つきごもり

 月の無い夜にはカカシもいない。
 偶然なのかもしれない。わざとなのかもしれない。どちらにせよ、いない、ということには違いなかった。

 月の無い夜は影が長いんじゃないかと、イルカは振り返って確かめた。
 そんなことはなかった。少し風が強い。片手に下げたビニールがかさかさと、いかにも侘しい音を立てた。
 アカデミーを出た時に空に月が見えなくて、イルカはスーパーで惣菜の入ったプラスチックケースを三つばかり買った。そうであったらいい、と思った訳ではなかったが、カカシがいなければ料理をせずに済むと思ったのは本当だ。
 別に、料理が嫌いなのではない。懐が寂しくなれば弁当を作って出勤する程度には抵抗がないというところだ。イルカには、単なる生活上の親しんだ作業であるだけだったが、同僚はマメだと感心し、特に女性は誉めそやしてくれる。でも、嬉しいとは思わない。だってそれは作業だから。その日を明日を、働くための作業にすぎないのだから。
 通い慣れた道は短かかった。何か、深い所に落ち込むような考えにならない内に辿り着くことが出来て、鍵を内側から掛けながらイルカはほっと息を吐いた。家の中は暗い。
 居間に入る前の数歩の板張りの上で、足の裏がとぼとぼと不平を言う。聞かない振りで台所に入って手探りで灯りのスイッチを押す。ぴちん、からん、と情けない音で蛍光灯が灯ってイルカは目をすがめた。
 月の無い夜にはカカシもいない。
 偶然なのかもしれない。わざとなのかもしれない。どちらにせよ、いない、ということには違いなかった。
 だから、ということではなかったが、イルカはプラスチックケースと昨日ラップをして凍らせておいた白飯をレンジで暖め、水場で立ったまま食べた。とても面倒で、全部洗い桶に浮かべて灯りを消した。そのまま、勘だけで風呂場に向かい、シャワーを浴びてついでに歯も磨いた。イルカは、見えないはずの月を風呂場の窓からずっと探していた。



 月の無い夜には表には出ない。
 怖いから出ない。家の中にじっとしていれば、怖いことは何も起こらないのだから。

 カカシはそんなことを頭の中で繰り返し思いながらベッドの上に座っていた。全ての部屋に煌々と灯りを点け、出入りできそうな場所には忍犬を配置した。このまま朝を待っていればいい。
 月の無い夜には気をつけなさいと、少しだけ気の抜ける里にいる時ほど用心なさいと、かつての師は言った。だからカカシはそれを守っている。もしも任務中なら都合が良いばかりの暗殺の夜、ターゲットに忍び寄りながら張り詰めている自分に勝てる者はそうはいない、その程度の自信は持っても良いとカカシは思う。
 こんな夜を里で迎えるのは何回目だろうか。きっと数えられるくらいだろう。ひとところに長く勤めるということに、こんな苦労が伴うとは予想していなかった。
 けれど、辛い苦労じゃない。カカシは微笑んで窓から空を見上げた。黒く切り取られたその空間には、ひとつふたつとささやかに星が浮かんでいる。部屋の灯りが強すぎてカカシにはよく見えなかったが、月の不在をこれ幸いと、天は賑やかに星々をまとっているのだろうと彼は笑んだ。
 月の無い夜には表には出ない。
 怖いから出ない。家の中にじっとしていれば、怖いことは何も起こらないのだから。
 ここにひとりでいるならば、暗殺者がやって来ても誰も巻き込むことはない。だから、表には出てはいけない。特に、あの家には行ってはいけない。行きたくてたまらない場所だから行ってはいけない。決して自分を表に出すなと最初に命じた時、一番古い忍犬は、難儀じゃのう、と文句をたれた。それを思い出してカカシは微笑み、窓を横切ってどこまでも流れていく見えない月に小さく手を振った。



 月を、月読壮士(つきひとをとこ)と呼ぶという。
 あの人のように、ひどく繊細で間抜けな響きだと思う。



 月を、船と喩えることがあるという。
 あの人のように、決して沈まぬ船なのだと思う。



 そんなことを考えながらイルカは体を拭き、カカシはカーテンを閉めた。






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