微かに息に声が混じる。顔を近づけ、月は竜崎の唇を見つめた。しかしそれきり固く結ばれて音は無い。見開いた黒い目は何事も起こっていないかのように無機質にテレビに向けられ、何度顎を掴んで視線を合わせてもその目はすぐに液晶画面に戻る。
「竜崎」
意固地に逸らされる視線にいらつき、限界まで足を開かせた。折り曲げた膝の先で足指が縮こまる。怒りに近い嗜虐の感情が誘うままに、月は深く自身をめり込ませた。
マンションでの攻防の翌日、竜崎の様子は微塵も変わらなかった。彼の講義は予定通りに行われ、竜崎は月を指名すらした。日本語を読むように難解な英文を訳しながら月は視線を向けたが、返されるものは講師のそれでしかなく感情は全く伺えなかった。
――必ず吐かせる。
講義を終え、足早に国道沿いを歩きながら月はそれだけを考えていた。次からは部屋に上がるのも一苦労だろうが、自分の立場を利用すれば方法は数多ある。最悪の事態となったとしても、竜崎がどれだけ言葉を尽くしたとしても、淫行の咎は十七歳の月ではなく成人に偏るだろう。
「月くん?」
肩を叩かれて顔を上げると男が首を傾げていた。待ち合わせの店の前を通り過ぎようとしていた。
「……考え事してた」
「そっか。どこ行くのかと思ったよ」
月は男の顔を見つめ、単純さはある種の美点だろうと考える。
「行こう。食事はホテルでとろうよ」
ニュースは淡々と流れる。キャスターの低い声とCGを駆使した緑色の画面がくるくると木の葉のように回っている。
「良くない?」
角度を変えながら深く抉る。脱力した体に時折電流のように緊張が走るのが伝わり、『間違って』はいないのだと教える。
「勃ってるけどね」
触りはしない。そんな必要はないのだ。竜崎の体は内部だけで充分に快楽を得られるのだから。
「よく分からないよ、竜崎」
肩を両手で掴み、掛かるだけ体重を乗せた。ぎぎ、とソファが軋む。しかし視線は液晶に向いたままだ。
「そんなに嫌なら僕を部屋に入れなければいいのに」
慎重に竜崎の反応を観察しながら突き上げる速度を早める。
「それとも気に入ったのか?」
ぐっと竜崎が奥歯を噛み締めたのが分かった。まだ視線は画面に向かっているが、それ程時間はかからないだろう。手を腰骨に移してきつく押さえ付け、一カ所を執拗に擦り続ける。
「……っ」
頑なな唇が微かに開いた途端、竜崎は呼吸を荒げた。引きつるように上下する薄い胸を見ながら、月は足を抱え上げた。短い呼吸を繰り返しながら、竜崎の瞼は徐々に落ちていく。
「月くん」
「ん……」
「そろそろ起きないと」
「僕、寝てた……? どれくらい?」
「三十分くらいかな。睡眠足りてないみたいだ。勉強、大変?」
申し訳なさそうな顔で男は言った。頭の下にあった腕に顔を伏せ、月は少しの間目を瞑った。男の手のひらが腰の辺りをそっと撫でている。
「気持ち良さそうだったから起こし辛くて」
「いいよ、まだ電車あるから」
「近くまで送ろうか?」
いらない、と短く返事をして月はベッドを降りた。淡い緑色のカーペットを踏んで、脱ぎ散らかした服に手を掛ける。
「シャワーは?」
構いたくて仕方が無いらしい男に首を振って見せ、身支度を整える。慎重に見回して忘れ物がないか記憶を探っていると男が背後から抱きしめてきた。
「月くん……」
「またね」
「本当に? 次はある?」
首を逸らせて振り仰げば、軽いキスをされた。
「あるよ」
たぶんね、そう心の中で付け足して月は男の腕を解いた。向き直って無言で手を出すと、彼は小さな溜息を吐いて床に落ちたスーツの内ポケットを探って財布を取り出した。互いの保身のため、他言出来ない犯罪行為にしようと言ったのは男の方だ。が、純粋に月に惚れている男には何度経験しても堪える『儀式』らしい。差し出された、最大限の気持ちであろう五枚の札から一枚だけを抜き、月は部屋を出た。
安くは無いシティーホテルだった。大理石を模した床を歩きながら、一番最初に寝たラブホテルの安っぽい内装を思い出して月は苦笑した。
――寝る度に良いホテルになっている。
それだけ、男は月を繋ぎ止めようと必死になっているのだろう。元々優しかった男は、今や何もかも月の言いなりだ。しかし、今はもうただの負担になりつつある。円満に切れる方法を探しながら月はエレベーターに乗り込み、そして眉を寄せた。
――なぜ、エレベーターというものは鏡張りなんだろうか。
自分の顔から目を背け、竜崎の部屋に初めて行った日を思い出す。家に帰ると、喧嘩でもしたのかと母と妹が大騒ぎした。なんでもない、と思春期らしく言い捨てて部屋に入り、鞄を思い切りベッドに叩き付けた。勝ったのは自分の方だ、なのになぜ、これ程腹立たしいのだろう。
だからまたすぐに、マンションに行った。
住人が出てくるのを待ち、入れ違いにオートロックの玄関フロアを抜け、部屋のインターホンの前に立った。呼び鈴を鳴らすとやや時間を置いてぷつり、と小さく音がした。通話器を取り上げたのだろう、しかし何も声はしない。カメラが付いているのは分かっているから、自分を見て絶句でもしているのか。
「竜崎先生、入れて下さい」
返事は無い。
「入れてくれなければ騒ぎます。男に遊ばれた哀れな高校生役で」
再びぷつり、と音がした。インターホンを切ったらしい。玄関扉が開くのを待っていると、程なく小さな金属音がした。
が、扉は開かない。
眉を上げ、月は扉を見つめた。開く気配は無い。しばらく待ち、大声を張り上げる前にノブを握ってみると、ドアはあっけなく開いた。先ほどの金属音は鍵を開けた音だったようだ。
静まった玄関に竜崎の姿は無く、廊下を進むと僅かに音が漏れ聞こえてくる。英語だった。その必要もないのだが月は足音を殺し、リビングに続くドアを開けた。
竜崎はソファに座っていた。子供のように両足を上げ、膝を抱えてテレビを見ている。
「こんばんは」
学校指定の鞄を床に置く。竜崎は何の反応もしない。ただ、テレビを見ている。ソファの前には昨日は無かったガラス天板の低いテーブルがあった。その上には紅茶らしい、薄い褐色の液体が底に残っているカップが乗り、その横にはかなりの数のチョコレートが詰まった箱が置かれていた。天板の上に散乱するこげ茶色の薄い紙屑が月の動きに合わせ、こそりと音を立てた。
「竜崎先生」
隣に座りながら月は言う。
「データをもらいに来ました」
「ありません」
即座に答える竜崎は月を一瞥もしなかった。
「……いい加減にしろ」
「無いものは無い」
互いにぞんざいに言葉を交わし、しばし沈黙する。色とりどりの旗が舞う広場で、大勢の人達が民族衣装で踊っている画面を二人は凝視した。
「じゃあ、しよう」
他にすることもないし、と呟いて月は竜崎の右足首を握った。ずるりと引けば、竜崎はあっけなく滑ってソファに背中を置いた。
「今日は抵抗しないんだ?」
両手を上げさせればそのままになり、片足を背もたれに乗せても降ろそうともしない。顔だけは画面に向いている。
「何か企んでいるんだろう? 随分簡単に部屋に入れてくれたし」
そうは言ってみたが、竜崎の意図は想像出来ない。無いものとして月を扱うことにしたのか、表で騒がれるよりマシだと思ったのか。
「まあいい、僕はどうだっていいんだ」
ひとりごちて月は全裸に剥いた竜崎を見下ろした。
貧弱な体だった。画面の色に容易に染まる薄い色彩の肌は体毛までが薄く、視覚を刺激するものは皆無だ。片方を背もたれに掛けられ、もう一方をソファから落として丸見えになった足の間でさえ誘う色も無く、まるで死体のように見えた。
――当たり前だ、僕は男なんて好きじゃない。
月は薄く笑い、だらりと垂れた性器を握る。手応えの無い感触を擦り上げて表情を伺うが、液晶に固定された視線に揺るぎはなかった。
――抵抗でもされなければ勃ちそうにもないな。
このまま指で滅茶苦茶に掻き回して痛がらせるのが良いかもしれない。そんな風に思うが、血で汚れるのは嫌だった。月は立ち上がって鞄に戻る。潤滑剤を取り出し、少し考えてコンドームは手に取らなかった。
ソファの前に立って制服を脱ぐ。竜崎は全く動かない。
――甘いよ、竜崎。
足の間に膝を突きながら月は唇を歪める。所詮は子供のすることだと、たかをくくっているんだろう?
「……早く白状した方がいい」
濡らした指で性器を辿り、睾丸の間を通って後口に触れると僅かに竜崎は身じろいだ。
「僕は、妥協しないタイプだから」
気が付けば、月は完全に勃起していた。
一ヶ月が経ち、強姦は続いている。
瞼を閉じ、唇を噛み締めて硬直した竜崎は、回る緑色の画面に照らされて一層生命の無い物に似る。
最初は吐精させられない時もあったが、今、月は竜崎の体を完全に把握していた。予備校で直感した通り、竜崎の体は充分に男を知り感じる術を身に付けていて、どれほど無機質さを装っても最後には全身で快感を得る。月がそうさせる。
「……く、う、」
小さな声を上げて竜崎は震えた。死体が息を吹き返す瞬間だ。抱え上げた腿の裏がぴんと張り詰め、穴がきつく締まった。何度か頭を左右に振り、竜崎は息を止める。
「もういくのか?」
言葉と同時に突き上げる速度を上げた。竜崎は無言のまま何度か大きく震え、そして僅かに目が開けた。その目はどこにも定まらず、月の肩を越えて背後を彷徨う。やがて喉が上がり、あ、と一声だけ漏れた。白濁が零れ、突き上げる度に絞り出される液はだらだらと垂れて竜崎の胸を伝ってソファを汚した。
「良かった?」
容赦無い抜き差しを続けながら月は呟く。竜崎はゆるゆると頭を振り、手を伸ばす。
「も、う、終わって、下さ、い、」
「先にいっておいてそれはないだろう」
肩を押す手のひらが、今日唯一の抵抗だった。
「嫌、です」
最初は偶然だった。タイミングが大幅にずれ、先に達した竜崎がまだ動き続ける月に初めて嫌だと言った。月はそれをドライオーガズムだと判じてそれからはわざと先に竜崎をいかせて声を上げさせ楽しむようになったが、何度か繰り返す内にこの竜崎の反応は本当に苦痛からくるものだと知った。
「夜、神く、」
「少し我慢しろよ」
より深く激しく突き上げながら竜崎を観察する。この苦痛の時間にだけ、竜崎は液晶を忘れて目を閉じるからだ。月にとって自分自身の快感はもはやどうでもよくなっていた。竜崎が声を漏らし体を捩る様を見たい。完璧に陥落させ、泣いて許しを乞わせてデータを取り上げるのだ。そして全てを奪って尚、自分はここへ来続ける。この男の痙攣を眺めるために。
「く、るし、」
「ああそう」
痩せた足を折り曲げ、深く潜っては引きずり出す。諦めたのか、両腕で顔を覆って竜崎は途切れ途切れにうめいている。
――もっと声を。
身を屈め、顔を寄せ、殺意混じりに捻り込む。ひ、と息を震わせて竜崎は細かい緊張と弛緩を繰り返す。
「データは、竜崎」
歯を食いしばる顎を掴む。
「言えよ、止めて欲しいなら」
「あ、あ、りま、せん、無い、な、」
――苦しめばいい、仰け反って喘げばいい。
もっと近づこうと腰を抱えた瞬間、月は射精した。自覚が無いままに限界がきていた。
「……ち」
見下ろせば竜崎はまだ、両手で顔を掴むように覆って喘いでいる。性器を引き出し、捨てるように足を離した。
「次は言ってもらうから」
竜崎のトレーナーで精液を拭い、月は立ち上がった。勝手にシャワーを使って制服を身に付け鞄を取りに戻ると、竜崎はまだ月が放ったままの形でソファに倒れていた。精液が垂れている穴がよく見えた。
DEATH NOTE TOP