痛い。とてつもなく美味しい物を食べながら地獄に堕ちていくようだ。
「俺のせいであなたが、」
「嫌です」
きっぱりと言い、イルカ先生は俺を引き剥がす。すごい力……ああ、俺がふらふらなだけか。
「嫌です」
もう一度言うイルカ先生の目から、前触れも無くほろりと涙が零れた。あんまりびっくりして、鼻の付け根辺りが痙攣した。
「どれだけ会いたかったと思っているんですか!」
「イルカ先生」
両肩を捕まれがくがくと揺さぶられて気が遠くなる。
「ごめんなさい、泣かないでイルカ先生」
「馬鹿言ってんじゃないです、泣いてんのはアンタでしょうが」
そんな事無いよと顔を触ったら、覆面の下には盛大に鼻水が垂れていた。いい年してどうしようもない。イルカ先生はイルカ先生で、もう眉は完全にハの字になって鼻の傷まで悲しそうに見える。
「カカシさん、本当に別れたいんですか!?」
そんな訳ないでしょう、断末魔のように喘ぎ、イルカ先生に被さるようにして抱きついた。痩せちゃったけど、イルカ先生の体。あったかい、イルカ先生。
「あなたを苦しめたくない」
あなたに任務が回る。くのいちとしての潜入任務が。
「俺はいいんです」
イルカ先生は諭すように言った。俺は子供のように頭を振る。
「嫌です、俺が嫌なんです」
「カカシさん……」
「こんな事になるなら付き合わなきゃ良かった……」
どうして言ってくれなかったの。そんな言葉を口にしそうになったが辛うじて黙った。だって、イルカ先生らしいじゃないか。滅多に『好き』だなんて言ってくれないけれど、俺を受け入れる事はイルカ先生自身を犠牲にするという事だ。言葉にならない愛情を俺はイルカ先生にもらった、それくらい分かってる。
俺達はしっかり抱き合った。道の真ん中でいつまでも抱き合っていた。風に吹かれて舞い上がる雪の粉のように、日が昇れば二人一緒に溶けてしまえればいいのに。
が。
「カカシさん」
不穏な響きのする声が聞こえ、俺は顔を上げた。真っ正面のイルカ先生は半目になって笑っている。怖い。
「とととととりあえずごめんなさい!」
俺がにじり下がりながら言えば、イルカ先生はずいっと一歩前に出る。
「言いましたね、カカシさん」
「すみません、すいません!」
「付き合わなきゃ良かったって言いましたよね、あなた」
ふふふふふ、とイルカ先生は笑った。何かが先生の背中から出てる!
「そうですよ、そうなんですよ!」
拳を握ったイルカ先生のオーラ、じゃなくてチャクラが具現化した。奇跡を見ながら俺は、人生の終わりを覚悟した。
「カカシさんっ!」
「はい!」
あなたなら、と言いかけた時、イルカ先生は振りかぶるように片手を回した。
「じゃーんけーん」
「ぽん!?」
うっかりつられ、出したのはちょき。イルカ先生はぐー。
「勝ちました!」
「お、おめでとうございます?」
ぐーを天高く掲げながら、イルカ先生はにやりと笑った。今度は、永遠に溶けなさそうな雪の粉が、轟々と音を立ててイルカ先生の周りを回るのだった。
「お待たせしました」
笑顔でイルカ先生が駆けてくる。里の支給品のマフラーが、イルカ先生のために用意された物のように似合っている。唇から漏れる白い息が、そのまま空に消えてしまうのがもったいなくて仕方がない。
「いーえいーえ、待ってませんから」
アカデミーの前で、俺達は顔を見合わせて笑った。今日も一日が無事終わった。
「俺の家でいいですか?」
少し目を細めてイルカ先生は言った。俺は黙って頷く。並び、イルカ先生の家に向かう俺達の背後に僅かな気配がある。
「給料日前で、あんまり良い物無いですけど」
鼻をこりこりやっているイルカ先生に笑い、俺は商店街に向かって彼の手を引いた。
「俺、肉食いたいです、おごります」
「え、いいんですか」
今日も一人、暗部が俺達に付いていた。帰還直後、早速やってきた『くのいち』任務をイルカ先生が断ってからというもの、俺達が二人きりになると暗部がお出ましになるのだ。全くご苦労な事だ。
買い物を済ませ愛の巣であるべき安アパートの扉を開ける。そして、暗部が天井裏に上がった事を確認して俺はイルカ先生に頷いた。僅かに逡巡するように首を傾げ、しかし、イルカ先生は淀みなく言った。
「脱がして」
イルカ先生は右足を上げた。俺は自分の履き物を脱いで上がり縁に跪く。
「早く」
肩の上に靴裏が置かれる。イルカ先生は容赦無く、それをぐりぐりと押し付けてきた。俺が素直に仰向けに倒れると、鎖骨の辺りを踏みつけられた。俺は足首のストラップを外し、そっと踵に手のひらを当ててイルカ先生の足を捧げ持ち、埃っぽい足指を口に入れた。
「いいですよ。じゃあ、こっちも」
ああもう容赦ないよ。左足も同じようにして綺麗にしてあげる。お許しが出ないので仰向けに倒れたまま、砂やら何やらで口中がじゃりじゃりするのを我慢していると、イルカ先生は俺を跨いで台所に向かった。
「おいで、カカシ」
ゆっくり起きあがる。もそもそ這って行くと、水場に立ったイルカ先生は買ってきた物を器に移していた。
「あの」
俺がもごもご言うと、ちらりとこちらを見る。
「うがいしてきてもいい、ですか」
「そんな事する必要ないでしょう?」
うう、と黙り、俺はイルカ先生の手元をじっと見る。笑っちゃう容器の中で、コワイ物が出来あがりつつあった。
「お座り」
ハイ、と俺はその場に正座した。ことり、と小さな音と共に膝の前に容器が置かれた。
「待て」
ハイ。
それから三時間、俺は『待て』を遂行し、その後、生肉と切っただけのナスを混ぜたモノ(イルカ先生はそれを『カルパッチョ』と呼んだ)を美味しくいただいた。
あの早朝、薄笑いのイルカ先生に手を引かれて彼の家に戻ってから、俺達の関係は劇的に変わった。
里に情を残しているから『くのいち』になれる。
問題はここなのだ。恋人がいる、それがいけない。つまり……
「犬的生活、楽しんでいるみてえだな」
「ああ楽しいさ、そりゃもう楽しいさ!」
叫び、腹を押さえる。扉の向こうのアスマがひひひと笑う。その髭で拭いたろか。
「そりゃ良かったな」
俺は上忍待機所のトイレに居る。ちなみに、朝来た時からここに居る。
「冬で良かったじゃないの。夏なら今頃病院よー」
酷い事を言うのは紅だ。
「あの先生もヤルもんだな。素人とは思えねえ」
「完璧主義なのよ、きっと」
「俺は布団の中でヤリたいけどなー!」
やはり三時間は長かった。温かい部屋の中で放置された生肉はナスの水分と絡み合って良い具合に傷み、俺は今朝からトイレの住人だ。待機所まで這って来ただけでも褒めて欲しい。
「いつまでワンちゃんごっごを続けるつもりなんだ?」
「ずっと!」
「まーすごい」
「おまえは黙ってろ!」
涼しい笑い声の紅に八つ当たりしても気は晴れない。とりあえず俺は、痛む腹を抱えてトイレから転がり出た。
「おむつしたら?」
涙で霞む視界の中で、紅がまた面白そうに言う。
「……するかな」
投げやりに答え、俺はよじ上ったソファの上に伸びた。
「よう、いい加減に諦めろよ」
「やーだよ」
『恋人でなければいい、でも一緒にいたい。それなら答えは一つしかありません』
あの朝、薄笑いのイルカ先生は言った。
『勝ったので、俺がカカシさんを飼います。犬みたいに』
犬?
俺は一瞬間抜けな面を曝した。が、じわじわとものすごい感動が腹からせり上がってくるのを感じた。そうだ、そうなんだ! ペットなら情は沸くだろうけれど、里に縛り付けられるような執着を呼ぶ程のものではない。そうだ、俺が犬になればいい、イルカ先生の犬に!
さすが俺のイルカ先生、なんて頭の良い人だろう、アカデミーの先生は発想力が違う! 俺は絶賛を浴びせ、イルカ先生の手を握った。イルカ先生は照れたように笑い、そして言った。
『じゃあカカシさん、二人きりの時は二足歩行禁止ですよ?』
「これでずっと一緒にいられるんだもんねーだ」
どうだかな、とアスマは苦笑している。バカめ、この計画の完璧さが分からないなんておまえばやっぱり熊だ。『くのいち』任務をお断りした時、事情を話すと火影様はあっさり引いたんだ。俺達の主従関係を確認するために暗部が付く羽目になったけどな。
「夜の方はどうなってんだ。バター犬かよ」
「そゆこと聞く?」
にやにや笑うアスマを睨み付ける。が、それは確かに今、俺の最大の問題でもあった。そう、一度もさせていただいていない。イルカ先生が帰った日から今日まで、一度も、だ。任務が約二ケ月、帰還から二週間が経過している。毎朝、汚していないかパンツの中を確認するその空しさよ。
「やーよ、カカシ。何泣いてんのよ」
「な、泣いてなんか……っ」
「しょーがねーな。普通、こういうプレイじゃご主人様はさせてくれないもんだからなー」
「……ちょっとアスマ、プレイってナニ? どうして詳しいの?」
「うおっと、俺、そろそろ行くわ」
待ちなさいよ、とアスマを追って紅が席を立ち、俺は一人残された。やはり見せつける会なのか。鼻水で湿っていく覆面の不愉快さを感じながら、イルカ先生の穴の形状を可能な限り思い描いていると、開けっ放しの待機所のドアに、ふっと影が落ちた。
「イルカ先生!?」
俺はびよんと起きあがった。イルカ先生は子供っぽく半分だけ顔を覗かせている。
「カカシさん、お腹、大丈夫でしたか?」
困ったような顔で笑ってくれる半分の顔。俺は喜びのままに、絶叫に近い声ではきはき言った。
「大丈夫です! あなたのカカシは健康です!」
俺は腹痛をぶん投げて笑った。心配される事が少ない俺にとって、イルカ先生のその言葉は天上の調べ……
「そうですか、今夜もカルパッチョなので気になって。丈夫なんですねえ、カカシさん」
「……ハイ」
イルカ先生が去った後、俺はとりあえず下痢止めを一瓶飲んだ。
「シたい?」
「はひ」
「どうしようかな……」
緩慢な動作でイルカ先生は座った。もちろん俺も一緒に座る。
「そのまま、デキます?」
「このまま!?」
「止めて良いって言いましたか」
「ふいまへん……」
イルカ先生はわざとお尻を下げた。必死で首を伸ばし、膝でずるずる進む。そんな俺を目を細めて見つめながら、イルカ先生は手を伸ばして頭を撫でてくれた。
「ちゃんと言う事聞いてるし……そのままなら、良いかな」
そのまま、とは右足と右手首が縄で繋がっている状態の事だ。当然、左側も同じ状態である。俺は今、その格好でイルカ先生の股座に顔を突っ込んでいる。なんだか良く分からないが、そうなのだ。
今夜のイルカ先生は優しかった。いつものように大型犬用の餌皿に盛られたモノは、炒めた牛肉とナス(味付け無し)だった。俺は感動し、約四時間の『待て』を楽しく過ごさせていただいた。
のだが。
食事の後、縄が出た。忍具としての縄なのでちょっと暴れたくらいでは切れない奴だ。それを持って、イルカ先生は鼻歌と共に正座する俺の周りをゆっくりと歩いた。やがて彼は俺の両手をそれぞれ足首と繋ぐと、にっこり笑ったのだ。
「舐める?」
で、現状だ。
まあアレだ、一層犬らしくなった訳だがもはやそんな事はどうでもいい。イルカ先生のパンツの中身なんてそれはもう久しぶり、気合いが入るどころの騒ぎじゃなく、毛穴が全部開くような気持ちだ。これが幸せってものなんだーよ天井の覗き魔め、俺達の幸せをとくと見るがいい!
基本的に『セックス〜? 別にぃ』な人である事も忘れてあらゆるテクニックを駆使し、やっと滲んできたモノを盛大に音を立ててすすり、俺は哀れっぽくイルカ先生を見上げた。
「ひはいれす」
「じゃあ、がんばって」
すぽん、と俺の口からモノを抜き、イルカ先生は俯せになった。
「……あの」
「早く」
「いえ、あの」
「早くシなさい、命令です」
「手、解いてもらえません?」
「そのままって言ったでしょう」
「えと……」
「立派なお口があるだろが」
俺は現状チェックを開始した。
イルカ先生のズボンの前は開いている。しかし、それだけだ。
イルカ先生にとってもしばらくぶりのナニである。結構キツイはず。
一方俺の手は縛られている。
「むむむ無理だと思いまーす!」
「ヤれ」
ちらっと振り向いたイルカ先生の顔に、『怪我させたら保健所行き』と書いてある。ちょっと涙が出た。しかし、俺にはもう他に道はない。というか、早くも股間がきつい。
「分かりました! カカシ、イキます!」
俺は叫び、その勢いのままイルカ先生のベルトに噛み付いた。ずるっと脱がし、やったと思ったところで顔から畳に突っ込む。
「いてー!」
「全く……」
全くじゃないっす、全くじゃ!
「く……っ、Sランクレベルだ……!」
俺は全チャクラを燃え立たせ、イルカ先生の尻と対面した。久しぶりだ、久しぶりだ! 昼間想像したモノと寸分変わらない。これは写輪眼の力なんだろうか、否、愛の力! 俺は舌を伸ばしてそっとソコに触れた。
「ひゃ」
ひゃ、だって。うふふふふ。
「力抜いてて下さいよー」
「分かってます」
イルカ先生は相変わらず冷静だ。しかし俺はちゃんと思い出せた。俺が『待て』をやっている間に、イルカ先生は風呂に入った。いつもより長かった。イルカ先生なりの準備がちゃんと整っている。キスをその辺りに浴びせながら、俺はにんまりと笑った。
「立派なバター犬に育てたんだから、ちゃんとしないと捨てますよ」
やっぱりバター犬って設定だったんですね……
ちょっと気持ちが下降するが、ほんのりと柔らかくなっているソコに気を取り戻す。なんとしてもイルカ先生に入れるのだ!
気合充分、俺は舌を尖らせた。
「えーあー、お取り込み中すみませんが」
は? と顔を上げる。
「召集です」
天井から、密やかに女の声が聞こえる。
「後にして下さい」
きっぱり言うイルカ先生にぶんぶん頷き、俺はイルカ先生のうなじに噛み付いた。途端にイルカ先生が大音響でお叱りになる。
「痛い! 猫の交尾じゃないだろ!」
「すっすいません!」
でも手が使えないし畳は滑るし。
「あの、聞いてます? 火影様の招集……」
「終わったら行きます」
「いえ、あの、」
当たり前だ、俺達はそれはもう、お取り込み中である。俺はがんばってがんばって、なんとかアレをナニして拝み倒して俺のファスナー下げてもらってオイルを塗ってもらって、細心の注意を払いつつ一ミリずつ進んでようやく合体を果たしたところなのだ。
「ふざけんな夕顔、てめー散々見てやがったくせに今更ナニ言ってんだ」
「そういう問題じゃないです、カカシせんぱ、だーからー!」
イルカ先生のシャツの襟を噛み、俺は前後運動を再開した。
「イルカさん、お願いですから!」
「これはしつけなんです」
非常に冷静なイルカ先生の声。
「バター犬にはバター犬としての生き方があるのです。これはカカシにとって、生きるか死ぬかという実力試験なのです」
「し、知らなかった、そうだったんですか!」
「そう。命掛けでヤれ」
「ハイ!」
「勘弁して下さいー!」
それから一時間程経っただろうか。
「とにかく、火影様の所へ行って下さい……」
天井から聞こえる女の語尾はほとんど溜息になっている。イルカ先生に頭を撫でてもらいながら、俺は殺気を噴出させた。幸せな脱力感を邪魔しやがって。夕顔が硬直する気配に少し機嫌が直る。
もちろん俺は勤めを果たし、合格のご褒美に縄を解いてもらっていた。アレやらコレやらで、とりあえず今は全裸でイルカ先生のあぐらの上に頭を乗せている。
「分かりました。終わったら、と言いましたし」
するっとイルカ先生の手が離れる。えー、と不満の声を出すが、同時に俺の殺気に何のダメージも受けていない姿にほれぼれと見とれてみたりもする。
イルカ先生は髪をきつく括りながら立ち上がった。なんだかこうね、下から見上げるイルカ先生って男前だよなあ。俺、ずっと犬のままでもいいかもしれない。
「服を着なさい、カカシ」
冷たい目でイルカ先生は俺を見下ろす。いやあ、男前!
「俺は犬ですから、服なんていりません。このまま行きます」
イルカ先生が喜びそうな事を言ってみた。案の定、少しだけ目の光が和らぐ。だんだんホンモノの人になってきたような……。ま、いいや。
「それもそうか。よし、このまま首輪だけ付けて行きましょう!」
「冗談じゃないです! 火影様にそんなモン見せないで下さい!」
「そんなモンとはこんなモンの事かー!?」
「イッギャー! 振らないでー!」
「失礼な!」
「犬が立ってどうするんですか」
「あ、すみません」
「あんたらいい加減にしてー!」
半泣きの夕顔に折れ、イルカ先生は俺にパンツと覆面着用を命じた。とても残念だった。
「……」
「ご用のむきは何でございましょう」
馬鹿丁寧なイルカ先生の足下に大人しくしゃがんで、俺はじっと五代目を見上げた。巨乳の長は能面のように無表情だ。
「五代目?」
「おまえらは、アホだな」
「いかようにでもおっしゃって下さい」
淡々とイルカ先生は言い、溜息を一つ吐いた五代目は支給服を持ってくるように夕顔に言いつけた。
「おかまいなく。火影様の御前なれば下着も着けさせますが、コレは犬ですから」
「イルカ」
なんか文句あるかいと腕を組み、イルカ先生は五代目を見下ろしている。ああカッコいい。俺は踏ん張っている足にぴったり体を寄せ、愛のまなざしを送る。
「そんなに『くのいち』が嫌なのかい」
机に肘を突きながらも真剣な目になった里長に、イルカ先生は冷笑に近い微笑みで答える。
「まさか。木の葉の忍たるもの、里のため全てを差し出すのは当然の事。同時に、任務完遂のために万全を期すのもまた勤めです。俺は、火影様が期待するような働きは出来なくなっています。それだけです」
「先だっての任務で、的にほだされそうにでもなったか」
「実はちょっとだけ」
「ちょっと!? ってイル」
「犬は黙る!」
「ワン……」
イルカ先生と俺を代わる代わる眺め、五代目は盛大に茶をすすった。
「カカシ」
無言で見上げる。イルカ先生がしゃべっても良いと指先で指示する。
「ハイ」
「おまえは本当にイルカの犬なのか?」
「ハイ!」
「嬉しそうだな……」
「イルカ先生に命令されていると安らぎます」
「バカものが」
「本当ですってー」
にこにこと俺は五代目を見上げる。この角度だと乳が邪魔で顔が半分しか見えないが。
「イルカ」
湯飲みを置き、かつて姫と呼ばれた美しき里長はすごみのある切れ長の目でイルカ先生を睨みつけた。
「このままでは、任務放棄と見なすぞ」
「イルカ先生はそんな人じゃありません!」
「犬は黙る!」
二人が同時に言った。うむ、五代目からも犬認定が出たらしい。
「カカシに対する目に余る不遜な行為にも罰則を与えねばならない。里の規律を乱す事になるからね」
「ワン!」
そんな、と心を込めて吼えた。お叱りは無い。
「上忍は里の宝。アカデミー勤務のおまえならばこれを何度も口にした事だろう。それをまあ、よくもこんな情け無い姿にしてくれたものだよ」
「素質あったんで」
「そのようだがな」
「ワン!」
俺の声がむなしく部屋に響く。イルカ先生と綱手姫の、壮絶な無表情合戦はいつ火花を散らしてもおかしくはない程に白熱している。俺はおろおろとイルカ先生の足元をうろつき、膝の裏に顔を擦り付けた。
「五代目、」
「聞け、イルカ」
深い溜息、長は気を収めて湯飲みを再び握った。
「心の枷となる伴侶や情人がいなければ『くのいち』をせずとも良い、などとは誰も決めてはいない」
びくり、と初めてイルカ先生が怯んだ。俺もぽかんと口を開けた。
「これまではそういう事例が多かった、というだけだよ。この戦力が不足している状況で、そんな悠長な事を言っていられるはずがないだろう?」
ぐっと唇を噛むイルカ先生の拳が一瞬震え、やがて顔には諦めに近い苦笑が浮かんだ。嘘でしょ、俺達、それだけを頼りに……。
「おまえの諜報員としての能力は優秀だ。惨い話だというのは承知、行ってくれ」
頼む、と彼女はイルカ先生を見据えた。無言の時間が過ぎ、やがてイルカ先生は静かに言った。
「任務、確かに拝命致しました」
五代目は頷き、一枚の紙を手渡す。受け取り、一礼の後にイルカ先生は背を向けて出て行った。
「服、着て下さい」
玄関先でじっとしている俺に背を向けてイルカ先生は言った。続いて居間に散らばっていた支給服が俺の足元に放られる。
「イルカ先生……」
「あーあー、やっぱりそうだよなあ、そりゃそうだよなあ」
背伸びをし、イルカ先生は笑っていた。
「イル、」
「ご苦労様でした、カカシさん」
座布団にどっかり座り、背中を見せたまま彼は言う。
「楽しかったですよ」
「俺、」
「終わりましょう。アレ、本当なんです」
何を言い出したのか。服を掴んで俺はイルカ先生の側に寄る。
「この間のターゲット、いい男でね。的じゃなかったらってずっと思ってました」
腿に肘を突いて頭を支え、イルカ先生は笑い含みで言う。
「嘘です」
「本当です」
「嘘です、俺には分かります」
「分かるもんか!」
振り向いたイルカ先生の顔を見て、俺は息を止めた。真っ黒な目がきらきらと輝いていて、あ、と呟いたきり俺の声は出なくなった。
「あんたなんか……」
イルカ先生は震えている。
「あんたなんか馬鹿だしヘタクソだしへらへら笑ってるばっかで何言われても嬉しそうでそんな顔見てると本当に幸せで他に何も要らなくてただカカシさんがいればそれだけでってでも俺はくのいちやんなきゃならないしきっとあんたは我慢して待っててくれて何も聞かずに大事にしてくれてそんなの辛くってでもそれでも側にいて欲しくて俺の我侭だらけで生肉食わせたりしたのになんか馴染んじゃうしで嫌ってもくれなくて俺の事なんて全然分かってないあんたなんていらない、あんたなんかいらないんです!」
叫びながらイルカ先生は立ち上がり、餌皿だの首輪だのイチャパラだの俺の荷物をどんどん放った。俺は全部受け止めた。
「出てけ!」
玄関を指差すイルカ先生を俺は見た。ぐしゃぐしゃに顔を歪めて泣いているイルカ先生を。
分かりました。イルカ先生、分かったよ。
「ワン」
俺は心を込めて吼えた。イルカ先生は泣きながらちょっと笑った。俺もにやっと笑い、服やガラクタを抱えて部屋を出た。そしてアパート脇の空き地に立ち、イルカ先生の部屋を見上げた。
終わったのだ。
「五代目」
「おかしな顔をするな、コテツ」
「いやーあれですよ、まあなんて言うか変な顔にもなるってもので」
「回りくどい物言いは好かないね。はっきり言いな」
「では、単刀直入に申し上げます」
「ああ」
「カカシ上忍が忍犬登録をした上で空き地に土管を持ち込み、半裸で暮らし始めた模様です。周辺住民が怖がり保健所に通報、先ほど野犬捕獲の専門家が何人か派遣されたとの事です」
「……意味が分からん」
「そのまんまですよ。死人が出る前になんとかした方がいいんじゃないですかね」
「……」
「五代目!」
「……なんだ、イワシ」
「潜入任務の報告書が提出されたのですが、一部問題が」
「部隊長は」
「うみのイルカです」
「今度はそっちか……」
「は?」
「何でもない、どうした」
「今回の潜入任務自体は成功したのですが、ターゲットであった盗賊団の首領が使い物にならなくなったようです」
「どういう事だい」
「情報収集後は泳がせ、暁と繋がる組織に連絡を取らせる、という計画でしたが、首領がイルカ無しでは日も夜も明けぬというありさまだそうです。イルカが戻ってくるのを自ら首輪を付け鎖に繋がれ、ただ待っているという報告が残った暗部から入りました。どうやらイルカが特殊な工作をしたようです。これは五代目のご指示であるのかという問い合わせが……」
「馬鹿どもがー!」
冬も終わろうとするうららかな昼寝日和の午後。そして捕獲されようとしている俺。
いや、もちろん簡単には捕まったりはしなーいよ。
というか、一般人が網持って走って来ても、捕まえられるのは蝶々がせいぜいだ。俺はここを住処と決めた、こればかりは譲れない。俺は土管の中であくびをしながら、どたどたと動き回っている一般人を窺った。
「カカシ!」
あれ、五代目?
「いいから出て来い!」
やだもんねーだ。ここは俺のおうち。
「カカシは土管の中だね?」
「そうです」
夕顔だ。そういや朝からいたな。
「気の毒に、一般の人達」
「幻術にかかって朝からずっと蝶々追いかけています」
「出てこんのか、アレは」
「無駄です、無駄無駄、あーもー嫌だったら!」
「そうふて腐れるな、夕顔」
「腐りもします! 私だってがんばりました、朝から必死で先輩を手懐けようとボール投げたり『犬まっしぐら』開けたりたりしてずっと呼んでました、そしたら保健所の人達、私の飼い犬だって思い込んでしまって、放し飼いは駄目だとかお説教くらいました!」
「……それは災難だったな」
「冗談じゃありません、アレですよ? アレを飼ってる!? 冗談じゃありません! こんな事になるなら私も一度くらいプレイしておけば良かったですよ、そう思うでしょハヤテー!」
「落ち着け、夕顔」
「うっうっ、私疲れてます」
「分かった分かった、帰って帰脾湯でも飲んで寝な」
「そうさせていただきます……」
さすがに夕顔が気の毒になった。しかし俺は決めたのだ。俺の、バター犬としての時代は終わった。これからは新しい未来を生きるんだ! そのためには乗り越えるべき壁は多い。だから夕顔は家に帰って加味逍遙散料でも飲んで寝てくれるとありがたい。
「カカシ!」
問題はあの乳、いや火影様だ。
「怒らんから出て来い!」
「ホントーに怒りません?」
「そんな訳あるか!」
出るもんか。
俺は土管に手足を突っ張って準備をした。例えあの怪力で振り回されても俺はここを動かない! 忍人生で培った全ての力を持ってして、俺はこの土管に骨を埋める!
「おりゃあ!」
ばかん、と俺のおうちが割れた。
「酷いです、五代目!」
「……パンツ一枚なのか、やはり」
「あ、やっぱりおかしいですよね、犬なんですから全裸じゃないと……」
「脱ぐな。人語を解す間は履いておけ」
「そんなもんですかね?」
ぴちっとパンツを履き直して、俺はのっそりと五代目の前に立った。蝶々を増やし、一般の人達には空き地の外に退場していただく。
「で、今度は何だい、カカシ」
「番犬です」
「番犬」
「です」
「……」
「……」
「多くは聞かない。なぜ忍犬登録をした」
「だってその方が役に立つっぽいでしょ。口寄せ契約も出来るし」
「誰と」
「それはナ・イ・ショ」
「うみのイルカを呼びな!」
「ちっ」
五代目が声を張り上げると、飛び上がるようにしてシズネと子豚が物陰から出て走って行こうとした。やっぱりお付きって必要だよねと俺がうんうん頷いていると、
「います」
と俺の真後ろから声がした。
「イルカ先生!?」
俺も飛び上がった。お付きってこういうもんだよねと感動しながらイルカ先生の足下に擦り寄る。ああこの幸せときたら。
「まだ犬やってんですか、カカシさん」
「くーん……」
酷いですよ、と俺が見上げると、困ったような笑顔でイルカ先生は頭を撫でてくれる。犬冥利に尽きるとはこの事だろう。
「イルカ」
「はい」
「今回の任務の顛末は聞いたよ。おまえ、一体何をしたんだい?」
え、何ナニ?
「特に何も」
「嘘を吐け」
「ですから何もと、」
「誰が、ターゲットを犬にしろと命じたのかって聞いてるんだよ!」
「エー! イルカ先生、俺以外に飼ったんですか、駄目ですよ駄目ですよ!」
「犬は黙る!」
二人の声に俺は小さくなった。反対に二人のチャクラはぶわっと増大した。
「答えな、イルカ!」
「だって素質あったんです!」
「……」
「ああいう強面の類は往々にしてアレですね、支配に慣れているので逆の立場になったらものすごく従順なんですよてゆーか被支配へのあこがれ?まあなんでもいいんですが体使わずにすっかり懐いてくれたのでそれはもう楽な仕事でした頭撫でて足舐めさせてりゃ毎日いいモン食わせてもらえてすっかり太っちまいましたよはっはっは」
「ワン……」
「ああ」
イルカ先生はにっこり笑って俺を見下ろした。
「バター犬はこれまでもこの先も、カカシさんだけって決めてますから。安心していていいですよ」
俺は歓喜の遠吠えをかますとイルカ先生の股間に頭を擦り付けた。よせよーと嬉しそうなイルカ先生と俺を残し、五代目はシズネと共に静かに去って行った。
それからどうなったかと言えば。
イルカ先生は相変わらずくのいち任務に出ているし、俺は仕方無しだが服を着て、上忍のお仕事をせっせとこなしている。特に変わりはない訳だ。
体を使わずに済むとはいえ、イルカ先生が任務を遂行するために一時でも俺以外の犬を飼うようになった事にはちょっと不満があるけど。今回の犬はー、などとイルカ先生の土産話が始まると、俺は見っとも無く嫉妬してしまう。でも、バター犬は俺だけなんだ、イルカ先生はちゃんとその約束を守ってくれている。それにどことなく生き生きと任務に出るイルカ先生を見ていれば、俺も嬉しくなってしまうしね。
あれ以来暗部も付かず、俺とイルカ先生の間に邪魔は入らない。今は、イルカ先生がバター犬は室内飼いが基本だと主張するので、もったいなくも家に上げてもらっている。犬としてはかなり申し訳ないのだが、イルカ先生が満足そうだからあまり考えない事にした。
そう言えば、里の一角に『犬屋敷』なるものが出来たらしい。犬ではないナニカが鎖に繋がれているって噂が流れているが……まあ、ただの与太話だ、そうに違いない。うん。
「五代目」
「聞きたくない」
「また『犬』が増えます」
「聞きたくないと言っているだろーが!」
「イルカが任務に行く分、増えますって。ガタイがでかいのばかりなんで、餌代が嵩むって犬塚がうるさいんですよ。補助増やした方が良いんじゃないですかね」
「何をどうやっても、イルカの術が解けないんだよ、なんでだ!」
「術じゃないから、じゃないですか」
「じゃあなんだ、愛か、愛なのかー!」
「さあ?」
「仕方が無い、よしコテツ、おまえ一匹引き取りな!」
「無理です。俺チワワ飼ってますから」
「じゃあイワ、……逃げやがった」
「五代目が飼ったらいいじゃないですか」
「私は猫派だよ」
「どうします?」
「野生に返すか……」
「それは木の葉の危機だと思うんですけど、気のせいですかね」
ま、俺達は幸せだ。
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